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第二部 向朗先生の三国志の歴史講座
第一回講義その3 曹操の錬金術と青州兵
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【青州兵の真実】
「だがな、若者たちよ。……これには裏がある。その『恩義』の正体を、数字で考えてみたことはあるか?」
私は黒板に向き直り、激しい筆致で数字を書き並べた。
「考えてもみろ。当時、曹操の支配地は兗州の半分程度でしかない。まだ弱小軍閥の一つに過ぎなかった。そんな彼が、いきなり百万人の難民を受け入れたのだ」
カツ、カツ、カツ! と、石筆が黒板を叩く音が響く。
「耕す土地を与え、難民を農地に戻した? ……口で言うのは簡単だ。だが、百万人が暮らすための土地はどこにある? 荒れ地を開墾するには、まず木を切り、根を掘り起こし、石を除かねばならん。水はどうする? 灌漑水路は壊れている。それを修復する資材は?」
私は振り返り、姜維を指さした。
「姜維、農地に苗を植えたとして、何ヶ月で収穫できる?」
「え、ええと……。作物にもよりますが、早くて三ヶ月、麦や稲なら半年から一年は……」
「そうだ。半年だ。では聞くが、その半年の間、彼らは何を食って生きるのだ?」
姜維がハッとして口を閉ざした。
「そもそもだ。百万人分の苗や種籾(たねもみ)を、曹操はどうやって確保した? 鍬や鋤(すき)といった鉄製農具は? 百万人分だぞ? 魏延の部隊の武器を溶かしても足りんわ」
魏延が「冗談じゃねえ」と肩をすくめる。
「さらに言えば、ただ人を土地に放り込めば村ができるわけではない。百人、千人ではないのだぞ?商人や農民、木こりに大工と職業を割り振り、百万人分の帳簿と戸籍を再度作り上げる行政能力が必要になる。……百万人という巨大な人口が、自給自足出来るシステムとして機能するまで、順調にいっても数年はかかる。それが兵站という計算だ」
私は教壇を強く叩いた。
「その『数年』の間、絶えず百万人分の糧……一人一日一升としても、一日約四万石(一〇〇〇トン)の糧が必要になるのだぞ! 備蓄のない曹操軍に、そんな魔法のような飯がどこにあった!?」
教室が静まり返る。
数字という現実が、美談を粉々に粉砕した瞬間だった。
そうだ。飯がないから反乱した黄巾賊なのだ。受け入れたからといって、天から飯が降ってくるわけではない。曹操にとっても、彼らを生かす蓄えなど、最初から一粒も持っていなかったのだ。
「……では、どうしたのですか?」
姚伷が、恐る恐る尋ねた。その顔色は、答えを予感して既に青ざめている。
「ないものは、作るか、奪うしかない。……だが、作るのは間に合わない。ならば、答えは一つだ」
私は地図上の、兗州の隣国を指し示した。
豊かで、平穏で、陶謙(とうけん)という老人が治めていた土地。
『徐州(じょしゅう)』
「だから、曹操が青州兵を受け入れたその年(一九三年)から、徐州への大侵攻が始まるのだ」
【大虐殺と恩義】
生徒たちが息を呑む。
「世間ではこう言われている。徐州の陶謙の配下が、曹操の父である曹嵩(そうすう)を殺害した。だから曹操は、復讐のために弔い合戦を仕掛けたのだ、と。……孝行息子による、悲しくも激しい復讐劇だと」
私は冷ややかに言い放った。
「だが、兵站学の視点では違う。あれは復讐ではない。……『口減らし』と『収穫』だ」
「収穫、とは……?」
「受け入れた百万の青州兵とその家族。彼らを飢えさせないためには、今すぐ大量の食料と、農具と、種籾が必要だった。それが山ほどある場所が、隣の徐州だったのだよ」
私は黒板に『略奪』の文字を書いた。
「曹操軍は通過する先々で、徐州の民を数十万人虐殺したと記録されている。泗水(しすい)の流れが死体で堰き止められたとな。……なぜ殺した? 憎いからか? 違う。殺せば、その家の食料庫を奪えるからだ。住人を殺せば、その村の農具も、種籾も、全て持ち帰ることができる」
