探偵事務所のドアを開けたら、そこには可愛い柴犬がいました。

とらお。

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鴛鴦夫婦の怪

015

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「バディくんと、初めて会ったときのことなんだけれど」

 彼の居ないところで聞いて良いものか迷った。
 罪悪感がないといえば嘘になるけれど……でも好奇心に負け、話しだしたおはちさんの次の言葉に黙って耳を傾ける。
 ミケはというと、もう殆どテーブルに乗ってるだろうというぐらいに身を乗り出し、きらきらとした目でおはちさんを見上げていた。

「彼ね、最初にうちにきたときは誰かを必死になって探していたんだ。うちみたいに店舗があるのは此方側じゃ珍しいから、なにか情報がないかと思って訪ねてきたみたい」
「それでそれで? その"探し人"っつーのは、一体どんな人なんですかい?!」
「ええと確か、男性で……年齢は、六十くらい、だったかな。それから、生死は問わない、って」

 生死は問わない。
 その言葉に、ぞくりとした。
 それを察したのかおはちさんは薄く微笑む。

「此方側には、茜くんみたいに生きたまま迷い込む者もいれば、死んで此方に来る者もいる。その探し人の生死がわからないから、彼はきっとそう言ったんだと思うよ」

 そこまでおはちさんが紡いだ瞬間、少し遠くで蝶番が軋む音がした。

「あっ、お客さんだ。ごめんね」

 そう断り、ぱたぱたと去っていくおはちさんの背中を見送りながら、ミケと目を合わせる。
 相変わらず罪悪感に苛まれる僕に対し、ミケはヒゲをぴこぴこと上下させ、にんまりと楽しそうに目を細めた。

「はっはあーん。旦那ってば水臭いですねえ。もう何年も一緒にいるくらいの付き合いだってのに、そんな大事そうなことを話してくれていないなんて」
「……そういう顔をするから話したくなかったんじゃないかなあ」

 まるで玩具を見つけた子供のように目を輝かせているミケに少したじろぐ。

「なんですってぇ、人聞き……じゃあないや、猫聞きの悪い。あっしは真剣に旦那の役に立ちたいと思ってるんですよう」

 けたけたと喉を鳴らす彼。
 その背後に、ゆらりと黒い影が見えた。
 あ。
 と思った頃にはもう遅く、ミケの脳天に柔らかそうな肉球が乗っかる。

「余計なお世話だ、この化け猫」

 まろまゆを歪ませながら低く唸る彼の様子に、ミケの顔面から血の気がさあっと引いていった。

「あー……あンれまぁ、旦那。いらしてたんですねえ。ご依頼に来ていた御婦人はどうされたんで?」
「お前に話す義理はないよ。散々言っているだろう。私には守秘義務があると」
「そ、そう怒らないでくださいよ旦那ァ。茶でも奢りますからあ」
「お前に奢られるほど堕ちてないよ、私は」

 ふんす、と拗ねたように鼻を鳴らしたバディは僕の隣に腰掛けながら、おはちさんが出してくれたコーヒーに口をつける。
 それ以降無言になってしまったバディに、ある程度は申し訳無さを感じたのかミケも居心地悪そうに黙り込んでしまい、店内にはおはちさんがぱたぱたと動き回る音だけが響いた。

「あの、ごめんね、バディ。聞いちゃった。……嫌、だった、よね?」

 静寂に耐えかねた僕は空っぽになったカップを握りしめながら、恐る恐る彼に謝る。
 すると彼は少しだけふいと目を逸らした後、困ったように笑った。

「いや。すまない、大人げなかったな。聞かれて嫌な話なら口止めをしておくべきだった。……それに、嫌だとは思っていないから、大丈夫だよ。だからそんな顔をしないでおくれ」

 ぽて、と彼のふにふにの肉球が頬を滑る。

「バディも、探している人がいるの?」
「……昔の話だよ」

 先程まではあまり自分のことを話してくれない彼らに近付けたようで嬉しかったのだけど、今は話を聞いてしまったことを少しだけ後悔していた。
 だって、言葉を紡ぐバディの横顔が、あまりにも苦しくて。
 そんな顔をさせたいわけじゃないのに。

