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しおりを挟む「んー、みーちゃんこういうの怒りそうだからあんまり言う気しないんだよなー。せっかく今笑ってくれたのに」
「…な、なんだ」
俺が怒るようなことなのか。
七海は腕組みしたままうーんと目を細めていたが、ふと俺の顔色に気付いて表情を緩めた。
「あーもー。すぐそんな不安そうな顔する」
「し、していない」
だが予想外に不機嫌さを含んだ声音になってしまって、自分でも驚く。
七海は一度苦笑すると、観念したように首を擦った。
「じゃあハッキリ言いますけど。正直最近はみーちゃんと一緒にいないほうが勉強はかどるんですよね」
「――えっ」
唐突な言葉は思いの外衝撃的で、ガツンと頭を殴られたような衝撃が走る。
教師としてそれは無能ということだ。
そういうことなら七海を怒るのは間違いだし、むしろ俺が悪い。
「…そ、それはすまなかった。俺の教え方になにか問題があったのか――」
動揺してしまう。
俺は七海の勉強の邪魔をしていたのか。
ずっと力になれているものだと思っていた。
俺が七海のためにしてやれる唯一のことだと信じていた。
「ちーがーいますよっ。そーじゃなくて、ムラムラするんです」
「…は?」
「近くにいるとムラムラドキドキしてなんにも手に付かなくて勉強集中できないんですよ。俺はみーちゃんと違って数学やり始めたら一気に周りが見えなくなるタイプじゃないんで」
「えっと…」
「夏休みで完全にみーちゃんに甘えグセが付きました。このままじゃ受験勉強出来ませんよ。どーしてくれるんですか」
予想外の返答に呆気にとられてしまう。
どうすればいいんだと言われてもどうすればいいんだ。
そんな事を生徒に相談されたことなど、一度もない。
「みーちゃんに触りたいし飯だってもちろん食いに行きたいしエロいこともしまくりたいんですけど、それと同じくらい俺はみーちゃんに追いつきたいんです。そのためには今やらなきゃいけない勉強がすげーあるんです」
七海はふざけるでもなく、真っ直ぐな視線で俺に告げる。
前半はおいといても後半はその通りだ。
今は受験生として一番大事な時期で、七海はそれをちゃんと分かっている。
「この間の昼休みの時だってみーちゃんに呼び出し放送来てたけど、どうしても離してあげられなくて噛まれました。近くにいるともう正直堪らないんです」
「そ、それは…」
言葉に詰まってしまう。
俺は今、なんて率直すぎる告白をされているのだろう。
コイツはずっと変わらずに俺を見てくれていた。
ただひたすらに俺の方が信用出来ていなかっただけだ。
「ていうかみーちゃん心折れるの速すぎですよ。俺なんて何回断られてるんですか」
「そ…そうだが、俺とお前とではわけが違う」
「違いますか?」
「全然違う…っ」
言いながら心が震える。
生徒から誘うのと教師から誘うことは全然同意義ではない。
どう考えても後者のほうが圧倒的に許されない。
もしも七海が俺を飽きたら、俺は七海を追っては絶対にいけないんだ。
それが当たり前なんだと納得するしかないんだ。
「そっか。勇気いっぱい出して声掛けてくれたんですね」
宥めるように言われて、じわりと心が緩む。
俺の気持ちを分かってくれた。
コクリと頷くと、目の前の瞳が優しげに細められる。
「他にまだ悩みはありますか?」
落ちてくる七海の声はもう疑う必要がないんだと、信じていいんだと教えてくれている。
ゆるりと首を振る。
「…じゃあもう触っていいですか?」
熱を帯びた声音に頭の芯がくらりとした。
遠くで後夜祭のBGMが聞こえる。
ずっと堪えていたとばかりに強く引き寄せられ、かき抱くように抱きしめられた。
すぐ耳元で七海の息遣いを感じて、頭があっという間に許容範囲を超えていく。
心臓が止まってしまうんじゃないかと思った。
七海は俺を抱きしめながら、ちゅ、ちゅと音を立てて愛おしむように髪の毛、耳、こめかみへと順に唇を落としていく。
そのまま七海の手が顎に掛かり、親指が唇を撫でる。
頬にキスを落とされ、このまま唇を奪われてしまうのかと身体が強張る。
が、ふと七海が動きを止めた。
「――ぷ、なんて顔してるんですか」
「へっ?」
七海の言葉に声がひっくり返る。
自分が今どんな顔をしているのかなど分からない。
「ふは、金魚さんですか?」
笑われたが、七海が何を言っているのか分からない。
ただ俺はもう七海の行動にひたすら熱が上がり頭が混乱して、口をパクパクと開閉させていた。
この場所はまずいだとか誰か来るかもしれないだとか、七海を止めなければという気持ちと受け入れたいという気持ちがぐるぐると混同した結果だ。
「あー、もうなんでそんなに可愛いんですか。そんなに犯されたいんですか」
「――ま、待てっ」
「は?待てとか冗談言わないでくださいよ」
余裕なく強くなった口調と同時に今度こそ唇を奪われそうになったが、とっさに自分の手を七海の唇に押し当てる。
もごもごと七海は何か言ってから、俺の手首を掴んだ。
「もーっ、なんなんすかっ。まだなにかあるんすかっ」
焦れったいという態度を露わにしながら七海が苦しそうに俺を見つめる。
七海が我慢しているのは分かっている。
分かっているが、あと少し待ってくれ。
「な、何もない。その…」
「なんすか。もう我慢できないです」
「し、していい。もう何してもいいから…っ」
言いながら七海の口に当てていた手を無理やり取られ、噛み付かれる寸前。
俺は既の所で口を開いた。
「せ、せめて場所を変えてくれ」
こんな誰が来るかも分からない屋上。
受験生を目の前にして万が一にもバレるわけにはいかない。
七海は一度煩わしそうに眉を寄せてから目を閉じる。
酷く葛藤しているような表情を見て取り、慌てて俺から七海の手を掴んだ。
「す、数学準備室でいいから」
襲われるより先に自分からその手を引き、七海を連れ出す。
数時間前に絶対行かないなんて息巻いたのは気のせいだ。
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