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09 ふたりの夜
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「どうしたの、サヤカ……まるで悩みでもあるみたいな顔だ。君らしくもない……」
「……お前」
この世界で初めて逢った時と同じベッドに体を横たえ、ふたりは吐息のかかりあう程の距離で互いに見つめ合っていた。
片桐の指先が、カノジョが流す宝石の通り道に触れる。サヤカの瞳にはここ数日、ハッキリとした不安の色が浮かぶ様になっていた。
「君に暗い顔は似合わないよ」
「なら……お前こそ俺を不安にさせるようなことすんなよ」
片桐の手をサヤカのそれがギュッと握りしめる。
「お前、どう見たって無理してるじゃんか。俺には分かるんだ……お前がここに来る度にどんどん弱っていくのがさ。しばらく来ない間に何があったんだよ」
「君が癒してくれれば、それでいい」
「馬鹿言うな」
サヤカは本気で怒っているようだった。片桐はそれを見ても力なく微笑むしか出来ない。
「俺の力でどうにか出来るのは、お前の心の方だけだ。現実世界の体は……もし万一のことがあったりしたら、どうすることも出来ないんだぞ」
「君に逢えないぐらいなら生きてたって仕方ない」
「なんでだよ、なんで、ここまで」
サヤカは悔しそうに歯噛みして、それから意を決したように片桐に向かって言った。
「この際だから言ってやるけどさ、俺ははじめから下心があってお前に近づいたんだ。お前が欲望任せに行動すれば、とっくにお前の魂は俺のものになってるハズだった。そうなるように仕向けたつもりだったんだ……なのに何だよ、なんで今更こんなことになるんだよ。お前は、お前だけは、他の奴らとは違うと思ってたのに」
「……ごめんね、期待に応えられなくて」
「謝るな、馬鹿」
サヤカは上半身を起こすと、片桐から努めて身を離そうとした。
「俺たち、もう終わりにしよう。お前はこれ以上、俺なんかと逢うべきじゃない。最初から、逢うべきじゃなかったんだ」
「待ってよ」
片桐はサヤカの腕を掴んで引き止めた。
「君を失うなんて堪えられない」
「離せ……」
「もう、僕をひとりにしないで」
サヤカは構わず、片桐の手を乱暴に振り払うと部屋から去って行ってしまう。
片桐は心の一部だけを奪い去られたような気がして、自分の中にポッカリ穴が空いた感覚を覚えた。その淵から穴の中を覗き込む。びゅおお。突風が顔に吹き付けてきた。
穴の底を目に焼き付けようと、片桐は淵から大きく身を乗り出した。
目の前には真っ暗闇だけが広がっていた。
「……馬鹿野郎っ!」
サヤカが駆け戻ってきて、片桐を羽交い締めに部屋の中に連れ戻した。
密着し合ったふたりはよろめく様に後ずさりして、勢いのままにベッドの上に倒れ込んだ。サヤカは相変わらず、柔らかくて暖かかった。陽の様な温もりとは裏腹に、見上げるサヤカの表情は、それは蒼白なものだった。
「馬鹿野郎……現実の世界だけじゃなく……この世界でまで死のうとするなんて……!」
「言っただろ」
片桐は空虚な微笑みを浮かべてサヤカに言った。
「君を失うぐらいなら、生きていたって仕方がないんだ」
「俺は何処にもいかない」
サヤカは目の端を潤ませながら言った。
「いつでもずっと、お前の側にいる。たとえ逢えなくても……だってそうだろ? 俺はお前の願いが生み出したんだ。何処にも行くハズがない」
「……君は、僕の中で生きていく?」
「ああ。だから……生きろ」
サヤカは最初に逢った時と似た、それでも何処かずっと強がっている様な微笑みを浮かべて片桐に言った。
「お前が現実の世界で生きてこそ、俺は存在していられるんだから」
「……ごめんね」
片桐の口から自然と言葉が溢れていた。
「僕の所為で、君を死なせてしまったんだ。本当にごめん……ごめん……」
「……いいよ」
サヤカは優しく言った。
「その代わり……もう二度と、俺を死なせないでくれ」
「うん……約束する」
言葉と一緒に、じわりとした熱いものが内から溢れ出す。サヤカも同じだった。
片桐とサヤカは長い時間、見つめ合っていた。やがてどちらからともなく口づけを交わし、指と指とが絡み合った。ふたつの肉体が重なり合い、体温がひとつになった。
永遠にも感じる一瞬の中、片桐の腕の中で何度も何度もサヤカは声を絞り出した。サヤカの想いは小さな部屋の中で幾重にも跳ね返って、ふたりだけしかいない世界を余すことなく包み込んだ。
