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最後の授業
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「それともう一つの贈りたいものというのはこちらです」
生田先生は椅子から立ち上がるとニコニコと嬉しそうな表情でデスクまで行って引き出しを開けた。そこから取り出したのは二十センチ四方サイズの小さな箱だった。茶色で味気ないダンボールのような箱に小さなリボンが付いている。口には出せないが、贈り物にリボンをつけるというのが生田先生らしく思えずに意外だった。今日という日でなければ笑っていたかもしれない。
「どうぞ。大切にしてくれたら嬉しいです」
「なになに?」
私が生田先生から箱を手渡されると、隣にいた真紀が興味津々といった感じで覗き込んでくる。ずっしりと重たく、ぬいぐるみや袋菓子のようなものではないことは確かなようだ。
「開けてみていいですか?」
「どうぞ」
テープなどで止められていない箱。その上部から開封すると、中に入っていたのは小さなサボテンだった。生田先生がいつも大切にしているサボテンとは違う。もっと小さくて親指の先程の大きさ。それに対して鉢植えが異様に大きく見えるくらいだ。
「先日家にいたサボテンから株分けしたものです。生物準備室にいるサボテンの弟ですね。細川さんが育てるので妹と言った方が良いかもしれませんが、そこはお好きに考えてください。このサボテンも私の恩師から巡り巡ったものですね。先程の話と結び付けるなら、細川さんを必要とする存在というやつですかね」
箱から取り出すと、とても儚げで弱弱しく見えるサボテンだった。確かに私が世話を怠ったら簡単に枯れてしまいそうだ。
「可愛い! 先生! 私も欲しいです!」
隣で跳ねながら真紀が先生にそうねだると、先生も嬉しそうに答えた。生田先生は自分が育てた野菜を食べてもらうのが好きな人だし、自分が育てたサボテンの子供を貰ってくれることも好きなのだろう。
「そうですね。来年にはまた同じように株分けできると思いますので真紀さんにもお渡しします」
「やったー! そうなったらお揃いだね」
真紀は私が手に持つサボテンに顔を近づけてそう言った。確かにお揃いかもしれない。しかし――
「来年にはこの子も大きくなっているからお揃いっぽく見えないかもだけどね」
「いいじゃんそこはお揃いって言ってくれてたら」
真紀は頬を膨らませてそう言う。その頬にサボテンの針を刺したら破裂してしまうだろうか。そんなことを考えながら私は笑い返した。そして改めて生田先生の方へと顔を向けると小さく頭を下げてお礼を伝えた。
「生田先生ありがとうございます。大切にします」
「何か栽培するにあたって困ったことがあればいつでも連絡してください」
「はい。連絡します。あ……」
そう言ったところで私は生田先生の連絡先を知らないことを思い出す。
「先生。連絡先教えてください」
スマホをポケットから取り出して画面を表示させると、メッセージが届いていたことに気付く。先生が自分のスマホを取り出している間にさっとメッセージを開くと、送り主は智子だった。
『このリンク新しいネトゲの事前登録フォーム。基本無料だし、これなら引っ越しても一緒に遊べるから』
相変わらずゲームで遊ぶことばかりではあるけれど、智子も智子で引っ越してしまう私のことを気遣ってくれているのだろう。……いや、ただ遊びたいだけかもしれない。気遣ってくれてありがとうなんて返事をしたら、また前のように考えすぎだとか言って笑われてしまう。
「細川さん。どうしたのですか? 何か良いことでもありましたか?」
生田先生に指摘されて、私は無意識に頬を緩ませていたことに気付く。咄嗟に顔を元に戻して連絡先交換のためのバーコードを表示させた。
「何でもありません。はい。これです」
生田先生は慣れていない様子でスマホを操作してどうにか私のバーコードを読み取った。そうして私の方にも登録された生田先生のプロフィールには生田雅晶というフルネームと共にサボテンのアイコンが表示されている。間違いなく生田先生だ。
「サボテン以外でも困ったことがあったら連絡しますね」
「私にできることなら力になります」
「はい!」
私が答えると、生田先生は立ち上がって背伸びをする。そして口に出したのはいつもの言葉だった。
「それでは水やりに行きますか」
