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第三章「対峙する過去と未来」
しおりを挟む静かな冬の夕暮れ時。シルフィは一日の終わりに部屋の窓を開け、冷たく澄んだ風を頬に受けながら遠くを見つめていた。
「日が落ちるのが、だんだん早くなってきたわね……」
つぶやきながら窓外の空を見上げる。薄いオレンジの光が地平線に沈もうとしている。かつてなら、この夕焼けを眺めながら「ラングレー様は何をしているだろう」「婚約者としてもっと頑張らなくては」と、自分を奮い立たせていた。しかし、いまは全く違う感慨が胸に広がる。自分を縛っていた過去の縁から決別し、伯爵家のカリブの誘いを受けて、新たな一歩を踏み出そうとしている。
思い返せば、ラングレーが突然屋敷を訪ね、あろうことか「やはりお前が必要だ」と言い出したのは数日前のことだった。かつて「ふさわしくない」と切り捨てた相手に対し、今さらそんな都合のいい話があるものか。彼の申し出を一蹴したシルフィの心には、確かな安堵があった。これでもう、ラングレーとエリーザの“偽りの幸福”に振り回されることはない。自分が本当にやりたいことだけを見つめていけばいいのだ、と。
とはいえ、その“本当にやりたいこと”への道のりは、まだまだ始まったばかりである。カリブから誘いのあった領地でのハーブ研究に向けて、シルフィは自室に保管していたレシピノートや資料を整理し直し、領地の人々とどんな形で協力できるのかを構想する日々を送っていた。以前は「公爵夫人の務め」のためだと思い込んで学んでいたことが、いまは“自分の意思”によって活かされようとしているのだ。考えれば考えるほどに、胸が弾む。
そんな前向きな気持ちを支えてくれるのが、侍女のステラや家令たちのさりげない協力だった。実は、侯爵家の中にもシルフィを応援してくれる人は少なくない。先日の婚約破棄の際、シルフィの両親は消極的だったが、使用人たちは彼女の真面目さや優しさをよく知っている。だからこそ、こっそりと図書庫や物置から必要な道具を提供してくれる者もいれば、自分の故郷のハーブ情報を教えてくれる者もいる。
一方、両親は相変わらず複雑そうな表情を見せることが多かった。シルフィがいくら「自分の道を歩む」と言っても、実際それがどう形になるのか、彼らには想像しづらいのだろう。貴族の娘は良き家柄に嫁ぐことが、もっとも安定した人生だと信じられてきた世界で、婚約破棄の汚名を抱えたまま、どうやって未来を切り開くのか。娘の意思を尊重しきれないのは、ある意味当然なのかもしれない。
そんな微妙な家の空気を肌で感じながらも、シルフィは心を折らずに過ごしていた。あの日、自らの意思でラングレーを拒絶したことが、彼女の内面を大きく強くしてくれているように思える。そこに悔いや後悔の念はない。むしろ、まだ小さな種火だった自信が、少しずつだが確実に燃え始めている感覚があるのだ。
しかし、その夜、シルフィのもとに一通の手紙が届く。差出人の名はなかった。開封すると、ささやかな紙片にこう走り書きされている。
> 「公爵家とエリーザの一件について、話したいことがあります。
近いうちにそちらの屋敷から少し離れた馬車置き場に来てください。
詳細は現地で。
——“影”より」
まるで警戒心を煽るような文面に、シルフィは戸惑う。誰がこんなものを送ってきたのだろうか。しかも“公爵家とエリーザの一件について”というだけで、具体的な内容は不明。怪しいといえば怪しいが、しかし無視できない気持ちもある。「偽りの幸福」を選んだあの二人の間で、何か重大な動きがあるのだろうか。それとも、自分が婚約破棄に至った経緯にまつわる、まだ知らない真実が隠されているのか。
結局、その夜は手紙を握り締めたまま眠れなかった。翌朝になっても「これは罠かもしれない」と思う心と、「公爵家が何を企んでいるのかを知りたい」という思いがせめぎ合う。だが、最終的には「確かめてみなければ前に進めない」と決意するに至った。もし、これがまったくのデマや危険な誘導なら、それを看破すればいい。何より、自分はもう過去に翻弄されるだけの弱い娘ではない。
そして、手紙の指定した日時の少し前。シルフィはステラだけを連れてこっそり屋敷を出た。表向きは「商店街へ行って道具を買いたい」と告げているが、本当の目的は誰にも言えない。侯爵家を出て馬車置き場の方へ向かい、人目につかない小道を選ぶようにして進む。ステラは当然心配しているが、「もし何かあっても、あなたがいれば私も心強いわ」と伝えると、彼女は迷いながらも同行を承諾してくれた。
馬車置き場は王都の外れにある、小規模な倉庫地帯に近い場所だ。一般市民や商人が馬車を預けたり、旅行者が一晩だけ宿を取る際に利用したりする。貴族の屋敷が立ち並ぶ一帯からは少し離れているため、昼間でも人通りは多くない。
指定の時間。シルフィとステラは念のためフード付きのマントを羽織り、顔がはっきり見えないようにしたまま、そっとあたりを見回す。すると、物陰からひとりの人物が姿を現す。細身の体型、灰色のフードを深く被っており、顔はうかがえない。声は男性にも女性にも聞こえる微妙なトーンだ。
