いいえ、ただ私は婚約破棄されたいだけなんです!

鏡おもち

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「……あー、だるい。本当にだるいわ」


豪華な装飾が施された馬車の中で、私、ロニエ・エヴァンズは盛大なため息をついた。
今日は王立学園の入学式。
年頃の令嬢なら誰もが胸を躍らせる晴れ舞台だが、私にとっては地獄への門出でしかない。


なぜなら、学園に入学するということは、あの「完璧超人」こと第一王子アレン様と毎日顔を合わせなければならないからだ。


「ねえ、アンナ。今から馬車が横転して、私が一ヶ月くらい寝込むような奇跡って起きないかしら?」


「不吉なことをおっしゃらないでください、お嬢様。ほら、背筋を伸ばして。エヴァンズ伯爵家の名誉がかかっているのですから」


専属メイドのアンナが、無表情に私の姿勢を正す。
私の将来の夢は「実家の離れで、一生誰にも邪魔されずに寝て暮らすこと」だ。
そのためには、この面倒極まりない「王子の婚約者」という肩書きを、何が何でも返上しなければならない。


「いい、アンナ。今日の作戦はこうよ。入学式という神聖な場で、私は王子に対して救いようのない失礼を働く。すると王子は呆れ、観衆は私を蔑み、結果として婚約破棄……。完璧だわ、完璧すぎる!」


「……お嬢様がその情熱を少しでも花嫁修業に注いでくだされば、今頃は王妃教育も終わっていたでしょうに」


「あんな重労働、お断りよ」


馬車が学園の正門をくぐる。
建物の白亜の壁が、私のやる気をさらに削り取っていく。
私は馬車を降り、覚悟を決めた。
今日から始まる学園生活。その最初のミッションは「いかにして王子に嫌われるか」である。


学園の講堂に足を踏み入れると、すでに多くの新入生が集まっていた。
貴族の子弟たちが放つ特有のキラキラしたオーラに酔いそうになる。
だが、その中でも一際、物理的に発光しているかのような男が一人。


「……いたわね、私の自由を奪う天敵が」


金髪をなびかせ、爽やかな笑みを振りまいているのが、私の婚約者アレン王子だ。
彼は私を見つけるなり、周囲の令嬢たちをかき分けてこちらへ歩いてきた。


「やあ、ロニエ。今日も一段と美しいね。そのドレスの色、君の瞳によく似合っている」


「……はぁ。ご機嫌麗しゅう、殿下」


私はわざと、やる気のない、泥水をすったような声で返事をした。
普通ならここで「まあ、殿下ったらお上手ですわ!」と頬を染めるのが正解だろう。
しかし、私は違う。
扇で口元を隠すことすらせず、薄ら笑いを浮かべてやった。


「お褒めに預かり光栄ですわ。でも殿下、そのネクタイの結び目、少し曲がっていてよ? まるで殿下の性格を投影しているみたいで、とっても素敵です」


よし、言った!
これはかなりの不敬だ。
「王子の性格が曲がっている」と公衆の面前で揶揄したのだ。
さあ、怒れ、呆れろ、そして「君のような無礼な女とは婚約破棄だ!」と叫ぶがいい!


「……っ!」


アレン王子が絶句する。
隣に控えていた側近のカイルが、顔を青くして震えている。
周囲の令嬢たちからも「なんて恐ろしいことを……」というひそひそ話が聞こえてくる。


しかし、数秒の沈黙の後、アレン王子の顔に浮かんだのは、怒りではなかった。


「……ふっ、はははは! 素晴らしいよ、ロニエ!」


「……はい?」


「誰もが僕に媚を売るこの場所で、君だけが僕の欠点を指摘してくれる。ネクタイの曲がりを僕の『性格』と結びつけるその言語センス……。やはり君は、僕が認めた唯一の女性だ」


王子の瞳が、なぜか感動に打ち震えている。
いや、待ってほしい。
今のはどう考えても悪口だ。百人が聞けば百人が「性格悪い令嬢だな」と思うはずだ。


「カイル、聞いたか? 彼女は僕の結び目が曲がっているのを、わざわざ教えてくれたんだ。僕が恥をかかないように、あえて厳しい言葉を選んでね。愛を感じるよ」


「……ええ。左様でございますね、殿下(というか、そう思わないとやってられませんよね)」


カイルが死んだ魚のような目で私を見ている。
違う。そうじゃない。
私は愛なんて一ミリも込めていない。むしろ純度百パーセントの悪意だった。


「あの、殿下? 私は今、かなり性格の悪いことを申し上げたつもりなのですが……」


「ははは、照れなくていい。君のそういう謙虚なところも、僕は大好きだよ」


アレン王子は、私の手を取ると、甲に恭しくキスを落とした。
その瞬間、周囲の令嬢たちから「キャーッ!」という悲鳴にも似た歓声が上がる。
「ロニエ様、なんて大胆なアプローチなの!」「あんなに熱烈に愛されるなんて羨ましいわ!」


……終わった。
逆効果だ。
私の「嫌われ作戦」は、王子の「ポジティブ変換フィルター」によって、特大の「デレ」として処理されてしまったらしい。


「(……嘘でしょう。この人、頭がお花畑なの?)」


「さあ、行こうか。僕の隣が、君の指定席だ」


王子のエスコートを拒否すれば、それこそエヴァンズ伯爵家が取り潰される可能性がある。
私は引き攣った笑顔を浮かべながら、王子の隣を歩く羽目になった。


講堂の壇上へ向かう背中に、無数の嫉妬の視線が突き刺さる。
本当なら、この視線は「蔑み」であるはずだったのに。


「(まだよ……まだ始まったばかりだわ。全二十八話……じゃなかった、学園生活はまだ長い。絶対に婚約破棄をもぎ取って、私は離れで昼寝三昧の生活を手に入れてみせる!)」


私の固い決意とは裏腹に、入学式のファンファーレが華やかに鳴り響いた。
それは、私の受難の日々の幕開けを告げる音だった。
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