逆転!? 大奥喪女びっち

みく

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【上洛の旅・邂逅編】

071 狐さん

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「お待たせ」
「あ、おかえり、ありがとう!」

 家光は獣の喉辺りを掻きながらもふもふを堪能していたのだが、水の入った手桶を持った風鳥が戻って来たので、手を止めた。
 そして、風鳥は柄杓で水を掬って破れた袖を濡らし、搾って渡してくれる。

「……ちょっと染みたらごめんね?」
「キュー……」

 家光は風鳥から濡れた布を受け取ると、優しく告げてから獣の怪我した足にそれを宛てた。

「にゃぁあああっ!!」
「痛いよねっ、ごめんねっ、我慢してねっ」

 家光が血の滲んだ場所を拭いていくと、獣は鳴き叫ぶ。
 かなり深く傷ついているようで、ここから動かない理由が分かった気がした。
 動かないのではなく、動けなかったのだ。

「……お前、牙向いたり、反抗したりとかないのな……(……変な狐……ってか弱ってるだけか?)」

 風鳥は家光に襲い掛かるともわからない獣を監視するため、すぐ傍でしゃがんで待機している。
 風鳥がさらっと“狐”と心で呟いたのだが、そうなのだ。
 色が白いので一般にきつね色とされるものとは異なるが、目の前の獣は狐なのである。

「……うわぁ……これは痛いよ……枝がぐっさり刺さってる……」
「うわ……痛そう……」

 水を掛けながら血を洗い流して拭うと、折れた枝が足に刺さっていたのだった。細いタイプのストロー程度の太さ、短い枝だが先は尖っていて、形はまるで太い針の様だ。それが骨と骨の間の皮膚を貫通している。

「早く抜いてあげないとだね。でも、ここじゃ暗くてよく見えないよ……」
「少し移動させるか……。おい、ちょっと動かすから大人しくしてろよ?」

「みゃうっ!!」

 風鳥が手を差し出して触れようとすると、ぐわっと牙を向いて噛みつく仕草をするため、手を引っ込める。

「なっ!?」
「えっ!? わんちゃん噛んじゃ駄目だよ! 助けてくれるんだから!」

 家光は狐の頭を撫でて宥める。

「キューン……」

 家光の優しく撫でる手に、狐は甘えるように擦り寄るのだった。


「わんちゃん、大丈夫だからね。私が運んであげる」


(重そうだけどやってみっか)


 家光は気負い立って狐の腋辺りに手を差し入れ、持ち上げようと試す。

「わん……ちやん?(一度も“わん”とは鳴いてないぞ……)」

 風鳥は噛まれるのは嫌なのでとりあえず見守ることにした。

「……重っ……くない? あれ?」

 家光が持ち上げようとした瞬間、狐は僅かに身体を動かしてくれる。
 だが前足も少し引き摺っていた。

「……わんちゃん、手伝ってくれるんだね? 何ていい子なの……明るい所に行こうね、あと一尺ちょっとずれてくれればいいからね」

 家光も手助けして、陽の当たる場所まで狐の居場所をずらしたのだった。

「よし、これならよく見える。今抜いてあげるね」

 “キューン……”と狐が家光に応えるように鳴くものの、その声は小さく、随分と弱っているように見えた。

「家光、俺が代わろうか?」
「いいよ、わんちゃん風鳥に噛みつくし、狂犬病とか心配じゃん?」

 家光はじーっと狐の患部を見つめる。
 また少し血が滲んできたのでそれを濡れていない布で拭き取った。

「狂犬病……? 狂犬たぶれいぬのことか?」
「たぶれ……?」

 家光と狐の位置が変わったので、風鳥も立ち上がり、移動しながら訊ねてみるが、風鳥の話を聞きながら家光は枝を取り除くべく、指を患部に近付けていく。

「昔から狂犬たぶれいぬは殺してもいいことになってる。こいつがそうなのか? ……ふむ……」

 風鳥はそう告げると、身体を近くの松の木に背を預け顎に手を宛てて黙り込んだ。

「あ、いや、そういうことじゃないけどね。何故か私には大人しいし一応」

(狂犬病って昔からあるって聞くし、狂犬たぶれいぬって狂犬病を患ったわんちゃんのことだったのかな……)

