異世界の天使~鳥は二度羽搏く

篠崎笙

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序章

墜ちる世界

生きていても、つらいばかりです。
もう耐えられません。

さようなら。


そう書いて。
伊藤春樹いとうはるきは自宅のあるマンションの屋上から飛び降りた。


◆◇◆


春樹は、ごく普通の中学生だった。

顔も平凡、身長も体つきも平均的で。
性格も頭脳も特に際立ったものはなく、目立たず、自己主張をせず。
毎日をただ諾々と生きていた。

しかし、それでも彼に目をつける者がいた。
目立たない者を、逆らいそうにない者を、陰ながらいじめて遊ぶ。
そんな性質の人間は少なからず存在する。

子供が純粋だ、などと言ったのは誰であったのか。

子供は確かに純粋かもしれない。
ただし、純粋に残酷、ということでもあった。


はじめは、軽いいたずらだったという。
からかうような声を掛ける、消しゴムを投げつける、通りすがりにわざと肩をぶつける、などの。

春樹は逆らわなかった。
というより、逆らい方を知らなかった。
それまで、目立たなかったゆえか、悪意に耐性が無かったので。

家族や教師に報告する事すらしなかった。
それが、いじめっこたちを増長させることとなったのだろうか。


”アイツは逆らわない”

獲物を弄ぶ猫のように。玩具を乱暴に扱う幼児のように。
行為は日に日にエスカレートしていった。

止め時を見失った、とはいじめをする側の勝手な言い訳である。


春樹の教科書は隠され、文房具は壊され、靴や体操着はゴミ箱に捨てられる。
服で見えない部分は身体の至るところに痣を作られた。

顔には決して傷を作らない。
証拠が残るような落書きや、録音・録画などの隙を見せない。
やつらは邪悪で小賢しかった。
金銭を要求することもしなかった。

いじめ、ではない。

それは暴力で。
ただの暴行傷害であった。


春樹は教師に密告するでもなし、親にも言っていない。
それゆえ、彼が少年らから暴行を加えられていたことを気付いた者も少なかった。
存在自体が地味なので、気付かれもしない。


春樹はただ、傷ついた獣のように、苦しみが過ぎ去るのをじっと耐えていた。

やつらは壊れない玩具で遊んでいるつもりだったのだろう。
しかし、春樹は少しずつ壊れていったのだ。

心が。
じわじわと。


◆◇◆


その日、春樹は全裸にさせられて、自慰を強要されていた。

男のいじめ、暴行は、すぐに性的なものと繋がりやすい。
手っ取り早く相手のプライドを傷付けることができ、また、己の征服欲も満たされるものだからである。


「早くイけよ、キモ春樹」
暴行のリーダーは春樹の性器を土足で踏みつけた。ぐりぐりと。

リーダーの少年Aは比較的顔立ちが整っていたため、女子から人気があった。

彼は幼稚園からの春樹の幼馴染みでもあったが、友情など微塵も抱いていなかった。
何となく気に入らないやつだと認識していた。

そんな感情のまま。
ただ、ストレスを解消する玩具のように春樹を扱っていた。

春樹は昔、自己主張がはっきりできるAのことを、ひそかに憧れたこともあったのだが。
のちに、それは自己主張などではなく、単に彼が子供で、ワガママなだけだということに気付いた。


「うわっキモッ、こいつAに踏まれてイきやがった。ホモじゃねえの?」
「Aのこと好きなんじゃね? マゾだから喜んでんだろ」
「やっべ、今日からホモ樹って呼ぼうぜ」
少年らは口々にはやし立てた。


春樹はただ泣いていた。
今までじっと耐えていた春樹が泣いたのは、それが初めてだったが。

少年らにはそんなことはどうでもよかった。
自分が愉しければ、それでいい。
先のことを考える脳など持っていなかった。


「ホモはケツでイクんだよな?」
「くっせえ」
「ホモ樹くっせー」

Aは春樹を見下し、一言、「きめえ」と言って。

春樹の腹で靴底を拭くように踏みつけ、帰っていった。
羽虫を叩き潰すような、そんな目だった。


それが、春樹の精神の限界だった。


◆◇◆


……死のう。


春樹はそう思った。
今までやつらに言われたこと、されたことを。記憶する限り、こと細かく書いていたノートを自分の机の上に置き。

最後のページを開いて、遺書を綴った。


マンションの屋上は、8階の高さである。
頭からコンクリートの地面に落ちれば、確実に死ねるだろう。


遺書を読んで、やつらが後悔や反省するとは思っていない。

いじめを見過ごした学校が謝罪することも望んでいない。

もうどうでもいい。

ただ、何もかもが嫌になったのだ。
ただ、逃げたかった。この苦界から。

これで、楽になれる。死ねばすべての苦しみから解放される。
春樹はそう思っていた。


それは、甘い考えであったとのちに思い知ることになるが。
その時の彼はまだ、それを知らない。
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