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第二章〈モン・サン=ミシェルの戦い〉編
2.7 守備隊119人と英軍20,000人
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物資も金銭も届かないならば、戦地で自力調達してもらおう。
とはいえ、略奪を勧めているのではない。
そもそも、モン・サン=ミシェルは大海に囲まれた孤島である。
獲れるものといえば、水と魚、干潮時に打ち上がる海藻くらいだ。
「今日も魚かぁ。たまには肉を食べたいな」
食事中にジャンが愚痴ると、パンを給仕していた少年僧ギヨームが「すみません」と謝った。
「この一年、島の外からの接触を絶っているから肉を切らしてしまって……」
「あ、いやいや、決して文句があるわけでは!」
孤島で籠城中にぜいたくな食事など見込めるはずがない。
修道院長は、攻囲戦が始まれば厳しい生活になると見越して、一般人を島外に避難させたのだ。
修道士も守備隊も、鍛錬を積んだ強者だけが島に居残っている。
「悪かった」
ジャンは失言を詫びた。
「君みたいな子供が文句ひとつ言わないのに、俺もまだまだ修行が足りないな」
「そんなことありません。毎日あれだけ鍛錬していたらお腹が空くのは当然です」
「ははは……」
西欧の食文化において、メインディッシュは肉料理だ。
魚料理を食べるのは、禁欲を奨励する四旬節期間くらいだろう。
肉料理はご馳走で、魚料理はやや格下という扱いだった。
「家畜の羊を絞めれば肉料理を提供できます。しかし、生きている羊からは羊毛を繰り返し取れますが、死んだ羊は肉を食べたらそれでおしまいですからねぇ」
修道院長と守備隊長を兼任するルイ・デストートヴィルが、残念そうに首を振った。
「陛下の幼なじみである貴方に粗末な食事しかご提供できず、まことに申し訳ない」
「いえ、食べれるだけありがたいですよ。新鮮な魚料理も美味しいです」
「そうですか、お口に合ったようで良かった」
「魚はいいんですけどね。この付け合わせの黒いびらびらは何ですか?」
「レタスのソテーです」
レタスはありふれた食材だが、これは海藻である。
ほとんどのフランス人は海藻を食べる習慣がないが、ブルターニュとノルマンディーでは「海のレタス」と呼ばれ、郷土料理の食材だった。乾燥させて干し草の代用品として使うこともある。
「レタス? これが?」
「海のレタスは初めてですか?」
「俺の知ってるレタスと違う……」
「ほう、どのように?」
ジャンは「海のレタス」をつまむと怪しそうに観察し、おそるおそる口に放り込んだ。
「レタスにしては黒すぎるし、口に入れたときの舌触りや噛んだときの食感は……」
「どうですか」
「うぅ、これ、書き損じた羊皮紙じゃないの?」
修道院長は「貴方は書き損じた羊皮紙を食べたことがあるのですか」と驚き、ギヨームは「紙は羊の皮で、インクはイカ墨でできているから、食べられないことはないかも」とまじめに考察している。
デストートヴィル兄弟が談笑するかたわらで、ジャンの「食レポ」は続く。
「ぷるぷる、ぴろぴろして噛みきれない……」
魚はともかく、海藻はジャンの口に合わなかったようだ。
隠れて吐き出すか、無理やり飲み込むかを迷いながら、口の中でくちゃくちゃと弄んでいる。
修道院長は笑いをこらえながら「決戦前に、とっておきの羊肉でもてなしましょう」と提案し、ジャンに口直しの食後酒を勧めた。
***
主な戦闘は海岸で起きていた。
モン・サン=ミシェル周辺の海域は浅く、大きな艦隊は近寄れない。
干潮時は大陸と地続きになるため、人馬で渡ることもできるが、干満の差が大きい上に潮の満ち引きが異常に早い。もたもたしていると渡り切る前に潮が満ち、人馬は海のど真ん中に取り残されて溺れてしまう。
これでは大軍や攻城兵器はおろか、大がかりな輸送も困難だった。
英仏は、島の外縁にある限られた陸地を取り合った。
フランス軍が有利なときは要塞へ兵站輸送を、英軍が有利なときは砲台を設置して砲撃をおこなった。陸地は狭く、内部につながる道は一本のみ。長い大階段を登った先に哨兵の門がある。
籠城する守備隊119人。
攻囲するイングランド軍2万人。
勝ったのは前者だ。
さて、読者諸氏はモン・サン=ミシェルで何が起きたと思う?