「もう諦めたよ」
「え……どうして」

 どうして、だなんて、どうしようもないほどに愚問だっただろう。
 だけど自分にとって諦めるという選択肢は絶対に選びたくない最終手段だった。
 だからこそ、問うてしまった。
 動揺を隠せないまま。

「……十年」

 ぽつり、と。
 彼の可愛らしい牙の隙間から漏れる声は掠れていて……。
 もういいと彼の口を塞いでしまいたくなった。

「十年間、毎日、一日中探し続けたんだ」

 口元に描かれた薄っすらとした笑みには、一体どれだけの努力が、寂しさが、刻まれているんだろう。

「それでも手がかり一つ掴めなかった。だから、もういいんだ」

 そう言って窓の外に視線を送る彼の目元はくしゃりと歪んでいた。
 沈黙。
 沈黙。
 沈黙。
 正面に座っているミケも、困ったようにバディの顔と僕の顔とを交互に何度も見て……時折口を開けて声を出そうとしては、でかけた言葉を飲み込んで、またバディと僕の顔を交互に見る、それを繰り返していた。
 それを暫く眺めていると、珍しく焦った様子のミケに、バディが堪えきれないといった様子で吹き出す。

「ふは。ミケ、きみでもそんな顔ができるんだな」

 驚いた、と言いながら彼はくしゃくしゃの笑顔を浮かべた。
 そしてこちらに視線をやると困ったように眉を下げる。

「茜、そんな顔をしないでくれ」

 すり、と少しだけ距離を詰めてきた彼は、鼻先を僕の肩口に擦りつけた。

「きみがそんな顔をする必要はないよ。安心しなさい。きみの弟くんは絶対に見つけてみせるからね」
「……そういうことを心配しているんじゃないよ」
「ふふ。知っているよ。本当に優しい子だ」

 そう言う彼の顔からは募る寂しさのようなものは消えていて、代わりに彼がいつも湛えている大人の余裕が戻ってきている。
 彼がまた少しだけ遠くへ行ってしまったような気がした。

「さて。この話はおしまい。随分長居してしまったし、そろそろ出ようか」

 するとバディはどこからか、唐草模様のがま口を取り出す。

「……バディ、なにそれ」
「何って、私の財布だが?」

 …………ダメだ、笑うな自分。
 耐えろ。
 黒柴が唐草模様のがま口を持ってるのがあまりにもイメージ通りすぎて、吹き出しそうになってしまう。
 あんなシリアスなシーンのあとで申し訳ないので必死に堪えていると、再び入り口から蝶番が軋む音がした。

「おや。客人が来たみたいだね。早いところ退散しようか」

 バディはそう言い、肉球で器用にがま口を開けて千円札を三枚取り出すとテーブルに起き、出口へと向かっていく。
 てか、本当に通貨日本円なんだ、なんて思いながら彼に続こうとしたのだが、数歩歩いたところでバディはぴしりと固まった。
 なにかと思い、彼の視線の先を辿る。

「わ、綺麗」

 そこにいたのは、深みのある渋い色をその身に抱えた、とても綺麗な鳥だった。
 思わず漏れてしまった言葉が本人に聞こえたのか、その鳥はついとこちらに視線を移し、ぱちくりと数度目を瞬かせると気恥ずかしそうに目を細める。

「……ありがとう、人の君」

 目元にある黄銅色が撓んでも、相変わらず彼の姿は美しいままだ。
 ぽつりとお礼を言った彼はそれ以上なにを紡いだら良いか悩んでいるようで、どこかそわそわと落ち着かない。

「あの、どうかしました?」

 思わずこちらからそう聞くと、彼は驚いたように肩を揺らし……やがて、意を決したようにこちらを真っ直ぐと見上げる。

「時に、人の君よ。君は今、何を思って"綺麗"だと言ってくれたんだ?」

 何を思って……?
 質問の意図がわからず困惑していると、彼は申し訳無さそうに、すまない、と零した。

「見ての通り、自分は口下手で。いつも世話になっていると思いを伝えたい相手がいるんだが、どうにもその相手を前にすると……その、うまく言葉が出ないんだ。素直に綺麗だと言える君からヒントを貰えれば、と思ったんだが」

