逆転!? 大奥喪女びっち

みく

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【上洛の旅・窮地編】

052 安堵して……

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「ひっく、ひっく……」

 孝の旅籠から出て戻って来たはいいが、か細い鳴き声が旅籠の家光の部屋に行くまでの間、廊下の静寂を乱す。
 夜の帳は疾に落ちて夕餉にはもう遅い時刻だが、未だ宴会が続いており、家光の鳴き声に気付く者は居ない。
 そして、不幸中の幸いといえようか、家光の部屋は離れになっていて、裏口から行き来すれば気付かれることはなかった。

「……っ」

 正勝は沈痛な面持ちで、自分の肩に担がれている家光の弱々しい悲痛な叫びを黙って聞きながら部屋へと運ぶ。
 部屋へと着くと静かに襖を開けて、家光を中に運び入れた。

「……家光様の褥です、もう、大丈夫ですよ」

 そう告げて、膝を畳につけると用意された褥に家光を静かに下ろし、横にならせる。
 家光は返事をせず、涙を零しながら両手を胸元で握って、正勝を見上げる。

「家光様?」

 正勝は家光の様子を注意深く見つめる。

「……っく……はは……」

 家光は震えながら無理に唇を歪ませ、笑うがそれを見て正勝は眉尻を下げる。

「家光様、無理に笑わなくていいんです。……怖かったですね」

 掛け布団を家光に掛け、その上からぽんぽんと安心させるように家光の合わせた手の部分を優しく撫でた。 

「ん。……った、……わ、かった」
「はい」

 搾り出すような家光の声に正勝は聞いていますよと返事をして、続きを待つ。

「怖かったよ、怖かったよぅ!」

 家光の瞳からはやっと安心できたのか、ボロボロと次から次へと涙が溢れ出ていた。

「大丈夫ですよ、もう大丈夫」

 正勝はあやすようにとんとんと、家光の手が置かれているであろう場所を撫でる。

「……っく、……ん、う……」

 正勝の優しい声に家光の目が眠そうに瞬く。
 緊張から開放されたのか、眠気が襲ってきたようだった。
 家光の目蓋が静かに落ちて、正勝は一息吐く。

「おやすみなさいませ、家光様」

 そっと呟いて、正勝は立ち上がろうと両手を畳について家光に背を向け腰を上げようとすると、

「行かないでっ!!」

 慌てたような衣擦れの音と共に、家光が掛け布団を剥いで立ち上がろうとした正勝の背後に抱きついたのだった。

「っ、家光様っ!?」

 正勝は驚嘆し、前のめりに転びそうになるものの、両腕でなんとかそれを留める。

「……今日は一人にしないで」

 家光の細い腕が正勝の腰辺りを強く抱きしめる。

「……それは……」

 正勝は自分にしがみつく家光に胸を痛めていた。

(それはとても嬉しい申し出なのですが、先程の孝様と私は違う人間ではあるけれども、私とて男であって……云々)

 願ってもないチャンスなのだが、正直家光の半裸を見てしまったので、ぐらぐらと揺れているのである。

 それに、浴衣の前身頃を合わせたものの、帯は忘れて留めていない状態。

 胸の感触が背に伝わっているのである。

 温かい。
 温かくて心地良くて落ち着く。

 それと同時にやはりぐらりと来るのである。
 家光を抱きたい衝動に駆られるのである。

 だが、正勝は思う。

(ここで欲に呑まれ家光様の身体だけ手に入れても先はない。私はずっと、ずっと家光様と一緒に居たいのです)

 真に家光を想う正勝にはその一念があれば良いのだった。

 とはいえ、年頃の男児。
 揺れるのも無理は無いのである。

「完全に眠るまででいいから、お願い」

 家光は懇願するように固まる正勝を見上げ、縋る。

「……わ、わかりました、頑張ります……」

 丁度上目遣いになったのか、正勝が振り向くと視線が合ってしまい、正勝は自分には家光に逆らうことなんて出来ないと悟ったのだった。





 ――衣擦れの音だけが静かな部屋に木霊しては溶けていく。

「あのっ、本当にこんなので眠れるんですか!?」
「うん、泣き顔見られると恥ずかしいし、正勝温かいし」

 正勝が壁際に背を預け胡坐を掻いて座ると、家光は正勝の片太股に両足を投げ出し股の間にお尻をついて、上半身は 抱きつくようにして密着して座っていた。
 家光は俯いており、正勝からは表情は見て取れなかった。

「でもこれでは、私は動けません」
「動かなくていいよ」

 正勝のうろたえた声に反し、家光の声色が徐々にいつも通りに戻ってゆく。

「……では、じっとしています」

「背中とんとんしてね」
「はい」

 家光に言われた通り、正勝はとんとんと、家光の背を優しく叩く。
 密着しているからか心臓はばくばくではあるが、家光の顔が見えないので、いくらかは楽だった。

「……吃驚しましたね」
「うん、うん……びっくりしたんだ、まさかの超展開で思考が追いつかなくて……」

(いや、本当に吃驚したのよ、突然あんなことになるとは思わなくってさ。心の準備さえあれば……いや、でもやっぱ初めては好きな人とが……って夢見すぎかしら……)