戦力が少ない方が不利だと考えるのは早計だ。これは野戦ではない。
大天使ミシェルを祀る礼拝堂と難攻不落の要塞は、イングランド軍の侵入を許さなかった。
しかし、大抵の包囲戦は、攻防そのものよりも食糧事情で勝敗が分かれる。
攻囲側の真の目的は、大軍で敵地を取り囲んで兵糧攻めにすることだ。
イングランド軍は、モン・サン=ミシェルの食糧が尽き、悲惨な飢餓地獄が始まる日を待っていた。
その一方で、私たちも同じことを考えていた。
イングランド軍は、海上で2万人も動員して攻囲戦を展開しているのだ。
食費だけでも大変な負担だろう。
孤島と海が相手では、周辺で略奪もできない。
膨大な物量をまかなうために、一体どれほどの労力と資金を投入していることか。
イングランドの軍資金が尽きれば、攻囲の続行は不可能となり、モン・サン=ミシェルは救われる。
ちなみに、戦争でもっとも得するのは商人たちだ。
イングランド軍の艦隊のまわりでは、ブルゴーニュ公配下のハンザ同盟の商船がひっきりなしに横付けして兵站物資を高値で売りつけていた。
中には、忠誠心に欠けた不届き者もいて、カネさえ払えば敵味方に関係なく物を売ってくれる。
修道院が大量に所有している銀食器を鋳つぶして、自由に「銀貨」を鋳造できるようにしたことが奏功した。
ハンザの守銭奴たちは、夜陰に紛れてモン・サン=ミシェルに接近し、良質な銀貨と引き換えにさまざまな便宜を図ってくれた。
また、第二次ラ・ロシェル海戦で、私はハンザ同盟のガレー船を40隻ほど拿捕している。
知己の商人——例えば、マリー・ダンジューに資産運用を教えたジャック・クールらに、この船を引き渡して「商機」を教えた。
「モン・サン=ミシェルを支援することは神の思し召しにも叶うだろう。ハンザの商船に偽装して商売してみてはどうか」
結局、イングランドは軍資金を浪費するばかりで、肝心のモン・サン=ミシェルでは食糧が尽きず、悲惨な飢餓地獄も起きなかった。
二年もしないうちに、イングランド軍は包囲を解いて撤退した。
私は、この勝利に謝意をあらわし、大天使ミシェルのタペストリーを修道院に捧げた。
「つまらないなぁ」
大階段「奈落」を上りきった先に、西のテラスがある。
ここは廃教会の跡地で、孤島でもっとも高い場所にあり、四方の海域を見渡せる。
艦隊が去り、凪ぐ海を見下ろしながらジャンはため息をついた。
「俺、何のためにここへ来たんだろ」
「貴方には感謝しています」
修道院長ルイ・デストートヴィルが横に並び、気持ちよさそうに海風を浴びている。
「そういうお世辞はいりません」
「本気ですよ。貴方が陛下に密書を送らなければ、今頃、この聖なる孤島も礼拝堂もイングランド軍に蹂躙され、私たちは全員殺されていたでしょう」
「そうと知っていながら、なぜ院長はここに残ったんです?」
「デストートヴィル家は、ノルマンディーの古い家柄でしてね」
ノルマンディーはイングランド王の支配下にあったが、デストートヴィル家は王になる以前のヴァロワ家の遠縁だったため、百年戦争当初からヴァロワ王家に忠誠を誓っていた。
修道院長の父デストートヴィル卿はアジャンクールの戦いで捕虜となり、いまだに帰ってこない。
父と生き別れになった当時、修道院長は15歳で、弟のギヨームは3歳だった。
「聖職者になって世俗と距離を置くつもりだったのに、陛下から守備隊長を拝命したときに心が高揚しました。うわべを取り繕っていても、やはり私はフランス王に仕えた父の息子なのでしょう。同時に、犠牲が出なかったことにほっとしている……」
修道院長は「犠牲のない戦いはつまらないですか?」とジャンに尋ねた。
二人は、アジャンクールで父兄と生き別れたという共通点があった。
十二年後の現在、ルイ・デストートヴィルは26歳、ジャンは24歳。
前者は聖職者に、後者は騎士になったが、戦争にかける想いは少し違っていた。
「俺は聖職者じゃない。戦いを生業とする騎士ですから」
「そうでしたね。私としたことが愚問でした」
「勇敢な聖職者がいてもいいと思いますよ」
「はは、そうですか」
孤島に近づく船が見える。
攻囲が解かれたので、ジャンを迎えにきたのだ。
「オルレアンに帰るのですか。それとも別の戦地へ?」
「実は、俺はブルターニュ公の人質なんですけど、独断でここへ来たから怒られるかもしれない」
「なるほど。陛下の幼なじみともなると複雑な立場なのでしょうね」
