逆転!? 大奥喪女びっち

みく

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【転生・元服編】

016 家康公死す

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 ――時刻は数刻前に遡る。
 まだ日の高い昼過ぎのこと。

 竹千代達は春日局からの課題、写経を終え、昼餉を食している時刻。
 竹千代は好物の芋の天ぷらを正勝の分まで貰い嬉しそうにほうばっていた。

 春日局は自室にて書簡を認めたり、老中お年寄り等と会合したり、夕餉の献立を指示したりと忙しくしている頃である。

 孝はまだ江戸城には着いておらず、江戸には入ったが城下で休憩中。

 事件の起こった場所は駿河の駿府城。

 その日の駿府は近年稀に見る暑さを記録していた。
 空は曇天。

 暗く重い雲が駿府城を見下ろしている。
 雨は一向に降る気配がなく、暑さだけがじめじめじとじとと、纏わり付くように人々の額に不快な汗を滲ませていた。

「……今日は何とも暗い空だのう」

 家康は天守閣にて文机に向かい、何やら書を認めていた。
 額の汗も拭うことなど忘れ、ただ黙々と時間を惜しむようにその”何か”を書き綴っていく。
 ところがしばらくすると、ふと筆を止め立ち上がり、窓際へと向かい空を見上げた。

「……ああ、歴史が動くか」

 家康の感嘆の声と共に、生暖かい風が家康の長い髪を揺らす。
 家康の視線の先には曇天の雲の切れ間に青空と、日の光が差し込むのが見えたのだった。

「竹千代、幕府を頼んだぞ」

 一言、そう言い終え、家康は文机に再び向かい元居た位置に腰掛けると、用意されていた茶を手にずずずっと大きな音を立て啜ったのだった。

 その数刻後、夕餉を食べた後で家康は眠るように静かに息を引き取った。

 家康の傍らには、方々に宛てられた書簡が残されており、その一部には、竹千代宛もあった――。





 ――家康公の死去が江戸に報告されたのは、真夜中を疾うに過ぎ去った暁七つ(午前四時頃)。
 江戸の町が起き出し始める時刻である。
 早馬で駿府の武士(家康の側近の使い)が、江戸城の門を叩く。

「頼もう! 駿河の地より、急ぎの用で参った、即座に開門し、内容を確認されたし!!」

 雨にずぶ濡れの武士がどんどんと、大きく何度も裏門である平川門を叩く。
 だが、その音は雨によってかき消されてしまう。

 それでも、武士は懐に大事にしまっていた書簡を取り出し、高く掲げながら何度も叫ぶのだった。

「家康様が御逝去なされた! 直ちに秀忠様、竹千代様にご報告を!!」

 必死の叫びは大雨によって流されていく――。





 その日の江戸は晴れのはずだった。
 夜、少なくとも正勝が月を見たときは雲などなく、晴れ渡っていた。

 けれども夜遅く、どこからか雨雲が流れ、しとしとと地面を濡らし始める。

 次第に雨脚は早くなり、その雨音は何かを報せるように屋根を打ち付けるのだった。

「……嫌な雨だ。城下で洪水でも起きなければいいが……」

 夜遅くまで起きていた春日局は本日最後の仕事として、行灯を頼りに書簡に目を通していた。
 それは丁度、治水に関する藩からの訴えで、秀忠から誰か何か良い案があれば出すようにと、大老達に打診していたものだったが、春日局も話し合いの場に居た為、回してきたものだった。

「……竹千代様なら、何か良い案が浮かびそうな気もするが……」

 ふーっと、春日局はため息を吐く。
 現在の将軍、秀忠は中々立派な人物なのだが、如何せん何事においても家康が口を挟むものだから、萎縮して強気に出られない部分があった。

 将軍職に就いた始めはやる気だった政も、引退したはずの大御所家康の意見ばかりが反映され(大体家康が正しいのだが)、段々と考えることを放棄しだした。

 今回の治水に関しても元は家康が藩から挙げろと命令したもので、家康は家康で秀忠のやる気を出させようとこうして日本各地の問題を秀忠に投げていたのだが、時既に遅しで秀忠は関心を持たなくなっており、大老達に任せるようになってしまっていた。
 家康の後ろ盾を持つ春日局は、秀忠の命により大老達との会合に参加することを強要されている(そうすることで秀忠が母親家康の顔を立てていると思われる)が、春日局自身は後のために政を知っておくのも大切と睨んで参加しているのである。
 春日局も良い案がないわけではないが、家康の威光があるとはいえ、今の自分の身分で進言しても大老達に潰されるか、手柄を奪われるのはわかっているので特に何も言わずにいたのだった。