姜維が口元を押さえ、吐き気をこらえるように俯いた。
「……そ、そんな……。では、徐州の大虐殺は……」
「そうだ。あれは、新しく抱え込んだ『青州兵』という巨大な胃袋を満たすための、大規模な『狩り』だったのだ」
私は淡々と、しかし決定的な事実を告げた。
「曹操は、青州兵たちにこう言ったのだろう。『お前たちを養う飯はここにはない。だが、隣の徐州にはある。行って奪ってこい。そうすれば、お前たちの家族は生き延びられる』……とな」
魏延が、乾いた笑い声を漏らした。
「……ははっ。傑作だ。元・黄巾賊の連中に、略奪の許可を出したってわけか。そりゃあ強えはずだ。あいつらにとっちゃ、生きるか死ぬかの飯の奪い合いなんだからな」
「その通りだ。曹操は、彼らの『飢餓』と『暴力性』を、そのまま徐州へと向けさせた。そして奪った物資と土地を使って、初めて『屯田制』というシステムを稼働させることができたのだ」
私は生徒たちを見回した。
「これが、曹操の行った『錬金術』の正体だ。ゴミ扱いされていた流民を、精強な軍隊と生産者に変えた魔法。……だがその対価は、隣国の民の命で支払われた」
私は講義を締めくくるべく、教壇に手をついた。
「自らを生かすために、他者を喰らう。……『恐怖の独裁者』『乱世の奸雄』と言われる所以はここにある。徐州の大虐殺も、狂気による暴走ではない。自分たちの組織(ファミリー)を維持するために行われた、冷徹極まりない兵站行動だったのだ」
私は静かに言った。
「彼らが曹操に抱いた『恩義』。それは、『俺たちのために、他所から飯を奪ってきてくれた』という、共犯者としての非情な恩義だったのだよ」
教室は、重苦しい沈黙に包まれた。
英雄譚の裏側に隠された、おぞましいまでの「食」の論理。
それを知った彼らの目には、もはや戦場へのロマンなど欠片も残っていないだろう。
だが、それでいい。
その残酷さを直視できる者だけが、本当の意味で国を守り、民を飢えから救うことができるのだから。
「……ふぅ。今日の講義はここまでだ」
私は黒板の文字を消し始めた。曹操の名が消えていく。だが、その事実は彼らの胸に深く刻まれたはずだ。
背後で、若者たちが深い溜息をつく気配がした。
「だがな、若者たちよ。……これには裏がある。その『恩義』の正体を、数字で考えてみたことはあるか?」
私は黒板に向き直り、激しい筆致で数字を書き並べた。
「考えてもみろ。当時、曹操の支配地は兗州の半分程度でしかない。まだ弱小軍閥の一つに過ぎなかった。そんな彼が、いきなり百万人の難民を受け入れたのだ」
カツ、カツ、カツ! と、石筆が黒板を叩く音が響く。
「耕す土地を与え、難民を農地に戻した? ……口で言うのは簡単だ。だが、百万人が暮らすための土地はどこにある? 荒れ地を開墾するには、まず木を切り、根を掘り起こし、石を除かねばならん。水はどうする? 灌漑水路は壊れている。それを修復する資材は?」
私は振り返り、姜維を指さした。
「姜維、農地に苗を植えたとして、何ヶ月で収穫できる?」
「え、ええと……。作物にもよりますが、早くて三ヶ月、麦や稲なら半年から一年は……」
「そうだ。半年だ。では聞くが、その半年の間、彼らは何を食って生きるのだ?」
姜維がハッとして口を閉ざした。
「そもそもだ。百万人分の苗や種籾(たねもみ)を、曹操はどうやって確保した? 鍬や鋤(すき)といった鉄製農具は? 百万人分だぞ? 魏延の部隊の武器を溶かしても足りんわ」
魏延が「冗談じゃねえ」と肩をすくめる。
「さらに言えば、ただ人を土地に放り込めば村ができるわけではない。百人、千人ではないのだぞ?商人や農民、木こりに大工と職業を割り振り、百万人分の帳簿と戸籍を再度作り上げる行政能力が必要になる。……百万人という巨大な人口が、自給自足出来るシステムとして機能するまで、順調にいっても数年はかかる。それが兵站という計算だ」
私は教壇を強く叩いた。
「その『数年』の間、絶えず百万人分の糧……一人一日一升としても、一日約四万石(一〇〇〇トン)の糧が必要になるのだぞ! 備蓄のない曹操軍に、そんな魔法のような飯がどこにあった!?」
