7番目のシャルル、聖女と亡霊の声

しんの(C.Clarté)

文字の大きさ
32 / 225
第三章〈大元帥と大侍従〉編

3.7 リッシュモンの妻(3)

しおりを挟む
 誰にも見られたくない、邪魔されたくないからと、マルグリット・ド・ブルゴーニュたっての希望で、私は単独で城主夫妻の寝室に招かれた。
 生活感のある調度品は見当たらず、視界の端に映ったベッドもシワひとつなく整えられている。最近使った形跡はない。
 私的な空間をじろじろ見るのは失礼だなと、マルグリットに向き合おうとしてぎょっとした。
 着ていたコートを脱いで長椅子にかけ、下着のコルセットに手をかけて結び目をほどこうとしているではないか。

「義姉上?! な、何をして……」
「こちらをお納めください」

 マルグリットは硬いコルセットの下から胴に巻いていた紙束を取り出すと、手近なトレーに乗せて差し出した。
 先ほど話していたシノン城の見取り図だ。私が持っている原本の写しで、城の責任者に代々渡しているものだが、新しいインクでこまかな書き込みが増えている。

「大元帥が直接記したもので、わたくしも見ておりません」

 侵入者に備えて、リッシュモン自身が妻の胴体に巻き付けて保管させたらしい。
 これなら家探しされても、妻の身体検査をしない限り奪われることはない。
 元王太子妃で気位が高く、人を寄せ付けない貴婦人となれば、そう簡単に手出しできる相手ではない。よく考えたものだ。

 ……それにしても、私は以前から、リッシュモンは少々人間性が欠如しているのではないかと思っていたが、妻を金庫代わりのクロゼットだとでも思っているのではないか。

「確かに受け取った。大義であった」

 王としてねぎらいの言葉をかけると、長椅子のコートを取ってマルグリットの肩にかけた。

「目のやり場に困るから着てください」
「恐れ入ります」
「当然のことです。あなたは亡き兄の未亡人で、私の義理の姉上なのですから」

 コルセットの下に隠していた見取り図を抜き取ったせいでもあるが、先ほど「どっしりして威厳がある」と感じた貴婦人が、やけに細く、頼りなさげに見えた。

 寝室から出ると、私がエスコートして中庭へ戻った。
 デュノワ、ジル、カトリーヌ・ド・トレーヌが膝をついて出迎えた。

「務めを果たした。これであなたは自由の身だ」

 デュノワに、マルグリットを無事に送り届ける手配をするように指示した。
 城門の外へ行きかけたデュノワが慌てて引き返してきて、

「王! さっき、ジルくんが突き落とした瀕死の門番が放置されてますが、どうします?」
「あ、忘れてた。素性を確認してすぐに手当てを!」

 てっきりジル・ド・レに雇われたごろつきかと思ったが、なんと彼らは名将ゲクラン直系の兄弟で、傍系のジルと年齢の近い親族かつ悪童仲間だった。結果的に私はジルともども三人を召し抱えることになった。
 彼らの物語はまた別の機会にあらためよう。

「義姉上は私を恨んでいますか?」

 マルグリットを解放し、送り届ける準備を待ちながら、少し話をした。
 リッシュモンの妻・ギュイエンヌ公夫人は私の義理の姉だ、と牽制すると、ジル・ド・レもカトリーヌ・ド・トレーヌも引き下がった。
 彼女と二人で話をする、またとない機会だ。

「兄が生きていればあなたは王妃で、本来なら私は弟として兄王夫妻の御前で膝をついていたでしょうから。それから、あなたの父君であるブルゴーニュ無怖公のことも……私はなんと詫びればいいのか……」

 そう言いかけたとき、マルグリットは強い目で私を睨みつけた。
 被害者遺族の感情をぶつけられるのは恐ろしかったが、斧で叩かれて頭から脳漿がこぼれた無怖公の痛みに比べれば、言葉で叩かれた程度の心の痛みなんてささやかなものだ。何を言われても受け止めようと覚悟を決めたのだが——。

「臣下の前でそのようなことをおっしゃってはなりません!」

 ぴしゃりと叱責された。

「あなたは王でしょう!」
「は、はい……」
「王の威厳を、王家の尊厳を守れるのは、陛下しかいないのですから」
「そう、ですね。すみません」
「ほらまた」

 私は拍子抜けして、へにゃりと苦笑した。
 威厳がまったくないことはとっくに自覚している。
 マルグリットは眉間に力を入れて怒ったような険しい表情をしていたが、鼻の頭が赤みを帯びていて、涙を堪えているようにも見えた。