 そして、期待されるのは後の三代目の竹千代。
 彼女は不思議な力を持っている気がする。

 ――あれはそう、まだ彼女が幼い頃、夕餉に焼き魚が出たときのことだ。

 今と丁度同じ季節。
 気温湿度共に高く、魚は足が早く生物を出すことが出来なかった。
 それを竹千代は不満気に箸を鼻の下に載せ、告げる。

「また、焼き魚? たまには生が食べたい。鮪のお刺身が食べたい」

 そもそも海から離れた場所に住んでいる人は海の魚を食べているのか?
 また、食べているならどうやって運んでいる?

 と竹千代は矢継ぎ早に春日局に訊ねる。

「ああ、それは干魚や塩魚を頂くのです」

 生の魚は足が速く、すぐに痛んでしまうため、食べられないのですよ、と春日局は答えた。

「そっか、冷蔵庫ないもんね」

 と、竹千代は謎の言葉を呟く。

「れい、ぞうこ、ですか?」

 春日局は首を傾げ、反復していた。

「そう、冷蔵庫。生ものとか、冷やしたいものとか入れる箱って言えばいいかな。ああ、この時代にはないんだった。しょうがないか」

 竹千代は納得した顔で、うんうんと頷く。

「そんなまじないの箱があるなら、食物が腐らず良いですね」
 全く要領は得ないが、春日局は竹千代に話を合わせる。

「そうなんだよね、冷蔵庫って凄いなぁ。でも、私の冷蔵庫にはチューハイくらいしか入ってなかったわ、あはは」
 竹千代は自嘲気味に笑うと、突然告げる。

「お婆様も、母上も治水工事してるんだったね。私も新鮮なお魚やお野菜食べたいし、地方の人もきっと食べたいよね。私が将軍になったら真っ先にそれに手を付けるかな~」

 この時はまだ三代目になるとは確約されてはいなかったものの、竹千代は未来が見えているかのように語り、春日局を驚かせる。

「……と、申しますと?」
「ここの東側の地域は雨が降ると洪水になりやすいんでしょ? ここより北東の方角の川をどうにかすればいいと思うんだよね」

 江戸の東側、今でいう所の隅田川より東側は海抜が低い湿地帯(両国あたりから江東区にかけて)であった。
 雨が降ると一面が水浸し。
 人も住んではいたが、雨が降るたび甚大な被害を被っている。
 だが今は学の途中、そのことをまだ竹千代は習っておらず、知らないはずなのである。
 新鮮なものを新鮮なうちにという動機はどうであれ、それを簡単に口にしてしまったから春日局は目を見張り、末恐ろしい方だとと戦いたのだった。
 だからこそ、彼女が将軍の任に就きさえすれば、この問題は軽く解決するだろうと春日局は思う。

「……元服式が無事済めば、秀忠様は引退なされる」

 一年程前になるが、現将軍秀忠がそろそろ竹千代に将軍の座を譲ろうと思うと、珍しく江と一緒に春日局の部屋に訪れ、告げたのだった。
 ここ数年、国松の素行の悪さに手を焼いていた二人は本腰を入れ、国松を矯正すると宣言する。
 さらに竹千代の育ちの良さを羨ましく思っていること、自分達で育てたかったこと。
 時にヒートアップし、声を荒げながら一頻り江は恨み言を告げ、それを秀忠は時折頷きつつ、宥めつつ、ただ黙って聞いていた。

 そして、部屋を去る際、江は春日局に忌々しげに吐き捨てる。

「……私とて、竹千代が可愛くないわけではなかった。私に似た所も少なからずある。生まれてすぐ、お前に取られさえしなければ私はあの子を愛してあげられたものを。お前のことは一生許さない。私から可愛い我が子を奪った邪鬼め!」

 かつての長く美しい艶のある江の黒髪には白髪が増えていた。

 その髪を振り乱し、目を血走らせながら春日局の肩を掴み、発せられる言葉は般若のようで、ここに刀でもあったなら迷いなく抜き去り、春日局を斬り捨てていただろう。
 最後まで言い終える頃には秀忠が江の背に抱きつき止めていた。

 そして、諦めたように肩を落とし項垂れ、秀忠と共に大人しく去っていったのだった。
 春日局は憔悴した様子で去ってゆく江の背中に、気持ちがわからなくもなく、ただ黙って頭を下げた。

