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十三話 成長

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 ティタニアスと恋人関係になって半月が経った。手を握る以外の触れ合いはないが仲良く過ごせていると思う。そろそろ家族にも妖精の友人が恋人になったことを報告するべきだろうし、ゆくゆくはティタニアスを家族に紹介したい。
 そんな思いを抱いていた、とある日の朝。もう朝の日常となり始めた家の妖精に起こされ、目を覚ます。


「おはようございます。……お嬢様、おめでとうございます」

「……? ありがとう……?」


 唐突な祝いの言葉に戸惑いつつ、朝の身支度を手伝われる。その日、妖精が持ってきた服は見覚えのないものであり、仕立てたばかりの真新しい品に見えた。


「その服は……?」

「お嬢様に合わせて機織りの妖精がお作りしました」


 私が会ったことのない妖精のようだ。突然どうしたのだろうかと思いながら着替えを手伝われ、背中が随分涼しいことに気づいた。この服はどうやら背面が大きく開いたデザインである。パーティーでこういう色気のあるドレスを着ている令嬢は見たことがあるけれど、背の低い私には似合わないものだろう。


「この服は背中が……………………え?」


 服のデザインを再度確認しようと姿鏡を見て固まった。見慣れない物がそこに映っていたからだ。まず、私の身長が記憶にある姿よりも拳ひとつかふたつ分は高い。しかしそれよりも驚くべきものがあった。少々慌てながら背後を振り返り、鏡に写った物と同じ物を目にして固まる。
 そこには透明な羽があった。蝶のように広がる四枚の、金色に縁どられた透明な羽。……妖精の羽だ。


「お嬢様は成熟されたばかりで暫くは羽の扱いも不自由でしょうから、背中の開いた服をご用意致します」

「そ、そう……ありがとう……機織りの妖精も対価はミルクでいいのかしら」

「機織りの妖精はパンに野菜とチーズを挟んだものを望んでおりました」


 家の妖精の仕事に非の打ち所がない。もう一度お礼を言うと彼女が満足そうに姿を消した。……さて、問題はここからだ。ついにこの日がやってきてしまった。

(……家族に打ち明けなくてはならないわ。私が妖精の取り替え子であることを……)

 試しに背中の羽を動かそうとしてみたが僅かに震える程度だった。仕舞い方など分かるはずもない。今までなかったものが突然生えたのだ。昨日までなかった羽を与えられてそれを自在に操ることはどんな人間にも難しいに違いない。


「お嬢様、朝食のお時間でございます」

「……ええ、もうすぐ行くわ」


 私の朝の支度は家の妖精がやってしまうため、元々私の身支度を手伝っていた使用人はこの時間別の仕事をしている。私の部屋を訪れる者は外から朝食の準備が整ったことを告げに来る者くらいで、この姿はまだ誰にも見られていない。
 最初に正体を明かすのはやはり、家族であるべきだろう。廊下に人の気配がないことを確認してそっと部屋を出た。昨日より己の視界が高くなっていて落ち着かない。急にこれだけ身長が伸びるのも人間ではありえないだろう。それを、気味悪がられてしまわないだろうか。

 家族の待つ食堂の扉の前で深く呼吸する。……家族は妖精の私を受け入れてくれるだろうか。それとも――この瞬間が、最後になるだろうか。
 ティタニアスの言葉を思い出す。私が家族を愛するように家族もまた私を愛しているはずだと。その言葉を胸に覚悟を決めた。

(どちらにせよ……私にとって三人が家族であるのは、変わらないわ)

 ゆっくりと扉を開ける。既に席について私の到着を待っていた三対の瞳がこちらに向き、それぞれ大きく見開かれた。
 ベルで呼ばれるまで使用人が料理を運んでくることはない。しかし隣室で音が鳴るのを待ち構えているだろう。それを待たせてしまうことになるが私にとっても、三人にとっても今はそれより重要なことがある。


「おはようございます。お父様、お母様、ルディス。……食事の前に、大事なお話をさせてくださいませんか」

「……オフィリア……そうだね。まずは席につきなさい」

「はい」


 最初に正気を取り戻したのは家長たるクロードだ。その声でハッとしたリリアンナも微笑みを浮かべ取り繕おうとしている。固まったままなのはルディスだけで、驚きを隠せない分まだ貴族として未熟だろう。
 いつも通りの自分の席。母の正面でルディスの隣に腰を下ろす。背もたれに羽が当たらないように浅く腰かけた。


「……私はどうやら、妖精の取り替え子であるようです。妖精の友人からそのように言われておりましたが実感がなく……しかしこうして羽が生えた以上、事実なのでしょう。私はジファールの子ではなく、妖精の子でした」


 この家の本当の子供は別にいる。机の下でぎゅっと手を結んだ。家族は今の私を見て、どう思うのだろう。どんな反応をされるのか、無言の時が流れるほど心臓が痛くなる。


「あ、姉上は……姉上はこれからも姉上ですよね……?」

「……ルディス?」

「妖精だからもう家族じゃないなんて、言いませんよね……?」


 焦燥に駆られた顔で隣から詰め寄ってくる弟の姿に驚き、目を瞬かせた。普段なら貴族がそのように取り乱すものではないと窘めるべきところだ。けれど、今は。


「ええ、ルディス。……私はいまでも貴方を大事な弟だと思っているわ」


 私の正体を知った上で姉だと慕ってくれている、その気持ちに一切のぶれがないルディスの姿に安心した。張り詰めた空気もゆっくりと解けていくように感じる。
 彼も彼で私の言葉にほっと息を吐き、落ち着いたことで自分が前のめりになっている気づいたのか「失礼しました」と少し恥ずかしそうに姿勢を正した。


