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第二部 向朗先生の三国志の歴史講座
第一回講義その4終 解像度の違和感
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【解像度の違和感】
「……さて、時間だ。まとめようか」
私は黒板に書かれた「曹操」の文字と、その下に殴り書きされた「徐州」の文字を、指揮棒代わりにしていた愛刀の鞘先で指し示した。
「黄巾の乱とは何だったか。それは、漢王朝の『配給』という国家兵站が機能不全に陥って崩壊し、代わって現れた黄巾軍が『略奪』という持続不可能な兵站に依存して自滅した物語だ。……そして最後に、曹操孟徳という男が、青州兵による『屯田制』という新たな兵站システムを確立する過程で、徐州という豊かな土地を『兵站確保のために切り捨てた』……そういう、冷徹な兵站の歴史なのだよ」
私は満足げに息をつき、愛刀を教卓の上にコトリと置いた。
完璧だ。
我ながら、完璧な講義だった。
当時の空気感、民の絶望、そして曹操という怪物の凄みと非道さ。それらを余すところなく伝えられたという手応えがある。
私は生徒たちの顔を見渡した。さぞかし感嘆し、私の博識ぶりに舌を巻いていることだろう。
しかし――返ってきた反応は、私が予想したものとは少し違っていた。
感心してはいる。だが、それ以上にどこか妙な、怪訝なものを見るような視線が私に向けられているのだ。
最前列の楊顒(ようぎょう)が、おずおずと手を挙げた。 「……あの、長史」
「なんだね? 質問か?」
「いえ、その……講義の内容は素晴らしいのですが」
楊顒は言葉を選びながら、困惑したように眉をひそめた。
「その、描写があまりにも具体的すぎませんか? まるで、その目で見てきたかのような……いえ、見ているだけでは分からないような、曹操軍内部の空気感まで語っておられましたが……」
隣の姜維も、首をかしげて同調した。
「そうです。黄巾の乱が起きたのは中平元年。今からもう五十年近くも前の話です。長史、大変失礼ですが……今おいくつになられますか? 計算が正しければ、当時はまだ子供、あるいはせいぜい少年だったはずでは……?」
「え? あ、いや……」
私は虚を突かれ、思わず狼狽えた。
しまった。当時の記憶があまりにも鮮明すぎて、つい熱が入ってしまったか。
私は向朗。荊州の出身で、今は六十を過ぎている。黄巾の乱の時は二十歳を超えている。確かに乱世の始まりを見てはいるが、遠く離れた中原の惨状や、曹操の陣営内部の事情まで、まるで当事者のように語りすぎてしまった。
冷や汗が背中を伝う。 まさか、こんなところでボロが出るとは。
「そ、それはだな! 書物を読み込んだのだよ! あらゆる記録、あらゆる証言を収集し、我が脳内で再構築したのだ! 博覧強記の向朗と言えば、天下に知らぬ者はおらんからな! つまりこれは、私の想像力が豊かすぎるというだけの話だ!」
「はあ……」
生徒たちは顔を見合わせ、納得していない様子だ。
窓際で頬杖をついていた魏延
に至っては、「けっ」と鼻を鳴らし、ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべている。
「無理があるぜ、爺さん。あんた、本当は千歳越えてる妖怪なんじゃねえか? 実は太公望と同い年でした、とか言われても俺は驚かねえぞ」
「ば、馬鹿を言うな! 私は正真正銘の人間だ!」
教室がざわつき始めたその時だった。
重厚な扉が、音もなく静かに開いた。
入ってきたのは、一陣の清涼な風のような男だった。
白き衣を纏い、手には羽扇。蜀漢の丞相、諸葛亮孔明である。
「……おや、丞相」
生徒たちが一斉に居住まいを正す。魏延でさえ、慌てて足を下ろした。