「……あなたが、“影”?」
シルフィが恐る恐る問いかけると、その人物は低い声で答える。
「そう呼んでいただいて構わない。あなたに伝えたいことがある」
見ず知らずの人物、それも素性が怪しい相手と話すなど、シルフィにとっては初めての経験だ。だが、ここまで来た以上、引き返せないという強い意志がある。ステラはシルフィのすぐ近くに付き添い、いつでも庇えるよう身構えている。
「……公爵家とエリーザ様、そして私の婚約破棄に関して、何かご存知なのね?」
怯まずに尋ねると、“影”と名乗る人物はわずかに距離を取りながら、静かに口を開く。
「そうだ。私はエリーザという女性の動向を探っている。彼女は見かけ以上に危険な存在だ。……あなたはラングレー公爵家の元婚約者として、何が行われたのか正しく知る必要があると思った。それで、このような形でコンタクトを取ったのだ」
シルフィは思わず息を呑む。確かにラングレーも「エリーザには裏があるらしい」と言っていたが、“影”がわざわざ警告してくるほどの危険性があるというのか。
「教えて。彼女は、いったい何をしようとしているの……? 私の婚約破棄とも関係があるの?」
尋ねずにはいられない。すると、“影”はフードの下で口元を隠すように片手を置きながら、低く続ける。
「エリーザが公爵家に急接近したのは、単に玉の輿を狙ったからではない。もっと大きな目的があってのことだ。彼女は裏で、ある貴族派閥と繋がっている。その派閥は、王国の政治に不満を抱き、いずれはクーデターまがいの動きを企んでいると噂されているのだ」
クーデター。それは決して軽々しく口にできる言葉ではない。王国の統治を揺るがす重大犯罪に等しい。シルフィは衝撃に立ち尽くした。まさか、自分の婚約破棄がそんな危険な話と繋がっているなど想像だにしていなかったからだ。
「嘘……だって、エリーザ様は社交界で“新星”と持てはやされているし、そういう危険な噂は一切聞いたことがないわ」
「表向きはそうだ。だからこそ、彼らはエリーザを利用し、公爵家に取り入れることで権力を握ろうとしている。ラングレーは若く、そして公爵家は王国内でも大きな影響力を持つ。うまく取り込めば、その力を自分たちの派閥に取り込めると踏んでいるんだろう。実際、エリーザはすでに公爵家の財政や領地の運営に介入しようとしているはずだ」
思い当たる節は確かにある。以前、ラングレー自身が口にしていた「エリーザは領地の資金を怪しげな取引に使おうとしている」といった話だ。それがもし、本当に反王家を目論む派閥への献金や裏工作の費用だとしたら……。想像しただけで血の気が引く。自分の婚約破棄は、その大きな“作戦”の一部だったのだろうか。エリーザが公爵家の婚約者に収まるためには、長年ラングレーの婚約者であったシルフィは障害だったはず。
「そう……。じゃあ、ラングレーが私との婚約を突然破棄したのは、エリーザがそう仕向けた……ということ?」
シルフィの問いに、“影”は一拍置いてから静かに肯定する。
「私が掴んだ情報によれば、エリーザは何らかの手段を使い、ラングレー公爵家の周辺に“シルフィが不適切な行為をした”という噂を流した。それは一部の証拠や証言を捏造するほど手の込んだものだったらしい。もともとラングレーは、若さゆえに社交的で華やかな女性に惹かれやすい面がある。それを逆手に取り、“シルフィは陰気で魅力に欠ける”というレッテルを強調したというわけだ」
唇が震える。これまで「もしかしたら、婚約破棄は自分の至らない部分が原因だったのでは」と自責してきた自分が馬鹿らしくなってくる。もちろん、ラングレーの見識不足や性格的な問題もあるだろうが、エリーザが積極的に裏工作をしていたと知ると、怒りと悔しさがこみ上げてやまない。
だが、同時に心にわずかな安堵も芽生えていた。——あのときの自分は、ただいたずらにラングレーに嫌われただけではなかったのだ。自分の欠点がすべて原因だったわけではない。そこに明確な陰謀があった。
「……どうして、そんなことを私に教えるの?」
シルフィは声を震わせながらも、なおも問いかける。“影”がこんな危険な話を暴露する以上、相応の理由があるはずだ。すると、彼(あるいは彼女)は、シルフィに少し身を寄せて言った。
「私の目的は、エリーザとその背後にいる派閥の動きを暴くこと。今はまだ不確かな部分があるが、もし公爵家が彼らの企みを許してしまえば、王国全体が混乱に陥る危険がある。だが、現時点で公に告発しても、逆に『虚偽の噂』としてかき消される可能性が高い。だからこそ、彼女が婚約破棄まで手配して追い出した“当事者”であるあなたに、手を貸してほしいと思ったのだ」
「私に、手を貸してほしいって……? わたし、そんな大それたこと……」
「いいや、あなただからこそ動かせる可能性がある。すでにあなたはラングレーを拒絶したと聞いた。だが、逆説的に言えば、あなたが彼に接触し、婚約破棄の真相を問いただすだけでも、重要な糸口になるかもしれない。ラングレーは無自覚にエリーザの陰謀を進めているが、本心では何かに気づき始めているはず。今なら、まだ間に合う」
