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9話 永遠の愛と憎悪
ウィリアムが生まれたのは、大きな戦争があった年の終わりだった。
父親はアイルランドの行商人で母親とはドイツで出会ったそうだ。そして恋に落ちてやがてウィリアムが生まれた。
住んでいたのはアイルランドの地方都市だった。行商人である父親の暮らしぶりはそこそこ裕福で、母親は一人息子のウィリアムを大切に育ててくれた。
父親が庭に作ってくれたブランコはウィリアムのお気に入りだった。同じように庭に父が作ったテーブルと椅子で母が作ったおやつを食べる。ウィル。可愛いウィル。私の天使。そう言ってくれた母の声を今でも覚えている。
父の行商に付いて国境を渡ったのは7つの時だ。そろそろ広い都会を見せてやろう、君も良い息抜きになるし、父はそう言って初夏の行商に母とウィリアムを伴った。行商の馬車2台は穏やかな街道をゆっくりと走っていた。
突然の事だった。馬の嘶き。従者の怒号。それから父親の叫び。
ウィリアムを抱き込んでいた母親が乗り込んできた知らない男に引きずられ馬車から降ろされる様をウィリアムはなす術もなく見ていた。
母の上に乗った男が何をしているのかその時のウィリアムにはまだ理解できなかった。
怖い。と思った。ふと見ると血まみれの父親が馬車の横に倒れていた。生きているのか死んでいるのかわからなかった。
鮮明に覚えているのは人形のように力なく揺れる母親の足のつま先だ。
やがて男はうめき声を上げ、母から離れた。母親は死んだようにぐったりとしてまた馬車に運ばれていった。
ウィリアムはまるで荷物のように小さな麻袋に入れられた。袋に入れられる時に泣いていたら頬を叩かれた。だから必死に声を殺して袋の中にいた。
おかあさんと小さく呟いても、もちろん返事はなかった。馬車に運ばれた時の母は目を閉じてまったく動く気配がなかった。母はどうなったのだろうかと考えていた。
馬車はしばらく進んだのだと思う。麻袋の中にいるので何も見えなかったがゴトゴトと荷台が揺れた。
目を閉じて小さく丸まっていた。突然誰かの悲鳴が聞こえてきた。
大きな音がして体が回転した。馬車がひっくり返ったようだった。
ウィリアムの入った袋が馬車の後ろから飛び出し転がってどこかに落ちた。冷たい水の感触がした。
ウィリアムが覚えているのはここまでだ。
次に目が覚めた時は知らない部屋の中にいた。
簡素なベッドに寝かされたウィリアムはそこが「教会の保護施設」だと教えられた。自分は川べりで気を失って倒れていたらしい。
ウィリアムの家族を襲った野盗は街道で商人の馬車を狙っては強盗を繰り返していた。野盗が奪った馬車、ウィリアムとウィリアムの母が詰め込まれた馬車は何者かに襲われて無茶苦茶になっていたそうだ。
「見るに堪えぬ蛮行だった」と神父が言った。
ウィリアムの母も父もやはり死んでいた。遺体はすでに埋葬されていた。共同の墓地で墓石はなかった。
ウィリアムは助けられてから3日間眠っていたらしい。そうして保護施設で目が覚めたという訳だ。
保護施設とは親のいない子供を預かる場所だと言われた。救われたことに感謝をして神のために尽くすのだよ、と教えられた。
ウィリアムと同じ年ごろの子供か何人かいて、皆で生活をしているようだが、どの子供も一様に覇気がなく笑顔すら見せず陰鬱な様子だった。何故かはすぐにわかった。そこは孤児院とは名ばかりの場所だった。子供たちは朝から晩まで働いていた。薪を拾い束ね、洗濯をして、掃除をした。休む暇などなかった。食事は粗末だが三度与えられていた。だがいつも子供たちは腹を空かせていた。まるで奴隷のようだ。