修道院長は「オルレアンの私生児が果たした功績」について一筆書くと、ジャンに持たせてくれた。
「この書簡があれば、陛下もブルターニュ公も貴方を咎めることはないでしょう」
「ありがとうございます」
少年僧ギヨームが奈落を駆け上がってくる。
もうすぐ船が到着するから、ジャンを呼びにきたのだろう。
「そろそろお別れですね。武運を祈ります」
「院長もお元気で」
「それから、貴方にひとつ頼みたいことがあります」
若く賢明な修道院長は、近い将来、イングランドが再び攻めてくることを見越して、弟ギヨームを王のもとへ預けることを提案した。
***
こうして文章にすると「モン・サン=ミシェルの戦い」編は長い割にあっけなかった。
ジャン同様、読者諸氏はつまらない戦いだと感じたかもしれない。
しかし、私は、敵も味方も犠牲者の出ない良い戦いだったと自負している。
戦争とは、弓や槍の小突き合いだけではないのだ。
最後に、修道院長の後日談について触れておこう。
数年後、イングランド軍は再びモン・サン=ミシェルを攻囲し、花崗岩の砲弾でついにモンの城壁に穴を開けた。敵兵たちは剣や槍を手に侵入してきたが、修道院長ルイ・デストートヴィル率いる少数の守備隊は小銃を構えて待っていた。
火砲や銃火器を用いる戦い方は、私ことシャルル七世がもっとも得意とする戦法で、賢明な修道院長も銃火器の効果的な使い方を熟知していた。
一方的な銃撃戦の末、イングランド軍は2000人の犠牲者を出して再び撤退した。
修道院長は生涯をかけて、孤島の修道院モン・サン=ミシェルを守り抜いたのである。
(※)モン・サン=ミシェルの戦いについて。作中では1424~1426年ごろを想定していますが、イングランド軍が2万人動員したのは1434年の戦闘時で、修道院長が率いる少数のフランス軍(モン・サン=ミシェルの守備隊)は侵入者たちを銃撃で撃退しています。
(※)史実とフィクションが混ざっています。コルネイユ通信の密書はフィクションですが、オルレアンの私生児(デュノワ伯)はこの戦いに参戦しています。1426年、シャルル七世は自衛を奨励し、孤立するモン・サン=ミシェルのために銀貨の鋳造特権を与えました。
とはいえ、略奪を勧めているのではない。
そもそも、モン・サン=ミシェルは大海に囲まれた孤島である。
獲れるものといえば、水と魚、干潮時に打ち上がる海藻くらいだ。
「今日も魚かぁ。たまには肉を食べたいな」
食事中にジャンが愚痴ると、パンを給仕していた少年僧ギヨームが「すみません」と謝った。
「この一年、島の外からの接触を絶っているから肉を切らしてしまって……」
「あ、いやいや、決して文句があるわけでは!」
孤島で籠城中にぜいたくな食事など見込めるはずがない。
修道院長は、攻囲戦が始まれば厳しい生活になると見越して、一般人を島外に避難させたのだ。
修道士も守備隊も、鍛錬を積んだ強者だけが島に居残っている。
「悪かった」
ジャンは失言を詫びた。
「君みたいな子供が文句ひとつ言わないのに、俺もまだまだ修行が足りないな」
「そんなことありません。毎日あれだけ鍛錬していたらお腹が空くのは当然です」
「ははは……」
西欧の食文化において、メインディッシュは肉料理だ。
魚料理を食べるのは、禁欲を奨励する四旬節期間くらいだろう。
肉料理はご馳走で、魚料理はやや格下という扱いだった。
「家畜の羊を絞めれば肉料理を提供できます。しかし、生きている羊からは羊毛を繰り返し取れますが、死んだ羊は肉を食べたらそれでおしまいですからねぇ」
修道院長と守備隊長を兼任するルイ・デストートヴィルが、残念そうに首を振った。
「陛下の幼なじみである貴方に粗末な食事しかご提供できず、まことに申し訳ない」
「いえ、食べれるだけありがたいですよ。新鮮な魚料理も美味しいです」
「そうですか、お口に合ったようで良かった」
「魚はいいんですけどね。この付け合わせの黒いびらびらは何ですか?」
「レタスのソテーです」
レタスはありふれた食材だが、これは海藻である。
ほとんどのフランス人は海藻を食べる習慣がないが、ブルターニュとノルマンディーでは「海のレタス」と呼ばれ、郷土料理の食材だった。乾燥させて干し草の代用品として使うこともある。
「レタス? これが?」
「海のレタスは初めてですか?」
「俺の知ってるレタスと違う……」
「ほう、どのように?」