シルフィは思わず首を横に振った。もう二度とラングレーに関わりたくないと思った矢先に、こうして“影”から協力を要請されるなど、想像もしなかった。いつまでも過去の縁に縛られるのはごめんだと思い始めたばかりなのに、それを再び引き戻そうというのか。
だが、“影”はさらに言葉を重ねる。
「……君自身にも意地や怒りはあるだろう。だが、もしこのまま放っておけば、公爵家がエリーザの掌中に落ちてしまう。ひいては王国のバランスが崩れ、取り返しのつかない事態になるかもしれない。あなたは確か、カリブ伯爵家とも交流があると聞いた。もし公爵家が大きく乱れれば、伯爵家にも影響が及ぶ可能性は十分にある。放っておいていいのか?」
カリブ。その名を聞くと、胸がすっと冷える思いがした。確かに、カリブが治める伯爵領は公爵家ほど大きくはないものの、王国内で一定の存在感を持っている。政治的混乱に巻き込まれる可能性は否定できない。ましてや、シルフィの新しい未来を拓く糸口を与えてくれた大事な人たちだ。もし公爵家の権威が大きく乱用され、王国の不穏分子が台頭してきたら、伯爵家の人々にも何らかの危機が及ぶかもしれない。
シルフィは唇を噛みしめ、うつむいたまま沈黙した。ステラが心配そうに寄り添う。あまりに大きな話だ。自分がどうこうして変わるものかもわからない。しかし、ここで「自分には関係ない」と突き放すことは、あまりにも無責任だと思えてしまう。なぜなら、エリーザが婚約破棄を仕掛けたせいでシルフィは大きな痛みを味わい、その後も悪評に悩まされた。いわば、既に当事者なのである。
「……わかりました。でも、いまさら私がラングレーと話をしたところで、彼が素直に真実を打ち明けるかはわからない。彼は自分が“間違い”を犯したと認めるくらいなら、最後まで意地を張りそうな気がします……」
正直な気持ちを口にすると、“影”は少しだけ笑ったようにも見えた。フードの奥で、かすかな感情の揺れが伝わる。
「君が心配するのは当然だろう。ただ、ラングレーの様子を観察すると、すでにエリーザへの不信感は強まっているようだ。だが、彼はプライドが高く、さらに『公爵家嫡男』という責任もある。そう簡単に“自分の過ち”を認めるわけにはいかない。そのプライドと責任を揺さぶるには、過去の婚約者であるあなたの言葉こそが有効な可能性があるんだ」
それはまるで、巧みに感情を操る策士のような言い分にも思える。だが、たしかに理にはかなっている。ラングレーが「やっぱりシルフィが必要だ」と言い出したのも、根底にはエリーザへの不信があったからだ。今、ラングレーを後押ししてエリーザの陰謀から引き離すことができれば、公爵家が巻き込まれる最悪のシナリオを回避できるかもしれない。
シルフィは目を閉じ、深く息を吐いた。自分はもう過去に振り回されたくはない。けれど、だからといって王国が崩れていくのを傍観するのは違う気がする。婚約破棄の真相を白日の下にさらすことで、ラングレーに“変わるきっかけ”を与えるのも悪くないのではないか。そうすれば、少なくとも自分だけが一方的に痛手を負っていたこの状況にけじめをつけられるかもしれない。
「……わかりました。私にできるかどうかは正直わかりませんが、ラングレーともう一度話をしてみます。どこまで引き出せるかはわかりませんけれど……」
シルフィがそう答えた瞬間、“影”は短く頷く。
「助かる。手配は私が進める。ラングレーが秘密裏に君と会う場を用意できるよう、いくつかの細工をするつもりだ。その際は、詳しい日時と場所を改めて手紙で知らせる。この先、私と連絡を取るときは、変に大っぴらに動かず、細心の注意を払ってほしい。……では、私はこれで失礼する」
それだけ言うと、“影”は踵を返し、あっという間に倉庫の向こうへと消えていった。その場に残されたシルフィとステラは、冬の風に晒されながら、しばらく立ち尽くしていた。まるで夢を見ていたかのような、現実離れした出来事。ステラが心配そうに囁く。
「お嬢様……本当に、大丈夫でしょうか。まるで陰謀の渦に巻き込まれそうな話ばかりで……」
「……不安だけど、放っておくわけにはいかない。もし私がこのまま黙っていたら、ラングレーだけじゃなくて、王国全体が危険に巻き込まれるかもしれない。……それに、私だって知りたいの。婚約破棄の裏で、いったい何が起こっていたのかを」
かじかむ手をぎゅっと握りしめ、シルフィは決意を固める。もう一度ラングレーと話をするなんて、考えるだけで気が重い。しかし、もし「真相」を知ることで自分がもっと自由になるのだとしたら、逃げている場合ではない。そして、王国の将来を左右するような陰謀があるのなら、なおさら目を背けるわけにはいかないだろう。
こうしてシルフィは、新たな苦難の道を進むことを選んだ。もともと、この先は“公爵家に頼らず自分の力で生きる”と誓ったばかりなのに、皮肉にもまた公爵家の問題に首を突っ込む形になる。だが、それは過去のしがらみに引き戻されるのではなく、自ら進んで“過去と対峙する”ための行動だと、彼女は自分に言い聞かせる。
