いいえ、ただ私は婚約破棄されたいだけなんです!

鏡おもち

文字の大きさ
3 / 28

3

しおりを挟む
「オーホッホッホ! ……ゲホッ、ゲホッ!」


朝の静かな自室に、不気味な高笑いと無様なむせ返り声が響いた。
鏡の前に立つ私は、喉を押さえながら涙目で自分を睨みつける。


「お嬢様、朝から何をなさっているのですか。喉が潰れてしまえば、朝食のクロワッサンが通りませんよ」


「アンナ、大事な練習なのよ。悪役……いえ、婚約破棄されるに相応しい女に見えるための、高飛車な笑いよ!」


私は再び鏡に向き直り、口角をこれ以上ないほど不自然に吊り上げた。
目は細め、顎を引き、見下ろすような視線を作る。
これだ。これこそが、平民や格下の貴族を震え上がらせる「高飛車な令嬢」の表情に違いない。


「見てなさい。今日はこれを使って、学園中の人間に『あの子、性格が悪そうね』と思わせてやるわ。特に王子にはね!」


「お嬢様、その顔……鏡で見ると、なんだか神々しい後光が差しているように見えますが、大丈夫ですか?」


「何言ってるのよ、最高に性格が悪そうじゃない。ほら、行くわよ!」


私は鼻息も荒く、学園のラウンジへと乗り込んだ。
ここには多くの生徒が集まり、優雅に朝のひとときを過ごしている。
嫌われるには絶好の舞台だ。


ラウンジの中央に差し掛かった時、向こうからアレン王子と、その取り巻きたちが歩いてくるのが見えた。
チャンス到来である。


私は足を止め、周囲の視線が集まるのを待った。
そして、練習通りに顎を上げ、扇をバサリと広げて口元を隠す。


「あらあら、アレン殿下ではありませんか。こんな朝早くから、取り巻きを引き連れてゾロゾロと……。まるで群れを成さないと歩けない羊さんのようですわね。オーーッホッホッホッホ!」


精一杯の嘲笑を込めたつもりだった。
私の計算では、ここで王子は顔をしかめ、周囲は「なんて失礼な!」と騒ぎ出すはずだ。
だが。


「…………っ!」


王子の足が止まった。
その顔は驚愕に染まり、目を見開いて私を凝視している。
よし、効いているわ!


しかし、静まり返ったラウンジに響いたのは、私の期待とは真逆の「溜息」だった。


「……なんて、気高いんだ」


王子の口から漏れたのは、うっとりとした感嘆の声だった。


「えっ?」


「ロニエ……今の微笑みは何だい? まるで、迷える子羊のような僕たちを慈しみ、高みへと導いてくれる女神の慈愛に満ちた眼差し……。そしてその笑い声は、天空の鐘が鳴り響くような清らかさだ」


王子はふらふらと私に近づくと、私の両手をそっと包み込んだ。


「君は僕たちを羊に例えたね。それはつまり、『僕が良き羊飼いとして、民を導く存在になれ』という、深い啓示なのだろう? 自分の未熟さを笑い飛ばしてくれる君の度量の広さに、僕は今、猛烈に感動している!」


「……は? いや、単なる悪口ですわよ? 性格が悪いって言ってほしいんですけれど」


私が困惑してそう告げると、周りの令嬢たちからも熱い視線が送られてきた。


「見ましたか、今のロニエ様の表情。まるで全てを包み込むような、聖母のような神々しさでしたわ……」


「『オーホッホ』というお声、あれは高次元の癒やしの波動が含まれているに違いありませんわ!」


「私もいつか、あんな風に凛としていて、それでいて慈悲深い笑い方をしてみたいものですわ……」


口々に聞こえてくるのは、称賛、羨望、そしてもはや崇拝に近い言葉。
どうやら、私の「全力の悪顔」は、この世界の住人の目には「尊すぎる聖女の微笑み」としてフィルタリングされてしまったらしい。


「ロニエ。君の今の教え、胸に刻んだよ。僕は君に相応しい、立派な羊飼い……いや、国王になってみせる」


王子は私の手を握ったまま、キラキラした目で宣言した。
その瞳の奥には、私への狂信的なまでの愛情が宿っている。


「(……嘘でしょう。この学校の人たち、全員眼科に行った方がいいんじゃないかしら)」


私は絶望の淵に立たされた。
性格の悪さをアピールすればするほど、私の「聖女伝説」が補強されていく。
これでは婚約破棄どころか、王妃への階段を猛スピードで駆け上がっているだけだ。


