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【城下逃亡編】
275 腹拵え
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手に載せられた風鳥が作ったらしき握飯を見下ろし、家光の目は大きく瞬いた。
それはずっしりと重く、握飯を包む笹を開いてみればソフトボール大はあるだろうか。一個食べれば充分腹が満たされるであろう代物。形は丸いがまん丸ではなく偏りのある球体で、実際に風鳥が作ったものらしいことが窺える。
「そうか? これくらい普通だろ? さ、食べてくれ。当然だが毒は入ってないぞ」
「あ、ありがと……」
「今朝俺が握ってきた特製握り飯だ。具は梅干しか鮭のどっちかが入ってる。具が気に入らなかったら交換してやるからな」
握飯は二つ持ってきたようで、風鳥はもう一つを取り出し食べ始めた。朝餉も食べずに迎えに来てくれたようで、あっという間に握飯が消えていく。
「ううん、大丈夫。風鳥が作ってくれたんだね」
風鳥が一生懸命握ったと思うとほっこりしてしまう。
彼は器用な方ではない。風鳥が護衛の時、着付けをしてもらったことがないことに加え、細々した作業が発生した時は月花が対応するのが常で。どちらかといえば不器用で料理は向いていなさそうに見える。
だが風鳥は何でもやろうとする性格ではある。苦手な着付けや作業も一度はやってみてから諦めるのだから。その姿勢は素晴らしいと家光は思う。
「不格好で悪いな」
「そんなことないよ。いただきます……ん、少ししょっぱいけど、おいしい……っ」
一口握飯を齧るとほろり。家光の瞳から涙の粒が零れ落ちる。
昨日の朝まで満とこうして向かい合って食事をしていたのに、今、彼はここに居ない。
あの時はお互いに笑顔で幸せな時を過ごしていたというのに――と。
……満のことを思い出してしまい、目の奥が痛んだ。
「ふぇぇん……」
「泣かない泣かない。腹が満たされたら気分も少しは良くなるって」
「ぅぅ……五臓六腑に染み渡るぅ……」
風鳥の作った握飯は少しだけ塩辛く、具も酸っぱい梅干しだったにもかかわらず、米の甘みで食が進んだ。
失恋してしまったが初恋は実らないというし、これでよかったのかもしれない。
……食を進め腹が満たされてくると満のことも冷静に考えられるようになってくる。
満が本当に酷い男であったのかどうか――現時点では判断がつかない。
初めて出会った頃から満は真っ直ぐで強く優しい男だった。
再会してからもずっと優しく接してくれていた。
見つめてくる瞳が優しくて毎日がふわふわと浮かれて現実味がなく、夢の中に居たように思う。
一週間しか一緒に居なかったが他の女の影も特に感じたことはない。
あれが全て演技だったとはどうしても思えなかった。
「……ごちそうさま。風鳥、あっという間に食べちゃった。おいしかったよありがとね……っ」
「おう、ちとしょっぱかったな。また作ってやるな」
「ふふふっ、うん。その時はお茶も一緒にあるとうれしい……」
「承知した……水っ!」
あまりの塩辛さに二人共甕に入った水を慌てて汲んで飲み、笑い合う。
その甕の水なのだが――。
「……みちるさん……汲んで来てくれてる……」
甕を覗くと量は多くないが中の水が新しく追加されていた。
昨晩湯を沸かして使い切ったから空だったはず――。
そういえば身体も胎内に注がれた分が溢れ出てくる以外はあれだけ汗を掻いたというのにさっぱりしている気がする。
つまり満は夜の間に清拭し、わざわざ水を汲んで入れておいてくれた、ということになるのだがやり捨てる女になぜそんなことを……。
身体も拭いて、寝起きに水を飲みたいだろうと用意してくれたのならば、優しい気遣いの何ものでもない。