屋敷に戻ると、ステラは「お嬢様、今後どんなことがあっても私が支えますから」と強い目で語りかけた。彼女もまた、シルフィを一番近くで見守ってきた存在。危険は承知の上で、それでもシルフィと共に歩むことを選んでくれたのだ。その思いが嬉しくもあり、申し訳なくもあるが、今は力強い味方であることに感謝しかない。
その夜、シルフィはランプの明かりの下、例のノートを開いた。そこには、カリブとの研究や企画に関するメモがたくさん書き込まれている。ハーブや食用花の栽培計画、調理法や試作品リスト——どれも、これから自分が切り開く未来に繋がる大切なアイデアだ。けれど、いまの情勢を考えると、もし公爵家が破滅的な状況に追い込まれれば、王国全体が混乱し、こうした穏やかな研究すらままならなくなるかもしれない。
「こんなところで、終わらせたくない……」
そう呟いてペンを握る。ラングレーと再び相対し、婚約破棄の真相を紐解くことが、自分の未来を守るうえで必要な工程なのだと、あらためて思い定める。そして、いつかすべてが解決したら、このノートの計画を思う存分進めていきたい。伯爵家のカリブとも協力し、温かな世界を築く一助になりたい。そのためにも、いま目の前にある問題から逃げるわけにはいかない。
やがて夜が更け、ノートを閉じたシルフィは窓の外を見る。闇の世界が王都を覆っているが、その先には必ず朝が来ると信じたい。婚約破棄の真実を掴むというのは、一筋縄ではいかないだろう。ラングレーや公爵家のプライド、エリーザの陰謀、そして背後に潜む反王家派閥の動き——どれもが絡み合って、これから波乱を起こすに違いない。
けれど、もう恐れるだけの娘ではない。ラングレーから受けた裏切りと痛みを経験したことで、シルフィは強くなっている。そして、新たに見出した自分の価値を信じている。それが何よりの支えだ。
翌朝、早くに起床すると、シルフィはいつもどおり温室に足を運んだ。乾燥気味の土に水をやり、弱った葉を摘み、日の当たり方を調整する。花々は黙々と自分の生を全うしようと咲き、散り、また種を落としていく。それは、どんなに過酷な環境でも自分を見失わない姿の象徴のようだった。
「私も、あなたたちのように生きたい。過去に何があっても、何を失っても、未来に向けて咲き続ける……」
そう小さくつぶやきながら、シルフィは穏やかな笑みを浮かべる。もうすぐ、“影”から新たな手紙が届くはず。そこにはラングレーとの面会場所や時間が書かれているのだろう。行く先は茨の道かもしれないが、この花たちのように、たとえ傷ついても自らを信じて咲いていこう。そう強く願った。
この時点では、婚約破棄の真相を完全に把握したわけではない。エリーザの背後にある派閥の正体も不明瞭だ。ラングレーが本当に正気を取り戻してくれる保証もない。だが、たとえ道が険しくとも、一歩ずつ進んでいくしかないのだ。逆に、もしここで逃げてしまえば、一生「婚約破棄された哀れな娘」という烙印と無念だけが残り続けるだろう。
シルフィは温室の扉を開け放ち、新鮮な空気を吸い込む。外は寒いが、胸の奥には確かな温かさが芽生えている。これまで自分を苦しめてきた過去と、はっきりと対峙する時が近い——そう思うと、恐怖だけでなく、不思議な高揚感さえ伴ってきた。
「私は、もう何も失いたくない。……それに、真実を知りたい。わたしの人生を変えたあの婚約破棄の裏に、一体どんな陰謀があったのかを」
その言葉が、まるで決意の宣誓のように空気に溶ける。
第三章「対峙する過去と未来」のセクション1「婚約破棄の真相」は、まさにここから大きく動き出す。シルフィが選んだのは、逃げることではなく立ち向かうこと。かつての婚約者ラングレーや、公爵家に入り込んだエリーザという存在、さらにその背後にいる勢力との対峙——すべてが彼女を試す試練となるだろう。だが、同時にそれは、過去に縛られず“新しい人生”を確立するために必要なプロセスでもある。
かすかに芽吹いた意志は、やがて大きな花を咲かせる日が来るに違いない。シルフィはそう信じて、静かに背筋を伸ばした。どんな真実が待ち受けていようとも、今度こそ自分らしく未来を見据え、一歩を踏み出すつもりでいる。
後日、“影”から届く手紙を受け取り、ラングレーと密会せざるを得ない日が迫っていると知ったとき、シルフィの胸は大きく高鳴った。恐ろしいこともあるだろう。だが、真実を知るためには避けて通れない道。
そして、なによりも大切なのは、「自分の人生を取り戻す」こと。これまで“公爵家の婚約者”として生きてきた自分とは決別し、たとえラングレーからどんな懇願や弁明があろうとも、自分はもう過去のしがらみには戻らない。もし、そこに救いの手を差し伸べるとしたら、それは彼らを再び愛するためではなく、“王国を護る”という意思と、真実を解き明かしたいという強い意志のためだ。
それが第三章でシルフィが歩む道。かつて“捨てられた娘”だった彼女が、今度は自分の足で堂々と歩み、真実と未来を掴み取るために動き始める。これから紐解かれる婚約破棄の真相は、必ずやシルフィと周囲の運命を大きく変えていくことだろう。そして、その先に待つのは失望か、それとも新たな希望か——。
