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【城下逃亡編】
251 根回し足らず
しおりを挟む「はあ……、そうですか。困ったな……」
冗談はこれくらいにして……なんて、月花は今度は気落ちしたように溜息を吐く。
基本クールな印象の兄、風鳥とは正反対で、ころころと表情が変わる娘だ。
「ん……? どうかした?」
「ああ、いえ……」
「……やっぱ連れ戻しに来たの? 急な案件でもあった?」
将軍であろうと関係なくいつもはっきり意見する月花が、何故か躊躇っているように見えた。
……やに歯切れが悪い。
表の仕事はともかく、向こう一月分くらいは余計に仕事をこなして今ここに居る。急な問題が発生することがなければ、椿と薊でどうにかでき、二週間の休暇くらいは余裕のはず。
だというのに……。
「んー……休暇はまだ一週間あるんですけど、城でちょっとありまして……」
月花はそれだけ言うと、眉を寄せて黙り込んでしまう。
報告すべきか、せずべきか……、測りかねている様子――。
暫く待ってみたが話が続かないので、突いてみることにした。
「……福が何か言ってた?」
「あー……局さまは放っておけと仰ってたんですが、その……、孝さまが……」
「孝? 孝の奴がどうかしたの?」
突として孝の名を聞き、家光の目が丸くなる。
月花も難しい顔をしているし、何故今 孝の名が出たのだろう……。
家光には見当がつかなかった。
「家光さま。孝さまに根回ししてませんでしたよね?」
「え……あっ。うん、してなかったかも(根回し……?)」
……月花に言われて初めて気付き、頷く。
政に根回しは大切だ。
今回の逃亡計画に関して、春日局と秀忠には秘密だが、護衛の風鳥と月花、正勝や正盛と重澄には根回し済み。椿と薊には正勝から話がいく手筈で、振にはラブレターも送ってある。
抜かりなく根回しはしたつもりだ。
そういえば、孝には特に何も言う必要もないと思っていたから、言っていない。
正室とはいえ、朝ちょっと話をするようになったくらいの相手。姿形も声もそっくりな椿が、影武者として朝の御勤めをすれば気付くこともないだろう。
そんな相手に根回しなどする必要があるというのか――、必要性を感じない。
……そう思っていたが、月花の眉間の皺は刻まれたまま。
ふと、その眉間の皺が解かれ、今度は目を伏せた。
「その……、家光さまの代わりに、椿ちゃんが朝の御勤めをしていたんですが、留守が孝さまにばれてしまいまして……」
「う、ん?(孝にばれた?)」
影武者がばれたことに対する気まずさというより、月花が悲し気な瞳をする理由が何だか気になる。
ばれたところで忙しいと突っぱねれば、どうと言うことも無いとは思うのだが、どうやらそういう話でもなさそうだ。
そんな月花はまた暫く黙り込んでから、意を決したように話し出した。
「……孝さまがお倒れになりました」
「え……ええええっ!? 振じゃなくて、孝がっ? ちょっ……!?」
――どういうことっ!?
月花の言葉につい大きな声が出てしまった。
百歩譲って、身体が丈夫でない振が倒れたのなら わからなくもないが、朝の御勤めで顔を合わせる度、元気に話し掛けてくる孝が倒れるなんて、想像がつかない。
城を留守にしている間に、いったい何があったというのだろうか。
孝が倒れた訳は知らないが、振は大丈夫なのだろうか……、身体が弱い彼が無茶をしていなければいいのだが。
孝よりも振が気になってしまう辺り、振のことがかなり気に入っているのだと改めて思う。
「はい……振さまは淋しそうでしたが、家光さまのために座学に励んでおられますよ」
「よ、よかった……振は身体が弱いから……。で、何で孝は倒れたの?」
月花の話によると、振は息災のようだ。
家光はほっと胸を撫で下ろし、さて、孝が倒れた理由でも聞くとしようと訊ねる。
「それが……、お食事を摂らなくなってしまわれて……。家光さまが帰るまで食べない……と」
「な……、は、はんすとだと……!?」
――なんという、子どもじみた行動を……!
全くなんということか。
よくわからないが、孝がハンガー・ストライキ……ハンストを起こしたらしい。
家光が帰って来るまで――、というのは影武者がばれているとみていい。
なれど、何故ハンストなど……?
理由がやっぱりわからない。
「家光さまが城を出た当日、孝さまは椿にすり替わっていることに気付かれたようです。一度は誤魔化したのですが、独自に調べられたのでしょうね。二週間 城に戻らないことを知ってしまったようなのです。それから家光さまに会うまでお食事を摂らないと仰って……」
話が進むにつれ、最初はただ目を瞬いていただけの家光の表情が、真剣なものへと変化していく。
……月花が話す孝の様子を纏めると――。
椿が朝の御勤めをしていることは当日に気付いたが、最初は将軍だから色々と忙しいのだろうと訊かずにおいたらしい。
ところがその翌日も椿だったから、孝は何かあったのか訊ねたそうだ。
椿は日常会話ならともかく、予期せぬ質問にはまだ対処ができない。
この辺りは薊が得意としているものの、薊では毎日顔を合わせる孝にばれる可能性が高く、痛し痒しで椿を影武者に立てるしかなかった。
そして朝の御勤めは、春日局が不在の今、孝と二人きりで行うことになっている。
孝が上手く誘導したらあっさりばれてしまった――、というわけだ。
更に家光が不在の期間は二週間と知った孝は憤り、椿や正勝、振とも口論になってしまった。
刃傷沙汰にはならなかったものの、調度品を壊したり、御台所に対する礼を欠いているとして、天子に告げ口をするなどと興奮状態で、一時手が付けられなかったらしい。
その内 西の丸に出向中の春日局がやってきて、何とかその場は治まったが、それから孝は食事を摂らず、ハンストを開始した。
そんなハンストを起こしながらも、家光の帰城を願い、朝の御勤めをする椿の横で「家光が早く帰りますように」と呟き、手を合わせ続ける始末――。
そして今朝、ついに倒れたという……。
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