未来からの小説、過去からの恋

色部耀

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KAZU:五日目③

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 それから約一時間後。俺は緊張に身体を強張らせながら里見公園の外にいた。約束の五時まであと五分。HARUはもう着いているだろうか。おそらく先に着いて待ってくれていることだろう。HARUの性格なら――。俺は公園の中に一歩一歩足を進める。待ち合わせの噴水広場まで少しだけ距離がある。覚悟は決めた。松岡先輩と調べたもののおかげでいくらか落ち着くことができているけれど、それでもこの不安を少しでも緩やかにしたいと歩みは亀のようだ。しかし、進む限りは噴水広場に近付くもの。
 俺はついに噴水広場に到着した。
 音を立てて水を噴き上げる噴水。種類の多さに目移りする草花。噴水を囲うようにして三方に四脚ずつ、計十二脚のベンチがある。ぐるりと半周回ったところでベンチに一人の女性が座っているのを見つけた。視線を落とし文庫本を読む女性。肩甲骨あたりまで伸びた真っ黒な髪。細い薄紅色のフレームのメガネ。短いフレアスカートに薄手のカーディガン。全体的に儚い印象を持たせる出で立ちの彼女は、俺が一歩足を踏み出して音を立てた瞬間に顔を真っ赤にして立ち上がった。一瞬目を逸らされたが、すぐに俺の顔に視線を戻す。

 見た目の年齢は大学生か、新卒社会人辺りに見えるほど若い。しかし、今の態度からして俺と会う約束をしていた女性で間違いない。つまり見た目に反して実際は三十七歳ということ。顔を真っ赤にして立ち上がった後、彼女は本を読む時のためだけにかけていたのであろうメガネを外すとメガネケースに仕舞った。裸眼になり、俺のことを恥ずかし気に見る彼女は、ぱっと花が咲いたかのように笑顔になる。その顔を真っ直ぐに見て俺は図書室で思い至ったことが見当違いでは無かったのだと確信した。

「おば……さん……」

 口から洩れるように出た言葉。目の前に立つ彼女は俺が知っている人物よりも遥かに若々しくあるが、確かに心春のお母さんだった。

「あの、違うんです」

 第一声でおばさんと言われたことがショックだったのか、HARUは沈んだ表情でベンチに座った。駆け寄って弁解しようとするが、返事代わりに大きな溜息を吐いた。

「そりゃあさ。二十二歳も年上なんだしさ。仕方ないよね」

「だから違うんですって」

「あと敬語いらない」

「はい。あ、うん」

 俺の敬語を注意したあとHARUはふふふと笑って姿勢を正した。

「改めまして……。初めまして。私がHARUこと山内春香です。よろしくね」

「KAZUこと瀬尾和樹です」

「本当に会えたね。実は会えないかもって思って不安だったんだ」

「俺は……会えると信じてました」

「敬語!」

「信じてたよ」

 こうして面と向かって話しても、サイトでやりとりしていた時となんら印象は変わらない。メッセージでの彼女もありのままの彼女だったのだと思い知らされる。間違いなくHARUだ。

「へへへっ」

 もじもじと話す彼女は、俺の知っている心春の母ではなくHARUそのもの。そこにいるのは一人の母親ではなく一人の女の子だった。印象としては心春に近い。髪型や服のセンスを除けば容姿もよく似ている。

「話したいこと、いっぱいあるんだ。何ていったって二十年も待ったんだしね」

「俺も……話したいこと、聞きたいことがいっぱいあるよ」

「うん。時間はいっぱいあるもんね」

 満面の笑みで話す彼女はとても輝いていて、ただここにいるだけで楽しいと言っているようだった。二十年の重みは本人にしか分からないだろう。それはHARUから聞いて知ることしかできない。

「何から話せばいいかな……。話そうと思ってたことはいっぱい考えてきたんだけど、実際に会ってみると何話したら良いかわかんなくなっちゃうね」

 照れ臭そうに言うHARUに俺は一つ質問を投げかけた。

「山内春香って教えてくれたけど、今結婚とかしてないの?」

「えっと、その、なんて言うか、夢があってね。そのために結婚はしなかったんだ」

「夢?」

 HARUに夢があるなんてメッセージでやり取りをしていた時に聞いたことはない。俺とやり取りをしていた今日以降、もしくは話していないだけで夢があったということか。

「高校二年生になるまで、私は教育学部に行って教師を目指そうとしてたの。でも、携帯である小説を読んで、小説が好きになって、自分も小説を書きたいって。それで文学部に進んで、今はフリーライターとして働きながら細々と小説家をしてるの」

