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【城下逃亡編】
253 夏の直訴
しおりを挟む……じっと見つめてくる夏に、なんて返事をすればいいのだろう。
あまりの勢いに圧倒されて、言葉が出てこない。
そんな時――。
「……夏さん、家光さまには粗方お伝えしました。夏さんからもどうぞ」
「あ、はい」
月花が家光の様子を察したのか、助け舟を出すように用件を告げるよう促してくれる。
「あらかたって……」
「……家光さま。どうか城にお戻り願えないでしょうか」
やにわに夏は畳に手をつき、深々とではないが頭を下げた。
「え」
「僕は御台さまの御末をしております。ここ数日間、御台さまは茫然自失でお食事も摂られず、水もあまり飲んではくれません。ただ家光さまにお会いしたいと、ずっとぶつぶつ陰鬱な顔で呟き、部屋に引きこもっておられて……」
成程、夏は孝の下で奉公中の御末だったのか……。
どこかで見たことがあると思ったのは、そういうことだったのかと合点がいくものの、仕える主を心配してこんなところまで、将軍に直訴しに来るとは、なかなか肝が据わっている。
孝の奴、大奥内で良い部下を得たのなら良かった――とは思うが……。
月花と同じ物言いに、今の孝は心が病んでいるように感じた。
「……これがヤンデレか」
「やんでれ……?」
「あ、いや……。それで、夏も私を説得しに来たって?」
つい口からぽろりと漏れてしまったが、ヤンデレがなんであるか、家光にもちょっとよくわかっていない。
御末といったら雑用なんかに従事する下級の勤め人。町人や農民出身者が多いと聞いている。
主人と会話することがなくはないが、そう親しくする身分でもないだろう。
こうして直訴するというのは、孝を相当慕っているとみていい。
家光も御末と会話したりすることはあまりない。
……ただ家光の場合、忙し過ぎて物理的に接触が少ないというだけで、御膳所では、親しくしていたりするのだが。
夏を見てみれば、着ている着物は新品。お辞儀の仕方に若干おざなり感はあるが、身形もきちんとさせているようだし、可愛がっている御末なのだろう。
ちょっと馴れ馴れしいところもあるが、人懐っこく、可愛げのある笑顔に癒されているに違いない。
孝は公家の出だし、夏を雇い入れたのは武家だから、武家を嫌って身分がどうのと、もっと煩いかと思っていたから意外である。
そんな孝は案外良い奴なのだと改めて思った。
「あー、いえ。お戻り願いたい……というのは建前で、孝さまに一筆、文でも認めていただけたらなと思いまして……」
「ん?」
――はて、建前とは……?
顔を上げた夏がやや後ろに下がり距離を取ると、袖から懐紙と矢立を取り出し家光の前に差し出した。
矢立とは、墨壺と筆を組み合わせた携帯用の筆記用具で、夏は丁寧に中の筆を引き抜き、部屋にあった文机を持って来ると、そこに懐紙を広げる。
「孝さまは駄々っ子なんです。家光さまの初めてのお相手になんて なり得ないのに断食なんてして、周りに迷惑を掛けて。お陰で僕も食事抜きにさせられてたんですから。局さまに直訴し、今は夕餉時間をずらして一日分のお食事を 御膳所の片隅でこっそりいただいているのでいいんですけど、僕は一日一食では足りません。以前のように一日三食と、おやつも食べたいんです!」
「お、おぅ……?(三食におやつ……!)」
――孝……、成長期の子に食事を我慢させちゃダメでしょ……。
どうやら孝のハンストは一人でしているわけではなく、周りの者も巻き添えになっているらしい。
夏は見たところ十六、七といったところか、成長盛りなのだろう。食事抜きとなれば背も伸び悩み、正常な成長を阻害しかねない。
一日の終わりにこっそり纏めて食べるしかないなど、成長期の男の子には堪えるはず。
耐え難き想いで直訴しに来た、――といったところか。