夕方の静寂が訪れると、シルフィはノートを抱いて自室へ戻った。遠くで風が唸る音が聞こえる。まるで嵐の前触れのように感じられ、思わず身震いした。だが、その嵐を乗り越えた先には、きっと鮮やかな虹がかかるに違いない。誰もが疑問を抱くような婚約破棄の裏側に光を当てることで、シルフィは自分と同じように過去の苦しみに沈む人々にも希望の存在を示すことができるかもしれない。
「もし、この国が陰謀で大混乱に陥ってしまったら……カリブとの研究だって、すべて台無し。そうなれば私だけじゃなく、伯爵家の人たちも悲しい目に遭う。だからこそ、わたしは……」
誰にも聞こえないほどの小さな声で、シルフィは決意を呟いた。ラングレーと会うときには、今度こそ自分の言葉でしっかりと思いの丈をぶつけよう。自分が歩むべき道を邪魔するものがあるなら、はっきりと拒絶しよう。そうすることで、初めて本当の意味で“対峙する”ことができるのだから。
窓辺にはもう陽の光はない。夜の帳がゆっくりと降り始める。しかし、その暗闇の中でこそ、一筋の光が強く放たれるのをシルフィは信じている。かりそめの幸福に囚われた公爵家、そしてエリーザの陰謀……すべてを解き明かし、真実を手にしたときこそ、彼女は本当の自由を得るに違いない。
第三章「対峙する過去と未来」。まずはセクション1「婚約破棄の真相」で、シルフィは大きな決断を下し、見知らぬ“影”から得た情報をもとに動き始める。自分を裏切ったラングレーと再度向き合うことは、傷の痛みを呼び起こしかねない。だが、これまでの自分のままでは新しい人生を勝ち取れないことも知っている。
人々の命運を分けるかもしれない陰謀の存在。そして、かつての婚約破棄は、決してシルフィの“不甲斐なさ”だけが原因ではなかったという衝撃の事実。より深く、彼女はあのときの真実——“なぜ突然、公爵家が彼女を切り捨てたのか”を掘り下げていく。そうすることで、シルフィは大切なものを守るために、そしてなにより、自分自身を取り戻すために、次の一歩を踏み出すのである。
果たして、ラングレーが抱える“後悔”や“疑念”は、シルフィと共にどのような結末を迎えるのか。そしてエリーザという女性の正体と、その背後に潜む派閥の暗躍は、どれほど深く王国を揺るがすのか。
この先の道は決して平坦ではない。だが、シルフィの胸にある“自分の力で未来を掴みたい”という揺るぎない思いがあれば、どんな運命が待ち受けていても乗り越えられるはずだ。たとえ心が折れかかっても、彼女はもう一人ではない。ステラのような理解者や、カリブをはじめとする新たな出会いが、きっと支えてくれる。
夜闇の深まる中、シルフィはランプを消してベッドに横たわった。まぶたを閉じると、ふと温室で咲く花々の姿が脳裏に浮かぶ。ゆっくりと深呼吸をして、静かに心を鎮める。——明日はどんな連絡が届くのだろうか。ラングレーと会う日は、いつになるだろうか。
考え出すと不安は尽きないが、いまは自分を信じるしかない。婚約破棄の真相に踏み込むことは、言い換えれば自分の過去と“本当の意味”で向き合うことなのだから。そこから逃げずに戦うことこそが、シルフィが新たな人生を切り拓くために必要な通過点なのだ。
こうして、シルフィの心の中には確かな覚悟が根を下ろす。夜明け前の暗闇は最も深く重たいが、やがて迎える朝日は鮮やかな光をもたらすだろう。彼女が見定める“婚約破棄の真相”と、その裏にうごめく巨大な陰謀——すべてを知ったとき、シルフィはどんな決断を下すのか。周囲の人々はどう動くのか。
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冷たい風が吹き荒れる冬の夜。シルフィは侯爵家の屋敷を抜け出し、人気の少ない裏道へと足を急がせていた。例の“影”から届いた二通目の手紙に、ラングレーとの密会の日時と場所が指定されていたのだ。密会――たとえその響きに警戒心を抱かざるを得なくとも、いまは避けて通れない。婚約破棄の真相、そしてエリーザをめぐる陰謀を解き明かすためには、どうしてもラングレー本人と話さねばならないからだ。
周囲は暗く静まり返り、住宅街から少し外れた裏路地にはほとんど街灯もない。見上げると厚い雲が月明かりを遮っていて、夜の帳がひっそりと王都を包み込んでいる。シルフィはマントのフードを深く被りながら、そばを歩く侍女のステラへ小声で話しかけた。
「ステラ、大丈夫? 寒くはない?」
「はい、お嬢様。わたしより、お嬢様こそ……。もし危険なことがあれば、私が全力でお守りします」
ステラの声は少し緊張に震えていたが、その言葉には覚悟がにじむ。シルフィはここ数日、彼女にだけは“影”の話と、ラングレーとの再会に踏み切る理由をすべて伝えていた。ステラ自身も不安はあるだろう。けれど、彼女は最後までシルフィのそばにいると誓ってくれた。その心強い思いが、シルフィの歩みを支えている。
やがて二人は、王都の外れにある取り壊し寸前の古い倉庫へと辿り着いた。そこが今回、ラングレーとの“秘密の再会”の場として“影”が指定してきた場所だ。入り口の扉はわずかに開いており、中からかすかな明かりが漏れている。人気のない夜半のこととて、物音ひとつ聞こえない静寂が漂っていた。
