王宮メイドは元聖女

夜風 りん

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教皇と元聖女

閑話 新聖女と教皇

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 セナは司祭の言葉で呆けたような顔をした。

 「…は? 教皇が来ているって?」

 「はい。ぜひ、あなたに会いたいと。まだ支度をなさっていないとお断りしようとしたのですが…支度ができるまで待つと…」

 セナは路上ライブ用のギターをケースに戻すと不貞腐れた顔をした。

 「会わないとダメ? 大司祭とも会ったこと、ないのに、教皇といきなり面会だなんて聞いていないわよ」

 「公式訪問ではなく、あくまでも、お忍びでの訪問のようでしたから、こちらには情報が流れていないのですよ」

 眼鏡のブリッジを押し上げて疲れ切った顔をしている司祭を見据え、セナは不貞腐れた顔を向けた。

 「教皇ってイケメン?」

 「人のよさそうなおじいさん、といった風貌の方です。前の聖女であるアリシア様を我が子のように溺愛していました」

 「えー、余計に会いたくない…」

 セナはため息を漏らしてそう言うと、司祭が頷いた。

 「ですよね。司祭には、あなたに逃げられて今日はお戻りにならないと思うと伝えておくので、てきとうに隠れて過ごしてください。教皇様は教会内の内部構造について意見を聞きたいとのことだったのですが、まあ、あなたは自力で変えてやるとおっしゃっているのですから…」

 残念そうに司祭がそう言うと、セナは目を見開いて司祭の腕を掴んだ。

 「待ちなさい。内部構造についての意見…と言ったかしら?」

 「ええ、はい」

 「会うわ」

 セナが目を見開いた。

 「会うに決まっているじゃない」

 「それはよかった」

 司祭が嫌味っぽくそう言ったので、セナが眉間に皺を寄せた。



     ☆



 正装に着替えてから教皇のいる応接間に足を運んだセナは優雅にドアをノックして入室した。

 「失礼します」

 教皇が穏やかな笑みを浮かべて待っていた。

 「思ったよりも早かったね」

 「お待たせして申し訳ございません。本日の布教が終わっていなかったものでして」

 「それはそれは、ご苦労様。長く休暇を取っていてこちらも申し訳なかったね。そして、今回の訪問も急なことで驚いただろう?」

 「ええ、とても」

 セナが優雅に頷くと、教皇はよいしょと座り直して目を細めた。その瞳にある冷静な色はセナが思わず身構えそうになるほど、重役としてのオーラに溢れている。

 「聖女殿。あなたは内部改革を希望していると伺っている」

 「…今のままでは、教会が危ういので。ですが、どこから手を付ければいいのかわからずじまいでして」

 「どれほど目先にニンジンを突き付けたところで、頭の固い馬どもは好きな畑のニンジンしか食べないものさ」

 「え?」

 「君も、ぶら下げられた改革というニンジンばかり追っていては、他の連中と一緒だよ」

 セナはドンっと突き飛ばされて尻もちをつくと、戸惑ったように顔を上げた時、司祭が立ち塞がってナイフで剣を防いでいた。司祭に剣をぶつけているのは一人の少年。

 「ノエル、ご苦労。それと、マルク。お前もダメじゃないか」

 「これが仕事なものでして」

 教皇はやれやれと首を横に振ると、ノエルと呼ばれた少年が剣を納めた。司祭もナイフを袖口に戻している。

 「聖女殿。たとえば、だ。たとえば、シレナを離れてしまえば聖女殿が必ずしも好かれているというわけじゃない。そして、君の傍にいるマルク以外の司祭は君を害することだってあるんだよ」

 セナは怪訝そうに尋ねていた。

 「…何が言いたいのです?」

 「だからね、聖女殿。まずは誰からも認められるような聖女になってから吼えなさいと言っているんだ」

 セナが視線を揺らすと、教皇は指を組み、その手を腿に軽く乗せた。

 「私だってパイプを持っていないわけじゃない。君の行動がすべて間違っているとは思わない。けれど、小さな反発の火がくすぶっていることも事実だ。今はまだその火は小さいけれど、放っておけば大きな火種となって教会の存亡の危機にさえ発展してしまう。――そうなったら、私はいくら異世界から召喚して来てもらった聖女だとしても、このまま教会から出て行ってもらうという最悪のカードを持ち出さなければならなくなる」

