春風のインドール

色部耀

文字の大きさ
30 / 45
クラスメイト 花岡 二宮

しおりを挟む
 生田先生はそう言って新山先生の顔を覗き込む。新山先生は俯き、何か考え込むように黙った。隣で立っていた花岡さんは乱暴に座ると睨みつけるかのように新山先生を見る。さらにその隣の二宮さんは一貫して黙ったまま机に視線を落としているだけ。

「バレー部のみなさんは新山先生に対して誠実に接してくれているように思います。ここは新山先生も腹を割って話してあげても良いのではないでしょうか」

 生田先生の丁寧すぎるような丁寧語は、まるで子供をなだめるような言い方にすら聞こえる。子供……とまでは言わなくても、新山先生だって一人の人間であることは間違いないのだ。言いたくないこともあれば教師として取るべき行動を私情で取れなくなってしまうことだってあるだろう。

 大人だからと言って完璧でいられるはずはないのだ。高校生にもなればそのくらい私にだって分かる。しかし、そんなことをついつい失念して大人に過度な期待をしてしまうときだってある。

「はあ……」

 生田先生に促されて新山先生は大きなため息をついた。観念したような表情に見える。

「怖いんです……」

「怖い……ですか?」

 生田先生は新山先生の言葉を繰り返す。何が怖いのか主語が無い。なのでその言葉だけではいまいち何のことか分からない。新山先生は誰とも視線を合わせることなく話し始めた。

「去年までいた学校での話です。生田先生は何か聞いたことがありますか? 私の噂」

「いえ、特に気になるような話は伺っていません」

「そう……ですか」

 新山先生はそう言うと机に肘をついて指を組む。そして顔を隠すように組んだ手を額に当てた。どんな顔をして話しているのか分からない。どんな顔をして話しているのか知られたくないのかもしれない。

「セクハラで問題にされたんです。前の学校で。自分でも厳しい指導だったと思います。指導に必要な最低限ではありますが体に触れたことも事実です。しかし、厳しい練習に耐えかねた生徒からあることないことセクハラだと報告されてしまったんです」

「なるほど……そういうことですか」

「厳しくしたら私らもセクハラで訴えるとでも思ったんですか? 私らのこと信用できないんですか!」

 納得をしていた生田先生とは違い、花岡さんは声を荒らげてそう言った。気持ちは分からないでもない。自分たちが冤罪を着せる人間かもしれないと疑われているようなものなのだ。それこそ重さは違うかもしれないが、セクハラを疑われた新山先生とも近い気持ちだろう。

「花岡さん。違うのです。新山先生はあなたたちを疑って指導ができないわけではないのです」

「何が違うんですか。嫌なことがあったら私らが先生をセクハラって言って訴えるかもって疑ってるんじゃないんですか?」

 花岡さんは腕に力を入れ、歯をくいしばるようにして言った。感情を爆発させないようにギリギリのところで踏ん張っているように見える。

「花岡さん。教師は生徒を信じて真摯に向き合う。それが正しいことだと理解していても実行できないときもあるのです」

「だからなんでですか!」

「心は理論よりも経験を優先してしまうものだからです」

 理論よりも経験を優先してしまうもの――。生田先生の言葉を聞いて私はある話を思い出した。昔、生田先生の教え子が目の前で亡くなったときの話を。生田先生も生徒に手を差し伸べることを躊躇しているという話を。

「それは生物が生き延びる上で獲得した生存本能の一つです。食べて腹を下した食べ物を覚えて似たようなものを食べられなくなったり、自分に危害を加えた他の動物に似た生き物を見たら警戒して近寄らなくなったり。だから新山先生はこう表現したのでしょう。怖いのだ――と」

 花岡さんは生田先生の話を聞いて静かに力を抜いた。生田先生の言葉を自分の中で咀嚼しているのだろう。簡単な話ではない。理解できたところで受け入れられるかどうかはまた別の話だろう。少しの沈黙の後、口を開いたのは新山先生だった。

「すみませんでした。時間をかけてしまうかもしれませんが、少しずつでも皆さんとちゃんと向き合えるように頑張りますので」

 花岡さんは新山先生の言葉にどう返したらいいのか迷っているようで口を開かない。すると、生田先生が促すように言った。

「花岡さんが答えのない問題に不安を覚えたのもまた真面目に生きてきた経験からのものです。それをすぐに変えられないのと同じように新山先生にもなかなかすぐに変えられないものもあるのです。ご理解いただけませんか?」

 生田先生の言葉に花岡さんは長くゆっくり息を吐いてから答えた。

「怒鳴ってすみませんでした……。二宮もごめん」

 そうしてしんみりした雰囲気の中、今までずっと黙っていた二宮さんが声を出した。カラッとその場の空気を吹き飛ばすような声。空気を変えるような声。

「あーあ。今日は部活辞めるって言おうと思ってたのに。なんか冷めちゃった」

「二宮辞めるつもりだったの?」

「そりゃそうでしょ。あんなギスギスしてるとこいたくないし。仲良くなれたと思ってた花岡もなんかイライラしちゃってるし」

 二宮さんは頭の後ろで腕を組みながら大きく背中をそらす。緊張した体と雰囲気をほぐすように。みんなと同じにできない、空気を読んで行動できないというのは少し納得してしまう。しかし今回の行動に至っては悪いことではないようにも思えた。

「ま、先生もなんかどうにかしてくれそうだし、退部の話は保留かな」

「……二宮上手いんだから辞めないでよ」

「ま、今後次第ってことで」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

【完結】知られてはいけない

ひなこ
ホラー
中学一年の女子・遠野莉々亜(とおの・りりあ)は、黒い封筒を開けたせいで仮想空間の学校へ閉じ込められる。 他にも中一から中三の男女十五人が同じように誘拐されて、現実世界に帰る一人になるために戦わなければならない。 登録させられた「あなたの大切なものは?」を、互いにバトルで当てあって相手の票を集めるデスゲーム。 勝ち残りと友情を天秤にかけて、ゲームは進んでいく。 一つ年上の男子・加川準(かがわ・じゅん)は敵か味方か?莉々亜は果たして、元の世界へ帰ることができるのか? 心理戦が飛び交う、四日間の戦いの物語。 (第二回きずな児童書大賞で奨励賞を受賞しました)

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

屋上の合鍵

守 秀斗
恋愛
夫と家庭内離婚状態の進藤理央。二十五才。ある日、満たされない肉体を職場のビルの地下倉庫で慰めていると、それを同僚の鈴木哲也に見られてしまうのだが……。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

処理中です...