いいえ、ただ私は婚約破棄されたいだけなんです!

鏡おもち

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「……信じられない。何なの、あのポジティブお化けは」


入学式が終わり、学生寮の自室に転がり込んだ私は、天を仰いで呟いた。
ふかふかのベッドだけが、今の私の唯一の味方だ。


「お嬢様、ため息をつくと幸せが逃げますよ。もっとも、お嬢様の場合は幸せ(婚約破棄)から全力で逃げているようですが」


「アンナ、あなたまで私を追い詰めるのね……」


専属メイドのアンナが、手際よく私を着替えさせていく。
入学式での王子の反応は、私の計算を大きく狂わせた。
悪口を言ったはずが、なぜか「愛の告白」として受理される。
そんなバカな話があっていいのだろうか。


「いいわ、アンナ。明日の朝一番に、再挑戦よ。今度はもっと分かりやすく、生理的に嫌われるような態度を取ってやるわ」


「……ほどほどになさってくださいね。伯爵家が物理的に消滅するのは困りますから」


翌朝。
私は学園の美しい中庭で、登校してくるアレン王子を待ち伏せした。
作戦名は「挨拶無視とゴミ捨て作戦」だ。


王族に対する挨拶無視は、本来なら厳罰もの。
さらに、彼に価値のない「ゴミ」を押し付ければ、さすがの王子も「この女、正気か?」と疑うに違いない。


「あ、来たわね。天敵一号」


校門から、眩しいほどのオーラを纏ったアレン王子が歩いてくる。
取り巻きの生徒たちが道を空け、深々と頭を下げている。
私はあえて、その集団のど真ん中で、地面に生えていた雑草を引っこ抜いて眺めるふりをした。


「やあ、ロニエ! 奇遇だね、こんなところで僕を待っていてくれたのかい?」


王子が嬉しそうに駆け寄ってくる。
私は顔も上げず、指先で泥のついた雑草を弄りながら、低く冷めた声を出した。


「……ちっ。また来たわね、金ピカ王子」


「えっ、今『ちっ』って言った? 舌打ちかい?」


「ええ、言いましたわ。あと、見ての通り私は今、この『素晴らしい植物』の観察で忙しいんです。殿下のような暇人と違ってね」


私は立ち上がり、手に持っていた泥だらけの雑草を、王子の高級なシルクの手袋の上に無造作に置いた。


「これ、差し上げますわ。今の殿下にぴったりの、価値のない雑草です。さようなら」


私は優雅に(のつもりで)背を向け、足早に立ち去ろうとした。
背後でカイルが「お、お嬢様! 何ということを!」と悲鳴を上げているのが聞こえる。
よし、これだ!
泥、雑草、舌打ち、そして暴言。
これこそが、婚約破棄への四重奏(カルテット)よ!


……だが、背後から聞こえてきたのは、怒号ではなく、またしても「感嘆」の声だった。


「……ロニエ、待ってくれ! 素晴らしい、素晴らしすぎるよ!」


私は思わず立ち止まり、恐る恐る振り返った。
アレン王子は、泥のついた雑草を、まるで国宝でも扱うかのように両手で捧げ持っていた。


「殿下……? 正気ですか? それ、ただの雑草ですわよ?」


「何を言うんだ! これは『ナズナ』の一種だろう? 踏まれても踏まれても立ち上がる、強い生命力の象徴だ」


「は?」


「君は、僕にこう言いたいんだろう? 『どんな困難があっても、私たちが共に歩む道は、この雑草のように力強く根を張るものだ』と……! そしてこの泥は、共に土に汚れ、国を支えていこうという献身の証……!」


アレン王子は、雑草を胸に押し当て、熱い視線を私に送ってくる。


「なんて深い、なんて慈愛に満ちた贈り物なんだ! 宝石や花束なんて、今の僕たちには薄っぺらすぎる。君は僕に、王族としての真の覚悟を説いてくれたんだね!」


「……あの、殿下。私の話、聞いてました? 私、価値がないって言いましたよね?」


「ああ! 俗世の価値観に惑わされるな、という意味だろう? 素晴らしいよ。僕は一生、この枯れない愛(雑草)を大切にするよ。カイル、すぐに魔法で永久保存の処置を!」


「御意……(もう、どうにでもなれ)」


カイルが半泣きで魔法の準備を始めている。
私の周りにいた生徒たちも、一瞬の静寂の後、一斉に拍手を送り始めた。


「さすがロニエ様……! 王子に精神的な成長を促すなんて、教育者の鑑だわ!」


「あんな泥だらけの草を愛の証に変えるなんて、なんてロマンチックなの……!」


違う。
断じて違う。
私はただ、嫌がらせをしただけなのだ。
なぜこの世界の住人は、私の行動をすべて「聖女のような振る舞い」に変換してしまうのか。


「ロニエ、礼を言わせてくれ。君のおかげで、僕は今日、一つ上の男になれた気がする」


王子が私の肩を抱こうとする。
私は反射的に、その手をバシッと叩き落とした。


「触らないでください! 汚れますわ!」


「……っ! そうか、神聖な誓いの後だものな。軽々しく触れるのは失礼だった。君の厳格さ、尊敬するよ」


王子は清々しい笑顔で去っていった。
叩かれた手を見つめながら、「痛いけれど、心地よい痛みだ……」なんて呟きながら。


私はその場にへなへなと崩れ落ちた。


「(……無理。この人、私の言葉が通じない言語圏に住んでるわ)」


「お嬢様、お疲れ様です。次は毒でも盛りますか? あ、もちろんお腹を壊す程度の」


アンナがいつの間にか背後に立って、冷ややかな声をかけてきた。


「……毒を盛ったら、今度は『僕の胃腸を鍛えてくれるなんて!』とか言い出しそうよ。もう嫌だわ、この学校、今すぐ辞めたい……」


私の婚約破棄への道は、なぜか王妃への最短ルートに繋がっているようだった。
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