諸葛亮は私の横を通り過ぎ、教壇の脇に立った。そして、黒板に残された『黄巾』の文字をじっと見つめた。その瞳は、教室の壁を通り越し、遥か彼方の時空を見通しているかのように深かった。
静寂の中、彼が口を開いた。
「蒼天すでに死す……」
その声は低く、しかし驚くほどよく通った。
「あの忌まわしい呪言が、風に乗って大陸を駆け巡った日のことを、私は昨日のことのように思い出します」
諸葛亮はゆっくりと生徒たちの方を向いた。
「私の網膜に焼き付いているのは、黄色い布を巻いた賊の姿ではありません。……目です。人としての光を失い、ただ飢えと絶望だけを湛えた、獣のような万民の目です」
彼は羽扇を胸に当て、痛ましげに言葉を紡ぐ。
「干ばつが田畑を焼き、イナゴが空を覆い尽くしたあの年。木の皮は剥ぎ取られ、土くれさえも餅として食らい、ついには親が子を、子が親を売って一握りの粟に変える……そんな地獄が、この中華の至る所にありました」
教室の空気が変わった。
私の講義が「分析」だとしたら、彼の言葉は「追体験」だった。
情景がありありと浮かび上がり、その場にいる全員の肌を粟立たせる。
「大地を震わせていたのは、軍隊の騒音ではありません。慟哭です。生きる術を奪われた者たちの、腹の底から絞り出すような、怨嗟と悲鳴の奔流でした」
諸葛亮の声には、悲しみと、そして静かな怒りが込められていた。
「『蒼天すでに死す』。あれは、張角という野心家の煽動などではなかった。あれは、四百年の栄華を誇った漢(くに)が、民を飢えさせた瞬間に鳴らされた、終わりの鐘の音だったのです。政治(まつりごと)が道を失えば、人はこうも容易く修羅に変わるのだと、あの鐘の音は私の魂に焼き印を押しました」
姜維が、息をするのも忘れたように見入っている。 姚伷が、拳を握りしめて震えている。
「誰かが法を破り、私腹を肥やしたその影で、名もなき民が土を食んで死ぬ……あのような世を、二度と還してはならぬのです」
諸葛亮は、祈るように目を閉じた。
「……皆に聞こえますか。今もまだ、あの日の鐘の音が、私の胸の奥で鳴り響いているのです」
しん、と静まり返った教室。
誰も言葉を発することができない。あまりにも切実で生々しい情景描写。その場の全員を当時の奈落へと引きずり込むような、圧倒的な説得力。
「……さすがは丞相だ」
楊顒が感極まったように呟いた。
「そのお言葉、肝に銘じます」
姜維の目には涙さえ浮かんでいる。
――だが。 私は、感動する生徒たちの横で、心の中で盛大に突っ込みを入れていた。
(……待てよ)
私はジト目で隣の男を見上げた。
(丞相。あんた、黄巾の乱の時はまだ**赤子(バブちゃん)**だろうが!)
計算してみろ。あんたは私より一回り以上年下だ。乱が起きた時、せいぜい二歳になったか。記憶にあるはずがない。
赤子に民の慟哭の意味がわかってたまるか。ましてや「魂に焼き印」だと? おむつを替えてもらっていた頃の記憶で、よくもまあそこまで語れるものだ。
だが、生徒たちは誰も疑問に思っていない。
「さすがは丞相だ……」「やはり器が違う……」という顔で、感動の渦に飲み込まれている。
なぜだ。
なぜ私だけが「妖怪扱い」されて、諸葛亮は「さすが」で済むのだ。これも徳の致すところか? それとも単に顔が良いからか?
私が恨めしげな視線を送ると、諸葛亮は涼しい顔でこちらを向き、悪戯っぽく片目をつむって見せた。
『細かいことは気にしないのが長生きの秘訣ですよ、向朗殿』
そんな声が聞こえた気がした。
(……くっ、食えん男だ)
私は諦めの溜息をついた。この男と口喧嘩をして勝てる気がしない。考えるだけ無駄だ。
諸葛亮は私に向き直り、穏やかに微笑んだ。
「見事な講義でした、向朗殿。……この後は、黄巾の乱の、その後の話をしていただけるのですよね。先ほどあなたが話されていたように。乱は、終わっていないと。」
……は?
私は動きを止めた。思考が凍りついた。 今、なんと?