「え! じゃあ、HARUは本を出してるの?」

「小説は一冊だけね。まだ志半ばって感じ。KAZUの小説にはまだまだ遠く及ばない」

「いや、そんなに褒められるほどのものじゃ……」

「謙遜しなくってもいいのに。それと、KAZUが何と言おうと私にとっては一番の小説家だよ?」

 ベタ褒めされて照れ臭くなり、つい顔を背けてしまう。HARUはそんな俺を嬉しそうに眺めながら話を続ける。

「実は二ヶ月くらい前からKAZUが小説を書き始めたのを知ってこっそり読んでたのよ?」

「そうなんだ」

 もしそうだとしても俺が気付くことはあり得ない。なぜなら――
 過去が変わらなければHARUは二ヶ月前に死んでしまっているはずのだから――

「昨日メッセージ送ってみたけど返信が無かったから、昔KAZUが言ってた幼馴染ちゃんの時みたいに私からのメッセージが届いてないんだろうなーってすぐに諦めて今日を楽しみにしてたの」

 終始にこにこと笑顔で話すHARU。メッセージを送ったと聞いて携帯でサイトを開いて確認してみるが、やはり記憶に無いメッセージは存在しなかった。

「HARUの言ったとおりかも。やっぱり何もメッセージは届いてない。あ、そうだ」

「ん? なに?」

「俺とHARUが会うって約束した次の日。その日以降のメッセージって見れる?」

 メッセージの続き。すなわち、俺にとっての未来の出来事が分かるかもしれないと思っての質問。未来が分かれば過去を変えるのも簡単になるのではないかと。

「流石にほとんど覚えてないなー。そこから二日間しかメッセージしてないし」

「二日間だけ?」

 二人の間に何かあったのだろうか。それまで何日もメッセージを交わしているのに突然やり取りが無くなるのもおかしい。訝しんだ目を向けると、HARUは手をぶんぶんと振って否定する。

「別に喧嘩したとかそんなんじゃないからね! それならこうして会いに来るわけないし。ただ、サイトが閉鎖されてメッセージが送れなくなっただけ」

「サイトの閉鎖?」

 聞き覚えの無いことに俺はオウム返しで聞いた。

「そうそう。この会う約束をした二日後だったかな。元々あった小説サイトが大手SNSサイトに吸収合併されたの。サイトの仕組みだけはそのままだったけど、アカウントの作り直しとか小説の移動とかあってね。そのタイミングでKAZUの小説が読めなくなったの」

「言われてみれば、去年サイト開設二十周年って盛り上がってたなー」

 ということは、HARUとコメントでやり取りができるのは今日と明日だけになるのか――

「あ、でもその次の週か何かに一日だけ小説が読める日があったの。なんか小説の移動が出来てなかった人が多かったみたいで、一日だけサイトを開いたの。って、そんなことはどうでもいっか。そうそう。メッセージの内容だっけ? 私もはっきりと覚えてるわけじゃないから……。あ、そうだ! KAZUの方にはメッセージ残ってるんでしょ? それ見たらちょっとは思い出せるかも」

 ちょうど開いていたサイトのメッセージ一覧。その今日のメッセージを開いてHARUに見せる。携帯を覗き込むようにして見るHARUがぴったりと俺にくっつく。髪が俺の携帯や腕に当たらないように逆側の肩に寄せる。その仕草のせいで俺からは首筋が見えるようになり、その綺麗なうなじに不覚にもドキッとさせられた。

「あれ? こんなこと話したっけ?」

 眉をひそめて考え込むHARU。その姿を見て俺は一つの可能性に思い至った。

「もしかして……。過去が変わってしまったことでメッセージの内容も変わってる……?」

 過去が変わってしまうのが夜中だということは分かっている。つまり今日の朝以降のメッセージは夜を跨ぐまでは確定しないということか。過去が変わってしまったことによって俺の行動も変わっている証拠。

