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クラスメイト 花岡 二宮
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生田先生はそう言って新山先生の顔を覗き込む。新山先生は俯き、何か考え込むように黙った。隣で立っていた花岡さんは乱暴に座ると睨みつけるかのように新山先生を見る。さらにその隣の二宮さんは一貫して黙ったまま机に視線を落としているだけ。
「バレー部のみなさんは新山先生に対して誠実に接してくれているように思います。ここは新山先生も腹を割って話してあげても良いのではないでしょうか」
生田先生の丁寧すぎるような丁寧語は、まるで子供をなだめるような言い方にすら聞こえる。子供……とまでは言わなくても、新山先生だって一人の人間であることは間違いないのだ。言いたくないこともあれば教師として取るべき行動を私情で取れなくなってしまうことだってあるだろう。
大人だからと言って完璧でいられるはずはないのだ。高校生にもなればそのくらい私にだって分かる。しかし、そんなことをついつい失念して大人に過度な期待をしてしまうときだってある。
「はあ……」
生田先生に促されて新山先生は大きなため息をついた。観念したような表情に見える。
「怖いんです……」
「怖い……ですか?」
生田先生は新山先生の言葉を繰り返す。何が怖いのか主語が無い。なのでその言葉だけではいまいち何のことか分からない。新山先生は誰とも視線を合わせることなく話し始めた。
「去年までいた学校での話です。生田先生は何か聞いたことがありますか? 私の噂」
「いえ、特に気になるような話は伺っていません」
「そう……ですか」
新山先生はそう言うと机に肘をついて指を組む。そして顔を隠すように組んだ手を額に当てた。どんな顔をして話しているのか分からない。どんな顔をして話しているのか知られたくないのかもしれない。
「セクハラで問題にされたんです。前の学校で。自分でも厳しい指導だったと思います。指導に必要な最低限ではありますが体に触れたことも事実です。しかし、厳しい練習に耐えかねた生徒からあることないことセクハラだと報告されてしまったんです」
「なるほど……そういうことですか」
「厳しくしたら私らもセクハラで訴えるとでも思ったんですか? 私らのこと信用できないんですか!」
納得をしていた生田先生とは違い、花岡さんは声を荒らげてそう言った。気持ちは分からないでもない。自分たちが冤罪を着せる人間かもしれないと疑われているようなものなのだ。それこそ重さは違うかもしれないが、セクハラを疑われた新山先生とも近い気持ちだろう。
「花岡さん。違うのです。新山先生はあなたたちを疑って指導ができないわけではないのです」
「何が違うんですか。嫌なことがあったら私らが先生をセクハラって言って訴えるかもって疑ってるんじゃないんですか?」
花岡さんは腕に力を入れ、歯をくいしばるようにして言った。感情を爆発させないようにギリギリのところで踏ん張っているように見える。
「花岡さん。教師は生徒を信じて真摯に向き合う。それが正しいことだと理解していても実行できないときもあるのです」
「だからなんでですか!」
「心は理論よりも経験を優先してしまうものだからです」
理論よりも経験を優先してしまうもの――。生田先生の言葉を聞いて私はある話を思い出した。昔、生田先生の教え子が目の前で亡くなったときの話を。生田先生も生徒に手を差し伸べることを躊躇しているという話を。
「それは生物が生き延びる上で獲得した生存本能の一つです。食べて腹を下した食べ物を覚えて似たようなものを食べられなくなったり、自分に危害を加えた他の動物に似た生き物を見たら警戒して近寄らなくなったり。だから新山先生はこう表現したのでしょう。怖いのだ――と」
花岡さんは生田先生の話を聞いて静かに力を抜いた。生田先生の言葉を自分の中で咀嚼しているのだろう。簡単な話ではない。理解できたところで受け入れられるかどうかはまた別の話だろう。少しの沈黙の後、口を開いたのは新山先生だった。
「すみませんでした。時間をかけてしまうかもしれませんが、少しずつでも皆さんとちゃんと向き合えるように頑張りますので」
花岡さんは新山先生の言葉にどう返したらいいのか迷っているようで口を開かない。すると、生田先生が促すように言った。
「花岡さんが答えのない問題に不安を覚えたのもまた真面目に生きてきた経験からのものです。それをすぐに変えられないのと同じように新山先生にもなかなかすぐに変えられないものもあるのです。ご理解いただけませんか?」
生田先生の言葉に花岡さんは長くゆっくり息を吐いてから答えた。
「怒鳴ってすみませんでした……。二宮もごめん」
そうしてしんみりした雰囲気の中、今までずっと黙っていた二宮さんが声を出した。カラッとその場の空気を吹き飛ばすような声。空気を変えるような声。
「あーあ。今日は部活辞めるって言おうと思ってたのに。なんか冷めちゃった」
「二宮辞めるつもりだったの?」
「そりゃそうでしょ。あんなギスギスしてるとこいたくないし。仲良くなれたと思ってた花岡もなんかイライラしちゃってるし」
二宮さんは頭の後ろで腕を組みながら大きく背中をそらす。緊張した体と雰囲気をほぐすように。みんなと同じにできない、空気を読んで行動できないというのは少し納得してしまう。しかし今回の行動に至っては悪いことではないようにも思えた。