ジャンは「海のレタス」をつまむと怪しそうに観察し、おそるおそる口に放り込んだ。
「レタスにしては黒すぎるし、口に入れたときの舌触りや噛んだときの食感は……」
「どうですか」
「うぅ、これ、書き損じた羊皮紙じゃないの?」
修道院長は「貴方は書き損じた羊皮紙を食べたことがあるのですか」と驚き、ギヨームは「紙は羊の皮で、インクはイカ墨でできているから、食べられないことはないかも」とまじめに考察している。
デストートヴィル兄弟が談笑するかたわらで、ジャンの「食レポ」は続く。
「ぷるぷる、ぴろぴろして噛みきれない……」
魚はともかく、海藻はジャンの口に合わなかったようだ。
隠れて吐き出すか、無理やり飲み込むかを迷いながら、口の中でくちゃくちゃと弄んでいる。
修道院長は笑いをこらえながら「決戦前に、とっておきの羊肉でもてなしましょう」と提案し、ジャンに口直しの食後酒を勧めた。
***
主な戦闘は海岸で起きていた。
モン・サン=ミシェル周辺の海域は浅く、大きな艦隊は近寄れない。
干潮時は大陸と地続きになるため、人馬で渡ることもできるが、干満の差が大きい上に潮の満ち引きが異常に早い。もたもたしていると渡り切る前に潮が満ち、人馬は海のど真ん中に取り残されて溺れてしまう。
これでは大軍や攻城兵器はおろか、大がかりな輸送も困難だった。
英仏は、島の外縁にある限られた陸地を取り合った。
フランス軍が有利なときは要塞へ兵站輸送を、英軍が有利なときは砲台を設置して砲撃をおこなった。陸地は狭く、内部につながる道は一本のみ。長い大階段を登った先に哨兵の門がある。
籠城する守備隊119人。
攻囲するイングランド軍2万人。
勝ったのは前者だ。
さて、読者諸氏はモン・サン=ミシェルで何が起きたと思う?
戦力が少ない方が不利だと考えるのは早計だ。これは野戦ではない。
大天使ミシェルを祀る礼拝堂と難攻不落の要塞は、イングランド軍の侵入を許さなかった。
しかし、大抵の包囲戦は、攻防そのものよりも食糧事情で勝敗が分かれる。
攻囲側の真の目的は、大軍で敵地を取り囲んで兵糧攻めにすることだ。
イングランド軍は、モン・サン=ミシェルの食糧が尽き、悲惨な飢餓地獄が始まる日を待っていた。
その一方で、私たちも同じことを考えていた。
イングランド軍は、海上で2万人も動員して攻囲戦を展開しているのだ。
食費だけでも大変な負担だろう。
孤島と海が相手では、周辺で略奪もできない。
膨大な物量をまかなうために、一体どれほどの労力と資金を投入していることか。
イングランドの軍資金が尽きれば、攻囲の続行は不可能となり、モン・サン=ミシェルは救われる。
ちなみに、戦争でもっとも得するのは商人たちだ。
イングランド軍の艦隊のまわりでは、ブルゴーニュ公配下のハンザ同盟の商船がひっきりなしに横付けして兵站物資を高値で売りつけていた。
中には、忠誠心に欠けた不届き者もいて、カネさえ払えば敵味方に関係なく物を売ってくれる。
修道院が大量に所有している銀食器を鋳つぶして、自由に「銀貨」を鋳造できるようにしたことが奏功した。
ハンザの守銭奴たちは、夜陰に紛れてモン・サン=ミシェルに接近し、良質な銀貨と引き換えにさまざまな便宜を図ってくれた。
また、第二次ラ・ロシェル海戦で、私はハンザ同盟のガレー船を40隻ほど拿捕している。
知己の商人——例えば、マリー・ダンジューに資産運用を教えたジャック・クールらに、この船を引き渡して「商機」を教えた。
「モン・サン=ミシェルを支援することは神の思し召しにも叶うだろう。ハンザの商船に偽装して商売してみてはどうか」
結局、イングランドは軍資金を浪費するばかりで、肝心のモン・サン=ミシェルでは食糧が尽きず、悲惨な飢餓地獄も起きなかった。
二年もしないうちに、イングランド軍は包囲を解いて撤退した。
私は、この勝利に謝意をあらわし、大天使ミシェルのタペストリーを修道院に捧げた。
「つまらないなぁ」
大階段「奈落」を上りきった先に、西のテラスがある。
ここは廃教会の跡地で、孤島でもっとも高い場所にあり、四方の海域を見渡せる。
艦隊が去り、凪ぐ海を見下ろしながらジャンはため息をついた。
「俺、何のためにここへ来たんだろ」
「貴方には感謝しています」
修道院長ルイ・デストートヴィルが横に並び、気持ちよさそうに海風を浴びている。
「そういうお世辞はいりません」
