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第九章〈二度目の戴冠式〉編
9.4 戴冠式のマーチ(4)サン・フロランタンの町
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川岸で馬に水を飲ませると、私とジャンヌは来た道を引き返した。
野営がある方角から松明がふたつ近づいてきた。デュノワとアランソン公だ。
「陛下ぁ……、勝手に消えないでくださいよ」
「あはは、ごめんごめん」
修道院時代を思い出して、少し懐かしい気分になった。
「もー! ラ・トレモイユは何やってるんだ!」
「まあまあ、あまり怒らないで。大侍従の目が節穴のほうが、私は自由に動きやすくて楽だし」
「言っておきますけど、敵地にいることをお忘れなく」
「すばらしい心がけだね。さすが、オルレアンの総司令官だ」
「さあ、戻りましょう」
デュノワからすればブルゴーニュ派は敵だろうが、私はそう考えていない。
とはいえ、親友と意見が食い違うのは本意ではないので、余計なことを言わずに黙っておこう。
今回の行軍が始まってから、大侍従ラ・トレモイユは「王の身の回りの世話をする」務めを忘れがちだ。ジル・ド・レをはじめ、配下の騎士たちと秘密の打ち合わせばかりしている。
オセールの町が差し出した大金も、大侍従派が分け前の大半を持っていった。
ジル・ド・レは先遣隊を統率する3人のうちのひとりだ。本隊が来る前に、オセールで「戦わないが開門もしない。金銭で片をつける」と取り決めをしていたのかもしれない。
「ジャンヌ! 勝手に出歩いたらだめじゃないか。みんな心配しているよ」
ジャンヌとアランソン公も何やら揉めている。
「だって、することがなかったんだもの」
「ジャンヌは聖女なのだから祈っていればいい」
「祈るだけじゃだめですよ。あたしの声は、いつもあたしを導いてくれる。だからここまで来れたんです」
「休むことも必要だ。日中はずっと行軍しているのだからね」
私は風変わりな王だが、ジャンヌも聖女にしては相当変わっている。
迎えがきたことだし、四人で野営に戻ろうとしたら、ジャンヌが急に手綱を引っ張ってポレールの馬首を傾け、脇道に逸れていった。
「どうした、ジャンヌ? はぐれると迷子になるぞ」
「あれを見てください!」
ジャンヌが示した先は、川辺によくあるただの草むらだ。
よく見ると、そこだけ植生が違う。
「豆です!」
「見ればわかる」
豆は古代から色々な種類があるが、ここにあるのは立派な豆の木ではなく、年月の経っていない若い豆の群生地のようだ。
「ここにもあそこにも!」
デュノワは「そんなにお腹が空いたのか……」と苦笑しているが、私は違和感を感じていた。ジャンヌは一応、聖女として振る舞っている。食い意地が張っている姿は見たことがない。
「豆がこんなにたくさん! あたしは今、感動しています……」
麦やぶどうと違って豆は徴税されないため、主に庶民がよく食べる。
といっても、聖書などにも登場するので身近な食べ物だ。
ジャンヌは豆を見つけてはしゃいでいるが、私たち男性3人は訳が分からなくて顔を見合わせた。
「もしかして、皆さんは修道士リシャールの豆の話を知らないんですか……?」
私たち三人は雁首揃えて、首を横に振る。
「えーーーー!!!! 意外です!」
「一体何者なんだ? その修道士リシャールとやらは」
「フランス北部で公言してる人はめったにいないんですが……、シャルル七世ファンなんですよその人」
「は……? 何だって?」
ジャンヌの話によると、イングランドとブルゴーニュの支配地域では有名人らしい。神出鬼没な流浪の修道士だという。
「イングランド当局から逃げ回りながら、あちこちで『王太子さまは近いうちに必ずランスに来て戴冠する。豆を植えてその日に備えなさい』って説教して回ってるらしいです」
初耳だ。ある意味、予言者の類いかもしれない。
本物の預言者ではなく、あやしい部類の予言者だ。
「昔、うちの村にも来ました」
ジャンヌの故郷ドンレミ村は街道が近い。
行商人や巡礼者が立ち寄って、フランス各地の近況を教えてくれるので、街道沿いの村人は事情通が多い。
「もしかして、ジャンヌはその修道士から私のことを聞いたのか?」
ジャンヌはにこにこしながら、「あたしも豆を植えました」と告白した。
なぜ豆を植えるのか?
