食べられて、ひとつになる……。

彩条あきら

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第11話 愛

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 曜は脇目も振らずに走った。学校が終わってすぐに教室を飛び出したのだ。
 今はとにかく、来海に会いたい。拒絶されたって構わないから、ただとにかくもう一度会って話がしたい。

 いくつか見慣れた風景を過ぎたところで、思わず立ち止まる。とある十字路で、朝にはあった工事中の標識が取り払われていて、その先に見たことないぐらい沢山のパトカーが停車して、付近一帯の住宅地を真っ赤な回転灯の色に染めていた。

 すぐ脇をけたたましい音を立て更にもう一台のパトカーが通り過ぎていき、曜はイヤな予感に襲われ、そちらに足を運んだ。間違いない、角を曲がると来海とその母が暮らしていた例のアパートがあった。やはり封鎖され死角と化した場所だったのだ。

 大勢の警官たちが日陰になったアパート一階部分を慌ただしく行き来している中、敷地近くでは住人らしい人たちが深刻そうに事情聴取を受けている。警官の無線内容の一部がこちらにも聞こえてきて、曜は思わずギョッとした。

「捜索対象者名、雨宮来海……身長一五〇センチ前後の黒髪の中学生。繰り返す――」
「……来海姉ちゃん!」

 曜は不安に急き立てられ、すぐさまアパートの前を離れて走った。よくは分からないが確実に何か恐ろしいことが起きている。早く見つけなくては。来海が家にいないとすれば行先はきっと、あの児童公園しかない。曜には確信めいたものがあった。 

 公園までは、アパート前から数分足らずだった。
 黒みがかった灰色の空の影響なのか、時間帯の割には見渡す限り人がいない。慣れない全力疾走で肺がひどく痛むのを感じながら、曜は公園内を隅から隅まで少女の姿を探して回った。彼女はきっとここにいる。いてくれなければ困る。

 程なくして、見つけた。すべり台と、アスレチックとが一体化した大型遊具の下にある暗がりで、雨宮来海は縮こまって息をひそめるようにしていた。
 近づく足音を察した来海の身体が、ビクリと反応して一層小さくなる。こちらの様子をうかがう少女の怯えた瞳が不思議にも、曜をとても穏やかな気持ちにさせた。

「曜くん…………? なんで…………」
「大丈夫だよ、来海姉ちゃん。もう怖くないから」
「ダメ…………来ちゃダメ…………!」

 曜が一歩近づこうとすると、反対に来海は闇の中へと一歩後ずさっていく。曜は来海をそれ以上不安にさせないよう、その場にしゃがんでなるべく優しく静かに話しかけた。

「来海姉ちゃんの家……いっぱい人が集まってたよ。何かあったの……?」
「ごめんなさい……きっとわたしが、曜くんに黙ってたから……嘘ついてたから、きっとバチが当たったんだ……ごめんなさい……」
「ぼくは何にも怒ってないよ」
「けど曜くんを騙してた! わたし、わたし……」

 来海の声はもはや暗闇でも覆い隠せないほどに震えていた。曜が敢えて急かさず、彼女みずから口を開くのをじっと黙って待っていると、

「わたし、曜くんのことおいしそうって……食べたいって思ったの……!」

 曜は思わず息をのんだ。
「ごめんね、ビックリしたよね。気持ち悪いよね……わたしのママもそうなの。男の人を騙して、仲良くなって、最後はいつも……わたし、ずっとイヤだって思ってた。イヤって思ってたのに、なのに……」

 震えて話す来海は、しばし息をすることさえも忘れているみたいに感じられた。彼女の大きな深呼吸の音が、曜の胸に深くゆっくりと食い込んでくる。

「曜くんがわたしに優しくしてくれると、だんだん胸があったかくなってきて……そんなつもりじゃなかったのに、いつの間にか、曜くんがおいしそうに見えてきて! そんなのおかしいって分かってるのに! 気持ち悪いって知ってるのに!」

 曜はずっと何も言えなかった。
 予感が当たってしまったというのも勿論ある。だがそれ以上に、来海がこれ程まで悩み苦しみ、人知れず追い詰められていたことを、改めて彼女の口から聞いたことがショックだったのだ。まるで来海と出会う前の自分みたいだと思った。だから、

「…………大丈夫だから、来海姉ちゃん」
「大丈夫じゃないよ…………!」
「大丈夫だってばっ!」
 曜は来海に対抗するように、いつしか声を絞り出していた。

「だって学校で言ってたよ! 女の子が男の子に興味を持つのは普通で、恥ずかしいことじゃないって! 種の保存とかよく知らないけど、そういう時に片方が食べられることもあるって、この前理科の番組でやってたんだ! 気持ち悪くなんかないよっ!」

 曜は来海を助けようと必死だった。助けなければならないと思った。必死すぎるあまり人間の男女とはすなわち動物のオスメスという理解に対しては無自覚であり、その理解の行く末に待ち構えるものの正体についてもまた彼は無自覚だった。

「ムリしなくていいよ」
 来海は言った。

「本当はわたしのこと、怖いって思ってるでしょ」
「…………確かに、ちょっとだけ怖いよ。だけど、」
 曜は正直に打ち明けた。

「来海姉ちゃんに、泣いててほしくないんだよ。自分を気持ち悪いだなんて思ってほしくないんだよ。来海姉ちゃんが傷つくのなんて、絶対に見たくないんだよ!」
 曜は自分で言いながら、次第に少し泣き出していた。

 物陰から呆然とこちらを見つめる来海に気が付き、曜は咄嗟に彼女の手をつかんで思い切り引っ張った。いつも守るようにして曜の手を握ってくれていた少女が、今度は反対に少年に守られるようにしてその手を握り返していた。