「本気ですよ。貴方が陛下に密書を送らなければ、今頃、この聖なる孤島も礼拝堂もイングランド軍に蹂躙され、私たちは全員殺されていたでしょう」
「そうと知っていながら、なぜ院長はここに残ったんです?」
「デストートヴィル家は、ノルマンディーの古い家柄でしてね」
ノルマンディーはイングランド王の支配下にあったが、デストートヴィル家は王になる以前のヴァロワ家の遠縁だったため、百年戦争当初からヴァロワ王家に忠誠を誓っていた。
修道院長の父デストートヴィル卿はアジャンクールの戦いで捕虜となり、いまだに帰ってこない。
父と生き別れになった当時、修道院長は15歳で、弟のギヨームは3歳だった。
「聖職者になって世俗と距離を置くつもりだったのに、陛下から守備隊長を拝命したときに心が高揚しました。うわべを取り繕っていても、やはり私はフランス王に仕えた父の息子なのでしょう。同時に、犠牲が出なかったことにほっとしている……」
修道院長は「犠牲のない戦いはつまらないですか?」とジャンに尋ねた。
二人は、アジャンクールで父兄と生き別れたという共通点があった。
十二年後の現在、ルイ・デストートヴィルは26歳、ジャンは24歳。
前者は聖職者に、後者は騎士になったが、戦争にかける想いは少し違っていた。
「俺は聖職者じゃない。戦いを生業とする騎士ですから」
「そうでしたね。私としたことが愚問でした」
「勇敢な聖職者がいてもいいと思いますよ」
「はは、そうですか」
孤島に近づく船が見える。
攻囲が解かれたので、ジャンを迎えにきたのだ。
「オルレアンに帰るのですか。それとも別の戦地へ?」
「実は、俺はブルターニュ公の人質なんですけど、独断でここへ来たから怒られるかもしれない」
「なるほど。陛下の幼なじみともなると複雑な立場なのでしょうね」
修道院長は「オルレアンの私生児が果たした功績」について一筆書くと、ジャンに持たせてくれた。
「この書簡があれば、陛下もブルターニュ公も貴方を咎めることはないでしょう」
「ありがとうございます」
少年僧ギヨームが奈落を駆け上がってくる。
もうすぐ船が到着するから、ジャンを呼びにきたのだろう。
「そろそろお別れですね。武運を祈ります」
「院長もお元気で」
「それから、貴方にひとつ頼みたいことがあります」
若く賢明な修道院長は、近い将来、イングランドが再び攻めてくることを見越して、弟ギヨームを王のもとへ預けることを提案した。
***
こうして文章にすると「モン・サン=ミシェルの戦い」編は長い割にあっけなかった。
ジャン同様、読者諸氏はつまらない戦いだと感じたかもしれない。
しかし、私は、敵も味方も犠牲者の出ない良い戦いだったと自負している。
戦争とは、弓や槍の小突き合いだけではないのだ。
最後に、修道院長の後日談について触れておこう。
数年後、イングランド軍は再びモン・サン=ミシェルを攻囲し、花崗岩の砲弾でついにモンの城壁に穴を開けた。敵兵たちは剣や槍を手に侵入してきたが、修道院長ルイ・デストートヴィル率いる少数の守備隊は小銃を構えて待っていた。
火砲や銃火器を用いる戦い方は、私ことシャルル七世がもっとも得意とする戦法で、賢明な修道院長も銃火器の効果的な使い方を熟知していた。
一方的な銃撃戦の末、イングランド軍は2000人の犠牲者を出して再び撤退した。
修道院長は生涯をかけて、孤島の修道院モン・サン=ミシェルを守り抜いたのである。
(※)モン・サン=ミシェルの戦いについて。作中では1424~1426年ごろを想定していますが、イングランド軍が2万人動員したのは1434年の戦闘時で、修道院長が率いる少数のフランス軍(モン・サン=ミシェルの守備隊)は侵入者たちを銃撃で撃退しています。
(※)史実とフィクションが混ざっています。コルネイユ通信の密書はフィクションですが、オルレアンの私生児(デュノワ伯)はこの戦いに参戦しています。1426年、シャルル七世は自衛を奨励し、孤立するモン・サン=ミシェルのために銀貨の鋳造特権を与えました。
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この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
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