「それなら……参考にならないな」

「あ! でも思い出した!」

 突然大きな声を出したHARUに俺は驚いて体を引く。

「な、なにを?」

「おばさんって言った! 許さない!」

 そう言われてみれば、出会い頭の第一声はおばさんだった。昨日のメッセージでは確かにおばさんなんて言ったら承知しないと言っていた。

「ごめん! でもそれには深いわけが……」

「謝ってくれたから許すけど。で、その理由っていうのは?」

 何から話せば良いのだろう。今目の前にいるHARUには何を言ったところで、何を聞いたところで過去が変わってしまう心配はない。メッセージが時を超えて送受信されていたことも知っているわけだし、その説明をする必要も無い。ならば初めに説明するべきは――

「俺には幼馴染の女の子がいるって話はしたよね?」

 心春の存在――。俺はそれについてゆっくり話し始めた。

「その子は近所に住んでいて、俺の物心がついた時から知ってる子なんだ。幼稚園、小学校、中学校、高校とずっと同じでクラスが違っても時々一緒に登校したりもしてた」

「本当に仲が良いのね」

 表情の読めない笑顔。作り物のような綺麗な微笑みを浮かべながらHARUは俺の話を聞いてくれていた。

「その子の名前は……武智心春」

「心春ちゃん……。とても良い名前ね」

「お母さんが名付けてくれたらしいんだ。お母さんの名前から一文字取って、いつも心が春のように暖かくいられる人生を送れるようにって。そして彼女は……」

 俺は真っ直ぐにHARUの顔を見て続けた。少し複雑な顔をしたHARUに向かって。

「武智春香さん。いや、山内春香さん。あなたの娘になるはずだった女の子なんだ」

「え……」

 HARUは思っていた話の結末とは違ったのか、理解するためにしばらく固まっていた。膝の上に置いていた鞄が地面に落ちても構うことなく俺の顔を見たり遠くを見たりと視線を泳がせながら。

「落ち着いて聞いて。娘とは言っても俺とメッセージでやり取りをすることで過去が変わって今はいないから。いない……から」

「そう……。そういうこと……ね。それにしても武智ねー。武智かー」

 大きな溜息を吐きながらHARUは空を見上げて呟いた。武智という名字に何か思うことがあるのだろう。……いや、俺も大方予想は付いている。松岡先輩と卒業アルバムを調べていた時にピンときた。HARUが在籍している時、HARUの一つ上の年に見覚えのある名前を見つけたからだ。その名前が武智渉――。心春のお父さんにしてテニス部でHARUの先輩にあたる人物。

「そのことについても少し聞きたいと思ってたんだ」

 俺と松岡先輩の予想だが、高校時代にHARUと心春のお父さんは恋仲に近い関係にあったのではないかと。そして、俺とのやりとりをすることで何かHARUの心境に変化が表れて交際するに至らなかったのではないかと。今日HARUと会って話した感じだと、夢……小説家になるという夢が原因のように思える。俺の影響で小説のために他のことを投げ打ったのだと予想できる。俺はその時の心境の変化――当時のHARUが俺のどの言葉に影響され、何を感じて何を考えていたのかを知る必要がある。

 ――心春を、心春の存在を元に戻すために。

「別に聞いても何も面白くないわよ?」

「面白い面白くないじゃなく、HARUの話を聞きたいんだ」

「そ、そう? そんなに言うなら少しお話しようかしら。ちょっとだけ恥ずかしいけど」

 俺は黙って話の続きを待った。HARUも思い出して言葉をまとめるために少しだけ考えるような素振りを見せてから口を開く。

「一つ上のテニス部にある男の子がいたの。テニス部の部長。その人の名前が武智渉」

 少し話が長くなるかもしれないと思ったのだろう。HARUは鞄からペットボトルのお茶を取り出して口を付ける。喉を鳴らして飲み込むと、落ち着いたように一度溜息のような息を吐いた。

「優しくて爽やかで。絵に描いたような好青年だったと思う。最後の総体では県で優勝なんてしちゃったし。テニス部の女の子はみんな渉先輩のことが大好きだった。多分私もそうだったと思う。KAZUと知り合う前、私は練習中にも気が付けば先輩のことを目で追ってたりした。もちろん練習の参考に見てたってのもあったけど。でも当時の私にとっては少し遠い存在のような感覚もあって、恋なのかどうかはよく分からなかった。KAZUと知り合ったのはそんな頃だったと思う」

