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「見てくださいませ、閣下! あちらの熟成肉の輝きを! あれはまさに、神が人間に与えたもうた宝石ですわ!」
抜けるような青空の下、王都最大の青空市場。
イザバラは、公爵令嬢としての矜持をどこか遠くの銀河へ放り投げたかのような足取りで、肉屋の店先へと突進していった。
背後では、公爵リュカが周囲の喧騒を物ともせず、涼しげな顔で彼女を追っている。
彼は今日、イザバラの「食材を見極める眼」を試すという名目で、お忍びの買い出しに同行していた。
「宝石、か。君の例えはいつも独特だな。私には、単に血抜きの良い牛の塊に見えるが」
「閣下、その『単なる肉』が、適切な湿度と温度で三週間眠ることで、どれほどの芳醇なアロマを纏うかご存知なくて? これはもう、調理する前から勝負が決まっていますわ!」
イザバラは食い入るように肉を見つめ、店主とマニアックな交渉を始めた。
飼料の種類、屠殺の時期、そして熟成庫の風通し。
彼女の質問攻めに、最初は適当にあしらおうとしていた店主も、次第に額に汗を浮かべて真剣に応じ始めている。
その時だった。
「……信じられないわ。あんな下品な場所で、大声を出すなんて」
聞き覚えのある、鈴を転がすような、しかし今は少しばかりトゲのある声が響いた。
イザバラが振り返ると、そこには豪華な護衛を引き連れたジュリアン王太子と、その腕に縋り付くカトリーヌの姿があった。
ジュリアンの顔は、数日前に見た時よりも心なしかやつれ、目の下に微かな隈が浮き出ている。
「あら、殿下。それにカトリーヌ様も。奇遇ですわね、このような『下品な場所』で何をお探しで?」
イザバラは肉屋のカウンターに片手を置いたまま、優雅に(肉の脂をつけないよう注意しながら)一礼した。
「イザバラ! 貴様、公爵家の令嬢でありながら、路地裏の市場で肉の品定めなど……。やはり婚約破棄して正解だった。カトリーヌを見てみろ、彼女は王宮の庭に咲く花を愛でるのが日課だぞ」
ジュリアンが虚勢を張るように胸を張る。
だが、その視線は無意識のうちに、イザバラが指差していた最高級の熟成サーロインへと吸い寄せられていた。
「ええ、殿下。私は花より団子、団子より肉ですもの。……ところで殿下、少しお痩せになったのでは? 王宮のシェフたちは、最近どのような献立を?」
「そ、それは……カトリーヌが私の健康を気遣ってくれてな。『美しき王太子は、草花のように清らかな食事を摂るべきです』と言って、毎日新鮮な温野菜と、味付けのない蒸し鶏を用意させているのだ!」
「まあ、なんと健気な」
イザバラはわざとらしく感心してみせたが、心の中では(あの食欲旺盛な殿下に蒸し鶏の塩なしなんて、拷問以外の何物でもないわね)と爆笑していた。
「で、ですが、殿下も『体が軽くなった』と喜んでくださっていますわ! ねえ、殿下?」
カトリーヌが上目遣いで同意を求める。
ジュリアンの喉が、ごくりと鳴った。
彼の鼻には今、市場のあちこちから漂ってくる香ばしい焼き菓子の匂いや、スパイスの効いた煮込み料理の香りが、悪魔の誘惑のように入り込んでいるのだ。
「ああ、もちろんだ。……だが、イザバラ。その肉は……なんだ。その、非常に……不健康そうな色をしているな」
「これですわね? ええ、不健康ですよ。脂がたっぷりで、高カロリーで、一度食べたら病みつきになる悪魔の味ですわ。これを厚切りにして、ニンニクを効かせたバターで表面をカリッと焼き上げ、中はレアで仕上げる……。ナイフを入れた瞬間に溢れ出す肉汁を想像なさって?」