「は?なんだと?」
「戦いは終わっていない。彼らに、戦いの勝利が全てではないという『歴史』という事実の教えが必要です」
諸葛亮は畳み掛けるように続けた。
「……貴方の博識と洞察力ならば、造作もないことでしょう? それに、そもそも黄巾の乱とは、飢えた民だけではない。漢(くに)の中にも存在していた。だからこそ国は急速に滅びに向かう。そうでしょう? 向兄(しょうけい)」
ギクリとした。 向兄。彼が私をそう呼ぶ時は、決まってろくでもない面倒事を押し付ける時だ。逃げ場のない笑顔で私を見つめている。
生徒たちも一斉に顔を上げた。
「おおっ! まだ続きがあるのですね! ぜひ聞きたいです!」
若者たちの目が、期待でキラキラと輝いている。 諸葛亮の目は、逃がさんぞと笑っている。
私は天を仰いだ。
「……しまった。仕事が増えた」
やりすぎたか。私はがっくりとうなだれた。
私の静かで優雅な隠居生活への道が、遥か彼方へと遠のいていく音がする。この男は、使える人材は骨の髄までしゃぶり尽くす気だ。枯れ木のような私からも、最後の一滴まで油を絞るつもりらしい。
だが。 私の胸の奥で、小さく、しかし温かい火が灯るのを感じた。
若者たちのあの真剣な眼差し。
彼らは知ろうとしている。生き残る術を。国を守る術を。
私の言葉が彼らの血肉となり、やがて来る過酷な戦場で、彼らの命を一つでも多く救うかもしれないという予感。
そして何より、この乱世を生き抜いた証を、次の世代へ語り継ぐという使命感。
(……フン。まあ、悪い気はせんか)
私は小さく口元を緩め、諸葛亮に背を向けたまま、ぶっきらぼうに手を振った。
「まあよい。……引き受けよう」
「感謝します」
「ただし!」
私は振り返り、人差し指を突きつけた。
「茶菓子くらい用意しておけよ。あと、丞相府の厨房で作らせた、特別上等な饅頭(肉まん)もな。あれがないと、喉が滑らかに動かんのでな」
諸葛亮は深く一礼した。 「承知いたしました。最高のものをご用意しましょう」
私は「ふん」と鼻を鳴らし、教科書を脇に抱えて教室を出た。 背後で、生徒たちが次回の講義について興奮気味に話し合っているのが聞こえる。
私は書庫へ急いだ。 次の講義のネタを仕込むために……いや、とりあえずは昼寝の場所を確保するために。 だがその足取りは、ここに来た時よりも少しだけ、軽やかな気がした。
ーーーーーーーーあとがきーーーーーーーー
いかがでしたか。
少しだけコミカルな展開としています(*´∀`*)
本作は、向朗を一人称とした歴史もの小説ということで、歴史的事実や、向朗が見ていない・経験していない事柄がとても書きにくい文体となってしまいました。
なので、登場人物によって歴史の講義をするという書き方にして過去に戻ってみました。
「……さて、時間だ。まとめようか」
私は黒板に書かれた「曹操」の文字と、その下に殴り書きされた「徐州」の文字を、指揮棒代わりにしていた愛刀の鞘先で指し示した。
「黄巾の乱とは何だったか。それは、漢王朝の『配給』という国家兵站が機能不全に陥って崩壊し、代わって現れた黄巾軍が『略奪』という持続不可能な兵站に依存して自滅した物語だ。……そして最後に、曹操孟徳という男が、青州兵による『屯田制』という新たな兵站システムを確立する過程で、徐州という豊かな土地を『兵站確保のために切り捨てた』……そういう、冷徹な兵站の歴史なのだよ」
私は満足げに息をつき、愛刀を教卓の上にコトリと置いた。
完璧だ。
我ながら、完璧な講義だった。
当時の空気感、民の絶望、そして曹操という怪物の凄みと非道さ。それらを余すところなく伝えられたという手応えがある。
私は生徒たちの顔を見渡した。さぞかし感嘆し、私の博識ぶりに舌を巻いていることだろう。
しかし――返ってきた反応は、私が予想したものとは少し違っていた。
感心してはいる。だが、それ以上にどこか妙な、怪訝なものを見るような視線が私に向けられているのだ。
最前列の楊顒(ようぎょう)が、おずおずと手を挙げた。 「……あの、長史」
「なんだね? 質問か?」
「いえ、その……講義の内容は素晴らしいのですが」
楊顒は言葉を選びながら、困惑したように眉をひそめた。
「その、描写があまりにも具体的すぎませんか? まるで、その目で見てきたかのような……いえ、見ているだけでは分からないような、曹操軍内部の空気感まで語っておられましたが……」
隣の姜維も、首をかしげて同調した。