学校生活最後の水やり。それから三人で協力して行ったそれは、いつもとは違って全身水浸しになったのだった。夏の暑さに頭がやられていたのかもしれない。頭にのぼった熱を冷やすかのように先生も巻き込んで水浸しになった。ホースで水をかけるし、バケツに溜まった水をそのまま被せるしで、三十五度を超える夏でなければ風邪をひいてもおかしくない騒ぎようだった。明らかに花壇よりも人に水を撒いていた。しかしそれも一つの思い出の形。青春の一ページらしい高校生活のようでもあった。思い出作りを手伝ってくれると言った生田先生が最後まで私に付き合ってくれたのだと思っても良いけれど、その生田先生自身が最も楽しそうに水遊びをしていたことが最も忘れられない思い出になりそうだった。
そして学校からの帰り際、私は生田先生に告げたのだった。
「私、生田先生みたいになろうと思います」
生田先生のような誰かに想いを託せるような立派な教師に――
「細川さんもコンポストに興味を持ってくれたのですか?」
「それは……遠慮させてもらいます」
私が笑って否定すると、生田先生も釣られて笑った。
「そうですか。細川さんなら私なんかより立派な大人になれることでしょう」
生田先生は私に握手を求めるように手を差し出す。
「さようなら。また細川さんにお会いできる日を楽しみにしています」
「次に会ったときは細川じゃないと思いますけどね」
私がそう言うと、生田先生はそれもそうですねと言って手を引っ込めた。結局母に付いて茨城へ行くこととなった私は名字も変わる。おそらく次に生田先生と連絡を取るときは根本卯月だ。いい機会だし私の呼び方も変えてもらおうか。少しだけ真紀だけが下の名前で呼ばれていることが悔しく思っていたことだし――
「変わった名字で呼ばれるのもなんですし、これからは家庭訪問に来たときのように下の名前で呼んでください」
「下の名前で……ですか。分かりました」
生田先生はそう言うと、再度握手をしようと手を差し出した。
「また卯月さんにお会いできる日を楽しみにしています」
私は生田先生の手を両手でしっかりと握り返す。園芸仕事のせいからか乾燥してゴツゴツとした大きな手だった。暖かく、力強い手だった。
「はい……。私も楽しみにしています」
そう言って最後に私は今までで最も深く頭を下げたのだった。
「今までお世話になりました」
生田先生は椅子から立ち上がるとニコニコと嬉しそうな表情でデスクまで行って引き出しを開けた。そこから取り出したのは二十センチ四方サイズの小さな箱だった。茶色で味気ないダンボールのような箱に小さなリボンが付いている。口には出せないが、贈り物にリボンをつけるというのが生田先生らしく思えずに意外だった。今日という日でなければ笑っていたかもしれない。
「どうぞ。大切にしてくれたら嬉しいです」
「なになに?」
私が生田先生から箱を手渡されると、隣にいた真紀が興味津々といった感じで覗き込んでくる。ずっしりと重たく、ぬいぐるみや袋菓子のようなものではないことは確かなようだ。
「開けてみていいですか?」
「どうぞ」
テープなどで止められていない箱。その上部から開封すると、中に入っていたのは小さなサボテンだった。生田先生がいつも大切にしているサボテンとは違う。もっと小さくて親指の先程の大きさ。それに対して鉢植えが異様に大きく見えるくらいだ。
「先日家にいたサボテンから株分けしたものです。生物準備室にいるサボテンの弟ですね。細川さんが育てるので妹と言った方が良いかもしれませんが、そこはお好きに考えてください。このサボテンも私の恩師から巡り巡ったものですね。先程の話と結び付けるなら、細川さんを必要とする存在というやつですかね」
箱から取り出すと、とても儚げで弱弱しく見えるサボテンだった。確かに私が世話を怠ったら簡単に枯れてしまいそうだ。
「可愛い! 先生! 私も欲しいです!」
隣で跳ねながら真紀が先生にそうねだると、先生も嬉しそうに答えた。生田先生は自分が育てた野菜を食べてもらうのが好きな人だし、自分が育てたサボテンの子供を貰ってくれることも好きなのだろう。
「そうですね。来年にはまた同じように株分けできると思いますので真紀さんにもお渡しします」
「やったー! そうなったらお揃いだね」
真紀は私が手に持つサボテンに顔を近づけてそう言った。確かにお揃いかもしれない。しかし――
「来年にはこの子も大きくなっているからお揃いっぽく見えないかもだけどね」