「やめろ……。その描写はやめるんだ」
ジュリアンの顔が青ざめ、それから赤くなった。
彼の胃袋が、場にそぐわない大きな音で「ギュルルル」と悲鳴を上げた。
「殿下……?」
カトリーヌが困惑して彼を見上げるが、ジュリアンの目はもう肉から離れない。
「いけませんわ、殿下。健康こそが真の美しさ。……さて、私はこの『悪魔の塊』を三キロほど頂いて帰りますわね。閣下の屋敷で、赤ワインの古酒と共に楽しむ予定ですの」
「三キロだと!? それを貴様一人で……いや、リュカ公爵と食べるというのか!?」
「ええ。閣下も、私の『狂った味覚』には理解を示してくださいますもの」
イザバラが横に立つリュカを見上げると、彼は愉快そうに唇を歪めた。
「ああ、そうだ。我が家の食卓は、王宮のそれよりも刺激に満ちている。……殿下、もしよろしければ、貴方の分も『温野菜』を包ませましょうか?」
リュカの容赦ない追撃に、ジュリアンはわなわなと震えた。
「くっ……! 必要ない! 行くぞ、カトリーヌ! 私は……私は庭のハーブティーを飲むんだ!」
逃げるように去っていく王太子一行の背中を見送りながら、イザバラは鼻を鳴らした。
「ふん。自分の胃袋に嘘をつくような男性に、国を治める資格なんてありませんわね」
「手厳しいな。……だが、君の言う通りだ。食を疎かにする者は、心を疎かにする」
リュカは店主に金を払い、包まれた肉を受け取った。
「さて、イザバラ。三キロの肉をどう料理するつもりだ? 君の『解説』を聞いていたら、私もさすがに腹が減ってきた」
「もちろんですわ、閣下。今日は私が厨房に立って、閣下の理性を崩壊させて差し上げますわ!」
イザバラは、戦利品(肉)を抱えて意気揚々と馬車へと向かった。
婚約破棄の傷跡など微塵もない。
彼女の人生は今、濃厚なバターソースのように輝き始めていた。
抜けるような青空の下、王都最大の青空市場。
イザバラは、公爵令嬢としての矜持をどこか遠くの銀河へ放り投げたかのような足取りで、肉屋の店先へと突進していった。
背後では、公爵リュカが周囲の喧騒を物ともせず、涼しげな顔で彼女を追っている。
彼は今日、イザバラの「食材を見極める眼」を試すという名目で、お忍びの買い出しに同行していた。
「宝石、か。君の例えはいつも独特だな。私には、単に血抜きの良い牛の塊に見えるが」
「閣下、その『単なる肉』が、適切な湿度と温度で三週間眠ることで、どれほどの芳醇なアロマを纏うかご存知なくて? これはもう、調理する前から勝負が決まっていますわ!」
イザバラは食い入るように肉を見つめ、店主とマニアックな交渉を始めた。
飼料の種類、屠殺の時期、そして熟成庫の風通し。
彼女の質問攻めに、最初は適当にあしらおうとしていた店主も、次第に額に汗を浮かべて真剣に応じ始めている。
その時だった。
「……信じられないわ。あんな下品な場所で、大声を出すなんて」
聞き覚えのある、鈴を転がすような、しかし今は少しばかりトゲのある声が響いた。
イザバラが振り返ると、そこには豪華な護衛を引き連れたジュリアン王太子と、その腕に縋り付くカトリーヌの姿があった。
ジュリアンの顔は、数日前に見た時よりも心なしかやつれ、目の下に微かな隈が浮き出ている。
「あら、殿下。それにカトリーヌ様も。奇遇ですわね、このような『下品な場所』で何をお探しで?」
イザバラは肉屋のカウンターに片手を置いたまま、優雅に(肉の脂をつけないよう注意しながら)一礼した。
