殿下、ゴミの分別はお済みですか? 私は今日から、推しと生きていきますわ!

鏡おもち

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「失礼いたしますわ! 本日もカイン様の吸われる酸素の一部になりに参りました、清掃担当のミナモルですわ!」


騎士団長執務室の重厚な扉を、私はこれ以上ないほど軽やかに、しかし規律正しく(自称)ノックして開けました。


デスクの向こうで、山のような書類に囲まれていたカイン団長が、あからさまに肩をビクつかせました。


「……ノックの後に返事をする間を与えてくれ、ミナモル嬢。それと、入室の際の口上が日ごとに不穏になっているぞ」


「あら、失礼。心拍数が上がりすぎて、待機時間が一秒も耐えられませんでしたの。さあ、カイン様! 今日も床を磨きつつ、こちらの『聖なる供物』を捧げさせていただきますわ!」


私は背負っていたタクティカル・リュックから、金装飾が施された豪華な小箱を二つ、机の端に恭しく置きました。


カイン団長は、まるで爆弾でも見るような疑いの眼差しで、その箱を見つめました。


「……なんだ、これは。賄賂なら受け取らんぞ。公爵家からの資金援助は、昨夜の君の父上からの絶叫手紙で完全に断絶したと聞いているしな」


「賄賂だなんて人聞きが悪い! これは私の個人的な愛……いいえ、福利厚生ですわ! まずはこちら、東方の秘境でしか採取できない幻の豆から抽出した『超濃縮・魔導プロテイン・ロイヤルゴールド』ですわ!」


「……ぷろていん?」


カイン団長が、聞き慣れない単語に眉を寄せました。


「そうですわ! カイン様のその、鎧越しでもわかる芸術的な大胸筋、そして岩石のように硬い上腕二頭筋……。それらを維持し、さらなる高みへと導くための魔法の粉ですの。これを水に溶かして飲めば、筋肉が歓喜の歌を歌い、明日の訓練効率が三〇〇パーセント上昇いたしますわ!」


「筋肉が歌うわけなかろう。……そもそも、得体の知れない粉を飲めるか」


「得体なら知れておりますわ! 私、自ら毒見を三日間行いましたもの。おかげで私の腹筋も、今や少しだけ割れてきている気がいたしますわよ?」


「令嬢が腹筋を割るな。……で、もう一つの、この湿った匂いのする箱はなんだ」


カイン団長が、もう一つの箱を指差しました。


「こちらは『極寒霊峰の吐息を封じ込めた、超密着型・薬草湿布セット』ですわ! 団長、昨日の剣術指南で、少し左肩を回す際に眉を潜めていらっしゃいましたわね? 私の『推しセンサー』は誤魔化せませんわよ」


「……なぜそれを。ほんの一瞬の仕草だったはずだが」


「ふふふ、私は床を磨きながら、団長のすべてを網羅(スキャニング)しておりますから! この湿布を肩に貼れば、まるで氷の精霊に抱擁されているかのような清涼感とともに、筋肉の疲労が霧散いたします。今すぐ私が、その厚い胸板と背中にペタペタと貼って差し上げましょうか!」


「断る! 絶対に断る! 湿布は自分で貼る!」


カイン団長が椅子をガタンと引いて、私から距離を取りました。


その耳が、心なしか少し赤くなっているのは、怒りのせいでしょうか、それとも……。


(ああ……っ! 照れているカイン様も、最高に尊いですわ! この光景だけで、私はプロテインなしでもバルクアップできそうです!)


「……ミナモル嬢。君、なぜそこまで私の……その、体の心配をするんだ。君は元々、王太子殿下の婚約者だったはずだろう。普通はもっと、キラキラした宝石や詩を贈るものではないのか?」


「宝石? そんなもの、カイン様の筋肉の輝きに比べれば、ただの石ころですわ。詩? カイン様が振るう剣の風切り音こそが、私にとっての最高傑作の叙事詩ですもの」


私は雑巾を片手に、熱弁を振るいました。


「ジークフリート殿下は、鏡を見て自分の前髪を整えることに一生を費やす方でした。でも、カイン様は違う。守るべきもののために、その身を削り、鍛え上げている。その尊いお体を維持するお手伝いができるなら、私は公爵家の全財産をプロテインに変えても惜しくありませんわ!」


「全財産を粉にするな。お前の父上が泣くぞ」


カイン団長は、呆れたように、けれど先ほどよりは少しだけ力の抜けた様子で、机に置かれた湿布の箱に手を伸ばしました。


「……これは、ありがたく使わせてもらう。肩が重かったのは事実だからな」


「ああ……っ! 使ってくださるのね! では、明日の朝は『湿布の粘着剤が残っていないかチェック』という名目のもと、団長の背中をピカピカに磨かせていただきますわ!」


「床と同じ扱いにしないでくれ! ……いいから、早く掃除を始めろ。そこ、私の椅子の下が埃っぽくなっているぞ」


「承知いたしました! 団長の椅子の下……それはつまり、団長が最も重力を預けている聖地! このミナモル、全力で『摩擦係数ゼロ』の世界へ導いて差し上げますわ!」


私は四つん這いになり、喜び勇んで団長の足元へと潜り込みました。


「……近い。近すぎる。掃除のフリをして私の足を観察するのをやめろ」


「あら、バレました? 団長のブーツのシワ一本一本が、あまりに雄々しかったものですから」


「……胃が痛い。プロテインより胃薬をくれ……」


カイン団長の嘆きを聞きながら、私は最高に幸せな気分で、彼の足元を磨き続けました。


婚約破棄されて、本当に、本当に良かった。


公爵令嬢としての退屈な日々より、今の「推しの足元の雑巾がけ」の方が、何万倍も輝いているのですから。
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