 家光はそんなことを考えながら、指が血の付いた枝に触れようとする。

「待て」

 患部に触れようとした瞬間、家光は手首を掴まれた。

「何」
「血に触れるな、というかこいつに触るな」

 風鳥の表情が険しい。

「何言って……触らないと取ってあげられないでしょ!」
「駄目だ。病気になったらどうする」

 家光が振り払おうとするが、風鳥の手はびくともしない。

「っ、大丈夫だよ! 私どこも怪我してないし! すぐ手を洗えばいいでしょ!? しゃぼんだってあるんだから!」
「あんたこいつが何かわかってんのか?」

 風鳥の手は緩むことなく家光の手首を押さえている。

「え? 犬」
「狐だよ、き・つ・ね。野生のな」

「狐!?」

 家光は目を見開く。

(完全に犬だと思ってた……)

 狐を見下ろしまじまじと見つめる。確かに、犬とはちょっと違う感じがする。明るい場所に移動させたからか、はっきりわかる。
 白いと思っていた毛は白じゃなかった。灰……いや、白銀に輝いている。
 一部土やらで汚れているのでわかり辛かったが、この狐は白銀の狐なのだ。
 家光は実物の狐を見た事が無いのでわからなかったのである。

「綺麗な……もふもふ」
「もふもふて……。とにかく触るな」

 家光の目がもはやどっちでもいいと訴えていた。掴まれた手の指がわきわきと動いている。
 そんな家光の様子に風鳥は、力任せに手首を自分の鳩尾辺りに引き寄せた。

「……っ……何すん(痛いんだけど!?)」

 ちゅぅ、っと不意に風鳥からキスされる。

「っ!? っあ……な、何……んんっ!?」

 家光の唇に噛みつく様に風鳥は口付けをしていく。
 下唇を甘噛みして、口腔内にも侵入していこうとする。

「馬鹿っ!!(今はそれどころじゃない!)」
「えっ……!?」

 家光の怒声と共に鈍く胸を打つ音が聞こえて、風鳥は尻もちをいた。
 その拍子に掴まれていた家光の手首が自由になる。

「エキノコックス上等、狂犬病がなんぼのもんじゃいっ!!」

「え、えきの?(何だって?)あっ! 触るなって!!」

 家光は風鳥が尻もちを搗いた隙に、さっさと枝に触れて一気に抜き去った。

「キャウゥン!!」

「あっ、ご、ごめんねっ、ゆっくりだと逆に痛いかと思って」

 それまで黙っていた狐が痛みに鳴き叫ぶ。どうやらまだ生きていたようだ。
 家光は慌てて狐を落ち着かせるように頭を撫でてやる。

「キュゥウーン……」

 狐は遠吠えするような恰好で目を細めて家光にお礼を告げるように鳴いた。

「よしよし、良かったね。まったく何、この枝! 何でこんな尖ってるの!?」

 狐の頭を撫でながら取り除いた枝を見る。血はついているものの、抜く前に見立てた通り、その形状は先が綺麗に尖って、途中には返しのような突起が付いていた。まるで人工的に作られた矢の矢尻のように見える。

「……狩られたのかもな(てか触るなって言ったのに……)」
「そっか……可哀想に」

 風鳥が不満気に家光を見ていたが、当の家光は枝を“ていっ”と勢いよく地面に叩きつけるように捨ててから、心配そうに狐の様子を窺って薬を塗ってやっていた。

「人間用のだから効くかはわかんないけどね。効きますように!」

 家光が患部を布で巻いてから手を合わせる。

「家光」
「ん?」
「手、洗って」
「あ、うん」

 風鳥が柄杓で水を掬って、家光の手に掛け狐の血を洗い流す。すると近くでシューッっと何かが蒸発したような音が聞こえた。

「ん? 何、今の音。お湯沸かしたみたいな音が聞こえたね」
「……確かさっきあんたが枝を投げた方向……」

 二人は先程投げ捨てた枝が落ちた場所に目をやった。
 家光が勢いよく投げたものだから、その枝は地面に刺さったのだが、その枝が黒く変色し、ブスブスと焦げて崩れ落ちてゆく。
 終には風に流され跡形もなく消え去った。

「……え? 何……? 風鳥今の、見た?(消えた……)」
「あ、ああ……何だ?(気持ち悪……)」

 そうして二人は顔を見合わせ、黙り込む。
 何とも言えない気味の悪さを感じずにはいられなかった。

「キューン!」

 無言になった二人の間の沈黙を、狐のいななきが裂く。

「っ、あ、ごめん、こっちもだった」

 家光は“はっ”と我に返って前足の擦り傷を見つけると、そこも軽く拭いて、先程同様手当をした。
 その隣で風鳥は狐は家光に危害は加えないと判断し、先程枝が刺さっていた地面を注意深く観察している。