「イザバラ! 貴様、公爵家の令嬢でありながら、路地裏の市場で肉の品定めなど……。やはり婚約破棄して正解だった。カトリーヌを見てみろ、彼女は王宮の庭に咲く花を愛でるのが日課だぞ」
ジュリアンが虚勢を張るように胸を張る。
だが、その視線は無意識のうちに、イザバラが指差していた最高級の熟成サーロインへと吸い寄せられていた。
「ええ、殿下。私は花より団子、団子より肉ですもの。……ところで殿下、少しお痩せになったのでは? 王宮のシェフたちは、最近どのような献立を?」
「そ、それは……カトリーヌが私の健康を気遣ってくれてな。『美しき王太子は、草花のように清らかな食事を摂るべきです』と言って、毎日新鮮な温野菜と、味付けのない蒸し鶏を用意させているのだ!」
「まあ、なんと健気な」
イザバラはわざとらしく感心してみせたが、心の中では(あの食欲旺盛な殿下に蒸し鶏の塩なしなんて、拷問以外の何物でもないわね)と爆笑していた。
「で、ですが、殿下も『体が軽くなった』と喜んでくださっていますわ! ねえ、殿下?」
カトリーヌが上目遣いで同意を求める。
ジュリアンの喉が、ごくりと鳴った。
彼の鼻には今、市場のあちこちから漂ってくる香ばしい焼き菓子の匂いや、スパイスの効いた煮込み料理の香りが、悪魔の誘惑のように入り込んでいるのだ。
「ああ、もちろんだ。……だが、イザバラ。その肉は……なんだ。その、非常に……不健康そうな色をしているな」
「これですわね? ええ、不健康ですよ。脂がたっぷりで、高カロリーで、一度食べたら病みつきになる悪魔の味ですわ。これを厚切りにして、ニンニクを効かせたバターで表面をカリッと焼き上げ、中はレアで仕上げる……。ナイフを入れた瞬間に溢れ出す肉汁を想像なさって?」
「やめろ……。その描写はやめるんだ」
ジュリアンの顔が青ざめ、それから赤くなった。
彼の胃袋が、場にそぐわない大きな音で「ギュルルル」と悲鳴を上げた。
「殿下……?」
カトリーヌが困惑して彼を見上げるが、ジュリアンの目はもう肉から離れない。
「いけませんわ、殿下。健康こそが真の美しさ。……さて、私はこの『悪魔の塊』を三キロほど頂いて帰りますわね。閣下の屋敷で、赤ワインの古酒と共に楽しむ予定ですの」
「三キロだと!? それを貴様一人で……いや、リュカ公爵と食べるというのか!?」
「ええ。閣下も、私の『狂った味覚』には理解を示してくださいますもの」
イザバラが横に立つリュカを見上げると、彼は愉快そうに唇を歪めた。
「ああ、そうだ。我が家の食卓は、王宮のそれよりも刺激に満ちている。……殿下、もしよろしければ、貴方の分も『温野菜』を包ませましょうか?」
リュカの容赦ない追撃に、ジュリアンはわなわなと震えた。
「くっ……! 必要ない! 行くぞ、カトリーヌ! 私は……私は庭のハーブティーを飲むんだ!」
逃げるように去っていく王太子一行の背中を見送りながら、イザバラは鼻を鳴らした。
「ふん。自分の胃袋に嘘をつくような男性に、国を治める資格なんてありませんわね」
「手厳しいな。……だが、君の言う通りだ。食を疎かにする者は、心を疎かにする」
リュカは店主に金を払い、包まれた肉を受け取った。
「さて、イザバラ。三キロの肉をどう料理するつもりだ? 君の『解説』を聞いていたら、私もさすがに腹が減ってきた」
「もちろんですわ、閣下。今日は私が厨房に立って、閣下の理性を崩壊させて差し上げますわ!」
イザバラは、戦利品(肉)を抱えて意気揚々と馬車へと向かった。
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