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馬車が宿場町『ベルン』の入り口に滑り込んだ。
ここは国境を越えてすぐの場所にある、旅人や商人が行き交う賑やかな町だ。
「アンネ! 止まった瞬間に飛び出すわよ! 準備はいい!?」
「お嬢様、落ち着いてください。ドレスの裾を踏んで転んだら、それこそ不審者です」
馬車が完全に停止するよりも早く、私は扉を蹴るようにして開けた。
宿の厩舎(きゅうしゃ)へと馬車を誘導させ、私はアンネを連れて裏口の物置小屋へと滑り込む。
「さあ、着替えよ! 私の華麗なる変身、とくとご覧あそばせ!」
私はトランクから、用意していた茶色のローブと、少々くたびれた風合いのシャツを取り出した。
ガサゴソと服を脱ぎ捨て、コルセットの紐をアンネに力任せに解かせる。
「ひ、ひえぇっ! お嬢様、そんなに急いだら服が破れます!」
「いいのよ! これからは『公爵令嬢ルルカ』ではなく、『成金商人の娘・ルル』として生きるんだから!」
わずか五十八秒。
私は豪華なシルクのドレスを脱ぎ捨て、どこにでもいそうな「ちょっと羽振りの良さそうな旅の娘」へと変貌を遂げた。
ついでに、燃えるような赤髪を編み込みにして、大きな帽子の中に押し込む。
「どう、アンネ? これなら公爵令嬢だとは誰も思うまいわ!」
「……。顔立ちが派手すぎて、隠しきれていない気もしますが。まあ、少なくとも王宮の人間には見えませんね」
アンネも手際よく、地味な旅装束に着替えていた。
「よし! セバスに言いつけておいた通り、この豪華な馬車は空のまま別方向へ走らせるわ。私たちは、あの乗合馬車に紛れ込むわよ!」
私は厩舎の裏から、広場に止まっている大きな荷馬車を指差した。
それは、多くの行商人が利用する、お世辞にも快適とは言えない「庶民の足」だ。
「……本当に、あれに乗るのですか? お嬢様、お尻が痛くなりますよ?」
「自由の代償だと思えば安いものですわ! さあ、行くわよ!」
私たちは重いトランク(金貨とアヒル入り)を引きずりながら、人混みに紛れて荷馬車へと乗り込んだ。
荷台には、野菜の籠や、布の束を持った商人たちが詰め合っている。
公爵令嬢として生きてきた私にとって、それは嗅いだこともない「生活の匂い」に満ちていた。
「お、お嬢さんたち、どこまで行くんだい?」
隣に座っていた髭面の商人が、気さくに話しかけてきた。
「ええ、ちょっと隣の温泉街まで! 美味しいものを食べにいくんですの!」
私は努めてガサツに、しかし明るく答えた。
「ハハハ! そりゃいいな。あそこの温泉は最高だぜ」
荷馬車がガタンと揺れて、ゆっくりと動き出す。
私は馬車の隙間から、先ほどまで私たちが乗っていた公爵家の豪華な馬車が、囮として反対側の街道へと去っていくのを見送った。
「……。さらば、窮屈な王宮。さらば、お堅いマナー。そして……」
私は、心の片隅に浮かんだ、あの金髪の生真面目な王太子の顔を振り払った。
「さらば、アルフレイド殿下! これからは、私だけの人生を謳歌させていただきますわ!」
馬車が町の外へと出たその時。
ふと、視界の端に「黒塗りの馬車」が止まっているのが見えた。
追ってきていた、あの不気味な馬車だ。
その御者台に座っていた男が、こちらを見て、ニヤリと笑ったような気がした。
「……アンネ。今、あの御者と目が合わなかった?」
「……。気のせいでしょう、お嬢様。それよりも、前の席のおじさんの持っている玉ねぎが足に当たって痛いです」
「……そう。そうよね。気のせいだわ。私はもう、自由なんだもの」
私は自分に言い聞かせるように、ギュッと金貨の詰まった袋を握りしめた。
だが、私の背筋には、まだ消えない冷たい予感が張り付いていた。
王太子アルフレイド。
彼は、一度決めたらどこまでも追いかけてくる、猟犬のような男なのだ。
「……まさか、ね」
私は広がる青空を見上げ、不安をかき消すように大きなあくびをした。
温泉までの道のりは、まだ始まったばかり。
私のバカンスを邪魔する者は、たとえ神様でも……ましてや元婚約者でも、容赦はしないと心に誓った。
