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ふたりの進路編
44.戦友 ──陽介
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「Welcome home!! 我が愛しき息子たちよ!!」
実家の玄関を開けた瞬間、クラッカーの音と共に父さんの暑苦しいハグが出迎えてきた。
思わず一歩引いてしまった俺とは対照的に、秋人は「ただいま、父さん!」と満面の笑みでその腕の中に飛び込んでいく。
秋人は海外育ちだからスキンシップ過多なのかと思っていたけど、もしかすると父さんの血を引いてるからっていうのもあるのか…? なんだか嫌なことに気付いてしまった気分だ。
俺が十七年間暮らしてきた家は、ごく普通の一軒家だ。決して広くはないが、父さんの趣味で飾られた変な絵画や彫刻が至るところにある。
最近気付いたんだけど、昔は母さんと秋人もここに住んでいたのだろうか?
「うわぁ、すごい。これ、父さんが描いたの?」
とある絵画の前で秋人が足を止めた。この家の中に飾ってある絵画の中でいちばん大きいサイズのものだと思う。
「おっ、わかるか秋人! それは俺が若かりしころに描いた『情熱の薔薇』という絵画だよ」
「へぇ……すごいね、色使いが綺麗だなぁ」
俺には何が描いてあるのかさっぱりわからない抽象画を見て秋人が感心したように何度か頷いた。
そうか、秋人はこっち側の人間だったな。ドイツに住んでた時に母さんといろんな美術館に行ったことがあるって言ってたし。
父さんと感性が合うならよかった。俺は絵のことは全然わからないからなぁ。
「さて、もうすぐ晩ご飯ができるところなんだ。準備ができたら呼ぶから、荷物を置きがてら陽介の部屋で少しゆっくりしているといい」
「はーい」
俺の部屋は二階に上がった突き当たり、いちばん奥にある部屋だ。
「どうぞ。特になにもないけど」
「おじゃましまーす」
六畳ほどのなんの変哲もない小さな洋室。ドイツでキラキラした生活をしていた秋人には狭く感じるだろうなぁと思いながら先に部屋に入れた。
勉強机と本棚、シングルベッド。そして部屋の隅に黒い電子ピアノが置かれている。
秋人は吸い寄せられるように電子ピアノの前に向かった。
「いいピアノだな」
「……皮肉か?」
「違うよ。だってこのピアノ、陽介といっしょに戦ってきた戦友ってことだろ? カッコいいよ」
戦友。そんな言われた方をすると、安物の電子ピアノが少しだけ輝いて見えるような気がする。
秋人の細い指が鍵盤の蓋をなぞった。そこには無数の小さな傷がついている。
「……傷ついてるね」
「あー。父さんと喧嘩した時とかに……ちょっと、な」
イライラして物を投げつけた時の傷、練習が上手くいかなくて爪を立てた時の傷、悔しくて泣きながら拳で叩いた時の傷。
俺の荒んだ感情が刻み込まれた、恥ずべき痕跡だ。恥ずかしさで顔が熱くなる。
物に当たるなんて最低だ。ましてや楽器に。
弁解しようと口を開きかけると、秋人が愛おしそうにその傷を指先でなぞった。
「頑張ったんだね。陽介も、この子も」
「秋人……」
「このピアノが陽介の音を守ってくれたってことだろ? ありがとう、ピアノさん」
秋人はそう言って、鍵盤蓋の傷に優しくキスをした。
俺がキスをされたわけではないのに、胸の奥の方が優しく震えた気がする。
「ここは陽介が戦ってた場所なんだな」
「え?」
「たった一人で、音楽を守るために。俺がドイツで呑気にグランドピアノを弾いてる時にも、陽介はこのピアノと一緒に頑張ってた。……すごいよ、陽介は」
俺が隠したかった過去の汚点さえも、秋人は「勲章」みたいに扱ってくれるのか。
胸の奥が熱くなって言葉が出てこない。あぁ、もう。すごいのはどっちだよ。
「弾いてみてもいい?」
「……どうぞ」
コートを脱いで自分のスーツケースの上に置いた秋人は、「よし!」と小さく呟いてから椅子に座って電源を入れた。
鍵盤蓋を開いた秋人が右手人差し指で鍵盤を押すと、ポーンと安っぽい電子音が鳴る。俺がここでずっと鳴らしていた、あまりにも聞き慣れた音だ。
「うん、いい音」
「は? そんなわけないだろ、電子音だぞ」
「ううん、いい音だよ。陽介がずっと触ってたからかな、鍵盤が指に吸い付くみたい」
秋人の指が丁寧にスケール(音階)を奏で始める。
不思議な気持ちだ。俺がずっと一人で叩き続けていたピアノに秋人が触れているなんて。
