春風のインドール

色部耀

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理科教師 生田雅晶

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 春の風薫る四月。視線を上げれば校庭の桜は咲き誇り、足元ではタンポポが黄色い花を風に揺らしている。高校生活も一週間が経ち、環境の変化で緊張していた日々も少し穏やかになった。そんなある日の昼休み、私は一人で校庭を散歩していた。早めに済ませた昼食後すぐに教室を出たおかげか、桜の木漏れ日を浴びる校庭を独り占めにできる。学内の草花は手入れが行き届いており、どこを見ても季節を感じる色と香りで満たされている。

 そんな華やかな学内も、あわただしい入学直後の一週間では隅々まで見ることはできない。だからこそ私は気分転換を兼ねてこうして散歩と決め込んでいた。桜並木を越え、ビオラと菜の花が植わっている鉢植えが置かれた渡り廊下を横切る。その奥には私もまだ行ったことのない校舎裏。南向きで日当たりの良さそうなその場所にはどんなものが植えられているのだろう。どんなものがあるのだろう。そう胸を躍らせて角を曲がる直前、それまでの春の香りとは違った顔をしかめたくなるような臭いがした。肥料置き場か何かから匂いが漏れているのだろうか。そう思って校舎の角から顔を出すと、倉庫の角でズボンをおろしてしゃがむ男性教師と目が合った。

「え?」

 私が思考を停止して間抜けな声を上げると、その先生は簡易なついたてを自分のそばに立てて下半身を隠す。しかしその姿勢のまましばらく動くことはなかった。ただその恰好のまま私に話しかけてきたのだ。

「この時間は誰も来ないので気を抜いてしまっていました。失礼しました」

 そう言うとその先生は近くにあるトイレットペーパーを手に取ると自らの股を拭くような動作をして立ち上がる。ズボンを履き、振り返るとさらにスコップを使って一帯の土をかき混ぜる。一連の動きを見ていた私だったが何をしているのか意味が分からずに立ち尽くしてしまっていた。すると先生はそんな私を見かねたのか、行動の説明を始める。

「ああ、これはコンポストを利用したパーマカルチャーを試しているのですよ。糞尿や生ゴミといった窒素を多く含むものを微生物やミミズといった生物を利用して肥料に変えています。そしてその肥料を使って野菜を育てるといった感じです。そうやってできた肥料がコンポスト。パーマカルチャーというのは持続可能な農業という意味で、ゴミなどを焼却せずに自然に返すことで窒素の循環、ひいてはエネルギーの循環をしようという試みなのです。ここでもそろそろジャガイモが採れますよ」

 まるで授業をするかのような先生は、話しながらもスコップで地面をかき混ぜ続ける。ようやく頭が回り始めた私は少しずつ理解した。今この先生がしているのは先程自分で出した大便を地面に混ぜて肥料にしているということ。その肥料を使ってここにある野菜を育てているということ――。ようやく理解が追いつきはじめると私の中でどんどんと嫌悪感が増していく。気持ち悪い、信じられない、ありえない。しかしそんなこともお構いなしといった風に先生は続ける。

「難分解性ポリマー……俗に言うプラスチックと違って自然に返せるものは返していこうと思っているのです。教師として働き始めて十年。ようやく自分のやりたいことができるようになりました。これもいつかジャーナルとして論文発表できたらと思っているのですよ。あ、失礼しました。私、理科と生物の授業を担当している生田雅晶(いくたまさあき)と言います」

 生田先生……。まだ授業を受けたことはないけれど、理科の担当ならば近いうちに授業で顔を合わせることもあるだろう。そんなことより今、私はこの不快な臭いの元が生田先生の糞尿から来ていると知って、より一層不快になっているところだった。昼食に食べたパンが食道を逆流してきそうな気持ちの悪さを気合いでどうにか抑え込む。

「今は発酵の初期段階なので生ゴミも近くの大学の乗馬部から貰った糞も臭いですけど、少ししたら匂いも無くなりますよ。特に今日は馬糞が多いのでインドールやスカトールなんていう臭い物質も多いですし」

 私の顔に出ていたのだろうか。生田先生は臭いの元について説明をしてくれた。しかしだからといって臭いそのものが消えるわけでもなければ先程目に入った先生の姿が消えるわけでもない。今でこそしっかりスーツを着た三十過ぎの爽やかな先生ではあるものの、初めの印象が悪すぎる。このえも言えないもやもやした気持ちをどうにかしたい……そう思ったとき、私に一つの考えが浮かんだ。悪魔のささやきのように脳裏に過った。

「生田先生。いくら環境に良いとか言っても、流石に女子生徒の前で下半身丸出しにしていたのは問題じゃないですか? もしこのことが公になったらまずいですよね?」

 見るからに気弱そうな先生。背は百八十センチメートル近く高いが筋肉も脂肪もないもやしのような体型。少し脅してやれば言うことを聞いてくれるのではないか……。そう思い、自分でも悪いと思いながらも口に出してしまっていた。生田先生は少し焦るように何度かえっと……と口にする。

「それにさっき、やっとやりたいことができるようになったと仰ってましたし。このことは誰にも知られない方が良いですよね?」

 私は念を押すようにしてそう言うと、生田先生が何か言う前に続けた。

「今、困ってることがありまして……。問題にされたくなかったらお願いを聞いてください」

 生田先生は私からの提案を聞いて今にも泣きだしそうな苦しい表情をして考え込む。生徒に脅されるような状況は生田先生も嫌なのだろう。そうして少ししたところであからさまな作り笑顔になると、一息吐いて絞り出すように答えてくれた。

「困っている生徒に手を差し伸べるのは教師の務めですから……」
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