そんな満に対し悪感情が湧くわけがなく、何か事情があったのだとしか思えなかった。
……今日は一度城に戻るが近い内に古那を訪ねてみようと思う。
彼が本当に無責任な男だったのならば、古那にも黙って居なくなっているはずだから。
「家光」
「ん? え、わっ! な、なに!?」
「担いで帰るから被ってろ」
不意に腕組みしながら満の行動原理を探る家光の頭に手拭いが被せられ、視界が遮られる。
被ってろと言われたが今の恰好は町娘のそれで、城下を歩くのになんの支障もないのだが……。
風鳥は無意味なことは言わない男だ。言われた手前、一応素直に従っておいた。
「か、担ぐ? どして? 途中から駕籠に乗って帰るんでしょ?」
「ああ、そのつもりだ」
「じゃあそこまで歩くよ。腰は痛いし身体は怠いけど、ゆっくりなら歩けるから。一番近い辻駕籠乗り場までそんなに距離ないし」
豆絞り模様の手拭いを顎の下で結んで頬被りをしながら土間に腰を下ろす。
風鳥もすぐ隣に腰を下ろし、顔を覗き込んできた。
何故かじぃっと見つめて彼の頬はぽっと赤く染まる。
「ちっ、虚無僧笠でも持って来るんだった。全然隠れてねえ……不味いな」
「へ? なにが? って草履!」
――なんで仕舞っちゃうのよ……。
土間にある草履が風鳥の懐に仕舞われ、家光は首を傾げる。
草履がなければ外を歩けないのだが?
「今のあんたを歩かせるわけにはいかない」
「えぇ? なんでぇ?(確かに身体は怠いけど歩けない程じゃ……)」
「なんでも」
「……えぇ……? 意味わかんない……ふふっ」
「あぁ、くそっ、可愛過ぎる……」
にへらと微苦笑する家光を前に風鳥は口を手で覆い眉を顰めた。
悶絶とでもいうのだろうか、何かを堪えるように家光から目を逸らせて肩を震わせる。
「かっ、可愛いってなに? 今日なんでそんなに褒めちゃうわけ?」
一体どうしてしまったというのか。
今日の風鳥はやっぱりどこか変だ。
――こそばゆい……。
この一週間、満に褒められ続けちょっぴり自己肯定感の上がった家光は“可愛い”という言葉に恥ずかしさを覚えつつも照れに照れた。
「……っ、すまない、家光。もう限界だから出るぞ」
「え? ちょっ、わぁっ!?」
ふぅーっと深い息を吐いて、風鳥は家光を抱き上げ肩に担ぐ。
そうして障子戸を開くと外に出て、屋根の上へと跳躍した。
「う、わっ……!」
突然の浮遊感に家光は怖くなって目を閉じる。
僅かに身体を震わせながら風鳥の着物にしっかり掴まった。
「しっかり掴まってろよ」
「掴まってるよ!」
「いい子だ!」
まだ目を開けられないが、風を切る音と肩より伝わる振動から風鳥が屋根の上を走っているのはわかる。
目を開けられるようになる頃には長屋の木戸を過ぎていて、家光はふと口を開いた。
「……ありがとう」
色々と世話になったのに文吉にお礼もお別れも言えなかった。
せめてもと、祈りを込めて遠ざかる長屋の木戸に向けて目礼する。
――みちるさんも、ありがとう……。
落ち着いたらあなたの足取りを辿るから、と家光は幸せな一週間を目蓋を閉じて思い出していく。
同じ褥で目を覚まし、同じ褥で就寝する。
一緒に調理をし、一緒に食事をした。
共に洗い物をし、共に洗濯もした。
デートだってしたし、贈り物も貰った。
初めては痛かったが、満たされた。
……どの満を思い出しても胸が疼いた。
本当に幸せだった。
もう過去形になってしまったけれど。
「……みちるさん、……さようなら」
風鳥に運ばれる間、二人で過ごした近所ではどこにでも彼の姿を思い出してしまいそうで、家光は顔を伏せたまま流れゆく景色は見なかった。
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