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34話 銀色のこころの器
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びょうびょうと風が吹く。その風はひどい腐敗臭がする。
周りはまるで荒野のように何も無い。
ひどい飢えと渇きが身を覆う。
さぁ堕ちろ。
誰かが言う。
混ざれ。
誰かが言う。
しかしそれは自分の声のようでもある。
足も手も感覚がなく、どろどろの「何かの」の中にいるようだ。
気持ち良さもある。
溶けていく。
飢えが。
食うべきだ。
喰うべきだ。
何を?
神に愛されし「子」を。
捧げろ。と言われて「嫌だ」と言う。
声が出ているか定かではない。
このままでは狂う。狂っているかもしれない。だがどうしようもない。
なにせ自由になる体が認識できないのだから。
嵐のような風の中でもみくちゃにされたかと思うと、熱い湯の中で茹でられているような感覚になる。
それでも。ギルバートは「自己」を認識する。
待っているから。
悲しい目をした寂しがりの。魔物のくせに愛ばかりほしがる。
愛しい。愛しい人。
「こころ」を。
薄い青い瞳、青い影。青い残像を纏う愛しい男に、こころを預けた。
だからギルバートはここで渡す心がない。
だから言う、
「渡すものなんかない」
待っていて。お願い。
必ず果たすから。
約束を。
俺はギルバートだ。ただの男で、望む事はもう一度、愛する人をこの手に抱くことだけ。
愛するものがいるから、帰る。
俺は、俺だ。
ごう、と風が一際強く吹いた。ギルバートの体は宙に舞い上がり。
そして落ちた。
ひどい喉の渇きで目が覚めた。
ギルバートはぼんやりと自分が転がっている場所を認識する。
砂漠のような場所だった。
起こした自分の体を見る。まるで何かの名残りのように着ているとは言いがたいほどにぼろぼろのシャツ。やはりぼろぼろのズボンは膝までしかない。
靴は履いていない。
砂漠のような場所であるのに、寒くも熱くもなかった。ギラギラと地表を照らす太陽は二つある。
ならば熱いのかもしれない、自分が感じていないのか?
視力ははっきりとしており、やけに遠くまで見通せる。無限に広がる地平線。
「あぁ・・・・」
声を出そうとした。声帯を震わせるその単純な作業がわからない。
まるで長い年月、声帯を使っていなかったかのようだった。
声の出し方を忘れたギルバートは呻いた。
「あぁ・・・・ううううう」
ごほごほ、と咳き込む。
「あー・・・あぁーーー」
喉を開き声を絞り出すと、喉の渇きがひどくなった。
ギルバートは立ち上がった。ふらりと一瞬よろめく。
しかし身体が綿毛のように軽い。
「おれは。ギルバート、だ」
自分に言い聞かせるように確認した。
記憶を必死に手繰り寄せた。
ジョセフの血とウィリアムの血を合わせて飲み、そしてどこかに・・・・。
そう、冥界の扉を潜ったのだ。
それから長い年月が経っているのだろう。
その概念すら今は薄いが、感じた絶望や憤怒や苦しみはしっかりと心に刻まれていた。
だが、そのすべての過程がウィリアムを理解するための苦行だったとギルバートは考えた。今は前よりもウィリアムを身近に感じる事ができる。
「あいつ、こんな苦しみを耐え抜いたんだな」
可愛そうなウィル。
あぁ、はやくこの手で抱きしめたい。とそう思った。
そして気がつく。
自分を覆い尽くす、銀の霧の存在に。
「なんだ、これは」
見覚えがある。遠い昔のようで、昨日のような日々の中に。その記憶があった。
「毒気?」
腕を振り上げるとその霧は動く。ざわざわと自分を取り巻くその霧は、間違いなく【毒気】だった。
「あぁ、そうか。おれは・・・・」
怪物になったのだ。
魔物に生まれ変わったのだ。
ウィリアムの毒気は青だった。
自分は銀。
これが純血の証。
ざわざわと音がして、周りに何かがいる事を感じた。誰もいない空間だと思っていたが、どうやら違うようだ。
そこかしこに蠢く、異形のものたち。ディアヴァルかと思ったが、少し違う形をしている。絵画で見たような悪魔や、犬のような魔物もいる。
人間の形を保っているのはギルバートだけ。
だが人の形をしていても、自分も魔物の一人だ。