シルフィは心臓の鼓動を意識しながら、そっと倉庫の扉を押し開ける。すると、薄暗い空間に一本だけ灯されたランプがあり、そのかたわらに立つ人影が目に入った。ラングレーだ。彼もまたマント姿で、帽子を深く被っているが、顔を見れば間違いなくラングレー公爵家の嫡男とわかる。ここまで姿を隠しているのは、やはり人目を避ける必要があったからなのだろう。
彼はシルフィとステラの姿を認めると、少し驚いたように目を見開き、しかしすぐに表情を曇らせた。
「……まさか、お前が本当に来るとは思わなかった」
第一声からその調子か、とシルフィは心の中でため息をつく。だが、怒りをぶつけることを今の目的とはしていない。ここへ来たのは、自分が受けた婚約破棄の真相を問いただし、そしてエリーザをめぐる陰謀を明らかにするため。冷静さを失ってはいけない――そう自分に言い聞かせる。
「私だって、こんな夜更けに呼び出されるのは本意ではありません。けれど、あなたが“影”を通じて私に“直接会いたい”と伝えてきたのでは?」
そう言い返すと、ラングレーは目を伏せたまま、「まあ……そうだな」と小さく頷いた。先日、侯爵家を訪ねて「お前が必要だ」と言い出したときとは違い、どこか歯切れが悪い印象がある。公爵家嫡男としての威厳はどこへやら、その様子に少し違和感さえ覚える。
「……君に聞きたいことがあるんだ」
ラングレーがポツリと口を開く。彼の声には焦燥に似たものが混じっているように感じられた。
「聞きたいこと? 私に?」
「そうだ。最近になって、僕はエリーザがやたらと公爵家の財政に口出ししてくるのが気になっていた。……それだけじゃない。領地での商会との取引、さらには王宮の貴族派閥との繋がりも、どうも怪しい。だが、彼女を問いただそうとしても、うまくはぐらかされるばかりだ」
それはシルフィが“影”から聞かされた話と概ね一致する。もっとも、ラングレーはそれを「陰謀」というほどはっきり疑っているわけではなさそうだが、少なくともエリーザに大きな不信を抱き始めていることは確かだ。
「エリーザ様の目的は何だろう、とあなたは考えているの?」
シルフィがそう問いかけると、ラングレーは唇を嚙みしめ、倉庫の壁に寄りかかった。
「わからない。まだ確証はない。……だが、最近の彼女は以前に比べて、いよいよ“公爵夫人”になったあとの権限を振りかざすような言動が増えてきた。僕や父が苦言を呈しても、まるで意に介さないと言うか……。いったい、何を企んでいるのか」
そこまで言って、ラングレーはシルフィをじっと見つめる。彼の瞳にはかつて見せたことのない弱さが混在していた。
「……もしかしたら、君は婚約破棄のとき、彼女の言動に何か気づいていたのか? あるいは君自身が何かして、エリーザを怒らせたのかもしれない。そうなら、教えてほしい」
あまりに身勝手な推測に、シルフィは胸中に軽い怒りが燃え上がるのを感じた。しかし、ここで衝突しても得るものはない。過去の痛みを抑え込み、なるべく冷静に言葉を選ぶ。
「怒らせるも何も、エリーザ様と直接会話を交わした機会は一度もありません。私が婚約破棄を言い渡されたときから、向こうは“勝ち誇った顔”をしているだけ。あのとき、私は理由すらろくに知らされなかったのに、あなたたち――公爵家のご当主やあなた――は私を切り捨ててしまったでしょう?」
するとラングレーは気まずそうに顔をしかめる。自分の行いがどれほどシルフィを苦しめたのかは、さすがにわかっているのだろう。
「……それは、僕の落ち度だと今では思っている。あのとき、エリーザは“シルフィには領地管理の才能がない”とか“公爵家の評判を下げかねない地味で乏しい魅力しかない”とか、そういうネガティブな話ばかりを強調してきた。自分をよく見せるためとは思わなかった。……いや、今にして思えば、あまりにも一方的すぎたのだけど」
「――ようやく気づいたの?」
思わず皮肉めいた口調になる。ラングレーは苦い顔で黙り込んだ。倉庫の中には冷たい隙間風が吹き込み、ランプの炎が揺らめく。ステラは少し距離を置いて見守っている。
しばしの沈黙の後、ラングレーは意を決したように言った。
「この前、侯爵家を訪れたときにも言ったけれど……シルフィ、僕はお前の力を必要としている。いまさらすぎるかもしれないが、やはりお前が長年培ってきた家や領地運営に対する姿勢、そして品位、そういうものこそが公爵家には必要なんだと痛感しているんだ」
「――でも、私は、あなたに協力するつもりはない。もうはっきりとそう伝えたはずよね?」
シルフィはすげなく言い放つ。ラングレーは苦しそうに表情をゆがめ、次の言葉を探すように視線をさまよわせる。
「……わかっている。それでも、今の公爵家は危うい。エリーザが何か裏で手を回しているのは間違いないが、具体的な証拠が掴めないまま、僕たちは彼女のいいように動かされている。もし領地の財政が彼女に牛耳られ、やがては“反王家の派閥”に利用されるようなことになったら……最悪、父が公爵位を失うだけでは済まない。王国全体が混乱に陥りかねない」
やはり、ラングレー自身もただの嫉妬や不信感だけでエリーザを疑っているわけではないのだろう。彼の言う“反王家の派閥”――それはシルフィが“影”から聞かされた情報とも繋がる重大なキーワードだ。もし、このまま放置すれば公爵家の影響力を悪用され、王国に波紋が広がることは想像に難くない。