 江はこの頃精神的に病んでおり、これまでは何度か衝突があったが、それ以後春日局と言葉を交わすことはなくなった。

「お江与の方様には、申し訳ないことをした。なれど、家康様の御意向に背くことは私には出来ない」

 感傷に浸り、そんなことを思い出していた春日局の元に、ばたばたと騒々しい足音が近付いてくる。
 その足音は強く打ち付ける雨音にも負けないほど大きく、次第に人の数が増えていった。

「どうした騒々しい。何かあったのか? 竹千代様がお休みになられている。静かにするように」

 春日局は廊下に出て、あちこちと走る御火之番や御使番に只ならぬ事態を感じ、近くに背を向けて走る者に声を掛ける。

「はっ、申し訳ございません! 駿河の地より早馬が参りました!」

 春日局に声を掛けられた御使番は振り返り、青ざめた様子で春日局に走り寄りながら告げた。

「駿河っ!? 家康様に何かあったのか!?」

 春日局は何かを察知したのか、側に来た御使番に鋭く問い掛ける。


「……っ、家康様、御逝去にございます。駿府城、城主頼宣様より知らせ文が参りましてございます! これより四半刻後、大奥大広間にて、秀忠様より詳しい内容を開示されるとのことです! 大広間にお急ぎください」


 焦った様子で他にもお知らせせねばならぬ方々がいると言って、お使番は足早にその場を立ち去ってしまった。

「……っ! まさか……なんてことだ……! 家康様っ……!!」

 聞くや否や春日局の足ががくがくと震え、膝から砕け落ちるとその場に崩れ壁に背を預ける。
 向かいには庭が見えるが今は雨で視界が悪く、雷も鳴り始めていた。

「いえ……やす……さま……」

 春日局はただ、目の前の庭に降る雨を見ていた。
 涙など全く流れない。
 ただただ、ぼうっと時が止まって、音さえも耳に届かない様子で全く動かなくなってしまった。
 その分、雨が変わりに泣いてくれているようで、それを見送り続ける。

「……福っ! 大丈夫か!?」

 それから数分も経たない内に、春日局の居る廊下の奥からお使番に知らせを聞いた竹千代が正勝と共に春日局の元へとやって来た。

「…………」

 竹千代の言葉は届かないのか、春日局は動きを止めたまま、振り向きもしない。

「福っ!! しっかりしてっ!! お婆様が亡くなられたっ!!」
「春日局様っ!?」

 竹千代と正勝が春日局の側に寄り添うようにしゃがんで訴えても、春日局は動かなかった。

「……っ、どうすれば……。あ、正勝、大広間に先に行って。もう何人か集まっているはず。誰か呼んで来てくれないかな。連れて来る前に春日局が動けそうならこのまま連れて行くから」

 竹千代が春日局の腕を引き、立たせようとするものの、びくともしない。
 竹千代より頭一つ、二つ分、正勝よりも背の高い春日局は体格も良く、竹千代だけでは動かせない。
 正勝と二人でも動く意思のない春日局を連れて行くのは無理だろうと判断した竹千代は正勝にそう促した。

「……はい! どなたか春日局様を一緒に運んでくださる方を探して参ります」

 竹千代の指示の下、正勝は急ぎ大広間に向かった。

「……福……しっかりして」

 その場に残った竹千代は膝立ちで視線が合う様、春日局の肩に両手を置いて、段々と強くなる稲光を背に静かに様子を見守る。

「……家康様が……」

 春日局がやっと言葉を発し、自分の肩に置く竹千代の腕を強く掴む。
 その瞳の焦点は合って居らず、目の前の竹千代と視線が交わることはなかった。

「……っ。もう、そんな時期だったんだね。若く見えるから、もっと長生きしてくれると思っていたのに……」

 痛いくらいに強く掴まれた下膊かはくには春日局の爪が食い込んでいた。
 竹千代は痛みに眉を顰めつつも構わず春日局に語りかける。

「お婆様と福は、つまり、そういう仲だったわけだよね? それなら、尚更辛いよね……」

 辛いね……。

 そう思いながら、竹千代は膝立ちのままゆっくりと春日局の首に腕を回すと、そっと抱きしめたのだった。

 春日局は黙ったまま、自分を抱きしめる竹千代を条件反射のように抱き返す。

「……お婆様と、もっとお話したかった」

 竹千代の脳裏に以前家康と遊んだ記憶が蘇る。
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