83 / 225
第六章〈ニシンの戦い〉編
6.11 笑いながら破滅する王(2)
しおりを挟む
ひとりになると、自分の顔をむにむにと撫で回しながら、さっきの謁見を振り返った。
「楽しそうに笑っている……か」
ラ・イルは「ブキミなやつ」とも言っていた。
私はとうとう狂い始めたのだろうか。
自分の感情と行動を精査しながら、狂気の兆候を見定めていく。
なぜ、私は悪い知らせを聞きながら笑っていたのだろうか?
デュノワが無事だったから?
それも一理ある。
もし、ジャンの訃報だったら……、以前、ヴェルヌイユの敗戦後に見かけた死屍累々が脳裏に浮かび、それ以上「もし」を想像するのをやめた。
笑ったのは、神の慈悲を感じたからだ。
デュノワは神に守られている。当然だ。彼は子供の頃からずっと変わらず、本当にいいやつなのだ。私はかねてから「王弟の私生児であることはデュノワの汚点ではない」と考えていたが、神も同じ認識のようだ。素直に嬉しかった。
今回のように危ない目に遭っても、デュノワ自身の能力の高さと愛嬌の良さで大抵のことは切り抜けるだろうし、さらに運が味方をしてくれるなら将来は安泰だ。
神の存在を感じたとき、人は恐れるのだろうか。それとも喜ぶのだろうか。
少なくとも、私はブキミに笑っていたようだ。
少し前、私はひそかに三つの祈りを神に捧げた。
「神よ、私がフランス王の後継者にふさわしくないならば、この哀れな王国で多くの血と涙と財産を犠牲にしている戦争を、これ以上続ける力を私から取り上げてください」
「神よ、フランス王国を苦しめている災いの原因が、私が犯した罪のせいならば、どうか哀れな人々を災いから救ってください。身代わりは要りません。すべての罰を私ひとりに振り下ろしてください。永遠の死でも煉獄の炎でも受け入れます」
「神よ、フランス王国を苦しめている災いの原因が、王国の民が犯した罪のせいならば、どうか王の名に免じて赦していただけないでしょうか。民衆を憐れみ、慈悲を与えてください」
ニシンの戦いの敗北は、この祈りに対する「神の返答」であり「警告」だと思った。王位にまつわる戦いで、親友の命を危険にさらすことで、私の愚かな戦意を削ごうとしている——。それが神意なのだと。
実際、無謀な戦いを挑んだ援軍のスコットランド隊は壊滅している。
オルレアンへの兵站輸送は成功したが、フランス軍は敗北して犠牲を出した。
デュノワは助かったが、重傷を負っている。
これ以上考えるまでもない。
「神は、降伏を望んでおられるのだな」
ひとりごとをつぶやいたら、諦観を帯びた寂しい笑いがこみあげてきた。
「ふ、ふふふ……。あっ、わかった気がする」
ラ・イルが言っていたのはこのことかと腑に落ちた。
楽しくないのに笑っているのだから、確かにブキミだ。
狂っているとまではいかないが、だいぶ屈折しているなと自覚した。
この時の私は、「神の慈悲」を感じながら、同時に「神からの警告」を感じてもいた。愚かな戦いを続ければ、神は愛するデュノワの命さえ取り上げるかもしれない。私のせいで親友を犠牲にするのは嫌だった。
もうすぐ四旬節だ。イエス・キリストの受難をしのび、食事の節制と祝宴の自粛をする期間だから、あからさまな戦闘や交渉はやらない。
フランスもイングランドも同じだ。少しだけ考える時間ができた。
「戦闘続行か、降伏の申し入れか。猶予はあと四十日……」
この時、私の心はほぼ決まっていたのだが——。
「失礼します。陛下、ロレーヌ地方のヴォークルールから使者が来ておりますが、いかがされますか」
ロレーヌ公はブルゴーニュ派の重臣で、敵と見なされていたが、義弟ルネ・ダンジューの婿入り先でもある。ロレーヌ地方ヴォークルールから届いた一通の手紙が、フランスとオルレアンと私の運命を変えることになる。
ある少女が謁見を切望しているというので、軽い気持ちで許可状を送った。
降伏が正式に決まったら、私はどこにいて何をしているかわからないが、今なら少女の希望を叶えてあげることができると思ったからだ。
後から振り返ってみると、この世界に無駄なことなんて一つもないとわかる。
ささいな出来事のすべてが結末に向かって収束し、つながっていくのだ。
(※)第六章〈ニシンの戦い〉編、完結。
「楽しそうに笑っている……か」
ラ・イルは「ブキミなやつ」とも言っていた。
私はとうとう狂い始めたのだろうか。
自分の感情と行動を精査しながら、狂気の兆候を見定めていく。
なぜ、私は悪い知らせを聞きながら笑っていたのだろうか?