 なぜそこで俺の話題が差し込まれるのか分からなかったが、HARUにとっては話の区切りだったのだろう。また一口お茶を飲んだ。

「KAZUが未来の人だって分かった日。授業を抜け出してこの公園を走り回った日。あの時は本当に心が躍ったのを今でもよく思い出すの。あ、KAZUはどうだった?」

「え? 俺は……」

 急に話題が変わって驚き、少し考え込んでしまう。

「夢みたいだったかな。まるで自分がフィクション作品の登場人物になったみたいで。心が躍る……うん、HARUの言うとおり心が躍ってたよ」

 楽しかったことは間違いない。あれほどテンションの上がっていた瞬間は俺の人生で無いだろう。

「だよねだよね! あの日が私にとって全ての分岐点だったと思う! 人生が変わった日。多分、そう……だからなんだろうね」

 そう言ってHARUの顔に陰りがさす。

「その日の夕方に渉先輩から告白されたの」

 遠い目をしつつも淡白に言ったHARUはなかなか続きを話そうとしなかった。

「もしかして、断ったの?」

 人生の分岐点。告白を受け入れなかったことで恋人になるルートが無くなり、心春が産まれない今に繋がったと考えるのが妥当だ。

「断ったというか……。その時は保留にしたというか……。考えさせてくださいって言ってその日は帰ったの。今思うとズルい女よね」

 そもそも恋愛経験がほとんどない俺にはそれがズルいかどうか判断することはできないが、何か葛藤していたのだろうと察することはできる。

「でも、最終的には付き合わなかったんだよね? その、やっぱり小説家になるって夢が?」

 俺の質問にHARUは一瞬目を丸くした後に大きな溜息を吐いた。それからジト目で俺を見ると言葉を口にする。

「そりゃそうよね。普通考えもしないか。でもなあ。はあ……」

 落胆の言葉の数々。そしてすぐに話を続けた。

「小説家になろうって決めたのが一番の理由じゃないわ。話を続けるけど、その後も渉先輩からもう一度告白を受けたの。総体で優勝が決まった日に。でも、やっぱりそこで私は断ったわ。……先輩もなんで私なんかが良かったんだろうね? もったいないよ。私なんかに貴重な青春を」

 笑いながら話すHARUだったが、その顔からは妙に儚げな印象を持たされた。後悔があったのだろうか。自分を卑下する姿は時折見せる心春の姿にも重なって心が痛くなる。

「心春も……俺の幼馴染もたまにそんなネガティブなことを言ってたな……。自分では自分の価値はよく分からないものなのかも」

「KAZUはその幼馴染ちゃん、心春ちゃんのどういうところが魅力的に見えた?」

 俺が心春に魅力を感じていた前提での質問。俺と会ってから話したことで何か察したのだろうか。少しだけニヤニヤと口元を緩ませていた。

「なんというか……。恥ずかしいな」

「私だってさっきの話は恥ずかしかったよ?」

 そう言われては離さないわけにもいかない。覚悟を決めて口を開く。

「明るくて元気なところかな」

「それだけ?」

「……俺って昔から暗くってさ。仲が良いって言える友達もいなかったんだ。普通近所って言ってもそんな暗いやつとわざわざ話そうなんて思わないでしょ? でも心春は違ったんだ。いつでも目に付けば話しかけに来てくれる。元気な姿を見せて楽しませてくれる」

「ふーん……なんだか……」

「昔のHARUとよく似てるんじゃないかな?」

 HARUは俺の言葉を聞いて恥ずかしそうに笑った。

「それなら多分、好きなことを話しててもKAZUがずっと聞いててくれるから楽しくて話してただけなんじゃないかな? 私がそうだし」

「HARUが言うならそうなのかも。メッセージでも初めは心春とHARUが別人だって見分けがつかなかったくらいだし。俺はあいつの……話を聞いてるのが凄く楽しかったんだ」