ほとんどの異形の魔物はギルバートには近寄ってこない。何故だろう、彼らの感じている事がわかる。
彼らは怯えている。
ギルバートを恐れている。
だがぐるぐると威嚇のように唸っていた怪物の一つが、ギルバートに向かって飛びかかってきた。
素早いはずの怪物の動きが、まるでスローモーションのように見えた。
ギルバートはその怪物に向かって手刀を振り下ろす。
ぐしゃ。
という嫌な感触と共に怪物はひしゃげ、ぼとりと地面に落ちた。
むあっと血の匂いがした。
硬質であるはずの怪物の体が、まるでプディングのような感触しかなかったことに、ギルバートは驚いた。
人間の時とまったく違う力が自分にある。その事に気がつくと寒気がした。
何よりも困るのはこの「毒気」だ。
この「毒気」をどうにかしない限り、人間の世界に戻ってはならない。
ギルバートのモノクルスとしての矜持がそれを許さない。
毒気にあてられた人間がディアヴァルになるのなら、狩るものとしてそれは絶対に許されることではなかった。
ギルバートにすがりついて泣いた、ウィリアムの顔を思い出した。
純血のディアヴァルになるには200年かかる、とウィリアムは言っていた。
今、あの時からそれほどの月日が流れたのか、ギルバートにははっきりとわからない。
とにかくとてつもない月日が経過したのはわかっている。
永遠とも思える苦しみの中、一時も忘れることのなかった愛しい人の声と顔。
今すぐに会いに行って抱きしめたい。
だが、まだ駄目だ。
ギルバートは強靭な己の精神力を動員し、強烈な焦がれに飛び出したくなる衝動をぐっと踏みとどまる。
そして己の肉体を捉えながら集中し、念じた。
消えろ 消えろ
息を潜めるように少しだけ毒気が収まるが、再びぶわり、と溢れ出した。
作り替えられた己の全てがまだ掌握しきれていない覚束なさに、ギルバートは奥歯を軋ませる。
「もう少し待っていてくれ、ウィル」
200年前の約束を今はまだ果たせない事は悔しいが、きっと彼ならこの先も信じて待ってくれるはずだ。
しっかりとこの腕に彼を抱き留めるためにも、200年では足りない。
幸いな事に、ウィリアムにも自分にも寿命はない。
ギルバートは歩き出した。
どこに行けばいいのか、なんとなくわかるような気がした。
ギルバートの歩くその道を、怪物たちが波のように除けていく。
孤高の強さを現す銀の毒気を漂わせながら、ギルバートは静かにその道を歩いていった。
周りはまるで荒野のように何も無い。
ひどい飢えと渇きが身を覆う。
さぁ堕ちろ。
誰かが言う。
混ざれ。
誰かが言う。
しかしそれは自分の声のようでもある。
足も手も感覚がなく、どろどろの「何かの」の中にいるようだ。
気持ち良さもある。
溶けていく。
飢えが。
食うべきだ。
喰うべきだ。
何を?
神に愛されし「子」を。
捧げろ。と言われて「嫌だ」と言う。
声が出ているか定かではない。
このままでは狂う。狂っているかもしれない。だがどうしようもない。
なにせ自由になる体が認識できないのだから。
嵐のような風の中でもみくちゃにされたかと思うと、熱い湯の中で茹でられているような感覚になる。
それでも。ギルバートは「自己」を認識する。
待っているから。
悲しい目をした寂しがりの。魔物のくせに愛ばかりほしがる。
愛しい。愛しい人。
「こころ」を。
薄い青い瞳、青い影。青い残像を纏う愛しい男に、こころを預けた。
だからギルバートはここで渡す心がない。
だから言う、
「渡すものなんかない」
待っていて。お願い。
必ず果たすから。
約束を。
俺はギルバートだ。ただの男で、望む事はもう一度、愛する人をこの手に抱くことだけ。
愛するものがいるから、帰る。
俺は、俺だ。
ごう、と風が一際強く吹いた。ギルバートの体は宙に舞い上がり。
そして落ちた。
ひどい喉の渇きで目が覚めた。
ギルバートはぼんやりと自分が転がっている場所を認識する。
砂漠のような場所だった。
起こした自分の体を見る。まるで何かの名残りのように着ているとは言いがたいほどにぼろぼろのシャツ。やはりぼろぼろのズボンは膝までしかない。
靴は履いていない。
砂漠のような場所であるのに、寒くも熱くもなかった。ギラギラと地表を照らす太陽は二つある。
ならば熱いのかもしれない、自分が感じていないのか?