「いいじゃんそこはお揃いって言ってくれてたら」
真紀は頬を膨らませてそう言う。その頬にサボテンの針を刺したら破裂してしまうだろうか。そんなことを考えながら私は笑い返した。そして改めて生田先生の方へと顔を向けると小さく頭を下げてお礼を伝えた。
「生田先生ありがとうございます。大切にします」
「何か栽培するにあたって困ったことがあればいつでも連絡してください」
「はい。連絡します。あ……」
そう言ったところで私は生田先生の連絡先を知らないことを思い出す。
「先生。連絡先教えてください」
スマホをポケットから取り出して画面を表示させると、メッセージが届いていたことに気付く。先生が自分のスマホを取り出している間にさっとメッセージを開くと、送り主は智子だった。
『このリンク新しいネトゲの事前登録フォーム。基本無料だし、これなら引っ越しても一緒に遊べるから』
相変わらずゲームで遊ぶことばかりではあるけれど、智子も智子で引っ越してしまう私のことを気遣ってくれているのだろう。……いや、ただ遊びたいだけかもしれない。気遣ってくれてありがとうなんて返事をしたら、また前のように考えすぎだとか言って笑われてしまう。
「細川さん。どうしたのですか? 何か良いことでもありましたか?」
生田先生に指摘されて、私は無意識に頬を緩ませていたことに気付く。咄嗟に顔を元に戻して連絡先交換のためのバーコードを表示させた。
「何でもありません。はい。これです」
生田先生は慣れていない様子でスマホを操作してどうにか私のバーコードを読み取った。そうして私の方にも登録された生田先生のプロフィールには生田雅晶というフルネームと共にサボテンのアイコンが表示されている。間違いなく生田先生だ。
「サボテン以外でも困ったことがあったら連絡しますね」
「私にできることなら力になります」
「はい!」
私が答えると、生田先生は立ち上がって背伸びをする。そして口に出したのはいつもの言葉だった。
「それでは水やりに行きますか」
学校生活最後の水やり。それから三人で協力して行ったそれは、いつもとは違って全身水浸しになったのだった。夏の暑さに頭がやられていたのかもしれない。頭にのぼった熱を冷やすかのように先生も巻き込んで水浸しになった。ホースで水をかけるし、バケツに溜まった水をそのまま被せるしで、三十五度を超える夏でなければ風邪をひいてもおかしくない騒ぎようだった。明らかに花壇よりも人に水を撒いていた。しかしそれも一つの思い出の形。青春の一ページらしい高校生活のようでもあった。思い出作りを手伝ってくれると言った生田先生が最後まで私に付き合ってくれたのだと思っても良いけれど、その生田先生自身が最も楽しそうに水遊びをしていたことが最も忘れられない思い出になりそうだった。
そして学校からの帰り際、私は生田先生に告げたのだった。
「私、生田先生みたいになろうと思います」
生田先生のような誰かに想いを託せるような立派な教師に――
「細川さんもコンポストに興味を持ってくれたのですか?」
「それは……遠慮させてもらいます」
私が笑って否定すると、生田先生も釣られて笑った。
「そうですか。細川さんなら私なんかより立派な大人になれることでしょう」
生田先生は私に握手を求めるように手を差し出す。
「さようなら。また細川さんにお会いできる日を楽しみにしています」
「次に会ったときは細川じゃないと思いますけどね」
私がそう言うと、生田先生はそれもそうですねと言って手を引っ込めた。結局母に付いて茨城へ行くこととなった私は名字も変わる。おそらく次に生田先生と連絡を取るときは根本卯月だ。いい機会だし私の呼び方も変えてもらおうか。少しだけ真紀だけが下の名前で呼ばれていることが悔しく思っていたことだし――
「変わった名字で呼ばれるのもなんですし、これからは家庭訪問に来たときのように下の名前で呼んでください」
「下の名前で……ですか。分かりました」
生田先生はそう言うと、再度握手をしようと手を差し出した。
「また卯月さんにお会いできる日を楽しみにしています」
私は生田先生の手を両手でしっかりと握り返す。園芸仕事のせいからか乾燥してゴツゴツとした大きな手だった。暖かく、力強い手だった。
「はい……。私も楽しみにしています」
そう言って最後に私は今までで最も深く頭を下げたのだった。
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