 今はもう聞くことのできない心春の声。今のままでは聞くことができない心春の声。

「やっぱり……会いたいよね? 心春ちゃん」

 俺は沈黙を持って肯定した。長年一緒に過ごした幼馴染。人生で最も言葉を交わした女の子。俺が恋する女の子……。

「ねえKAZU。母親になった私ってどんなだった?」

 不意に投げかけられた質問に俺は少し思考がストップしてしまう。母親になったHARU。近所でもあるし、幼い頃から幾度となく顔を合わせている心春のお母さん。

「えっと……。なんていうか優しそうな人だなーとは思ってた。心春のことも旦那さんのことも大好きだっていうのがいつも伝わって来たし、何よりいつも笑顔で楽しそうだった。心春もお母さん……HARUのことが大好きだったし、素敵なお母さんだった」

「そっか……」

 春香さんは俺から視線を外して逆方向の空を見上げる。思えば少し日が傾いてきている。その後ろ姿に一体どのような感情が込められているのかは俺には分からなかった。

「やっぱりKAZUも考えてるよね。心春ちゃんが元に戻る方法」

 当然だ。そのために何度も何度も考えて調べたのだから。

「色々私の話を聞いてくれたのも、心春ちゃんを元に戻すための情報収集なんでしょ?」

「それは違っ!」

「違わなくて良いの。それでいいの……」

 食い気味でそう言ったHARUは更に続けた。

「それでいいから一つだけ私からも話をさせて。今からだけでいい。私のためだけに話を聞いて欲しいの」

 何を言おうとしているのかは分からなかったが、俺は黙って首を縦に振った。

「ありがとう」

 そう言ってHARUはゆっくりと立ち上がった。夕焼け色を映したカーディガンを風に靡かせながら一歩二歩と歩く。そしてベンチに座ったままの俺の目の前に背中を向けて立つと、大きく深呼吸をした。
「私は……。私は二十年間ずっとあなたのことが好きでした」

 その言葉に一瞬俺の思考は停止した。そして、思い出されるHARUの言葉。照合していくように今の発言と結び付けられていく。俺のことを好き? それはやはり異性として? 二十年前からずっと? だから先輩からの告白を受けなかった? だから心春が……

「本当はこの気持ちも今日KAZUの顔を見た時に伝えるのはやめようって心に決めてたの。KAZUの制服姿、その若い姿を見た瞬間に私じゃダメだって。急に恥ずかしくなって……。私はもう、こんなにも歳をとっちゃったって。二十年なんて大したことないとか、頑張って綺麗でいようとか思ってたのが馬鹿らしくなっちゃって。でも、でも……」

 HARUの後ろ姿が最後に見た心春と重なる。嘘みたいにピッタリと――。二十年分の想いを伝えてもらっているというのに頭に過るのは心春のことばかり……。酷いとは分かっている。HARUの気持ちを蔑ろにしてしまっていると分かっている。

「多分、私達もう会えないんでしょ?」

 振り返ったHARUは笑顔を浮かべつつも溢れ出る涙を抑えることは出来ていなかった。俺はHARUとこれからも仲良くいたい。でも俺は諦められないんだ。

「ごめん……」

「謝らないで。でも一つだけ聞かせて。KAZUの口からちゃんと聞きたいの。なんで私の気持ちに応えられないのか」

「俺は……俺には……」

 HARUは分かっている。分かったうえで俺が言葉にするのを待っている。

「俺には好きな人がいるんだ」

「うん。そうだと思った」

 HARUは一層強く微笑んでそう言った。ただ、涙だけは止まっていなかった。俺も釣られて涙を零した。

「HARUは……春香さんは素敵な人だった。歳なんか気にならないくらい綺麗だし、人柄だってメッセージを交わし合った時と何も変わらなくて魅力的だった。二十年も好きでいてくれたなんて本当に嬉しいし。だから……だから……」

 俺の言葉には一切嘘偽りはない。本当に綺麗で可愛いと思うし、話していて落ち着く。ずっと好きだったと言われて飛び跳ねたくなるほど嬉しい。でも、そのどれも俺が享受しては行けないんだ。俺には心に決めた人がいるから。諦めたくない人がいるから。心春との思い出も、約束も、全てを無かったことにしてはいけないから。無かったことにしたくないから。
 HARUは俺に背を向けて両手で目を擦ると震えた声で言った。

「ありがとうKAZU。あなたのことを思い続けていて本当に良かった」


 それからはあまり話もせずに俺達は別れた。HARUは寄る所があるからと言って俺とは別方向へと公園を出た。俺は帰路を歩きながら最後にHARUが言っていた台詞を思い出す。