「私たちはこれからも、貴女を……今までどおり家族として扱ってもよろしいのでしょうか」


 父にここまで丁寧な言葉を使われたのは生まれて初めてだ。これは貴族が妖精に対して取る態度であって娘に対するものではない。
 しかしこれは必要な確認なのだろう。クロードが私に向ける目は昨日までと微塵も変わらない。妖精の望みはできるだけ叶えるべしというこの国の規則を守る形を取ることで、これからも親子でいてもいいかという提案だ。


「……はい、お父様。そうして頂ければ私も嬉しいです」

「そうか、よかった。……リリアンナ」

「ええ、貴方。私にも異論はありません。……今まで過ごしてきた時間に嘘も偽りもないのですから。貴女は私たちの娘よ、オフィリア。それだけは決して変わらないわ」


 いつも通りの母の微笑みに肩の力が抜けていく。……よかった。今日、この時を持って家族という縁が切れるかもしれないという恐れはもうない。彼らの瞳に、その愛情に嘘はない。
 ただ、全く変わらないと言う訳にもいかないだろう。使用人たちにも知られるし、私の正体をジファールだけの秘密にすることは不可能なはずだ。


「さて、あとは食事をしながら話そうか。オフィリアが今後どうしたいか、それによって対応が変わるからね」


 使用人を呼ぶベルを鳴らしながら笑うクロードの言葉に頷く。私が今後どうしたいか、貴族社会に戻るか、このまま療養するのか、それとも妖精として生きるかを訊きたいのだろう。私が望めるとするならば、一つだけ道は決まっている。


「お父様、お母様。私、結婚したい妖精がいます」


 驚きのあまり立ち上がって椅子を倒したルディスの反応は予想の範囲内であるが、クロードが笑顔のまま手にしたベルを落とすのは珍しい。そしてリリアンナだけが平常通り、口元を押さえて上品に笑っている。


「いつかこんな日がくると思っていたのよ。とても楽しい朝食になりそうね」


 一切の動揺を見せず優雅な貴婦人そのままであるリリアンナの姿に感服する。私はもしかすると貴族ではなくなるのかもしれないが、この母のようにいかなるときでも心の余裕を持っていられるような女性になりたいと思った。


「と、そのようなことがあって貴方の許可が取れたら家族に紹介すると約束したのだけれど」


 その日の夜、訪ねてきたティタニアスを部屋に通し、さっそく羽が生えたことや家族へ打ち明けたことを報告する。その結果は悪くなかったし、私も悩み事が解決してとても清々しい気分だ。
 そして自分の望みを訊かれて結婚したい妖精がいるとは伝えたものの、ティタニアスは以前まだ会いたくはないと言っていた。今もその気持ちが変わらないままなのか分からなかったため、そこはまだ保留にしてある。家族に紹介できるかどうかはティタニアスの気持ち次第だ。


「……そうか。とにかくまずは、おめでとうオフィリア。美しい羽だ」

「ええ……ありがとう。急に生えたので驚いたけれど……背も随分伸びたわ。妖精の成熟っていきなり大きくなるのね」

「それは世界樹の種を口にしたからではないか?」


 そう言われて昨晩のことを思い出す。スコーンとの交換で花の妖精からもらった世界樹の種だったが、どう扱えばいいか分からなかったためティタニアスに尋ねたところ「食べればいい」という返答が返ってきた。
 ただ唇で触れればいい、とのことだったのでさっそく試したのだ。触感はないが味や匂いが流れ込んでくる不思議な感覚で、確かに何かを取り込んだようには感じたけれど。


「たったそれだけで……?」

「世界樹の種は栄養豊富だからな。それに、貴女は成熟していてもおかしくない年月を生きている。ただ体を成長させる力が足りなかっただけなのだろう」


 私が成長しなかったのは必要な栄養が足りなかったからであり、それは世界樹の種によって賄われたのでその分大きくなったということらしい。中は既に成熟していても器を作る力が足りなかった。そんな状態だったようだ。


「オフィリアの家族はやはり、貴女を変わらず愛しているんだな。……良かった」

「ニアの言う通りだったわ。……ありがとう」


 私の真実が分かったとしても、私が家族を想う気持ちが変わらないように、家族が私を想う気持ちも変わらない。彼はそう言ってくれていた。もしかしたらと不安に思うことがあっても平静でいられたのは彼のこの言葉があったからだと思う。


「いや……それで、俺を紹介するというのはつまり、貴女の家族に会う……ということだろうか」

「ええ。特に母はとても楽しみにしているわ」

「……俺は竜だから、貴女の家族を脅かしてしまわないだろうか」


 ティタニアス専用の背もたれも肘掛もない椅子の後ろで濃紺の尻尾が元気なく萎れている。彼にとって“竜”という種族自体がコンプレックスなのだろう。それは彼が今までずっと怯えられ、恐れられ、孤独に生きてきた傷痕と言っていい。


「ニアはとても素敵な妖精よ。貴方の目の力がとても強くて皆が本能的に怯えてしまっても……誰も、貴方の人柄を恐れることはないでしょう。私は毎日ニアを好きになっているもの。きっと私の家族も貴方を好きになるわ」

「……そうだとしたら、嬉しい」


 椅子の下に敷かれた絨毯の上を叩く、鈍い音がする。赤紫の尻尾が喜んでいる彼の感情を表しているのだ。家族にも是非、この素直で可愛らしい尻尾を見てほしい。すぐにティタニアスの為人ひととなりが分かることだろう。


「予定を立てましょう。できれば感謝祭の前がいいのだけれど」

「俺には人間のような予定はないからな。オフィリアの家族が都合のいいようにしてくれ」


 そうして、二週間後。その日初めて、ティタニアスと私の家族が対面することになった。

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