「そうです。黄巾の乱が起きたのは中平元年。今からもう五十年近くも前の話です。長史、大変失礼ですが……今おいくつになられますか? 計算が正しければ、当時はまだ子供、あるいはせいぜい少年だったはずでは……?」
「え? あ、いや……」
私は虚を突かれ、思わず狼狽えた。
しまった。当時の記憶があまりにも鮮明すぎて、つい熱が入ってしまったか。
私は向朗。荊州の出身で、今は六十を過ぎている。黄巾の乱の時は二十歳を超えている。確かに乱世の始まりを見てはいるが、遠く離れた中原の惨状や、曹操の陣営内部の事情まで、まるで当事者のように語りすぎてしまった。
冷や汗が背中を伝う。 まさか、こんなところでボロが出るとは。
「そ、それはだな! 書物を読み込んだのだよ! あらゆる記録、あらゆる証言を収集し、我が脳内で再構築したのだ! 博覧強記の向朗と言えば、天下に知らぬ者はおらんからな! つまりこれは、私の想像力が豊かすぎるというだけの話だ!」
「はあ……」
生徒たちは顔を見合わせ、納得していない様子だ。
窓際で頬杖をついていた魏延
に至っては、「けっ」と鼻を鳴らし、ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべている。
「無理があるぜ、爺さん。あんた、本当は千歳越えてる妖怪なんじゃねえか? 実は太公望と同い年でした、とか言われても俺は驚かねえぞ」
「ば、馬鹿を言うな! 私は正真正銘の人間だ!」
教室がざわつき始めたその時だった。
重厚な扉が、音もなく静かに開いた。
入ってきたのは、一陣の清涼な風のような男だった。
白き衣を纏い、手には羽扇。蜀漢の丞相、諸葛亮孔明である。
「……おや、丞相」
生徒たちが一斉に居住まいを正す。魏延でさえ、慌てて足を下ろした。
諸葛亮は私の横を通り過ぎ、教壇の脇に立った。そして、黒板に残された『黄巾』の文字をじっと見つめた。その瞳は、教室の壁を通り越し、遥か彼方の時空を見通しているかのように深かった。
静寂の中、彼が口を開いた。
「蒼天すでに死す……」
その声は低く、しかし驚くほどよく通った。
「あの忌まわしい呪言が、風に乗って大陸を駆け巡った日のことを、私は昨日のことのように思い出します」
諸葛亮はゆっくりと生徒たちの方を向いた。
「私の網膜に焼き付いているのは、黄色い布を巻いた賊の姿ではありません。……目です。人としての光を失い、ただ飢えと絶望だけを湛えた、獣のような万民の目です」
彼は羽扇を胸に当て、痛ましげに言葉を紡ぐ。
「干ばつが田畑を焼き、イナゴが空を覆い尽くしたあの年。木の皮は剥ぎ取られ、土くれさえも餅として食らい、ついには親が子を、子が親を売って一握りの粟に変える……そんな地獄が、この中華の至る所にありました」
教室の空気が変わった。
私の講義が「分析」だとしたら、彼の言葉は「追体験」だった。
情景がありありと浮かび上がり、その場にいる全員の肌を粟立たせる。
「大地を震わせていたのは、軍隊の騒音ではありません。慟哭です。生きる術を奪われた者たちの、腹の底から絞り出すような、怨嗟と悲鳴の奔流でした」
諸葛亮の声には、悲しみと、そして静かな怒りが込められていた。
「『蒼天すでに死す』。あれは、張角という野心家の煽動などではなかった。あれは、四百年の栄華を誇った漢(くに)が、民を飢えさせた瞬間に鳴らされた、終わりの鐘の音だったのです。政治(まつりごと)が道を失えば、人はこうも容易く修羅に変わるのだと、あの鐘の音は私の魂に焼き印を押しました」
姜維が、息をするのも忘れたように見入っている。 姚伷が、拳を握りしめて震えている。
「誰かが法を破り、私腹を肥やしたその影で、名もなき民が土を食んで死ぬ……あのような世を、二度と還してはならぬのです」
諸葛亮は、祈るように目を閉じた。
「……皆に聞こえますか。今もまだ、あの日の鐘の音が、私の胸の奥で鳴り響いているのです」
しん、と静まり返った教室。
誰も言葉を発することができない。あまりにも切実で生々しい情景描写。その場の全員を当時の奈落へと引きずり込むような、圧倒的な説得力。
「……さすがは丞相だ」
楊顒が感極まったように呟いた。
「そのお言葉、肝に銘じます」
姜維の目には涙さえ浮かんでいる。
――だが。 私は、感動する生徒たちの横で、心の中で盛大に突っ込みを入れていた。
(……待てよ)
私はジト目で隣の男を見上げた。
(丞相。あんた、黄巾の乱の時はまだ**赤子(バブちゃん)**だろうが!)