司祭に気に入られればわずかな菓子などを貰える事もある、だから子供たちは司祭や司教に取り入ろうと必死に笑顔で彼らに接する。だがウィリアムは不愛想だった。ここの聖職者たちはろくでもないものたちばかりだと見抜いていたからだ。
元来の頭の良さが裏目に出た。生意気な態度のウィリアムは良い待遇を受ける事なく、それでもなんとか生き抜いていた。
13歳になったばかりの冬に、司教に取り入っていた子供(といってもウィリアムより少し年上の少年だ)に呼び出され、無理やり司教の部屋に連れていかれた。
「いやだ!」と叫んでも司教はにやにやと笑うばかりだ。栄養の足りぬ13歳の子供は無力だった。
寝台に押さえつけられ、下肢を剥かれた。ぞっとした。見上げると司教の部屋にあるキリスト像が自分を見下ろしていた。
神などいない。神の代弁者は悪魔と同じだ。
覆いかぶさる司教の耳を嚙み切ってやった。彼は痛みに叫び声をあげた。
耳から血を流した司教は憎しみを込めてウィリアムを鞭で叩き、そうしてウィリアムは寒く冷たい教会の地下にある牢屋へと押し込められた。
何故、どうして、が体の中に渦巻いていた。この世界はなんと無慈悲なんだろう。
過去に受けた父と母の愛だけがウィリアムを支える全てだった。それだけでなんとか生きてきた。自分が死ななかったのは今は亡き父と母が自分を守ってくれているからだ、そう頑なに信じてやってきた。
ボロボロになった手の指先も、体の大きさに合っていない服も、ひもじい思いも大嫌いだ。
死んだほうがましなのかもしれない。けれど生きていたかった。誰かに愛してほしかった。父と母が自分にしてくれたように。
もし、死ねば神様が愛してくれるだろうか?そう思った事もあったけれど、その願いもまた虚しく散った。
ここは神の家だ。なのにここはウィリアムが知る限り一番無慈悲な場所だった。
死んでやるものか。生きて、生きて、生きてやる。神の元になど召されたくない。強く思った。
牢屋でも最低限の世話はされた。
世話をしに来たのは孤児院の年長の少年だった。腹が痛いと訴え、それを信じて油断した世話役を反対に牢に閉じ込めウィリアムはそこから抜け出した。
父親はアイルランドの行商人で母親とはドイツで出会ったそうだ。そして恋に落ちてやがてウィリアムが生まれた。
住んでいたのはアイルランドの地方都市だった。行商人である父親の暮らしぶりはそこそこ裕福で、母親は一人息子のウィリアムを大切に育ててくれた。
父親が庭に作ってくれたブランコはウィリアムのお気に入りだった。同じように庭に父が作ったテーブルと椅子で母が作ったおやつを食べる。ウィル。可愛いウィル。私の天使。そう言ってくれた母の声を今でも覚えている。
父の行商に付いて国境を渡ったのは7つの時だ。そろそろ広い都会を見せてやろう、君も良い息抜きになるし、父はそう言って初夏の行商に母とウィリアムを伴った。行商の馬車2台は穏やかな街道をゆっくりと走っていた。
突然の事だった。馬の嘶き。従者の怒号。それから父親の叫び。
ウィリアムを抱き込んでいた母親が乗り込んできた知らない男に引きずられ馬車から降ろされる様をウィリアムはなす術もなく見ていた。
母の上に乗った男が何をしているのかその時のウィリアムにはまだ理解できなかった。
怖い。と思った。ふと見ると血まみれの父親が馬車の横に倒れていた。生きているのか死んでいるのかわからなかった。
鮮明に覚えているのは人形のように力なく揺れる母親の足のつま先だ。
やがて男はうめき声を上げ、母から離れた。母親は死んだようにぐったりとしてまた馬車に運ばれていった。
ウィリアムはまるで荷物のように小さな麻袋に入れられた。袋に入れられる時に泣いていたら頬を叩かれた。だから必死に声を殺して袋の中にいた。
おかあさんと小さく呟いても、もちろん返事はなかった。馬車に運ばれた時の母は目を閉じてまったく動く気配がなかった。母はどうなったのだろうかと考えていた。