 そう言い、ふいと視線をそらす彼。

「初対面の相手にする質問じゃなかったな。時間を取らせてしまってすまない」

 その横顔には見ているこっちまで赤面してしまいそうになるほど愛おしさが滲んでいる。

「その人のこと、本当に好きなんですね」
「……ああ。恥ずかしい限りだが、一生を添い遂げたいと思った初めての相手だ」

 そういった彼は、また来る、とだけ呟いて店を出ていった。
 その背を見送ってからふいと振り向くと、警戒態勢のまま物陰からおずおずと這い出てきたバディと目が合う。
 鳥の彼の背が消えていった扉の向こうをじとりと見つめたまま、バディは小さくため息を零した。

「全く。本当にきみは、運がいいのか悪いのか」

 微妙な表情を浮かべる彼の後ろから、よたよたとミケが顔を出す。

「旦那ァ、いきなり首根っこ噛んで物陰に引っ張り込むなんて酷いですよぅ」

 いてて、と顔をしかめた彼はそのままついとドアの方を向いた。

「それにしても今のって鴛鴦ですよね? まさか、今日依頼に来ていたあの御婦人の……?」

 ふとバディの顔を見ると彼はだらだらと冷や汗を流しながら気まずそうにぷいと顔をそらす。
 ……肯定と取るしかなさそうだ。

「しゅ、守秘義務が……」
「全然守秘できてないよ、バディ」
「むぐう」
「かかかっ。旦那は隠し事が苦手ですからねえ」

 くちゃりと顔を歪ませたバディに対し、ミケは楽しそうに笑った後、すうと目を細めた。

「世話になっている相手、ねえ。おおかた、浮気相手に貢ごうとでもしてるんじゃないですかい?」
「ち、違うよ。彼は奥さんにプレゼントをしようとしてるんだよっ」

 慌てたように会話に飛び入り、訂正したのはおはちさん。
 しかしそれでもミケは疑うような表情のままだ。

「サプライズにしたいからあんまり言いふらさないでって言われてるんだよ。奥さんもよく来てくれるし、顔見知りが多いからって」
「それじゃあ、あの依頼は奥さんの勘違いってことだね」

 ふう、と安心したように肩をすくめるバディに、ミケがふいと視線をやる。

「いンやァ、まだわかりませんよぉ? 今の鴛鴦が浮気の達人で、四方八方に嘘を吐いている可能性だって拭い切れたわけじゃないでしょう」
「ミケ、お前はどうしてそう意地が悪いんだ。さっきの彼を見ただろう? そんな器用なことができるようにはとても……」
「旦那」
 
 バディの言葉を遮り、ミケはゆっくりと瞬きをした。

「聞いたこと、目に見えることが全てじゃない」

 ゆら、と彼の尾が揺れる。

「この世は目を覆いたくなるほどの嘘で溢れてるんですえ」

 彼の言葉の中で、"嘘"という単語にだけいやに力が入っているような気がした。
 ぐぐ、と体を伸ばしながら彼は続ける。

「もっと疑ってくだせえ。アンタは優しすぎる」

 ミケの言葉に暫し沈黙の後バディはそっと目を伏せ――ああ、そうだったな、と薄く笑った。

「お前は……疑い過ぎな気もするけどね」

 ぽつりとそう言った彼はキャスケットを被り直し、二人の会話をおろおろしながら聞いていたおはちさんに振り向く。
 彼はそのまま小さくぺこりと頭を下げた。

「おはちさん。我々は決してあなたの言葉を疑っているわけじゃない。けれどあなたの言葉を真実にするために、少しだけ調べてみることにするよ」
「……うん。わかったよ、バディくん」

 おはちさんはというと一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐに綺麗な笑みを浮かべ、ひらひらと手を振る。
 そんなおはちさんに見送られながら僕は店を飛び出していったバディとミケを追いかけるのだった。
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