だからといって、自分が協力しなければならない義理はない――そう言いたい気持ちがシルフィにはある。過去に受けた仕打ちを思えば、当然の抵抗感だ。だが同時に、“影”からの依頼も脳裏をよぎる。自分がラングレーと話をすることで、何か大きな歯車を動かせるかもしれない。“影”はそれを期待して、ラングレーとの密会を取り持ったのだ。
「……あなたは、私に何をしてほしいの? 『戻ってきてほしい』と言われても、私は婚約を破棄された身。いまさらそちらに協力するなんて馬鹿げているわ」
自分で口にしても、胸にざわつくものがある。だが、ラングレーは弱々しく首を振った。
「わかっている。本当に戻ってくれなどと言うつもりはない。正直、父は……いまでもお前を評価している。自分たちの過ちに気づいている。だが、それでお前が許してくれるわけもない。だから……」
一呼吸のあと、ラングレーはまっすぐシルフィの目を見据える。その瞳には決意の色が浮かんでいた。
「……どうか、エリーザが裏で何をしているのか、その証拠を掴むのに協力してくれないか。お前は、彼女が仕掛けた婚約破棄の最大の被害者だ。だからこそ、たとえ些細な情報でも、彼女の動向を探る手がかりになり得る。僕や父だけでは、彼女の巧妙な言動に踏み込めないんだ」
そんなことを頼むなんて、どこまで自分勝手なんだろう――そう思う自分がいる。一方で、王国全体を巻き込む危険が迫っているというのも事実だ。シルフィは奥歯を噛みしめ、険しい表情を浮かべた。
「……私が協力したところで、何ができるというの。エリーザ様はあなた方にとって『現婚約者』でしょう。私が首を突っ込めば、ますます敵意を向けられるだけじゃない」
「だから、なるべく秘密裏に動く。お前は昔から礼儀作法や人脈を使って、繊細な状況を乗り越えてきただろう? もし、お前が社交界で培ってきた“情報収集”のやり方を使ってくれるなら、エリーザの弱みが見つかるかもしれない」
思わず嗤(わら)ってしまいそうになる。かつては“地味で魅力に欠ける”と見下され、婚約破棄されるまでの間ずっと「公爵夫人にふさわしくなるため」と努力してきた自分の力を、ここへきてラングレーは頼ろうとしているのだ。それも“情報収集”という、一歩間違えば危険な行為に――。
シルフィは深いため息をついた。以前なら、ラングレーの役に立つことこそが幸せだと思っていたかもしれない。だが今は、違う。自分が動くのは、“誰かのために”ではなく、“自分の意思”と“王国の平穏”のためだ。
「……わかった。協力するかどうか、今すぐ答えは出せないわ。だけど、あなたの話を聞いて、黙って見過ごせないとも思った。エリーザ様にやりたい放題されるのは、私にとっても悔しいことだから」
その返答に、ラングレーの表情は少し明るくなったが、同時にどこか切ない色も帯びる。
「……ありがとう。いや、すまないと言うべきかもしれない。お前にこんなことを頼む資格などないのに」
シルフィは返事をしない。ただじっと、ラングレーを見つめる。かつて愛した相手の面影がそこには確かにある。だが、それはもう過去のことだ。感傷に浸っている暇はないし、ましてや関係修復を望んでいるわけでもない。
不意に、倉庫の扉がきしむ音が聞こえ、三人が一斉にそちらへ振り向く。そこには、見覚えのある“影”の姿があった。フードを目深に被り、暗がりに立つその人物は、シルフィたちを見回しながら小さく呟く。
「どうやら、話は一段落ついたようだね」
ラングレーは即座に眉をひそめた。
「お前は……誰だ? 姿を隠しているが、僕にこの密会を提案してきたのは、お前だったのか」
「さよう。だが、自己紹介をする気はない。私の目的は、エリーザが背後に抱える危険な派閥の動きを止めること。公爵家が利用されれば、王国の未来も危うい――それは、君自身も理解しているだろう?」
“影”の言葉に、ラングレーは神経を逆立てたように険しい表情を見せるが、否定はしない。実際、エリーザへの不信感をきっかけに、こうして密会まで応じているのだから。
「……お前はエリーザの陰謀をどこまで知っている? 仮に事実だとして、なぜシルフィを巻き込む必要がある? お前が直接、王宮や貴族議会に訴え出ればいいだろう」
まくし立てるラングレーに、“影”は小さく嘆息するような素振りを見せた。
「証拠が足りない。いま告発しても“虚偽の噂だ”と跳ねのけられて終わる可能性が高い。それに、エリーザの背後にいる勢力は巧妙で、こちらの内部にも手を回している可能性がある。まずは、君自身が“エリーザを公爵家から排除する”動きを取らなければ、王国側も動きづらいんだよ」
「……それで、シルフィを利用するというわけか」
ラングレーが忌々しげに言葉を吐き出す。だが、“影”は平然としている。
「利用という言い方は心外だが、彼女の存在が不可欠なのは事実だ。シルフィはかつて公爵家の婚約者として内部をよく知り、なおかつエリーザの策略によって不当に破棄された当事者。……ラングレー公爵家が彼女をないがしろにした過去があるからこそ、いま協力を頼むのなら、よほどの誠意と覚悟を示さなければならない。それを理解しているのか?」