近いうちにやってくる苦労人の王太子のために、敵地で飢えないように食料を提供するためであり、同時に、シャルル七世支持を公言できない庶民が「豆を植える」ことで意志を表明する——そんな意味が込められていた。
リシャールの言葉を信じた人、フランス王国の復活を望む人は、豆を植えて「その日」を待ち続けた。イングランドに対する抵抗運動だったのかもしれない。
「ここに不自然にたくさん実っている豆は、野生種じゃないです。しかも、この川辺はランスに続く道のりですよね? ということは、この辺りにも王太子さまを応援して豆を植えた人がいるってことですよ!」
その夜、ジャンヌはごきげんで豆のスープを作って振る舞った。
王侯貴族にふさわしいメニューではないかもしれないが、私は素朴な味わいがとても気に入った。
翌日、英気を養った私たちは、予定通りにヨンヌ川を渡りサン・フロランタンの町を訪れた。そして、今回の行軍で初めて町の城門がひらかれ、快く出迎えられた。
野営がある方角から松明がふたつ近づいてきた。デュノワとアランソン公だ。
「陛下ぁ……、勝手に消えないでくださいよ」
「あはは、ごめんごめん」
修道院時代を思い出して、少し懐かしい気分になった。
「もー! ラ・トレモイユは何やってるんだ!」
「まあまあ、あまり怒らないで。大侍従の目が節穴のほうが、私は自由に動きやすくて楽だし」
「言っておきますけど、敵地にいることをお忘れなく」
「すばらしい心がけだね。さすが、オルレアンの総司令官だ」
「さあ、戻りましょう」
デュノワからすればブルゴーニュ派は敵だろうが、私はそう考えていない。
とはいえ、親友と意見が食い違うのは本意ではないので、余計なことを言わずに黙っておこう。
今回の行軍が始まってから、大侍従ラ・トレモイユは「王の身の回りの世話をする」務めを忘れがちだ。ジル・ド・レをはじめ、配下の騎士たちと秘密の打ち合わせばかりしている。
オセールの町が差し出した大金も、大侍従派が分け前の大半を持っていった。
ジル・ド・レは先遣隊を統率する3人のうちのひとりだ。本隊が来る前に、オセールで「戦わないが開門もしない。金銭で片をつける」と取り決めをしていたのかもしれない。
「ジャンヌ! 勝手に出歩いたらだめじゃないか。みんな心配しているよ」
ジャンヌとアランソン公も何やら揉めている。
「だって、することがなかったんだもの」
「ジャンヌは聖女なのだから祈っていればいい」
「祈るだけじゃだめですよ。あたしの声は、いつもあたしを導いてくれる。だからここまで来れたんです」
「休むことも必要だ。日中はずっと行軍しているのだからね」
私は風変わりな王だが、ジャンヌも聖女にしては相当変わっている。
迎えがきたことだし、四人で野営に戻ろうとしたら、ジャンヌが急に手綱を引っ張ってポレールの馬首を傾け、脇道に逸れていった。
「どうした、ジャンヌ? はぐれると迷子になるぞ」
「あれを見てください!」
ジャンヌが示した先は、川辺によくあるただの草むらだ。
よく見ると、そこだけ植生が違う。
「豆です!」
「見ればわかる」
豆は古代から色々な種類があるが、ここにあるのは立派な豆の木ではなく、年月の経っていない若い豆の群生地のようだ。
「ここにもあそこにも!」
デュノワは「そんなにお腹が空いたのか……」と苦笑しているが、私は違和感を感じていた。ジャンヌは一応、聖女として振る舞っている。食い意地が張っている姿は見たことがない。
「豆がこんなにたくさん! あたしは今、感動しています……」
麦やぶどうと違って豆は徴税されないため、主に庶民がよく食べる。
といっても、聖書などにも登場するので身近な食べ物だ。
ジャンヌは豆を見つけてはしゃいでいるが、私たち男性3人は訳が分からなくて顔を見合わせた。
「もしかして、皆さんは修道士リシャールの豆の話を知らないんですか……?」
私たち三人は雁首揃えて、首を横に振る。
「えーーーー!!!! 意外です!」
「一体何者なんだ? その修道士リシャールとやらは」
「フランス北部で公言してる人はめったにいないんですが……、シャルル七世ファンなんですよその人」
「は……? 何だって?」
ジャンヌの話によると、イングランドとブルゴーニュの支配地域では有名人らしい。神出鬼没な流浪の修道士だという。
「イングランド当局から逃げ回りながら、あちこちで『王太子さまは近いうちに必ずランスに来て戴冠する。豆を植えてその日に備えなさい』って説教して回ってるらしいです」
初耳だ。ある意味、予言者の類いかもしれない。
本物の預言者ではなく、あやしい部類の予言者だ。
「昔、うちの村にも来ました」
ジャンヌの故郷ドンレミ村は街道が近い。
行商人や巡礼者が立ち寄って、フランス各地の近況を教えてくれるので、街道沿いの村人は事情通が多い。
「もしかして、ジャンヌはその修道士から私のことを聞いたのか?」
ジャンヌはにこにこしながら、「あたしも豆を植えました」と告白した。
なぜ豆を植えるのか?
近いうちにやってくる苦労人の王太子のために、敵地で飢えないように食料を提供するためであり、同時に、シャルル七世支持を公言できない庶民が「豆を植える」ことで意志を表明する——そんな意味が込められていた。
リシャールの言葉を信じた人、フランス王国の復活を望む人は、豆を植えて「その日」を待ち続けた。イングランドに対する抵抗運動だったのかもしれない。
「ここに不自然にたくさん実っている豆は、野生種じゃないです。しかも、この川辺はランスに続く道のりですよね? ということは、この辺りにも王太子さまを応援して豆を植えた人がいるってことですよ!」
その夜、ジャンヌはごきげんで豆のスープを作って振る舞った。
王侯貴族にふさわしいメニューではないかもしれないが、私は素朴な味わいがとても気に入った。
翌日、英気を養った私たちは、予定通りにヨンヌ川を渡りサン・フロランタンの町を訪れた。そして、今回の行軍で初めて町の城門がひらかれ、快く出迎えられた。
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