デュノワが無事だったから?
それも一理ある。
もし、ジャンの訃報だったら……、以前、ヴェルヌイユの敗戦後に見かけた死屍累々が脳裏に浮かび、それ以上「もし」を想像するのをやめた。
笑ったのは、神の慈悲を感じたからだ。
デュノワは神に守られている。当然だ。彼は子供の頃からずっと変わらず、本当にいいやつなのだ。私はかねてから「王弟の私生児であることはデュノワの汚点ではない」と考えていたが、神も同じ認識のようだ。素直に嬉しかった。
今回のように危ない目に遭っても、デュノワ自身の能力の高さと愛嬌の良さで大抵のことは切り抜けるだろうし、さらに運が味方をしてくれるなら将来は安泰だ。
神の存在を感じたとき、人は恐れるのだろうか。それとも喜ぶのだろうか。
少なくとも、私はブキミに笑っていたようだ。
少し前、私はひそかに三つの祈りを神に捧げた。
「神よ、私がフランス王の後継者にふさわしくないならば、この哀れな王国で多くの血と涙と財産を犠牲にしている戦争を、これ以上続ける力を私から取り上げてください」
「神よ、フランス王国を苦しめている災いの原因が、私が犯した罪のせいならば、どうか哀れな人々を災いから救ってください。身代わりは要りません。すべての罰を私ひとりに振り下ろしてください。永遠の死でも煉獄の炎でも受け入れます」
「神よ、フランス王国を苦しめている災いの原因が、王国の民が犯した罪のせいならば、どうか王の名に免じて赦していただけないでしょうか。民衆を憐れみ、慈悲を与えてください」
ニシンの戦いの敗北は、この祈りに対する「神の返答」であり「警告」だと思った。王位にまつわる戦いで、親友の命を危険にさらすことで、私の愚かな戦意を削ごうとしている——。それが神意なのだと。
実際、無謀な戦いを挑んだ援軍のスコットランド隊は壊滅している。
オルレアンへの兵站輸送は成功したが、フランス軍は敗北して犠牲を出した。
デュノワは助かったが、重傷を負っている。
これ以上考えるまでもない。
「神は、降伏を望んでおられるのだな」
ひとりごとをつぶやいたら、諦観を帯びた寂しい笑いがこみあげてきた。
「ふ、ふふふ……。あっ、わかった気がする」
ラ・イルが言っていたのはこのことかと腑に落ちた。
楽しくないのに笑っているのだから、確かにブキミだ。
狂っているとまではいかないが、だいぶ屈折しているなと自覚した。
この時の私は、「神の慈悲」を感じながら、同時に「神からの警告」を感じてもいた。愚かな戦いを続ければ、神は愛するデュノワの命さえ取り上げるかもしれない。私のせいで親友を犠牲にするのは嫌だった。
もうすぐ四旬節だ。イエス・キリストの受難をしのび、食事の節制と祝宴の自粛をする期間だから、あからさまな戦闘や交渉はやらない。
フランスもイングランドも同じだ。少しだけ考える時間ができた。
「戦闘続行か、降伏の申し入れか。猶予はあと四十日……」
この時、私の心はほぼ決まっていたのだが——。
「失礼します。陛下、ロレーヌ地方のヴォークルールから使者が来ておりますが、いかがされますか」
ロレーヌ公はブルゴーニュ派の重臣で、敵と見なされていたが、義弟ルネ・ダンジューの婿入り先でもある。ロレーヌ地方ヴォークルールから届いた一通の手紙が、フランスとオルレアンと私の運命を変えることになる。
ある少女が謁見を切望しているというので、軽い気持ちで許可状を送った。
降伏が正式に決まったら、私はどこにいて何をしているかわからないが、今なら少女の希望を叶えてあげることができると思ったからだ。
後から振り返ってみると、この世界に無駄なことなんて一つもないとわかる。
ささいな出来事のすべてが結末に向かって収束し、つながっていくのだ。
(※)第六章〈ニシンの戦い〉編、完結。
25
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
7番目のシャルル、狂った王国にうまれて【少年期編完結】
しんの(C.Clarté)
歴史・時代
15世紀、狂王と淫妃の間に生まれた10番目の子が王位を継ぐとは誰も予想しなかった。兄王子の連続死で、不遇な王子は14歳で王太子となり、没落する王国を背負って死と血にまみれた運命をたどる。「恩人ジャンヌ・ダルクを見捨てた暗愚」と貶される一方で、「建国以来、戦乱の絶えなかった王国にはじめて平和と正義と秩序をもたらした名君」と評価されるフランス王シャルル七世の少年時代の物語。
歴史に残された記述と、筆者が受け継いだ記憶をもとに脚色したフィクションです。
【カクヨムコン7中間選考通過】【アルファポリス第7回歴史・時代小説大賞、読者投票4位】【講談社レジェンド賞最終選考作】
※表紙絵は離雨RIU(@re_hirame)様からいただいたファンアートを使わせていただいてます。
※重複投稿しています。
カクヨム:https://kakuyomu.jp/works/16816927859447599614
小説家になろう:https://ncode.syosetu.com/n9199ey/
戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件
さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。
数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、
今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、
わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。
彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。
それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。
今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。
「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」
「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」
「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」
「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」
命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!?
順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場――
ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。
これは――
【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と
【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、
“甘くて逃げ場のない生活”の物語。
――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。
※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
200万年後 軽トラで未来にやってきた勇者たち
半道海豚
SF
本稿は、生きていくために、文明の痕跡さえない200万年後の未来に旅立ったヒトたちの奮闘を描いています。
最近は温暖化による環境の悪化が話題になっています。温暖化が進行すれば、多くの生物種が絶滅するでしょう。実際、新生代第四紀完新世(現在の地質年代)は生物の大量絶滅の真っ最中だとされています。生物の大量絶滅は地球史上何度も起きていますが、特に大規模なものが“ビッグファイブ”と呼ばれています。5番目が皆さんよくご存じの恐竜絶滅です。そして、現在が6番目で絶賛進行中。しかも理由はヒトの存在。それも産業革命以後とかではなく、何万年も前から。
本稿は、2015年に書き始めましたが、温暖化よりはスーパープルームのほうが衝撃的だろうと考えて北米でのマントル噴出を破局的環境破壊の惹起としました。
第1章と第2章は未来での生き残りをかけた挑戦、第3章以降は競争排除則(ガウゼの法則)がテーマに加わります。第6章以降は大量絶滅は収束したのかがテーマになっています。
どうぞ、お楽しみください。
男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件
美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…?
最新章の第五章も夕方18時に更新予定です!
☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。
※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます!
※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。
※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!
友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。
石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。
だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった
何故なら、彼は『転生者』だから…
今度は違う切り口からのアプローチ。
追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。
こうご期待。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる