サトシ先生は美しき十代の乙女に手を出さない

白神ブナ

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第8章 三年二学期

第241話  二人だけの甘いタマゴ焼き

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 年末になった。
顔合わせ食事会を無事に終えた二人は、ついにサトシの部屋を「新婚生活仕様」にするべく、本格的な大掃除に取りかかることになった。

「先生、わたしまだ卒業してないけどいいのかなぁ」

「今やらないと、やる機会がない。卒業してからじゃ間に合わないんだよ」

「ヤル機会って何を……ですか?」

「部屋の模様替えと大掃除……。他になにかあるのか?」

「あ、大掃除。そ、そうだよね。わたしったら何言っちゃてんだろ。アハハ! 今の忘れて!」

もしかして……とは思ったが、サトシは桜井の質問の意味がわかった。

「そ、それは……、卒業してからでも間に合うだろ!」

サトシは顔を真っ赤にして叫んだ。
桜井も顔を赤くしながら、いたずらっぽい目で少し笑い気味にツッコんだ。

「だ、だから……、何が間に合うんですかぁー?」

「え? 聞く? わざと聞いてない? 知っててわざと聞いてるだろ!」

「わかってますよ。大掃除ですよね。さ、やるぞー! まずは、お風呂場から攻めようか。あらぁ? 風呂掃除、ずいぶんサボっちゃったね。先生じゃなかったっけ、お風呂場掃除担当者」

「……いや、あの、それは記憶が曖昧で……」

「なんで天井にカビが生えてるのよ! 嫌! こんな天井の下でお風呂に入っていたの? わたし!」

サトシは、真顔で天井を見上げながら一言つぶやいた。

「カビって、こんなところまで上昇志向なんだな……」

「感心してる場合じゃないッ!」

(なんだよ。いきなり通常モードになるなよ。さっきの照れていた桜井のほうが可愛かったのに……)


 続いて、桜井は換気扇のカバーを外した。
中から出てきたのは、ホコリの要塞と化した黒い羽だった。

「これ……信じたくはないけど、これで回っていたの?」

「うん、たぶん気持ちだけ回ってた。それを空回りという……」

「親父ギャグはやめて!!」

(お、親父と言われた。桜井に……親父だと……。軽くショックだ)
 

 桜井が換気扇掃除をしている間に、サトシはトイレ掃除をすることになった。

「先生、トイレ掃除おわったー?」

桜井はサトシの様子を見に来て、ドン引きした。
サトシがゴム手袋を片方しかつけていないことに気づいたのだ。

「先生、……それじゃバリア半分で戦場で戦っているようなものよ?」

「え、これ左右セットだったの?」

「普通手袋って左右セットでしょ。どこに片方捨てたのよっ!!」


 食器棚の整理は二人ですることにした。

「先生、このマグカップ、ひび入ってる。捨てよ?」

「いや、それ大学時代から使ってるやつで……」

「そうだったの? いつも使っているマグカップだけど、こんなに欠けてたっけ?」 

「このあいだ、洗っていて床に落とした。でも、思い出の品なんだよ……」

「ふうーん、どういう思い出? 大学時代からって……それって、元カノじゃないよね。あとで工藤先生に聞いてみようっと」

「ま、ま、まさか……」

「怪しい……。なおさら捨てるべきだわ。でも、捨てられない思い出があるのは尊重するわ。きっと、工藤先生の奥さんでしょ? でも、サトシ先生の奥さんになるのはわたしだから。ねえ、わたしとペアのマグカップ買おうよ。で、これは非常用にしようね」

「それ、もう使わせる気ないじゃん……」

「ないよ」

(怖っ!)


 食器棚を開けていくたびに、サトシの“独身感”あふれる雑多な皿が発掘されていった。

「このカップ麺のフタ押さえる石みたいなの何? 変なの」

「いや、それ……使ってた……」

「かわいくないから却下。こっち、ニワトリの形のにしよう?」

サトシは口を開きかけて、ふっと笑った。

「なんかさ、桜井が来てからさぁ、ここの台所が一気に明るくなったな」

「でしょ? 家庭的な奥さんって感じでしょ?」

桜井はふん、と得意げに笑った。
そして、サトシを真剣な顔で見つめてきた。

「だから……ここで、ちゃんと幸せになろうね、先生」

「うん。なる。……絶対、なる」

まるで、よく調教された犬である。


 大掃除が進む途中で、サトシはついに音を上げた。

「ああ、腹減ったなぁ。休憩しないか? 桜井」

桜井は、そのままのエプロン姿でキッチンに立った。

「そうだねー。ちょっと休憩しよっか。タマゴ焼き、作ってあげる。ふふ、掃除中だけど、これは大事な“糖分補給”だからねー」

桜井はエプロン姿で卵を割り、一年生の時から使い慣れたサトシのキッチンでタマゴ焼きを焼き始めた。

「えへへ。先生、タマゴ焼き好きでしょ?」

卵を溶きながら、桜井は笑った。

じゅわっ、といい音とともに、フライパンの上で卵がふわっと膨らんだ。
甘い香りが部屋に広がると、サトシは思わず小さく鼻を鳴らした。

「……甘いやつだな」

「うん。いつもお弁当に入れているやつ。先生ったら、“甘っ”って言いながら、毎回完食してるじゃん」

「……俺、甘い卵焼きってあんまり食べないけど、桜井のは別格だよな」

「ふーん、つまり“甘さの基準は私”ってことでいい?」

「……うん。あと、ちょっと焦げてるのも、俺は好き」

「はいはい、のろけてる暇があったら、お皿とってー」

ふたりの間に、温かい空気と甘い卵焼きの匂いが広がっていった。



桜井は焼きあがった卵焼きを、お皿に乗せてサトシの前に置いた。

「さあ、どうぞ。お味は……?」

サトシはひと口食べて、ふっと目を細めた。

「んんん――やっぱり、これだな。たぶん、どんな高級レストランの卵料理より好きだ」

「やん! それ、プロポーズよりうれしいかも」

 桜井がデレると、サトシはゆっくり箸を置き、真面目な顔で桜井を見つめた。

「じゃあ、あらためて……、桜井の卵焼きが、一生食べたいです」

 桜井は、真っ赤になった自分の顔を両手で隠した。

「……プロポーズなら、ひまわり畑で聞いたから。こういう不意打ちは反則!」

そう言ってから手のひらを開けると、桜井は幸せいっぱいの顏をしていた。

「いや違う。プロポーズはガーベラの花束のときだ」

(正確には、二回ともだ)

「た、食べよう。早く食べよう。そうだ! 桜井に食べさせてあげようか?」

「なに言って……!?」

「ほら、早くあーんして。早く! はい、あーん」

「バッカみたい! ……あーん……」

焼きあがった卵焼きは、桜井の口の中に入った。

「熱っ! ふひ! ん、美味しい!……だったら、次は先生だからね。はい、あーん」

「バカ! 俺は子供じゃないからそんなこと……、あーーん」

桜井は、サトシの口に玉子焼きを食べさせた。
焼きあがった卵焼きを、お互いに「あーん」して食べ合う二人だ。

「先生の口、ちっちゃ……っていうか、食べ方かわいいかも……」

「桜井が、口の中に入れる量、絶対多すぎなんだよ。君だってほら、口の端に……」

サトシはそっと、桜井の唇についた卵の欠片を拭ってあげた。

その指先に、一瞬の沈黙が訪れた。

「……なんか、結婚するって、こういうのが増えていくんだな」

「うん。家も、心も、掃除して……一緒にきれいになっていくんだね。……ところでですが……、その指先に着いたタマゴ焼きは、どこに行くのでしょうか?」

「これは……、俺が……食う」

「きゃーーー! それ、間接キッスだわ!」

「間接キッスくらいで大騒ぎするな。今から直接するつもりなのに」

「え……?」

サトシが桜井と交わしたキッスは、甘い卵焼きの香りがした。



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