視力ははっきりとしており、やけに遠くまで見通せる。無限に広がる地平線。
「あぁ・・・・」
声を出そうとした。声帯を震わせるその単純な作業がわからない。
まるで長い年月、声帯を使っていなかったかのようだった。
声の出し方を忘れたギルバートは呻いた。
「あぁ・・・・ううううう」
ごほごほ、と咳き込む。
「あー・・・あぁーーー」
喉を開き声を絞り出すと、喉の渇きがひどくなった。
ギルバートは立ち上がった。ふらりと一瞬よろめく。
しかし身体が綿毛のように軽い。
「おれは。ギルバート、だ」
自分に言い聞かせるように確認した。
記憶を必死に手繰り寄せた。
ジョセフの血とウィリアムの血を合わせて飲み、そしてどこかに・・・・。
そう、冥界の扉を潜ったのだ。
それから長い年月が経っているのだろう。
その概念すら今は薄いが、感じた絶望や憤怒や苦しみはしっかりと心に刻まれていた。
だが、そのすべての過程がウィリアムを理解するための苦行だったとギルバートは考えた。今は前よりもウィリアムを身近に感じる事ができる。
「あいつ、こんな苦しみを耐え抜いたんだな」
可愛そうなウィル。
あぁ、はやくこの手で抱きしめたい。とそう思った。
そして気がつく。
自分を覆い尽くす、銀の霧の存在に。
「なんだ、これは」
見覚えがある。遠い昔のようで、昨日のような日々の中に。その記憶があった。
「毒気?」
腕を振り上げるとその霧は動く。ざわざわと自分を取り巻くその霧は、間違いなく【毒気】だった。
「あぁ、そうか。おれは・・・・」
怪物になったのだ。
魔物に生まれ変わったのだ。
ウィリアムの毒気は青だった。
自分は銀。
これが純血の証。
ざわざわと音がして、周りに何かがいる事を感じた。誰もいない空間だと思っていたが、どうやら違うようだ。
そこかしこに蠢く、異形のものたち。ディアヴァルかと思ったが、少し違う形をしている。絵画で見たような悪魔や、犬のような魔物もいる。
人間の形を保っているのはギルバートだけ。
だが人の形をしていても、自分も魔物の一人だ。
ほとんどの異形の魔物はギルバートには近寄ってこない。何故だろう、彼らの感じている事がわかる。
彼らは怯えている。
ギルバートを恐れている。
だがぐるぐると威嚇のように唸っていた怪物の一つが、ギルバートに向かって飛びかかってきた。
素早いはずの怪物の動きが、まるでスローモーションのように見えた。
ギルバートはその怪物に向かって手刀を振り下ろす。
ぐしゃ。
という嫌な感触と共に怪物はひしゃげ、ぼとりと地面に落ちた。
むあっと血の匂いがした。
硬質であるはずの怪物の体が、まるでプディングのような感触しかなかったことに、ギルバートは驚いた。
人間の時とまったく違う力が自分にある。その事に気がつくと寒気がした。
何よりも困るのはこの「毒気」だ。
この「毒気」をどうにかしない限り、人間の世界に戻ってはならない。
ギルバートのモノクルスとしての矜持がそれを許さない。
毒気にあてられた人間がディアヴァルになるのなら、狩るものとしてそれは絶対に許されることではなかった。
ギルバートにすがりついて泣いた、ウィリアムの顔を思い出した。
純血のディアヴァルになるには200年かかる、とウィリアムは言っていた。
今、あの時からそれほどの月日が流れたのか、ギルバートにははっきりとわからない。
とにかくとてつもない月日が経過したのはわかっている。
永遠とも思える苦しみの中、一時も忘れることのなかった愛しい人の声と顔。
今すぐに会いに行って抱きしめたい。
だが、まだ駄目だ。
ギルバートは強靭な己の精神力を動員し、強烈な焦がれに飛び出したくなる衝動をぐっと踏みとどまる。
そして己の肉体を捉えながら集中し、念じた。
消えろ 消えろ
息を潜めるように少しだけ毒気が収まるが、再びぶわり、と溢れ出した。
作り替えられた己の全てがまだ掌握しきれていない覚束なさに、ギルバートは奥歯を軋ませる。
「もう少し待っていてくれ、ウィル」
200年前の約束を今はまだ果たせない事は悔しいが、きっと彼ならこの先も信じて待ってくれるはずだ。
しっかりとこの腕に彼を抱き留めるためにも、200年では足りない。
幸いな事に、ウィリアムにも自分にも寿命はない。
ギルバートは歩き出した。
どこに行けばいいのか、なんとなくわかるような気がした。
ギルバートの歩くその道を、怪物たちが波のように除けていく。
孤高の強さを現す銀の毒気を漂わせながら、ギルバートは静かにその道を歩いていった。
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