迷宮事件奇譚

もんしろ蝶子

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『夢見る映画館』2

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 映画が終わった途端、映画を見に来ている人達がしょんぼりした顔をして映画館を出て行く。何だか普通の映画館とは雰囲気が随分違うな、などと思っているとサングラス男が小さく舌打ちをした。

「……違ったか……今度こそ戻れると思ったのに」
「?」

 一体どういう事か聞こうとした伊織を無視してサングラス男は立ち上がると、さっさと映画館を出て行ってしまった。

 何が何だかよく分からないが、伊織も席を立ってスクリーンを出ると、そこで一枚のチラシを貰った。チラシを見てみると、明日の上映演目と時間が書かれている。

「一日ごとに上映する映画が違うんだ……すごいな」

 貰ったチラシを何気なくポケットに入れて映画館を出ると、あれほど映画館には人が居たのに、通りには殆ど人が居ない。

 この通りに入った時には気付かなかったが、よく見れば何だか寂れた通りだ。表通りは休日らしくとても賑やかだったのに対して、ここはこんなにも静かで陰鬱で、何だか気味が悪くなった伊織は足早に家に向かって歩き始めた。

 
「と、言う事があったんですよ~。もう僕は映画館にはしばらく行きません!」

 そんな事があった翌日、朝一番にクリストファーから美味しいリンゴが手に入ったので是非皆で食べてくれと連絡をもらってクリストファーの屋敷にやってくると、同じように呼び出されたであろうエドワードもそこに居た。

 挨拶もそこそこに昨日の話をした伊織に、クリストファーとエドワードは二人揃って不思議そうな顔をしている。

「何て言う通りですか?」
「いや、それが思い出せないんですよね。というよりも、ほぼ競歩みたいなスピードで帰ってきたので通り名を見る余裕も無かったんです」
「役に立たん奴だな。しかしそんな所にそんな映画館なんてあったか? クリス」
「私にも覚えはないですねぇ。何かその映画館の手掛かりになるような物はないんですか?」
「手掛かりですか? う~ん……あ! これならありますよ」

 そう言って伊織が取り出したのはあの映画館の半券とチラシだ。

「『バウンダリーシネマ』? 聞いた事ないな」
「これは映画の演目ですか? え、24時間稼働してるんですね! それでも上映されるのは一日12本……1スクリーンしか無いって事ですよね」
「よくそんなでやっていけるな、このご時世に。しかも聞いた事も無いような映画ばかり……でも一杯だったんだよな? マイナー思考の奴の穴場的な場所なのか?」
「どうなんでしょう? ただ気になる事があって……」

 伊織は視線を伏せて真っ赤なリンゴを齧ると、席を教えてくれた少年を思い出した。映画が終わって真っ先に伊織がしたのは、あの少年が誰か大人とちゃんと帰ったかどうかだったのだ。

「何です?」
「男の子がね、一人で座ってたんですよ。僕が気付かなかっただけで、どこかに親御さんが居たのかなって思うんですけど」
「声を掛けなかったのか?」
「それが掛けようとしたら、その直前にぶつかったサングラスの男に、関わらない方がいいって止められてしまいまして」
「……何故だ?」
「分かりません。7歳ぐらいの子だったんですけど、地元の子とかなのかな」

 それにしても休日にあんな映画を少年が見に来るだろうか? 何だか改めて考えるとおかしな事だらけである。

「イオ、良かったら今からこの映画館に三人で行ってみませんか?」
「え!?」
「面白そうだな。よしクリス、準備しろ」
「ええ」
「ええ⁉」

 昨日そんな目に遭って懲りたと言っているのにこれである。この二人はどうやら面白そうな事には恐ろしいほどフットワークが軽いようだ。それから数分もしないうちに、三人は地下鉄に乗っていたのだから。

「こっちか?」
「はい。昨日、僕はまずあの映画館に行ったんです。それで一杯だったからこっちに向かって歩いていると、サングラスの男とぶつかって、それで……」

 そこまで言って伊織はふと顔を上げてゴクリと息を飲んだ。

「あ、あの人……あの人ですよ! 僕がぶつかったの!」

 顔を上げた先には口紅の大きな広告が貼ってあった。広告の中で口紅を塗ってこちらに微笑みかけてくるのは、まさに昨日ぶつかった青年である。

「どこのどいつだ?」
「今人気の若手モデルですよ。元々はスタントマンをしていたそうですが、イオ、本当にあの人とぶつかったんですか?」
「ええ! 間違いないです!」

 昨日の失礼な男とは思えないほどポスターの中の男性は妖艶だ。人間、変われば変わるものである。

 伊織の言葉にエドワードは首を傾げているが、クリストファーが眉根を寄せて何か話し出そうとしたその時、ふと伊織の視界に昨日の男の子が映り込んだ。

「あの子! ちょっと、君!」
「あ、こらイオ!」
「イオリ! お前どこに行くんだ!」

 二人の制止も聞かずに伊織は少年を見失わないよう走り出した。やっぱりあの子は昨日一人であの映画館に居たのだろう。いくら週末で人通りが多いとはいえ、あんな小さな子が一人でうろつくのは危ない。

