ドSワンコとクズ眼鏡

うさき

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「――以上のことからここに公式を当てはめると、この解答となる。これはテストにも出す予定なのでちゃんと復習をするように」

 予鈴が鳴る。
 チョークを置くと数学の教科書を閉じて、俺は黒板の前から生徒へと振り返った。
 勉強しているようで寝てる奴。話していたのに慌ててこっちを見る奴。時計ばっかりチラチラ見ている奴。
 全部俺が気付いてないとでも思っているのか。

 始業式を終え、通常授業に戻ったいつもと変わらぬ学校生活。
 苛々しながら教室を出ると、昼休みになった校舎は一気に賑やかさを増す。

 学食へ向かう生徒が廊下をバタバタと走ってきたが、俺を見ると慌てたように歩いて頭を下げていった。
 俺がいなければ走っていたのかと思ってしまうが、それでも空気を読むのは悪いことじゃない。

 何事もないように見逃してやったが、後ろから「危ねー。あのウザ眼鏡にまた何か言われるところだった」なんて声が聞こえてきた。
 なるほど、お前の顔はきっちり覚えた。

 余計に沸々とした気持ちを抱えたまま渡り廊下を歩いていたが、不意に後ろから名前を呼ばれる。
 快活とした、爽やかな声。

「せんせー!こーんーの先生!」

 顔を振り向かせると、廊下の先に七海がいた。
 今日も変わらぬニコニコと人懐っこい笑顔を浮かべて、俺に手をあげながら走り寄ってくる。

「おい、廊下は走るな」
「あー!すんません!」

 全く悪びれない様子でそう言うと、早歩きで俺の元へ来る。
 副担任とはいえ必要以上にクラスに関わることはないので、七海とはあれ以来授業以外で顔を合わせてはいない。
 
「やっと会えた。教師ってどこにいるのか分からないっすね」
「職員室にくれば大体いるが」
「えー、いないっすよ。俺昼休み職員室行きましたもん」
「ああ、昼は――」

 言いながら、ちょっと待てと口を噤む。
 何でコイツにそれを言う必要がある。

「何の用だ」
「昼飯一緒に食いませんか?俺先生に質問したいことたくさんあるんですけど」
「ああ、勉強か?なら数学準備室で聞こう」

 再来週には中間テストがある。
 七海はピリピリと視線を感じるほどに授業態度もいいし、そういう生徒にはなるべく協力してあげたい。

「えーと…まあいっか。いつもそこで飯食ってたんすね」

 その限りではないが、大体そうだ。
 妙に嬉しそうに俺の顔を見てくる七海と、数学準備室へ向かう。

 こじんまりとしている一室だが使い勝手のいいこの部屋は、校内でも俺の安息の地だった。
 職員室だと何かと落ち着けず、昼はいつもこの場所で一人で飯を食っていた。

 先に質問を聞こうとしたが、まずは弁当食いましょうよと七海のペースに乗せられ飯を食うことになる。

 一つしかない机に立て掛けてあったパイプ椅子を広げて、七海は勝手に腰掛ける。
 まあ昼休みは時間も限られているし仕方ない。

「先生の弁当、手作りっすか?結婚してないですよね。指輪してないし」
「まあ…一人暮らしも長いと料理くらい出来るようになる」
「ふーん、一人暮らしなんすね。いいなー。先生のメシ食ってみたい」

 本当にコイツはおかしな奴だ。
 だが七海はどうやら購買で買ったパンらしいし、俺は楊枝に卵焼きを突き刺すと渡してやる。

「高校生がそれじゃ足りないだろう。ちゃんと飯は食え。家庭の事情もあるから弁当は難しいかもしれないが、出来ればパンより栄養バランスの考えられている学食のほうが――」
「わー!いいんすか!先生超優しいっすね」

 俺の話を遮ってやたら嬉しそうに卵焼きを頬張っている。
 図体は俺よりデカイが、それでも卵焼きくらいで喜んでいる姿は当たり前だが高校生らしいあどけなさがある。

 まあいいか、と少し口元を緩ませる。
 この学校に赴任してもう長いが、優しいと言われるのも、生徒と飯を食うのも初めてだった。

「――わっ」

 不意に前髪を持ち上げられた。
 驚きに目を見開くと、どこか悪戯な瞳と視線が合う。

「先生、今ちょっと笑ってくれました?」
「…は?」
「笑いましたよね?」
「笑っていない」
「絶対噓ですよ。俺見ましたもん」
「ど、どっちでもいいだろ」

 眼鏡を押し上げて、フイと顔を背ける。
 なんというか、本当に馴れ馴れしい奴だ。
 生徒にとってずっと俺は嫌われ役だったからか、どうも好意的な目を向けられることに慣れていない。

「…ああそうだ。質問はなんだ。勉強か?進路のことか?」
「いえ、どっちでもないです」
「じゃあなんだ」
「先生の事ですよ。俺、先生のことがもっと知りたいんです」

 質問の意味が分からず七海を見返すが、興味津々といった瞳で返される。
 ああそうか、つまりこれから三年という大事な受験シーズンを迎えていく中で、指導を仰ぐ者の素性を知っていないと不安ということか。
 
「なら俺ではなく担任の方がいいだろう。その方が七海にとっても――」
「あー、たぶんちゃんと言わないと一生意識してもらえないんでもう言っときますね」
「は?」

 七海は爛々と輝く瞳をニッコリと微笑ませて、俺を見つめた。

「俺好きになりました。先生のこと」

 口に運ぼうとしていたタコさんウィンナーがぽとりと下に落ちた。

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