長い夜が明ける頃、かつての様にサヤカは姿を消していた。
そしてもう二度と、出会うことは無かった。
「……お前」
この世界で初めて逢った時と同じベッドに体を横たえ、ふたりは吐息のかかりあう程の距離で互いに見つめ合っていた。
片桐の指先が、カノジョが流す宝石の通り道に触れる。サヤカの瞳にはここ数日、ハッキリとした不安の色が浮かぶ様になっていた。
「君に暗い顔は似合わないよ」
「なら……お前こそ俺を不安にさせるようなことすんなよ」
片桐の手をサヤカのそれがギュッと握りしめる。
「お前、どう見たって無理してるじゃんか。俺には分かるんだ……お前がここに来る度にどんどん弱っていくのがさ。しばらく来ない間に何があったんだよ」
「君が癒してくれれば、それでいい」
「馬鹿言うな」
サヤカは本気で怒っているようだった。片桐はそれを見ても力なく微笑むしか出来ない。
「俺の力でどうにか出来るのは、お前の心の方だけだ。現実世界の体は……もし万一のことがあったりしたら、どうすることも出来ないんだぞ」
「君に逢えないぐらいなら生きてたって仕方ない」
「なんでだよ、なんで、ここまで」
サヤカは悔しそうに歯噛みして、それから意を決したように片桐に向かって言った。
「この際だから言ってやるけどさ、俺ははじめから下心があってお前に近づいたんだ。お前が欲望任せに行動すれば、とっくにお前の魂は俺のものになってるハズだった。そうなるように仕向けたつもりだったんだ……なのに何だよ、なんで今更こんなことになるんだよ。お前は、お前だけは、他の奴らとは違うと思ってたのに」
「……ごめんね、期待に応えられなくて」
「謝るな、馬鹿」
サヤカは上半身を起こすと、片桐から努めて身を離そうとした。
「俺たち、もう終わりにしよう。お前はこれ以上、俺なんかと逢うべきじゃない。最初から、逢うべきじゃなかったんだ」
「待ってよ」
片桐はサヤカの腕を掴んで引き止めた。
「君を失うなんて堪えられない」
「離せ……」
「もう、僕をひとりにしないで」
サヤカは構わず、片桐の手を乱暴に振り払うと部屋から去って行ってしまう。
片桐は心の一部だけを奪い去られたような気がして、自分の中にポッカリ穴が空いた感覚を覚えた。その淵から穴の中を覗き込む。びゅおお。突風が顔に吹き付けてきた。
穴の底を目に焼き付けようと、片桐は淵から大きく身を乗り出した。
目の前には真っ暗闇だけが広がっていた。
「……馬鹿野郎っ!」
サヤカが駆け戻ってきて、片桐を羽交い締めに部屋の中に連れ戻した。
密着し合ったふたりはよろめく様に後ずさりして、勢いのままにベッドの上に倒れ込んだ。サヤカは相変わらず、柔らかくて暖かかった。陽の様な温もりとは裏腹に、見上げるサヤカの表情は、それは蒼白なものだった。
「馬鹿野郎……現実の世界だけじゃなく……この世界でまで死のうとするなんて……!」
「言っただろ」
片桐は空虚な微笑みを浮かべてサヤカに言った。
「君を失うぐらいなら、生きていたって仕方がないんだ」
「俺は何処にもいかない」
サヤカは目の端を潤ませながら言った。
「いつでもずっと、お前の側にいる。たとえ逢えなくても……だってそうだろ? 俺はお前の願いが生み出したんだ。何処にも行くハズがない」
「……君は、僕の中で生きていく?」
「ああ。だから……生きろ」
サヤカは最初に逢った時と似た、それでも何処かずっと強がっている様な微笑みを浮かべて片桐に言った。
「お前が現実の世界で生きてこそ、俺は存在していられるんだから」
「……ごめんね」
片桐の口から自然と言葉が溢れていた。
「僕の所為で、君を死なせてしまったんだ。本当にごめん……ごめん……」
「……いいよ」
サヤカは優しく言った。
「その代わり……もう二度と、俺を死なせないでくれ」
「うん……約束する」
言葉と一緒に、じわりとした熱いものが内から溢れ出す。サヤカも同じだった。
片桐とサヤカは長い時間、見つめ合っていた。やがてどちらからともなく口づけを交わし、指と指とが絡み合った。ふたつの肉体が重なり合い、体温がひとつになった。
永遠にも感じる一瞬の中、片桐の腕の中で何度も何度もサヤカは声を絞り出した。サヤカの想いは小さな部屋の中で幾重にも跳ね返って、ふたりだけしかいない世界を余すことなく包み込んだ。
長い夜が明ける頃、かつての様にサヤカは姿を消していた。
そしてもう二度と、出会うことは無かった。
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