 慌てて少年の後を追った伊織だったが、ここでふと我に返って振り返った。

 そこにはエドワードもクリストファーも居ない。どうやら伊織は二人を置いてまたあの路地にきてしまったらしい。

 本当は戻った方がいいのだろうが、あの少年の事が気になった伊織は辺りを見渡して二人に今居る場所をメールで伝えると、少年が駆け込んだバウンダリーシネマに足を運んだ。
 

 一方、取り残された二人は伊織が消えた場所の前で立ちすくんでいた。

「……ここに入りましたよね?」
「……ああ。そう見えたがここは……」

 目の前にあるのは、個人経営の画廊である。レンガ造りのいかにも観光客が喜びそうな所なのだが、伊織は確かにここに消えた。というよりも、吸い込まれたように見えたのだ。

「画廊に入ったのがそう見えたのでしょうか」
「いや、画廊に入ったのならあのドアベルが鳴る筈だ。だが何も鳴らなかったし、一体どうなってるんだ。俺達は幻覚でも見たか?」
「幻覚は少し難しいのでは?」
「オーレ・ルゲイエ……か」

 エドワードは画廊を見上げてポツリと言った。

「夢を見せる妖精ですね。画廊にそんな名前を付けるなんて、洒落てますね」

 その時、二人のスマホに一通のメッセージが届いた。そこには簡潔に『メイフェアリー 2番地に居ます』と書かれている。

「メイ……フェアリー二番地……ってどこだ?」
「さあ? メイフェア、ではなくて?」
「ああ。しっかりメイフェアリー二番地って書いてあるぞ」
「……本当ですね」

 クリストファーはそう言って自分のスマホを確認して頷き、目の前の画廊を見上げて言った。

「とりあえず入ってみましょうか」
「ああ。もしかしたらドアベルが聞こえなかっただけかもしれないしな」

 こうして二人は目の前で消えた伊織を探す為、画廊に入った。
 

「いた! ねぇ君!」

 伊織はフロア係と笑顔で話をする少年を見つけて声をかけた。

 少年は振り返って伊織を見て少しだけ首を傾げたが、すぐに気付いたようでニコッと笑う。

「昨日のお兄ちゃん! また来たんだね。今日は誰の番だろうね! そろそろ僕の番来ないかなぁ……」
「まぁこればっかりはどうしようもねぇぞ、坊主。消えねぇだけマシだ。今日も常連がまだ二人ほど来てねぇんだ」
「そうなんだ……寂しいね」
「ああ、ほんとにな。で、あんた今日も見てくのか?」
「あ、はい。お願いします。ところで、ちょっと君に聞きたい事あるんだけど……」

 二人の会話が何だか変で少年に尋ねようとした伊織の肩を誰かが叩いた。

「よ! あんだけ言ってやったのにまた来てんのか、お前。駄目だぞ、好奇心でこんな所に入り浸ったら、ミイラ取りがミイラになっちまうぞ」

 何だか聞きなれた声に伊織が振り返ると、そこにはあのサングラス男が立っていた。

「あなた! そうだ! さっき僕、外であなたのポスター見たんですけど……」
「ああ! あの口紅のやつか? あれなかなかよく撮れてんだろ? 俺も気に入ってるんだよ」

 嬉しそうに笑うサングラス男を見て、伊織は素直に頷いた。

「ええ、凄く綺麗でした。だから余計になんか……イメージが……」
「それすっげー言われる。でもこれが俺だよ。そもそも俺はスタント志望なんだ。モデルはあくまで副業」
「へぇ。そう言い切れるのカッコイイですね」
「そうか? 身内からは危ないからスタントは止めろって散々言われてんだけどな。まぁ……でも、もうスタントは出来ないかもな……俺は」
「え、なんで……」
「おっと! 始まったぞ、えっと」
「あ、伊織です。長谷川伊織。はい、これ名刺です」
「サンキュ。じゃ伊織、行こうぜ。お前も一緒に行くか? チビ」
「うん! お兄ちゃん、僕も名刺欲しい! 大人みたいでカッコイイ!」
「あはは。いいよ、はいどうぞ」
「ありがとう!」

 嬉しそうに伊織から受け取った名刺をポケットに仕舞う少年を見て、思わず伊織も微笑んで三人で一緒に昨日のスクリーンに入った。今日も相変わらずほぼ満席だ。

「相変わらず人、多いですね」
「そりゃそうだろ。皆、早く出たいんだよ」
「?」

 出たい? どういう意味だ? 伊織は首を傾げてどういう意味か聞こうとした所で映画が始まった。
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