「ま、先生もなんかどうにかしてくれそうだし、退部の話は保留かな」
「……二宮上手いんだから辞めないでよ」
「ま、今後次第ってことで」
「バレー部のみなさんは新山先生に対して誠実に接してくれているように思います。ここは新山先生も腹を割って話してあげても良いのではないでしょうか」
生田先生の丁寧すぎるような丁寧語は、まるで子供をなだめるような言い方にすら聞こえる。子供……とまでは言わなくても、新山先生だって一人の人間であることは間違いないのだ。言いたくないこともあれば教師として取るべき行動を私情で取れなくなってしまうことだってあるだろう。
大人だからと言って完璧でいられるはずはないのだ。高校生にもなればそのくらい私にだって分かる。しかし、そんなことをついつい失念して大人に過度な期待をしてしまうときだってある。
「はあ……」
生田先生に促されて新山先生は大きなため息をついた。観念したような表情に見える。
「怖いんです……」
「怖い……ですか?」
生田先生は新山先生の言葉を繰り返す。何が怖いのか主語が無い。なのでその言葉だけではいまいち何のことか分からない。新山先生は誰とも視線を合わせることなく話し始めた。
「去年までいた学校での話です。生田先生は何か聞いたことがありますか? 私の噂」
「いえ、特に気になるような話は伺っていません」
「そう……ですか」
新山先生はそう言うと机に肘をついて指を組む。そして顔を隠すように組んだ手を額に当てた。どんな顔をして話しているのか分からない。どんな顔をして話しているのか知られたくないのかもしれない。
「セクハラで問題にされたんです。前の学校で。自分でも厳しい指導だったと思います。指導に必要な最低限ではありますが体に触れたことも事実です。しかし、厳しい練習に耐えかねた生徒からあることないことセクハラだと報告されてしまったんです」
「なるほど……そういうことですか」
「厳しくしたら私らもセクハラで訴えるとでも思ったんですか? 私らのこと信用できないんですか!」
納得をしていた生田先生とは違い、花岡さんは声を荒らげてそう言った。気持ちは分からないでもない。自分たちが冤罪を着せる人間かもしれないと疑われているようなものなのだ。それこそ重さは違うかもしれないが、セクハラを疑われた新山先生とも近い気持ちだろう。
「花岡さん。違うのです。新山先生はあなたたちを疑って指導ができないわけではないのです」
「何が違うんですか。嫌なことがあったら私らが先生をセクハラって言って訴えるかもって疑ってるんじゃないんですか?」
花岡さんは腕に力を入れ、歯をくいしばるようにして言った。感情を爆発させないようにギリギリのところで踏ん張っているように見える。
「花岡さん。教師は生徒を信じて真摯に向き合う。それが正しいことだと理解していても実行できないときもあるのです」
「だからなんでですか!」
「心は理論よりも経験を優先してしまうものだからです」
理論よりも経験を優先してしまうもの――。生田先生の言葉を聞いて私はある話を思い出した。昔、生田先生の教え子が目の前で亡くなったときの話を。生田先生も生徒に手を差し伸べることを躊躇しているという話を。
「それは生物が生き延びる上で獲得した生存本能の一つです。食べて腹を下した食べ物を覚えて似たようなものを食べられなくなったり、自分に危害を加えた他の動物に似た生き物を見たら警戒して近寄らなくなったり。だから新山先生はこう表現したのでしょう。怖いのだ――と」
花岡さんは生田先生の話を聞いて静かに力を抜いた。生田先生の言葉を自分の中で咀嚼しているのだろう。簡単な話ではない。理解できたところで受け入れられるかどうかはまた別の話だろう。少しの沈黙の後、口を開いたのは新山先生だった。
「すみませんでした。時間をかけてしまうかもしれませんが、少しずつでも皆さんとちゃんと向き合えるように頑張りますので」
花岡さんは新山先生の言葉にどう返したらいいのか迷っているようで口を開かない。すると、生田先生が促すように言った。
「花岡さんが答えのない問題に不安を覚えたのもまた真面目に生きてきた経験からのものです。それをすぐに変えられないのと同じように新山先生にもなかなかすぐに変えられないものもあるのです。ご理解いただけませんか?」
生田先生の言葉に花岡さんは長くゆっくり息を吐いてから答えた。
「怒鳴ってすみませんでした……。二宮もごめん」
そうしてしんみりした雰囲気の中、今までずっと黙っていた二宮さんが声を出した。カラッとその場の空気を吹き飛ばすような声。空気を変えるような声。
「あーあ。今日は部活辞めるって言おうと思ってたのに。なんか冷めちゃった」
「二宮辞めるつもりだったの?」
「そりゃそうでしょ。あんなギスギスしてるとこいたくないし。仲良くなれたと思ってた花岡もなんかイライラしちゃってるし」
二宮さんは頭の後ろで腕を組みながら大きく背中をそらす。緊張した体と雰囲気をほぐすように。みんなと同じにできない、空気を読んで行動できないというのは少し納得してしまう。しかし今回の行動に至っては悪いことではないようにも思えた。
「ま、先生もなんかどうにかしてくれそうだし、退部の話は保留かな」
「……二宮上手いんだから辞めないでよ」
「ま、今後次第ってことで」
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