「うぅーん、でもやっぱり鍵盤が重いな…。あっ、だから陽介はタッチコントロールが上手いんだ!」
「……急に褒めるな」
「ふふっ、照れてる~」
指の動きはそのままで、柔らかく目尻を下げた秋人が顔を見上げてくる。秋人に対してたまに猫みたいだなって思うことがあるけど、ちょっとタレ目気味だから猫目ってわけじゃないんだよな…。それなのになんなんだ、この溢れ出る猫っぽさは。
ふと俺から視線を外した秋人は、いったん鍵盤から手を離して張り切って腕捲りをした。
「よーし、じゃあ俺がなにか弾いてあげるかな! 陽介の戦友に新しい思い出を刻んでやるよ!」
「ははっ、お手柔らかにな」
秋人が弾き始めたのはクリスマス曲のアレンジだった。まるでグランドピアノのような深みのある音が聞こえる気がする。
キラキラしていて、でも計算し尽くされたロジカルな演奏はまさに『月島秋人の演奏』といった感じだ。どこまでいっても『王子様』なんだよな、ほんとに。
感情重視で感覚で弾いてしまうことも多い俺には到底真似出来ない、英才教育を受けてきた人間のピアノだ。電子ピアノでも個性が出るもんなんだなぁ。
次々と和音が増やされていき、ロマンチックな原曲の影がどこにもないぐらい力強い響きへと変わっていく。
高貴で、どこか傲慢さもあって。俺がずっと好きだった、秋人にしかできないアレンジだ。
(戻ってきたんだな、秋人のピアノが)
高等部に進学する少し前から、秋人は俺のせいでスランプに苦しんでいた。俺たちは生き別れの兄弟だ、と最悪なタイミングで告げたあの日から。
でも秋人はいま楽しそうにピアノを弾いている。痛々しく叫ぶようだった音も、きちんと芯が通って頼もしい。
「おいおい、どっちだ!? どっちが弾いてるんだ!?」
曲が終盤に差し掛かったところで、ノックもせずに父さんが部屋に入ってきた。
秋人が驚いて演奏を止めてしまう。
「秋人か! どうだ、そのピアノは? 最高だろ?」
なんで父さんがドヤ顔してるんだ…?
しかし秋人はにこっと嬉しそうに笑ってから演奏を再開させる。
「最高だよ! さすが東城陽介のピアノの音を作ったピアノだなぁって感じがする!」
褒めすぎだ、絶対に言いすぎだ。このピアノはそんなにいいもんじゃない。
でも顔が熱くなって、きっと赤くなってしまってるだろうから慌てて俯いた。秋人のピアノと、父さんの嬉しそうな声が少し遠くに聞こえる。
この部屋に秋人の音が響いたことが、過去の自分への救いになったような気がした。
実家の玄関を開けた瞬間、クラッカーの音と共に父さんの暑苦しいハグが出迎えてきた。
思わず一歩引いてしまった俺とは対照的に、秋人は「ただいま、父さん!」と満面の笑みでその腕の中に飛び込んでいく。
秋人は海外育ちだからスキンシップ過多なのかと思っていたけど、もしかすると父さんの血を引いてるからっていうのもあるのか…? なんだか嫌なことに気付いてしまった気分だ。
俺が十七年間暮らしてきた家は、ごく普通の一軒家だ。決して広くはないが、父さんの趣味で飾られた変な絵画や彫刻が至るところにある。
最近気付いたんだけど、昔は母さんと秋人もここに住んでいたのだろうか?
「うわぁ、すごい。これ、父さんが描いたの?」
とある絵画の前で秋人が足を止めた。この家の中に飾ってある絵画の中でいちばん大きいサイズのものだと思う。
「おっ、わかるか秋人! それは俺が若かりしころに描いた『情熱の薔薇』という絵画だよ」
「へぇ……すごいね、色使いが綺麗だなぁ」
俺には何が描いてあるのかさっぱりわからない抽象画を見て秋人が感心したように何度か頷いた。
そうか、秋人はこっち側の人間だったな。ドイツに住んでた時に母さんといろんな美術館に行ったことがあるって言ってたし。
父さんと感性が合うならよかった。俺は絵のことは全然わからないからなぁ。
「さて、もうすぐ晩ご飯ができるところなんだ。準備ができたら呼ぶから、荷物を置きがてら陽介の部屋で少しゆっくりしているといい」
「はーい」
俺の部屋は二階に上がった突き当たり、いちばん奥にある部屋だ。
「どうぞ。特になにもないけど」
「おじゃましまーす」
六畳ほどのなんの変哲もない小さな洋室。ドイツでキラキラした生活をしていた秋人には狭く感じるだろうなぁと思いながら先に部屋に入れた。
勉強机と本棚、シングルベッド。そして部屋の隅に黒い電子ピアノが置かれている。
秋人は吸い寄せられるように電子ピアノの前に向かった。
「いいピアノだな」
「……皮肉か?」
「違うよ。だってこのピアノ、陽介といっしょに戦ってきた戦友ってことだろ? カッコいいよ」