教室が静まり返る。
数字という現実が、美談を粉々に粉砕した瞬間だった。
そうだ。飯がないから反乱した黄巾賊なのだ。受け入れたからといって、天から飯が降ってくるわけではない。曹操にとっても、彼らを生かす蓄えなど、最初から一粒も持っていなかったのだ。
「……では、どうしたのですか?」
姚伷が、恐る恐る尋ねた。その顔色は、答えを予感して既に青ざめている。
「ないものは、作るか、奪うしかない。……だが、作るのは間に合わない。ならば、答えは一つだ」
私は地図上の、兗州の隣国を指し示した。
豊かで、平穏で、陶謙(とうけん)という老人が治めていた土地。
『徐州(じょしゅう)』
「だから、曹操が青州兵を受け入れたその年(一九三年)から、徐州への大侵攻が始まるのだ」
【大虐殺と恩義】
生徒たちが息を呑む。
「世間ではこう言われている。徐州の陶謙の配下が、曹操の父である曹嵩(そうすう)を殺害した。だから曹操は、復讐のために弔い合戦を仕掛けたのだ、と。……孝行息子による、悲しくも激しい復讐劇だと」
私は冷ややかに言い放った。
「だが、兵站学の視点では違う。あれは復讐ではない。……『口減らし』と『収穫』だ」
「収穫、とは……?」
「受け入れた百万の青州兵とその家族。彼らを飢えさせないためには、今すぐ大量の食料と、農具と、種籾が必要だった。それが山ほどある場所が、隣の徐州だったのだよ」
私は黒板に『略奪』の文字を書いた。
「曹操軍は通過する先々で、徐州の民を数十万人虐殺したと記録されている。泗水(しすい)の流れが死体で堰き止められたとな。……なぜ殺した? 憎いからか? 違う。殺せば、その家の食料庫を奪えるからだ。住人を殺せば、その村の農具も、種籾も、全て持ち帰ることができる」
姜維が口元を押さえ、吐き気をこらえるように俯いた。
「……そ、そんな……。では、徐州の大虐殺は……」
「そうだ。あれは、新しく抱え込んだ『青州兵』という巨大な胃袋を満たすための、大規模な『狩り』だったのだ」
私は淡々と、しかし決定的な事実を告げた。
「曹操は、青州兵たちにこう言ったのだろう。『お前たちを養う飯はここにはない。だが、隣の徐州にはある。行って奪ってこい。そうすれば、お前たちの家族は生き延びられる』……とな」
魏延が、乾いた笑い声を漏らした。
「……ははっ。傑作だ。元・黄巾賊の連中に、略奪の許可を出したってわけか。そりゃあ強えはずだ。あいつらにとっちゃ、生きるか死ぬかの飯の奪い合いなんだからな」
「その通りだ。曹操は、彼らの『飢餓』と『暴力性』を、そのまま徐州へと向けさせた。そして奪った物資と土地を使って、初めて『屯田制』というシステムを稼働させることができたのだ」
私は生徒たちを見回した。
「これが、曹操の行った『錬金術』の正体だ。ゴミ扱いされていた流民を、精強な軍隊と生産者に変えた魔法。……だがその対価は、隣国の民の命で支払われた」
私は講義を締めくくるべく、教壇に手をついた。
「自らを生かすために、他者を喰らう。……『恐怖の独裁者』『乱世の奸雄』と言われる所以はここにある。徐州の大虐殺も、狂気による暴走ではない。自分たちの組織(ファミリー)を維持するために行われた、冷徹極まりない兵站行動だったのだ」
私は静かに言った。
「彼らが曹操に抱いた『恩義』。それは、『俺たちのために、他所から飯を奪ってきてくれた』という、共犯者としての非情な恩義だったのだよ」
教室は、重苦しい沈黙に包まれた。
英雄譚の裏側に隠された、おぞましいまでの「食」の論理。
それを知った彼らの目には、もはや戦場へのロマンなど欠片も残っていないだろう。
だが、それでいい。
その残酷さを直視できる者だけが、本当の意味で国を守り、民を飢えから救うことができるのだから。
「……ふぅ。今日の講義はここまでだ」
私は黒板の文字を消し始めた。曹操の名が消えていく。だが、その事実は彼らの胸に深く刻まれたはずだ。
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