「……うん、オッケー! これでよしっ! 安静にしてたらその内治るからね(多分……)」

 適当なことを言いつつ、家光は狐の頭を撫でてやる。家光に一撫でしてもらうと、狐は難なく立ち上がった。
 立ち上がると中々の大きさだ。凛とした佇まいはさっきまで蹲っていた時とは様子が違っていて、もう完全に復活したように見える。

「だ、大丈夫なの?(もう立てるの!?)」

 家光は心配になって、膝をついて座っていた自分と視線の高さが合う狐に手を伸ばす。
 そんな時だった。

「キュゥウウン!」

「えっ? わぁっ!?」

 甲高い鳴き声と共に“あっ、お前っ!!”風鳥の声が頭上から降るも、次の瞬間には家光の身体は地面に押し倒されていた。

 ペロペロペロ!
 ペチャペチャペチャ!!

 狐の舌が家光の顔を舐める。舐めるなんてもんじゃない。もうべろべろ、べろんべろん、べちゃべちゃと、めちゃくちゃである。
 しまいには家光の口の中まで舐め出した。

「んっ、ちょっ……ぅンッ! あっ、っ……!」

(あぁ~……ムチゴローさんな気持ち~……)

 家光は仰向けのまま狐に跨られ、口腔内を犯される。何度も激しく舐められるので、少しぼーっとしてしまう。
 頬も僅かだが紅潮していた。

 相手は狐ですよ!?

 などという突っ込みをされても、今は考えられそうになかった。

「お前、何して……!」

 風鳥の手が狐の首を鷲掴みにしようとするが、狐はそれを察知したのか“ヒョイッ”と敏捷く軽やかに避けると、家光から離れて距離を取ったのだった。
 風鳥が今度は足元の小石を拾い上げ、狐につぶてを浴びせようとするのだが、身体を起こし立ち上がった家光の手がそれを止める。

「家光! あいつ、お前のこと噛みつ……」
「はぁ……はぁ……噛みつかれては……いないから……はぁ、はぁ」

 家光が息を切らしながら風鳥を見上げる。

「……っ、なんつー顔して……!?」

 風鳥の瞳に涙が滲み、頬を赤く染め、女の顔をした家光が映る。

(特に怪我はしていないようだが、何でこんな顔をしてんだっ!?)

 風鳥は家光の上気した顔を凝視してしまった。

「はぁ……ふぅ……舐められちゃった……ってか……あれ?」
「家光!?」

 フラッと家光の身体がふら付いたかと思うと、ガクンと膝が崩れる。咄嗟に風鳥は家光を支えるように腕を掴んだ。

「……何コレ……力入んないんだけど……」

 風鳥に腕を支えられてかろうじて立ってはいるが、立つことさえも辛いのか、家光の身体は地面に落ちていく。

「家光!? 狐! お前の仕業か!?」

 目と鼻の先だが、捕まえることが出来そうにない距離にいる狐が、風鳥に答えるように“クーン”と澄ました顔で鳴いてこちらを見ていた。

「……風鳥平気、力が入らないだけ。ちょっと眠い。すっごく眠い、めっちゃ眠い。…………寝るわ。あとお願い」

「え? お、おう……」

 風鳥は家光の言葉に彼女を抱き上げる。

「……あ、狐さん、元気になって良かったねぇ……もう悪い人に苛められない様に山の奥に居た方がいいよ?」

 家光はそれだけ言って目を閉じたのだった。
 すると、狐は家光が眠ったのを見届けて背を向け日永の追分へ向けて走り去って行った。

「……あいつ、恩知らずな狐だな……(そっち行ったらまた人間に見つかるだろうが)」

 家光を抱き上げているので、狐を追うことも、一矢報いることも出来なかった風鳥は“ふぅ”と悔しさから溜息を吐くと、追分へと戻ることにした。
 自分の腕で眠る家光を見下ろし、狐に顔や口を舐められたため、何かあったかと心配をしたが、それは杞憂に終わる。

「ぐー……」

 何故なら家光の寝息が涎とともに聞こえて来たからだった。
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