探偵事務所のドアを開けたら、そこには可愛い柴犬がいました。

とらお。

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神隠しの怪

009

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 頭上でざわざわと深緑が凪いでいる。
 見慣れない顔に対して、まるで帰れと促すように木々は地面に暗い影を落としていた。
 今僕の目の前にあるのは、まさに聳え立っていると表すに相応しい、雄々しい巨大な山の入口。
 あれから色々と聞き込みをした結果、恐らく天狗と思われる影がここに返ってくるのを目撃したことがあるという情報が手に入った。
 ということで、バディと一緒に件の山を訪れたのだけど。

「おや、旦那にお兄さん。奇遇ですねぇ」

 来るものを拒むような厳かな雰囲気に怖気づいていると、気怠げな声とともにどこからかミケがふわりと姿を表す。

「やあ、ミケ。君もここに辿り着いたのか」
「ええ。本当は合流して報告しようと思ったんですが、どうせ旦那なら待ってれば来るだろうなーと思ったんでお昼寝してやした」
「君はもう少し遠慮というものを覚えたほうがいいな」

 くわあ、と欠伸をしながら伸びをするミケ。
 そのまま彼は周囲を見回し、小さく鼻を鳴らした。

「それにしてもこんな外れにある深い山の奥が縄張りなんて、典型的すぎてつまんないですねぇ」
「そういってやるな。妖怪の類は人々の想像通りにしか存在できないんだから。君だってそうだろう?」
「へえへえ。そいじゃ、さっさと登るとしますか。あんまりのろのろしてると一雨来そうですしね」

 彼の言葉に頭上を見上げると、確かに分厚い雲が空を覆い隠して揺蕩っている。
 心なしか湿っぽい匂いもするし……確かに急いだほうが良さそうだ。
 そう思い、足早に山に入ったのは良いものの。

「はあ、はっ……あー、キッツぅ……」

 思わず呟くと、少し前を行っていたバディが心配そうな顔で戻ってきてくれる。

「大丈夫かい? 当たり前だけどこの山は人の手が介入していないから歩きづらいだろう」

 彼の言う通り道ですらない山を登るという行為は、着実に僕の体力を奪っていった。
 毎日仕事終わりに弟を探して歩いていたから体力には自信があるほうだったんだけど……そんな自信も粉々に砕け散りそう。
 心臓が痛いほど早鐘を打ち、胃が締め付けられるような感覚。
 喉からはひゅうひゅうと空気が抜ける音が漏れた。

「ちょっと休憩しよう」
「だ、大丈夫、です……」

 二人の足手まといにはなりたくないと思い、必死に呼吸を整える。
 だけど思えば思うほど呼吸は浅くなっていって耳の奥で心臓の音が鳴り響いた。

「茜、無理はダメと言っただろう。顔も真っ青だ。一度山を降りて……」
「大丈夫っ、です!」

 思わず大声が出てしまって、バディとミケの視線が集中する。
 ぱちくりと瞬きをする彼らと目があうのが気まずくて思わず顔を逸した。

「……弟を、早く見つけてやらなきゃいけないんです。休んでる暇なんてない」

 自分に言い聞かせるようにそう零し、びりびりと痛む太ももを無理やり持ち上げた、その瞬間。

「何をしに来た」

 まるで地の底から響くようなおどろおどろしい声が聞こえ、ぶわりと青臭い匂いが鼻孔を突き上げる。
 と同時に体がふわりと浮くような感じがした。

「茜!」

 足が地面を離れて目の前を黒い羽が舞う。
 何か、得体の知れないものに抱えられている。
 ようやっとそう理解した頃にはもう遅かった。

「チッ、やられましたね、旦那。どうします?」
「私が話をしてみよう。動けるよう構えていてくれ」

 少し遠くに低く構え、しゃあ、と威嚇しているミケと苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべているバディの姿が見える。

「もう一度問おう。招かれざるものども、俺の庭に何をしに来た」

 心臓を鷲掴みされそうなほどドス黒い声に背筋が凍りそうになった。
 本当はすべてが解決するまで目を瞑って耳をふさいでしまいたいくらい怖いけれど……それではきっと事態は収まらない。
 深い息を吐くと同時に心を決め、恐る恐る自分を抱えているなにかを見上げる。
 そこにいたのは、確かに、イメージそのままの天狗だった。

「お初にお目にかかる。私はバディ、探偵事務所のものだ。君が今抱えている人は私の大事な依頼人でね。返してもらえると助かるのだけど」
「問いに答えろ」

 明らかに怒気を含んだ声が鼓膜を揺らした。
 腰に回っている太い腕に力が入ったのだろう、圧迫されて、ぐ、と空気が下の上を滑り出る。

「君が抱えている青年からの依頼を遂行しているところだ。彼の大切な人が行方不明でね。この辺で人間の目撃情報があったと聞き、この森を訪ねたというわけさ」

 口調こそ和やかだがバディの喉からは時折、ぐるる、と低い唸り声が聞こえてきた。

「とんだホラ吹きがいたものだ。この森に人間など居ない。どうせ噂に踊らされたんだろう。直ちに立ち去れ」
「そうは言ってもね。探偵が謎を目前にして消えると思うかい? 火のないところに煙は立たぬとも言うだろう」
「聞こえなかったのか? 私は立ち去ったほうがいいと提案したのではない。立ち去れ、と命じたのだ」

 瞬間、腰にかかっていた圧が強くなる。

「っぐ、あう……っ!」

 思わず声が漏れてしまった。
 しかしすぐに圧は和らいで……かと思っていたら、呼吸が楽な体勢に抱え直される。
 ふいと天狗の彼の顔を見上げると少しバツが悪そうにしていた。
 ……?
 彼は今、何を思っているんだろうか。

「油断大敵!」

 ミケのそんな声が聞こえると同時に小さい体が俊敏に飛びかかってきて、ぎらりと光る牙が天狗の彼の太い腕に突き刺さる。
 流石に痛みに耐えられなかったのか、僕の体を支えていた太い腕は離れていき、支えを失った体は湿った地面に転がった。

「茜、こっちだ、走れ!」

 バディの叫びに背中を押されるようにして足をもつれさせながらも何とか彼のもとまで進む。

「大丈夫かい?! どこか痛みは?」
「だ、大丈夫です。それより、ミケが……!」

 ふいと振り向くと、天狗の彼は腕に噛みついたままだったミケを煩わしそうに睨んだ後、その体をむんずと鷲掴み、乱暴にその辺に放り投げた。

「ふぎゃっ」

 悲痛な悲鳴と共に彼の体は地面で何度かバウンドし転がる。

「ミケ!」

 慌てて泥まみれになった彼の体を抱き上げると手のひらにじんわりと血が滲んだ。

「お、お兄さん、怪我はありませんかい……?」
「自分の心配をしてよ!」

 小さく震えながら僕の顔を見て目を細めるミケの頬をそっと撫でる。
 心なしか、ひんやりとしているような気がした。

「ミケ、やり過ぎだ。刺激してどうする」
「いやあ、つい力入っちまって」

 そう言い、ケタケタと笑ったミケは意識を取り戻すようにして頭を数回振ると、にい、と牙を見せて笑う。

「お兄さん、そんな心配そうな顔しないでくだせえ。あっしは猫又ですぜ。この程度、なんともありやせん」
「で、でも」

 血が、と言いかけた途端。
 遠くからざかざかとなにかの足音が近付いてくることに気がついた。
 音の鳴ったほうに恐る恐る視線をやる。
 そこにいたのは、小さな小さな、男の子だった。
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