『私とは会わない。好きな人がいる。過去の私にはそう伝えてくれればいいわ……』

 どうやってそれを過去のHARUに伝えるべきか。こんな状況になっても俺はHARUを傷つけたくないなんて考えてしまう。会ってどんなことを話したかを聞かれるかもしれない。なぜ会いたくないのかと問われるかもしれない。昨日からずっと楽しみにしている様子だったHARUを落胆させてしまうことは間違いない。そう思うと俺は帰るまでの足取りが重くなる一方だった。


 家に着く手前、俺はふと見覚えのある顔をすれ違った。家の近く。そう、近所に住む男性の顔。武智渉……心春のお父さんだ。つい目で追ってしまうと、丁度帰宅する所だったらしく軒先で心春のおばあちゃんと話をしていた。

「ただいま。お母さん、外の掃除くらい俺がやるのに。先に入ってゆっくりしてて」

 そう言って箒を受け取ると落ち葉を集めていく。俺の視線に気付いたのか、心春のお父さんは軽く会釈をして挨拶をしてくれた。

「こんばんは」

 俺も同じように挨拶を返す。心春のお父さんはとても自然な様子。普段からこのような感じなのだろう。ただ、俺は心春のお父さんが自分の親をお母さんと呼んでいたことだけが気にかかっていた。俺の記憶が正しければおばあちゃんと呼んでいたはずだ。ということは、今はこの人に子供はいないのだろうか。そう思わされてしまった。


「ただいま……」

 家に着いたのは夜七時を過ぎて日は完全に落ちていた。母さんは夕飯を作り終えていたみたいで、俺は黙ってそれを口に運んだ。

「どうしたの? いつもより帰りが遅いと思ったらそんな暗い顔して」

「なんでもない」

「まあ、若いんだから色々あるわよね。明日はお母さん仕事だからお弁当作っとくから」

 ため息交じりに言う母さんはそれ以上突っ込んでくることは無かった。土曜日の授業は午前中だけなのでいつもは帰ってから昼食を食べるけれど、弁当を作ってくれるなら学校で食べても良いかもしれない。
 それから食事を終えて自室に入ると、癖でパソコンの電源を入れる。画面が表示されるまでの時間がいつも以上に長く感じた。過去のHARUからは昼休みにメッセージを送ってから連絡を取っていない。HARUと会った後に連絡すると言ってあるので、もしかしたら俺からのメッセージを待ってくれているのかもしれない。時計を見るに、HARUも部活は終わっているはずだし。……反応が怖い。俺が好きな人がいるからやっぱり会えないと伝えることでHARUがどういった反応をするのかが怖い。
 それ以前にちゃんと伝えられるかが分からない。自分の言葉で、十分納得させられるだろうかという不安もある。こういうとき、俺は今までどうやって他人に想いを伝えてきたのだろう。……そうかこんなときは。

「小説か……」

 メッセージで送れるのは一通あたり千文字が限度。俺の言葉ではそれだけで足りない。もっと、もっと言葉が必要だ。それならば小説にして伝えればいい。小説なら、普段自分の口では恥ずかしくて言えないことも表現してきた。松岡先輩がリアルよりネットの方が本音で話せると言っていたけれど、俺ならリアルよりネットより小説の方が本音をしっかり伝えられる。自分の伝えたいことを表現できる。
 俺は小説の形でHARUに会えないことを伝える。そう決めると直ぐにメッセージを打った。

『これから急いで今日あったことを小説にして書くから三時間くらい待って』

 メッセージを送信し終えると、俺は執筆フォームを開く。タイトルは過去へ送る思い――。タイトルを書き終わった瞬間、パソコン画面に新規メッセージの受信を知らせる表示が出ると共に机の上で携帯がバイブする。

『分かった。お風呂入って楽しみに待ってるね』

 楽しみに――。その言葉が俺に重くのしかかるが、メッセージ画面を閉じて執筆に向かう。千文字では足りないが、かと言って一万字も必要かといわれると部妙なライン。執筆時間にして三時間も必要ないだろう。今が八時前。十一時には完成するだろう。それからHARUに読んでもらおう。

 俺の指は勇み足ながらも着実に文字を刻んでいった。これで心春が戻ってくると信じながら。
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