 正勝に抱きついたまま、家光は思案する。
 もう少し雰囲気が良かったりすれば自分は受け入れていたのかもと思うが元喪女がゆえ、初めてはやはり好きな人がいい。 

 これに尽きるのである。

「遅くなってすみませんでした。秀忠様から聞いて何やら嫌な予感がしてすぐ会場から出たのですが、どこに居られるのかわからず全ての部屋を探したのですが見つからず、隣の旅籠に孝様ご一行が泊まられていると聞いてもしやと思い……いえ、確信してひと部屋ひと部屋開ける時間も惜しく、突き破っていってしまいました」

 正勝の申し訳なさそうな照れたような声が家光の耳元に優しく響く。

「ふふっ、それもっと驚いたよ……ありがと正勝」

 そういえば助けに来てくれた正勝、格好良かったなと家光は思い出す。
 汗を振り乱し、刀を振るっていた姿が目蓋の奥に焼きついている。
 一生懸命私のことを探してくれたんだと、少し濡れている襟元に頬を埋めると心が温まるのを感じた。
 いつも家光に剣術でも弓でも負ける正勝が、今日ほど頼もしく思ったことはなかった。

「当然のことをしたまでですよ」
「正勝が居てくれて良かった……」

 正勝の言葉にぎゅうっと家光は更に強く抱きついて頬ずりをする。
 子猫のような無邪気な仕草にも関わらず、正勝が「あっ……」と切ないような声を発したが家光には気付いてもらえなかった。

「……んん……」

 その内に家光は再び眠気を感じ、目蓋を閉じる。

「……家光様、あのっ、少し苦しいです……って、眠ってしまわれました?」

 家光の腕が首を締め付けていたのか、正勝が身動ぎすると、すーっと静かな寝息が正勝の耳に届く。

「……良かった。今度こそ安心して眠られたようだ」
 
(……お可哀想に、いくら伴侶になる方だとはいえ、あのようなやり方は……)

 正勝はほっとしながらも、家光の心に傷がついたのではと、憂慮する。
 明日起きたら、何てお慰めしようか。

 明日からの旅は続けられるだろうか。
 春日局様に報告はどうすればいいのだろうか。

 孝様との御婚姻はどうなるのだろうか。

 薄暗い部屋の明かりをぼうっと眺めながら、そんなことを考える。

 ふと気がつくと、足が痺れ始めているのを感じ家光を褥に戻そうと思うのだが……。

「……もう少し、このままでもいいですか? 家光様」

 正勝は家光の背を撫でながら少しだけ強く抱きしめるのだった。


 ――そんな時が一刻程過ぎた頃。


「……殿、正勝殿」


 頭上から声が落ちて、とんとんと、正勝の手の甲に誰かの指の感触がする。

「ん……?」

 いつの間に眠っていたのか、正勝はぼんやりと目を開いて、声のした方を見上げた。

「あ、風鳥……ですか、何していたんですか。家光様が……」

 正勝は辺りを見渡した。
 部屋の明かりは先程のまま、闇が先程より深くなっている。

 つまりはまだ、そんなに時間は経っていない。
 そして、家光は未だ自分の腕の中だ。

 すーすーと寝息を立て深い眠りに入っている様子で、多少の話し声には反応しなかった。

「……そのことで、局様がお呼びですよ」

 風鳥が深刻そうな顔で親指だけ立てた拳を隣の部屋の襖へと向け、促す。

「……ああ、そうでした。ご報告しないと……少し待っていただいていいですか?」

 正勝はそう告げると家光の身体を抱き上げようと、肩から家光の腕を解いた。

「あ、私が」

 風鳥が家光を褥まで運ぼうとするが、正勝の手がそれを制す。

「いえ、私がお運びします」
「あ、そうですか……」

 正勝が家光を褥に寝かせ、掛け布団を掛ける。
 家光の浴衣は正勝に抱きつく前に留めてもらっていたのか、きちんとしていた。
 風鳥が見守る中、正勝は床の間に置いてあった水差と湯呑を枕元に置くと、一息吐いて、家光に一言添える。


「……おやすみさないませ、家光様」


 正勝のその声はどこまでも優しく、愛おしい者に告げる愛の告白のように聞こえた。

「今晩はちゃんと見ていますので、安心してください」

 正勝の様子に風鳥が何となくそう伝えると、正勝の唇が弧を描き、柔らかく微笑む。

「はい、よろしくお願いします」

 そうして正勝は頭を下げて部屋から出て行ったのだった。

「……それで家光様は……?」
「はい……」

 襖越しに春日局との会話が僅かに聞こえるが、部屋を移動していったのか徐々にそれは聞こえなくなってしまった。


「……あーあ。こんなに泣き腫らした顔して……」


 風鳥は眠る家光の横に胡坐を掻いて座ると、家光の頬に涙の後を見つけたのか、懐から手拭を出して正勝の置いていった水差でそれを濡らし、家光の頬を優しく拭う。

「んん」

 家光は眉を顰めるが、起きる様子はなかった。

「……俺が月花と交代してなけりゃ、こんなことにならなかったのにな」

 風鳥はぎりぎりと拳を握り締め、唇を噛み締める。
 風鳥に家光が居ないことを知らされたのは随分経ってからだった。
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