春風のインドール

色部耀

文字の大きさ
45 / 45
国語教師 根本卯月

しおりを挟む
 春の風薫る四月。視線を上げれば校庭の桜は咲き誇り、足元ではタンポポが黄色い花を風に揺らしている。高校教師生活も一週間が経ち、環境の変化で緊張していた日々も少し穏やかになった。そんなある日の昼休み、私は一人で校庭を散歩していた。早めに済ませた昼食後すぐに職員室を出たおかげか、桜の木漏れ日を浴びる校庭を独り占めにできる。学内の草花は手入れが行き届いており、どこを見ても季節を感じる色と香りで満たされている。

 私は七年前に茨城にある母の実家に引っ越した後、故郷である宮城の大学にある文学部へ進学し、国語の先生として高校の教員免許を取得した。そしてそのまま宮城で教師となったのだけれど、何の因果か母校である下山商業高校に配属されたのだった。下山商業高校は綺麗な校庭の学校として有名になっており、いまだに恩師で生田先生の努力の成果が感じられる。今は違う高校に勤務しているらしいが、いつか同じ職場で働く機会もあるかもしれない。

 そんな生田先生が築き上げた華やかな学内も、あわただしい就職直後の一週間では隅々まで見ることができていない。今日は先輩からの勧めもあって私は気分転換を兼ねてこうして散歩と決め込んでいた。桜並木を越え、ビオラと菜の花が植わっている花壇が並ぶ渡り廊下を横切る。その奥には私が短い高校生活を過ごした思い出の場所がある。南向きで日当たりの良い校舎裏。今はどんなものが植えられているのだろう。そう胸を躍らせて角を曲がった。その先からは変わらぬ春の香りが漂ってくる。その景色は私に七年前のあの日に感じた眉をひそめるほどの異臭を思い出させる。インドールやスカトールといった臭い成分――。生田先生から何度か話に聞いたことでよく覚えている。大学時代に香水について調べていたときにその名称を耳にして驚いたものだ。なんでも、オレンジやジャスミンなどの香り成分の一種だったのだとか。人を引き付ける匂いだと聞いたときに耳を疑ったのを覚えている。もしかすると今日はそのときの匂いが思い出されてここに足を運ばせたのかもしれない。しかし今日は当然ながら、あの日の臭いは漂ってこない。それはやはり私が思い描く人物がいないということなのだろう。校舎の角から顔を出すと倉庫の角で腰をおろしていた男子生徒と目が合った。

 急いで昼食を終えた私が真っ先に訪れた場所。つまりこの先客も私と同じかそれ以上に急いで昼食を終えてここにいるということだ。早く昼食を済ませた上でこのような人目に付かない場所にいる理由はあまり多くないだろう。一つは教師や同級生に見られたくないような非行をしているか。もう一つは一秒でも教室にいたくないからか。怯えたような眼をした男子生徒の様子からするに後者なのだろうと予想する。

「こんなところでどうかしましたか?」

「別に……」

 そう言いつつも男子生徒はその場から立ち去ろうとはしなかった。名札は外しているようだけれど、学ランの襟に付いているピンバッチから二年生であることだけは分かる。私はそんな彼の隣に並ぶようにしてしゃがみ込むと視界に入るトマトやキュウリの苗を見ながら語り掛けた。

「私は今年からこの下山商業高校で国語を担当させていただくことになった根本卯月と言います。何か困ったことがあるのでしたら教えてくれませんか? 新任なので他の先生より頼りないかもしれませんが……」

 男子生徒は黙って私の話を聞いてくれている。そこで私は懐かしい言葉を思い出して彼に伝えたのだった。

「困っている生徒に手を差し伸べるのは教師の務めですから」
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

【完結】知られてはいけない

ひなこ
ホラー
中学一年の女子・遠野莉々亜(とおの・りりあ)は、黒い封筒を開けたせいで仮想空間の学校へ閉じ込められる。 他にも中一から中三の男女十五人が同じように誘拐されて、現実世界に帰る一人になるために戦わなければならない。 登録させられた「あなたの大切なものは?」を、互いにバトルで当てあって相手の票を集めるデスゲーム。 勝ち残りと友情を天秤にかけて、ゲームは進んでいく。 一つ年上の男子・加川準(かがわ・じゅん)は敵か味方か?莉々亜は果たして、元の世界へ帰ることができるのか? 心理戦が飛び交う、四日間の戦いの物語。 (第二回きずな児童書大賞で奨励賞を受賞しました)

屋上の合鍵

守 秀斗
恋愛
夫と家庭内離婚状態の進藤理央。二十五才。ある日、満たされない肉体を職場のビルの地下倉庫で慰めていると、それを同僚の鈴木哲也に見られてしまうのだが……。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

処理中です...