 兄との夫婦関係がどういうものだったか、私には想像もつかない。
 王侯貴族は政略結婚を常とし、夫婦の相性は二の次だ。
 それに、狂王と淫乱王妃と無怖公らが取り巻く宮廷生活が、穏やかだったとは思えない。

「私の周りには不幸がたくさんあって、おそらく義姉上も同じだと思う」

 亡き兄に代わって、元・王太子妃の運命をねぎらいたいと思った。

「兄と死別し、王太子妃の身分を失ったことは不幸に違いない。けれど、王と王妃が背負うべき運命や重責から解放され、自由の身になったと考えれば……、ひょっとしたら義姉上は幸運なのかもしれない」

「もしかして、わたくしを慰めているおつもり?」
「本当の気持ちです。私の至らない言動が、義姉上を傷つけたなら謝罪します」

 失言したかと思ったが、マルグリットは「くくっ」とふてぶてしく笑った。

「噂に違わず、本当に風変わりな方ですのね」
「義姉上も、噂に違わず、誇り高い貴婦人ですよ」
「悩み多き陛下に忠告をひとつよろしくて? 権力を引け目に思うのは馬鹿げてますわ。力があるからこそ、陛下はきょう、わたくしを悪漢と悪女から救い出してくださった。もっと堂々となさいませ。そして、王として存分に力を振るいなさい!」

 この尊大な態度は、父親の無怖公譲りなのか。
 それとも、生まれながらの元・王太子妃という身分がそうさせるのか。
 王になりきれない私はたじたじだが、義姉マルグリット・ド・ブルゴーニュのことは嫌いじゃない。


しおりを挟む
感想 15

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

7番目のシャルル、狂った王国にうまれて【少年期編完結】

しんの(C.Clarté)
歴史・時代
15世紀、狂王と淫妃の間に生まれた10番目の子が王位を継ぐとは誰も予想しなかった。兄王子の連続死で、不遇な王子は14歳で王太子となり、没落する王国を背負って死と血にまみれた運命をたどる。「恩人ジャンヌ・ダルクを見捨てた暗愚」と貶される一方で、「建国以来、戦乱の絶えなかった王国にはじめて平和と正義と秩序をもたらした名君」と評価されるフランス王シャルル七世の少年時代の物語。 歴史に残された記述と、筆者が受け継いだ記憶をもとに脚色したフィクションです。 【カクヨムコン7中間選考通過】【アルファポリス第7回歴史・時代小説大賞、読者投票4位】【講談社レジェンド賞最終選考作】 ※表紙絵は離雨RIU(@re_hirame)様からいただいたファンアートを使わせていただいてます。 ※重複投稿しています。 カクヨム:https://kakuyomu.jp/works/16816927859447599614 小説家になろう:https://ncode.syosetu.com/n9199ey/

戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件

さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。 数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、 今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、 わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。 彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。 それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。 今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。   「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」 「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」 「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」 「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」   命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!? 順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場―― ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。   これは―― 【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と 【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、 “甘くて逃げ場のない生活”の物語。   ――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。 ※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

200万年後 軽トラで未来にやってきた勇者たち

半道海豚
SF
本稿は、生きていくために、文明の痕跡さえない200万年後の未来に旅立ったヒトたちの奮闘を描いています。 最近は温暖化による環境の悪化が話題になっています。温暖化が進行すれば、多くの生物種が絶滅するでしょう。実際、新生代第四紀完新世(現在の地質年代)は生物の大量絶滅の真っ最中だとされています。生物の大量絶滅は地球史上何度も起きていますが、特に大規模なものが“ビッグファイブ”と呼ばれています。5番目が皆さんよくご存じの恐竜絶滅です。そして、現在が6番目で絶賛進行中。しかも理由はヒトの存在。それも産業革命以後とかではなく、何万年も前から。 本稿は、2015年に書き始めましたが、温暖化よりはスーパープルームのほうが衝撃的だろうと考えて北米でのマントル噴出を破局的環境破壊の惹起としました。 第1章と第2章は未来での生き残りをかけた挑戦、第3章以降は競争排除則(ガウゼの法則)がテーマに加わります。第6章以降は大量絶滅は収束したのかがテーマになっています。 どうぞ、お楽しみください。

男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件

美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…? 最新章の第五章も夕方18時に更新予定です! ☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。 ※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます! ※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。 ※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!

友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。

石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。 だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった 何故なら、彼は『転生者』だから… 今度は違う切り口からのアプローチ。 追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。 こうご期待。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

処理中です...