ここは国境を越えてすぐの場所にある、旅人や商人が行き交う賑やかな町だ。
「アンネ! 止まった瞬間に飛び出すわよ! 準備はいい!?」
「お嬢様、落ち着いてください。ドレスの裾を踏んで転んだら、それこそ不審者です」
馬車が完全に停止するよりも早く、私は扉を蹴るようにして開けた。
宿の厩舎(きゅうしゃ)へと馬車を誘導させ、私はアンネを連れて裏口の物置小屋へと滑り込む。
「さあ、着替えよ! 私の華麗なる変身、とくとご覧あそばせ!」
私はトランクから、用意していた茶色のローブと、少々くたびれた風合いのシャツを取り出した。
ガサゴソと服を脱ぎ捨て、コルセットの紐をアンネに力任せに解かせる。
「ひ、ひえぇっ! お嬢様、そんなに急いだら服が破れます!」
「いいのよ! これからは『公爵令嬢ルルカ』ではなく、『成金商人の娘・ルル』として生きるんだから!」
わずか五十八秒。
私は豪華なシルクのドレスを脱ぎ捨て、どこにでもいそうな「ちょっと羽振りの良さそうな旅の娘」へと変貌を遂げた。
ついでに、燃えるような赤髪を編み込みにして、大きな帽子の中に押し込む。
「どう、アンネ? これなら公爵令嬢だとは誰も思うまいわ!」
「……。顔立ちが派手すぎて、隠しきれていない気もしますが。まあ、少なくとも王宮の人間には見えませんね」
アンネも手際よく、地味な旅装束に着替えていた。
「よし! セバスに言いつけておいた通り、この豪華な馬車は空のまま別方向へ走らせるわ。私たちは、あの乗合馬車に紛れ込むわよ!」
私は厩舎の裏から、広場に止まっている大きな荷馬車を指差した。
それは、多くの行商人が利用する、お世辞にも快適とは言えない「庶民の足」だ。
「……本当に、あれに乗るのですか? お嬢様、お尻が痛くなりますよ?」
「自由の代償だと思えば安いものですわ! さあ、行くわよ!」
私たちは重いトランク(金貨とアヒル入り)を引きずりながら、人混みに紛れて荷馬車へと乗り込んだ。
荷台には、野菜の籠や、布の束を持った商人たちが詰め合っている。
公爵令嬢として生きてきた私にとって、それは嗅いだこともない「生活の匂い」に満ちていた。
「お、お嬢さんたち、どこまで行くんだい?」
隣に座っていた髭面の商人が、気さくに話しかけてきた。
「ええ、ちょっと隣の温泉街まで! 美味しいものを食べにいくんですの!」
私は努めてガサツに、しかし明るく答えた。
「ハハハ! そりゃいいな。あそこの温泉は最高だぜ」
荷馬車がガタンと揺れて、ゆっくりと動き出す。
私は馬車の隙間から、先ほどまで私たちが乗っていた公爵家の豪華な馬車が、囮として反対側の街道へと去っていくのを見送った。
「……。さらば、窮屈な王宮。さらば、お堅いマナー。そして……」
私は、心の片隅に浮かんだ、あの金髪の生真面目な王太子の顔を振り払った。
「さらば、アルフレイド殿下! これからは、私だけの人生を謳歌させていただきますわ!」
馬車が町の外へと出たその時。
ふと、視界の端に「黒塗りの馬車」が止まっているのが見えた。
追ってきていた、あの不気味な馬車だ。
その御者台に座っていた男が、こちらを見て、ニヤリと笑ったような気がした。
「……アンネ。今、あの御者と目が合わなかった?」
「……。気のせいでしょう、お嬢様。それよりも、前の席のおじさんの持っている玉ねぎが足に当たって痛いです」
「……そう。そうよね。気のせいだわ。私はもう、自由なんだもの」
私は自分に言い聞かせるように、ギュッと金貨の詰まった袋を握りしめた。
だが、私の背筋には、まだ消えない冷たい予感が張り付いていた。
王太子アルフレイド。
彼は、一度決めたらどこまでも追いかけてくる、猟犬のような男なのだ。
「……まさか、ね」
私は広がる青空を見上げ、不安をかき消すように大きなあくびをした。
温泉までの道のりは、まだ始まったばかり。
私のバカンスを邪魔する者は、たとえ神様でも……ましてや元婚約者でも、容赦はしないと心に誓った。
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