計算してみろ。あんたは私より一回り以上年下だ。乱が起きた時、せいぜい二歳になったか。記憶にあるはずがない。
赤子に民の慟哭の意味がわかってたまるか。ましてや「魂に焼き印」だと? おむつを替えてもらっていた頃の記憶で、よくもまあそこまで語れるものだ。
だが、生徒たちは誰も疑問に思っていない。
「さすがは丞相だ……」「やはり器が違う……」という顔で、感動の渦に飲み込まれている。
なぜだ。
なぜ私だけが「妖怪扱い」されて、諸葛亮は「さすが」で済むのだ。これも徳の致すところか? それとも単に顔が良いからか?
私が恨めしげな視線を送ると、諸葛亮は涼しい顔でこちらを向き、悪戯っぽく片目をつむって見せた。
『細かいことは気にしないのが長生きの秘訣ですよ、向朗殿』
そんな声が聞こえた気がした。
(……くっ、食えん男だ)
私は諦めの溜息をついた。この男と口喧嘩をして勝てる気がしない。考えるだけ無駄だ。
諸葛亮は私に向き直り、穏やかに微笑んだ。
「見事な講義でした、向朗殿。……この後は、黄巾の乱の、その後の話をしていただけるのですよね。先ほどあなたが話されていたように。乱は、終わっていないと。」
……は?
私は動きを止めた。思考が凍りついた。 今、なんと?
「は?なんだと?」
「戦いは終わっていない。彼らに、戦いの勝利が全てではないという『歴史』という事実の教えが必要です」
諸葛亮は畳み掛けるように続けた。
「……貴方の博識と洞察力ならば、造作もないことでしょう? それに、そもそも黄巾の乱とは、飢えた民だけではない。漢(くに)の中にも存在していた。だからこそ国は急速に滅びに向かう。そうでしょう? 向兄(しょうけい)」
ギクリとした。 向兄。彼が私をそう呼ぶ時は、決まってろくでもない面倒事を押し付ける時だ。逃げ場のない笑顔で私を見つめている。
生徒たちも一斉に顔を上げた。
「おおっ! まだ続きがあるのですね! ぜひ聞きたいです!」
若者たちの目が、期待でキラキラと輝いている。 諸葛亮の目は、逃がさんぞと笑っている。
私は天を仰いだ。
「……しまった。仕事が増えた」
やりすぎたか。私はがっくりとうなだれた。
私の静かで優雅な隠居生活への道が、遥か彼方へと遠のいていく音がする。この男は、使える人材は骨の髄までしゃぶり尽くす気だ。枯れ木のような私からも、最後の一滴まで油を絞るつもりらしい。
だが。 私の胸の奥で、小さく、しかし温かい火が灯るのを感じた。
若者たちのあの真剣な眼差し。
彼らは知ろうとしている。生き残る術を。国を守る術を。
私の言葉が彼らの血肉となり、やがて来る過酷な戦場で、彼らの命を一つでも多く救うかもしれないという予感。
そして何より、この乱世を生き抜いた証を、次の世代へ語り継ぐという使命感。
(……フン。まあ、悪い気はせんか)
私は小さく口元を緩め、諸葛亮に背を向けたまま、ぶっきらぼうに手を振った。
「まあよい。……引き受けよう」
「感謝します」
「ただし!」
私は振り返り、人差し指を突きつけた。
「茶菓子くらい用意しておけよ。あと、丞相府の厨房で作らせた、特別上等な饅頭(肉まん)もな。あれがないと、喉が滑らかに動かんのでな」
諸葛亮は深く一礼した。 「承知いたしました。最高のものをご用意しましょう」
私は「ふん」と鼻を鳴らし、教科書を脇に抱えて教室を出た。 背後で、生徒たちが次回の講義について興奮気味に話し合っているのが聞こえる。
私は書庫へ急いだ。 次の講義のネタを仕込むために……いや、とりあえずは昼寝の場所を確保するために。 だがその足取りは、ここに来た時よりも少しだけ、軽やかな気がした。
ーーーーーーーーあとがきーーーーーーーー
いかがでしたか。
少しだけコミカルな展開としています(*´∀`*)
本作は、向朗を一人称とした歴史もの小説ということで、歴史的事実や、向朗が見ていない・経験していない事柄がとても書きにくい文体となってしまいました。
なので、登場人物によって歴史の講義をするという書き方にして過去に戻ってみました。
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