 暗闇から連れ出された少女は、よろめくように少年の前に立った。傍から見える身長や年齢差と裏腹に、今や少年こそが迷える少女の心を導く灯となっていた。

 ふたりの頭上には殆ど黒に近い、灰色の空が広がっていた。
 ふたりは随分と長い間、公園の真ん中で見つめ合っていた。曜の手を握った来海の手に微かに力がこもる。左右二本の三つ編みが紺色のセーラー服の胸元へと落ちてきて揺れ、次第に混ざり合い始めたふたりの生暖かい吐息をかき乱す。

「……曜くん」
 やがて来海が意を決したように言った。
「わたし、曜くんが食べたい」

 曜は息をのんだ。
「…………うん」
「曜くん、わたし……やっぱり変だよね……」
「ううん」
 曜は来海を安心させたくて優しく首を横に振った。

「ぼく、来海姉ちゃんが大好きだよ」
 来海の頬にツウッと涙が伝っていく。本音を言えば、まだ少し怖い。けれど相手の手が小刻みに震えているのに気付いて、曜は何故かそれで少しホッとした。自分のもう一方の手を相手の手に重ねながらそっと訊ねる。

「……来海姉ちゃん、ギュッとしてもいい?」
 言葉よりも先に、来海が曜を力いっぱいに抱きしめた。
 柔らかく暖かいものに包まれ、曜の鼓動と来海の鼓動が次第に爆発的に同調していく。来海の呼吸が激しくなるのが分かる。曜はそっと来海の背中に手をまわした。

「……ありがとう、曜くん。わたしも大好きだよ」
 来海の両手がそっと曜の顔を持ち上げる。
 曜の世界のすべてが、来海でいっぱいになった。

「曜くんに会えて、嬉しかった」

 来海のくちびるが、曜のくちびるを強く押し塞ぐ。その瞬間、曜は息が止まると同時に全身の血液がドッと逆流し始めたのを感じた。何処か遠くで季節外れの雷が鳴る。吐息と体温と意識が、何もかも来海のそれと一体化して真っ白に溶けていく。辛うじて残る曜の一部は、かつて覚えのない程の幸福感で満たされ、やがて塗りつぶされていった。

 少年はその日、少女に食べられてひとつになった――。
 ――ハズだった。

 突如、目と鼻の先に何かを叩きつけるような音と軽い衝撃がして、来海の小さな悲鳴と共に曜の意識は、殆んど強引に現実世界へと引き戻された。
 つい反射的に衝撃のした方向を振り向いた曜は、

「――――お前、」
 投げつけられたのは家でも見慣れた中学の通学かばんだった。肩を怒らせた日村空が、しかし何故か青ざめた顔で、数メートル離れた場所からこちらを睨みつけていた。

「…………お前、いったい何やってんだよっ!」

 曜と来海、果たしてどちらに向けられた言葉なのかは瞬時には分からなかった。それを判断するより先に、曜の姉が競歩みたいな速度でこっちに近づいてきた。
 傍らを見ると、来海が思わず立ちすくんでいるのが分かった。恐ろしかったが、咄嗟に姉の進路を塞ごうと曜は前へと進み出た。

「待ってよ、これは――」
 バシン、と鋭い音がして曜は軽く転倒した。やや遅れて、頬に刺すような痛みが襲う。何が起きたのかを理解するのに時間がかかった。

「――目ぇ覚ませ、このバカッ!」

 自分を見下ろし、あまつさえ吐き捨てるみたいに言う姉だが、その目にはどういう訳か涙がにじんでいた。鬼になったとばかり思っていただけに、姉も人であり泣くのだというごく当たり前の事実に直面したことが、曜を思いのほか動揺させていた。
 頭の整理が追いつかずに曜が言葉に詰まっていると、

「曜くん! 曜くん!」
 来海がいつの間にか曜のもとに駆け寄ってくれていた。が、すぐさま悲鳴を上げて後ろ向きに倒れる。姉が来海の髪をつかんで、強引に引き倒したからだった。

「やめて、日村さん! やめて!」
「ざっけんなよ、テメェ! この変態ヤローが!」

 来海が殴られた悲鳴で我に返った曜は、もはや何も考えず姉の腕にしがみついた。姉の怒号と、来海の悲鳴と、曜の絶叫が響く中、彼らは唐突にお互いから引きはがされた。
 公園に現れたのは、アパートの周囲を捜索していた警官たちだった。

「――三丁目児童公園で複数児童による暴行・傷害の事案あり。特徴から見てうち一名は死体損壊・遺棄の疑いで家宅捜索中の被疑者の身内であると思われ……」

 無線連絡を受け、何処からか更に大勢の警官たちが公園内へと集結してきた。
 最初は各自がちょっとずつ離れた場所で話を聞かれるだけだったが、やがて来海だけが何故か公園の外に連れていかれそうになったため、それに気づいた曜は必死で彼女の元に行こうとして、警官たちに力づくで押さえつけられてしまった。

「来海姉ちゃん、来海姉ちゃん!」
「曜くん……曜くん……!」
 来海もまた離れた場所で、同じように警官の手から逃れようともがいていた。

 いつしか曇天は冷たい秋雨へと移り変わり、ふたりを引き裂く分厚いカーテンと化して彼らの頭上に降り注ぎ始めた。けれども彼らは決して諦めようとせず、その姿が見えなくなっても尚、互いに相手の名前を呼び続けていた。曜と来海の互いを求めあう声が、いつまでもどこまでも、小さな住宅地に反響し続けていた……。
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