馬車はしばらく進んだのだと思う。麻袋の中にいるので何も見えなかったがゴトゴトと荷台が揺れた。
目を閉じて小さく丸まっていた。突然誰かの悲鳴が聞こえてきた。
大きな音がして体が回転した。馬車がひっくり返ったようだった。
ウィリアムの入った袋が馬車の後ろから飛び出し転がってどこかに落ちた。冷たい水の感触がした。
ウィリアムが覚えているのはここまでだ。
次に目が覚めた時は知らない部屋の中にいた。
簡素なベッドに寝かされたウィリアムはそこが「教会の保護施設」だと教えられた。自分は川べりで気を失って倒れていたらしい。
ウィリアムの家族を襲った野盗は街道で商人の馬車を狙っては強盗を繰り返していた。野盗が奪った馬車、ウィリアムとウィリアムの母が詰め込まれた馬車は何者かに襲われて無茶苦茶になっていたそうだ。
「見るに堪えぬ蛮行だった」と神父が言った。
ウィリアムの母も父もやはり死んでいた。遺体はすでに埋葬されていた。共同の墓地で墓石はなかった。
ウィリアムは助けられてから3日間眠っていたらしい。そうして保護施設で目が覚めたという訳だ。
保護施設とは親のいない子供を預かる場所だと言われた。救われたことに感謝をして神のために尽くすのだよ、と教えられた。
ウィリアムと同じ年ごろの子供か何人かいて、皆で生活をしているようだが、どの子供も一様に覇気がなく笑顔すら見せず陰鬱な様子だった。何故かはすぐにわかった。そこは孤児院とは名ばかりの場所だった。子供たちは朝から晩まで働いていた。薪を拾い束ね、洗濯をして、掃除をした。休む暇などなかった。食事は粗末だが三度与えられていた。だがいつも子供たちは腹を空かせていた。まるで奴隷のようだ。
司祭に気に入られればわずかな菓子などを貰える事もある、だから子供たちは司祭や司教に取り入ろうと必死に笑顔で彼らに接する。だがウィリアムは不愛想だった。ここの聖職者たちはろくでもないものたちばかりだと見抜いていたからだ。
元来の頭の良さが裏目に出た。生意気な態度のウィリアムは良い待遇を受ける事なく、それでもなんとか生き抜いていた。
13歳になったばかりの冬に、司教に取り入っていた子供(といってもウィリアムより少し年上の少年だ)に呼び出され、無理やり司教の部屋に連れていかれた。
「いやだ!」と叫んでも司教はにやにやと笑うばかりだ。栄養の足りぬ13歳の子供は無力だった。
寝台に押さえつけられ、下肢を剥かれた。ぞっとした。見上げると司教の部屋にあるキリスト像が自分を見下ろしていた。
神などいない。神の代弁者は悪魔と同じだ。
覆いかぶさる司教の耳を嚙み切ってやった。彼は痛みに叫び声をあげた。
耳から血を流した司教は憎しみを込めてウィリアムを鞭で叩き、そうしてウィリアムは寒く冷たい教会の地下にある牢屋へと押し込められた。
何故、どうして、が体の中に渦巻いていた。この世界はなんと無慈悲なんだろう。
過去に受けた父と母の愛だけがウィリアムを支える全てだった。それだけでなんとか生きてきた。自分が死ななかったのは今は亡き父と母が自分を守ってくれているからだ、そう頑なに信じてやってきた。
ボロボロになった手の指先も、体の大きさに合っていない服も、ひもじい思いも大嫌いだ。
死んだほうがましなのかもしれない。けれど生きていたかった。誰かに愛してほしかった。父と母が自分にしてくれたように。
もし、死ねば神様が愛してくれるだろうか?そう思った事もあったけれど、その願いもまた虚しく散った。
ここは神の家だ。なのにここはウィリアムが知る限り一番無慈悲な場所だった。
死んでやるものか。生きて、生きて、生きてやる。神の元になど召されたくない。強く思った。
牢屋でも最低限の世話はされた。
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