その問いに、ラングレーは苦い顔をしたまま言葉を失う。しかし、やがてうっすらと目を伏せて静かに頷いた。
「わかっている。……僕は、自分が何をしでかしたのか、その重みを受け止めるしかない。たとえ、シルフィから痛罵されようが拒絶されようが、今は公爵家を守るために道を探るしかないんだ」
その言葉を聞きながら、シルフィは自分の胸が微妙にざわつくのを感じた。もしかしたら、ラングレーもまた、“影”に促される形でこの密会に応じざるを得なかったのかもしれない。いわば、自分と同じ立場――“選択の余地がない”という意味で巻き込まれているのだろう。
話が一段落すると、“影”はラングレーとシルフィを交互に見やった。
「これから先、エリーザの動向を探り、反王家派閥との繋がりを示す証拠を掴むことが必要だ。君たちが手を取り合えとは言わないが、共通の目的のために情報を共有することが急務だろう。シルフィ、君には前に言ったとおり、危険も伴うかもしれない。それでもやる覚悟はあるか?」
“影”の問いかけに、シルフィは自分の中に生まれつつある決意を確かめるように、ゆっくりと深呼吸をした。すべては、自分が受けた理不尽な婚約破棄、そして王国を救うかもしれない未来のため。もう後戻りはできない。
「……やります。わたしも、ずっと黙っていたら後悔する。あの婚約破棄の真相を知りたいし、エリーザ様の好き勝手にはさせたくありません」
はっきりと告げると、ラングレーは小さく唇を引き結ぶ。そして、力無い声で言葉を継いだ。
「……頼む。僕は父と協力して、公爵家の内側からも証拠を探る。もし何か気づいたことがあれば、すぐに知らせてほしい。逆に、危険が迫ったときは……お前を守るために動く。少なくともそれだけのことはしたい」
かつてはシルフィを守ると言いながら、自分の都合で彼女を捨てたラングレー。だが、彼の目に宿る必死さは、あの頃とは違うように見えた。自分の過去の軽率な判断が、ここまで事態を悪化させてしまった――その罪悪感があるのかもしれない。
もちろん、シルフィは簡単に彼を許すつもりはない。しかし、自分一人の力だけでは大きな陰謀に立ち向かえないのも確か。仕方がないという思いで、シルフィはその申し出を受け止めるしかなかった。
“影”はそれを見届けると、小さく頷いてからランプの灯りから半歩退き、再び暗闇の中へ姿を溶かすようにして言う。
「決まりだな。いずれ、私からも連絡を入れる。どうか慎重に動いてほしい。証拠が見つかれば、私も水面下で最大限の力を貸すつもりだ。……ここは夜分で危ない。人目を避けて戻るといい」
そう告げて、フードを被ったまま音もなく倉庫を去っていった。“影”の行動は依然として謎めいているが、少なくとも今のところは敵対する様子もなく、エリーザの陰謀を阻止したいという点で一致しているのは確かだろう。
やがて倉庫にはシルフィ、ステラ、そしてラングレーの三人だけが残された。やけに広く感じられる薄暗い空間に、冷えた風が吹き抜ける。沈黙を破ったのはラングレーだった。
「ここまで付き合わせて、すまない。シルフィ……お前は、すぐ屋敷に戻るか?」
「ええ。これ以上の長話は無用でしょう。……今回の密会、わたしも人に知られたくありませんし」
シルフィの態度は冷たい。それを受けて、ラングレーも反論することなく目を伏せた。名残惜しそうな様子を見せるのは、もはや遅すぎるというものだ。彼は別れ際に一言だけ付け足すように言う。
「……どうか、気をつけて。エリーザの取り巻きが、お前に何か仕掛けてくるかもしれないから」
それを聞いて、シルフィはかすかに苦笑する。自分を捨てた相手に守られる立場など、冗談ではない。しかし、まったくの無関心でいるよりは、まだマシなのかもしれない。
「わたしに構うより、まずはあなた自身がエリーザ様に飲み込まれないように気をつけて。……では、失礼します」
それだけ言い残し、シルフィはステラとともに倉庫を出た。振り返らずに早足で裏路地を進み、侯爵家へ戻る道を探す。深夜の寒風が肌を刺すように冷たく、マント越しでも体が震える。だが、今は体の寒さ以上に、胸の奥に重くのしかかる思いが苦しかった。
“過去との決別”を心に誓っていたのに、再びラングレーと手を携える形になりそうだ。公爵家の破滅を望んでいるわけではないし、王国の平穏を守りたい気持ちも確かにある。けれど、これまで踏みにじられた自分の人生を思えば、わだかまりがそう簡単に消えるはずもない。
「お嬢様……」
ステラが心配そうに声をかける。シルフィはかすかに微笑もうと試みたが、うまくいかなかった。
「大丈夫よ、ステラ。……わたしは、ただ真実を知りたいだけ。エリーザ様の陰謀が本当に王国を脅かすなら、それを止めたい。結果的にラングレーが助かることになったとしても、それは仕方ないわ。わたしは……前を向きたいもの」
彼女の言葉に、ステラは「はい」と静かに頷く。夜道を歩く足音がひっそりと響き、まるで二人を急かすように冷たい風が背を押していた。
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