……実際は二十歳なのだが、家光は夏の年齢など知らないわけで。
日中ひもじい想いをしたら、それは辛かろうと同情してしまった。
つまり夏がここに来た理由が、家光の異能に惹かれたのではなく、ただ食欲に忠実で、自らのためにここに来た……、ということ。
少年を魅了せずに済んでよかったと、まずはほっと胸を撫で下ろした。
「家光さまにおかれましては、せっかくの大事な休暇です。僕の気持ちと致しましては、孝さまのことなど気にせず、楽しく過ごして頂きたく思います」
そう言って夏は筆に墨を浸し、家光に手渡すべく差し出す。
「ちょ! 夏さん……!?(打ち合わせと言ってることがちゃうねんけど……!?)」
話の途中ではあるが、笑顔で家光に文を勧める夏に向け、月花が声を上げた。
本来ならば、家光と客人が話をしている間に割って入ったりなどしない――のだが、しかし。
こん人、いったい何を言うてはるんや……と、月花の眉間には訝しいのか、深い皺が刻まれている。
「夏……、いや、なっちゃん」
「なっちゃん……? はいっ! 僕のことは是非、なっちゃんとお呼びください。その方が親しみを感じられて嬉しいです!」
「ありがと……」
「へへっ♡ 僕はいつでも家光さまの味方ですからね!」
弟のような年下には親しみを込めて、“ちゃん”付けで呼んでみたが、気に入ってくれたらしい(夏が年上であることは後日発覚するが、それはまだ先の話……)。
そんな夏は鼻の下を人差し指で擦り擦り、嬉しそうに屈託のない笑顔を見せた。
その笑顔に釣られ、家光も目を細める。
この子の笑顔には、人を元気にする力があるのかもしれない……、家光は墨のついた筆を受け取り、短い文を認め始めた。
「ちょ、ちょちょちょまっ……夏さん!? ちょーっとこっち来てくれるー!?」
「え? あ、は、はい~?」
懐紙に墨が付き始めると、月花が慌てて夏を引き連れ別室へと向かう。
「孝へ……、と」
“ご飯はちゃんと食べなさい。それから、断食するなら一人でなさい。夏に三食、きちんとご飯を食べさせること。”
徳川家光……、自分は妻なのだが、筆を滑らせていると なんだか孝の母親になった気分だ。
「それから――」
“もうすぐ帰るから、わがまま言わずにいい子で待ってて。帰ったらお土産渡しに行くからさ。”
……何故私がこんな母親紛いのことを書かなければならないのか。全く手のかかる伴侶だこと――と、家光が筆を置いて認めた文を見下ろす。
「……うーん、子供扱いしたら怒る……か?」
――まあ、孝だし……いっか!
あまりにも子供扱いした文章で少し考えたが、周りに迷惑を掛け、駄々を捏ねるくらいだ。多少子供扱いしてもいいだろう。
最近はあまりなかったが、どうせ口論は今までもしてきているのだ。孝が文句を言ってきたところで、論破してやれば済む。
家光は書き直すことはせず、ふうふうと懐紙に息を吹き掛け、墨を乾かした。
そうこうしている内に、月花が大きな大根を抱え独りで戻って来る。
そこに夏の姿はない。
「あれ? なっちゃんは?(なぜ大根を……)」
「何も言わずに突然の中座、大変失礼しました。夏さんには先に城へ戻って頂きました。私も今日のところはこのまま城に戻ります」
「……月花……。あ、これ孝に渡しといてくれる?」
どうやら夏は先に城へ帰されたようだ。
伝えたいことも伝えたわけだし、用事を終えたのだからまあいいのだろう。
だが先程「いやっ――!」という声と、ばたばたと階段を下りて行った音が聞こえたような……いや、気のせいか。
とにかく直訴されたからには、今日中にでも食事改善をしてやりたい。
後回しにできる案件なら後でいいが、すぐに対応できることは、即座にやるのが家光流。
そんな家光の手には乾かし途中の認めた文――。
まだ乾ききっていないが、孝に宛てた文を月花に手渡した。
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