 セナは歯を食いしばった。

 「では、…どうしろというのです?」

 「掃除や炊事、洗濯などは基本中の基本だが、それに加えて日々のお祈り、そして布教のためのボランティア活動やミサなどがある。それをまずは一つ一つでいい。無理をしない程度にこなしなさい」

 「…それで何か変わるというのですか?」

 「まずは民衆を味方につける。そうすれば、暗躍している者たちがいても民衆の前では何もできなくなるから。そして、司祭たちでも反発的なものがいる時、その者たちを味方につけたいなら力で唸らすしかない」

 教皇の言葉にセナは思わず鼻で笑っていた。

 「力だなんて…魔法も使えないというのにどうやって…?」

 しかし、教皇は穏やかに微笑んでいるだけだった。


 「初めから魔法を使える者なんて存在しないよ。肉食の魔物たちだって教わっていないのに狩りができる生き物なんていない。幼いうちに何度だってやり方を教えてもらうし、他の生き物からきっかけをもらう。魔法だって同じこと。どんなに素晴らしい魔法使いであっても、最初から魔法を使える人間なんて誰一人として存在しない」


 「…基礎練習が私はできていないってことですか?」

 「そういうこと。そして、護身術も習わないと、ね。両方があるレベルまで身に着いたら、公務の幅も広がるし、より多くの民衆を味方につけられるだろう?」

 セナはキョトンとしながら頷くと、教皇は言い聞かせるように優しい声でつづけた。

 「星獣を味方につけられれば一番いいのだけど、彼らは力で認めさせなければならない。並大抵の力では勝てないし、前の聖女のアリシアでさえ何度も死にかけたほど過酷な試練だ。殺しはしないだろうが、よほどひどいと、食い殺されることもあるから覚悟を決めなければいけないけれどね」

 「星獣…?」

 「聖女のために御遣い様より与えられた聖なる獣たち。星の贈り物だよ」

 「…強いの?」

 「ああ、強い。一匹いるだけでも十分に強い。でもね、全ての星獣を御す必要はないんだよ。そもそも、全ての聖女が星獣すべてを制御できたわけじゃない。そんなことができたのは初代と先代くらいで――」

 教皇の言葉を遮ってセナはまっすぐに教皇を見据え、深く頭を下げた。


 「お願いします。魔法を教えてください」


 教皇は不敵な笑みを浮かべると、肩をすくめた。

 「こちらも公務があるのでね。公務の合間ならば可能だが…一緒に来るかね?」

 セナは大きく頷いた。

 「はい」

 「よろしい。では、一か月後に再びシレナを訪れるから、それまでには旅の支度をしてきなさい。マルク、お前はきちんと聖女殿の面倒を見て差し上げるんだよ?」

 司祭が恭しく頭を下げた。

 「仰せのままに」

 セナはごくりと生唾を飲むと、握り拳を固めた。
 教皇が従者の少年と出て行ったあと、彼女は司祭を振り返る。


 「そういえば、あんたは魔法を教えられないの?」


 「その、ちょっとある時に怪我をしてしまいましてね。それ以来、魔法が使えなくなったんです。魔力の流れは感覚的に覚えるものなので…」

 「…あ、そう」

 つまらなさそうにセナが口を尖らせた後、遠い目をした。

 「ま、あんたには世話になっているし、いつか治せるんだったら治してあげてもいいわよ?」

 司祭は皮肉気な笑みを浮かべた。

 「じゃあ、待っています」

 「…クソむかつくわね、やっぱり」

 顔をひきつらせたセナは部屋を出て行ったので、司祭は後を追いかける。

 「セナ様、どちらへ?」

 「決まっているでしょ。掃除よ、そ・う・じ!」

 そんなセナの背中を見つめて司祭が不敵な笑みを浮かべた。


 「ちゃんと響いているじゃないですか」


 セナが不機嫌そうに振り返る。

 「なに?」

 「いえ、何も」

 追いかける司祭の足取りも少しだけ軽やかだった。

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