「あ、あの、殿下。私、本当はすごく性格が悪いんです。裏ではアンナをいびり倒したり、アリを踏み潰したりしているかもしれませんわよ?」


「お嬢様、嘘はいけません。昨晩も、部屋に迷い込んだ小さな虫を『外に逃がしてあげて』と、涙ながらに私に頼んだではありませんか」


「アンナ!! 余計なことを言わないで!」


王子の表情がさらに輝きを増した。


「虫一匹の命を慈しむ、深い愛情……。ロニエ、君という女性は、どこまで僕を驚かせれば気が済むんだい?」


王子は感極まった様子で、私を強く抱きしめた。
ラウンジ内からは拍手が巻き起こり、「お似合いのご夫婦だわ!」という声が飛んでくる。


私は王子の腕の中で、遠くの空を見つめた。
私の目指していた「没落・離れ生活」という理想郷が、また一歩、遠のいていく音がした。


「……アンナ、次の作戦を練るわよ。次はもっと……もっと直接的に、誰が見ても『これはアウトだわ』と思うような悪行を……」


「お嬢様、次は『ヒロイン』を使うのはいかがでしょう? 王子に新しいお相手を見つけて差し上げるのです。それが一番の近道かと」


アンナが私の耳元で囁いた。
その言葉に、私は暗闇の中に一筋の光を見た気がした。


そうだ。私がいじめっ子になれないのなら、王子が心変わりするような魅力的な女の子を用意すればいいのだ。
そうすれば、私は「身を引く悲劇の(実は歓喜の)ヒロイン」として、自由の身になれるはず。


「……それよ! 次は、ヒロイン発掘大作戦を開始するわ!」


私の闘志はまだ潰えていなかった。
王子の腕の中で、私は新たな「婚約破棄への計画」を、静かに、そして邪悪に(本人の主観では)練り始めたのである。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

田舎娘をバカにした令嬢の末路

冬吹せいら
恋愛
オーロラ・レンジ―は、小国の産まれでありながらも、名門バッテンデン学園に、首席で合格した。 それを不快に思った、令嬢のディアナ・カルホーンは、オーロラが試験官を買収したと嘘をつく。 ――あんな田舎娘に、私が負けるわけないじゃない。 田舎娘をバカにした令嬢の末路は……。

婚約破棄に、承知いたしました。と返したら爆笑されました。

パリパリかぷちーの
恋愛
公爵令嬢カルルは、ある夜会で王太子ジェラールから婚約破棄を言い渡される。しかし、カルルは泣くどころか、これまで立て替えていた経費や労働対価の「莫大な請求書」をその場で叩きつけた。

貴方が側妃を望んだのです

cyaru
恋愛
「君はそれでいいのか」王太子ハロルドは言った。 「えぇ。勿論ですわ」婚約者の公爵令嬢フランセアは答えた。 誠の愛に気がついたと言われたフランセアは微笑んで答えた。 ※2022年6月12日。一部書き足しました。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。  史実などに基づいたものではない事をご理解ください。 ※話の都合上、残酷な描写がありますがそれがざまぁなのかは受け取り方は人それぞれです。  表現的にどうかと思う回は冒頭に注意喚起を書き込むようにしますが有無は作者の判断です。 ※更新していくうえでタグは幾つか増えます。 ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

「お幸せに」と微笑んだ悪役令嬢は、二度と戻らなかった。

パリパリかぷちーの
恋愛
王太子から婚約破棄を告げられたその日、 クラリーチェ=ヴァレンティナは微笑んでこう言った。 「どうか、お幸せに」──そして姿を消した。 完璧すぎる令嬢。誰にも本心を明かさなかった彼女が、 “何も持たずに”去ったその先にあったものとは。 これは誰かのために生きることをやめ、 「私自身の幸せ」を選びなおした、 ひとりの元・悪役令嬢の再生と静かな愛の物語。

お飾り王妃の死後~王の後悔~

ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。 王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。 ウィルベルト王国では周知の事実だった。 しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。 最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。 小説家になろう様にも投稿しています。

処理中です...