戦友。そんな言われた方をすると、安物の電子ピアノが少しだけ輝いて見えるような気がする。
秋人の細い指が鍵盤の蓋をなぞった。そこには無数の小さな傷がついている。
「……傷ついてるね」
「あー。父さんと喧嘩した時とかに……ちょっと、な」
イライラして物を投げつけた時の傷、練習が上手くいかなくて爪を立てた時の傷、悔しくて泣きながら拳で叩いた時の傷。
俺の荒んだ感情が刻み込まれた、恥ずべき痕跡だ。恥ずかしさで顔が熱くなる。
物に当たるなんて最低だ。ましてや楽器に。
弁解しようと口を開きかけると、秋人が愛おしそうにその傷を指先でなぞった。
「頑張ったんだね。陽介も、この子も」
「秋人……」
「このピアノが陽介の音を守ってくれたってことだろ? ありがとう、ピアノさん」
秋人はそう言って、鍵盤蓋の傷に優しくキスをした。
俺がキスをされたわけではないのに、胸の奥の方が優しく震えた気がする。
「ここは陽介が戦ってた場所なんだな」
「え?」
「たった一人で、音楽を守るために。俺がドイツで呑気にグランドピアノを弾いてる時にも、陽介はこのピアノと一緒に頑張ってた。……すごいよ、陽介は」
俺が隠したかった過去の汚点さえも、秋人は「勲章」みたいに扱ってくれるのか。
胸の奥が熱くなって言葉が出てこない。あぁ、もう。すごいのはどっちだよ。
「弾いてみてもいい?」
「……どうぞ」
コートを脱いで自分のスーツケースの上に置いた秋人は、「よし!」と小さく呟いてから椅子に座って電源を入れた。
鍵盤蓋を開いた秋人が右手人差し指で鍵盤を押すと、ポーンと安っぽい電子音が鳴る。俺がここでずっと鳴らしていた、あまりにも聞き慣れた音だ。
「うん、いい音」
「は? そんなわけないだろ、電子音だぞ」
「ううん、いい音だよ。陽介がずっと触ってたからかな、鍵盤が指に吸い付くみたい」
秋人の指が丁寧にスケール(音階)を奏で始める。
不思議な気持ちだ。俺がずっと一人で叩き続けていたピアノに秋人が触れているなんて。
「うぅーん、でもやっぱり鍵盤が重いな…。あっ、だから陽介はタッチコントロールが上手いんだ!」
「……急に褒めるな」
「ふふっ、照れてる~」
指の動きはそのままで、柔らかく目尻を下げた秋人が顔を見上げてくる。秋人に対してたまに猫みたいだなって思うことがあるけど、ちょっとタレ目気味だから猫目ってわけじゃないんだよな…。それなのになんなんだ、この溢れ出る猫っぽさは。
ふと俺から視線を外した秋人は、いったん鍵盤から手を離して張り切って腕捲りをした。
「よーし、じゃあ俺がなにか弾いてあげるかな! 陽介の戦友に新しい思い出を刻んでやるよ!」
「ははっ、お手柔らかにな」
秋人が弾き始めたのはクリスマス曲のアレンジだった。まるでグランドピアノのような深みのある音が聞こえる気がする。
キラキラしていて、でも計算し尽くされたロジカルな演奏はまさに『月島秋人の演奏』といった感じだ。どこまでいっても『王子様』なんだよな、ほんとに。
感情重視で感覚で弾いてしまうことも多い俺には到底真似出来ない、英才教育を受けてきた人間のピアノだ。電子ピアノでも個性が出るもんなんだなぁ。
次々と和音が増やされていき、ロマンチックな原曲の影がどこにもないぐらい力強い響きへと変わっていく。
高貴で、どこか傲慢さもあって。俺がずっと好きだった、秋人にしかできないアレンジだ。
(戻ってきたんだな、秋人のピアノが)
高等部に進学する少し前から、秋人は俺のせいでスランプに苦しんでいた。俺たちは生き別れの兄弟だ、と最悪なタイミングで告げたあの日から。
でも秋人はいま楽しそうにピアノを弾いている。痛々しく叫ぶようだった音も、きちんと芯が通って頼もしい。
「おいおい、どっちだ!? どっちが弾いてるんだ!?」
曲が終盤に差し掛かったところで、ノックもせずに父さんが部屋に入ってきた。
秋人が驚いて演奏を止めてしまう。
「秋人か! どうだ、そのピアノは? 最高だろ?」
なんで父さんがドヤ顔してるんだ…?
しかし秋人はにこっと嬉しそうに笑ってから演奏を再開させる。
「最高だよ! さすが東城陽介のピアノの音を作ったピアノだなぁって感じがする!」
褒めすぎだ、絶対に言いすぎだ。このピアノはそんなにいいもんじゃない。
でも顔が熱くなって、きっと赤くなってしまってるだろうから慌てて俯いた。秋人のピアノと、父さんの嬉しそうな声が少し遠くに聞こえる。
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