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ガタン! と大きな衝撃と共に、荷馬車が激しく傾いた。
「おっとっと! お嬢さん、大丈夫かい!?」
隣に座っていた商人のオジサンが、慌てて私の肩を支えてくれる。
「ええ、大丈夫ですわ! これくらい、公務のパレードで馬が暴れた時に比べれば……じゃなくて、遊園地の遊具みたいで楽しいですわね!」
私は危うくお嬢様言葉を全開にするところを、強引に「元気な旅の娘」風に修正した。
「お嬢様、今のを楽しいと言えるのは、世界中であなた一人だけです」
アンネが泥だらけになった靴を見つめながら、低い声で呟く。
荷馬車は完全に停止してしまった。どうやら、ぬかるんだ泥道に車輪が深くハマってしまったらしい。
「弱ったなぁ……。この先は昨日からの雨で、道がかなり緩んでいるらしい。こりゃ、引き上げるのに半日はかかるぞ」
御者の商人が、頭を抱えて降りていった。
「半日!? そんなに待っていたら、私の温泉タイムが削られてしまいますわ!」
私は荷台から身を乗り出した。
時間は有限だ。追っ手の殿下がいつ「やっぱりルルカのいない人生は書類が片付かなくて辛い」と正気に戻って追いかけてくるか分からないのだから。
「アンネ、降りますわよ! こうなったら、ヒッチハイクですわ!」
「……ヒッチハイク? お嬢様、そんな野蛮な移動手段をどこで覚えたのですか」
「本で読みましたわ! 通りすがりの親切な方に同乗をお願いする、旅の醍醐味ですわよ!」
私はトランクを引きずり、泥の中に飛び降りた。
高級なブーツが泥に飲み込まれる感触。普通なら悲鳴を上げるところだが、今の私には自由のスパイスにしか感じられない。
「さあ、誰か来ないかしら……。あら、あそこにちょうどいい馬車が!」
街道の先から、一台の簡素な、しかし馬の足並みが異常に揃った馬車が近づいてくるのが見えた。
私は大きく手を振り、精一杯の「困っている可憐な乙女(自称)」を演じた。
「そこのお方ー! 止まってくださいませー! か弱い乙女が困っておりますのよー!」
キキィッ、と音を立てて馬車が止まる。
御者台に座っていたのは、目深にフードを被った男だった。
「……何か御用でしょうか、お嬢さん」
男の声は低く、どこか聞き覚えがあるような、ないような……。
「あの、私たちの馬車が壊れてしまいまして! もしよろしければ、次の町まで乗せていってくれませんこと?」
私は顔を近づけて、満面の笑みで交渉を開始した。
「……。……。ル……いや、その。お困りのようですね」
男が一瞬、奇妙な沈黙を置いた。
(あら? 今、何か言いかけましたわね?)
私は不審に思ったが、背に腹は代えられない。
「礼金ならたっぷり払いますわ! ほら、これくらいでどうかしら?」
私は懐から、公爵家御用達の、キラキラ輝く金貨を一枚取り出した。
「お嬢様、旅の娘がそんな高額な金貨を出すのは不自然すぎます」
背後からアンネの鋭いツッコミが入る。
「あ、いけない! これは……その、亡くなったおじいさまの形見の、メダルですのよ! これしか持ち合わせがなくて!」
私は必死に誤魔化した。
「……。金貨はいりません。私も次の温泉街へ向かう途中だ。困った時はお互い様ですから、乗りなさい」
フードの男は、意外にもあっさりと承諾してくれた。
「まぁ! なんて親切な旅の方かしら! アンネ、見なさい。世界は優しさに満ち溢れていますわ!」
「……。お嬢様、あの男……どこかで見覚えがあるような気がしてならないのですが」
アンネが警戒心を剥き出しにしながら、男の背中を睨みつける。
「気のせいですわよ。世の中には似たような声の人なんて、書類の山ほどいますわ!」
私は喜び勇んで、差し出された男の手を借りて馬車に乗り込んだ。
その手は、驚くほど温かくて、それでいて剣筋の通ったタコがあった。
(おや……? ただの旅人にしては、いい手をしてますわね?)
私は一瞬だけ違和感を覚えたが、すぐに「温泉!」という言葉が脳内を支配して消え去った。
馬車が動き出す。
荷馬車とは違い、驚くほど揺れが少ない。高級なサスペンションが効いているようだ。
「ところで、お嬢さん。あなたはなぜ、こんな場所を旅しているのですか?」
御者台の男が、背中を向けたまま問いかけてきた。
「ええ、ちょっと……婚約破棄されまして! いわゆる国外追放というやつですわ!」
「……。……。それを、そんなに明るく言う人は初めて見ました」
「あら、だって最高にハッピーなんですもの! これからは自由気ままな独身貴族(仮)ですわよ!」
私が笑うと、男は小さく肩を震わせた。
「そうですか。……自由、ですか」
男の言葉の響きには、どこか複雑な感情が混ざっているように聞こえた。
私はそんなことも露知らず、トランクの中のアヒルちゃんが無事かどうかを確かめるのに夢中だった。
この時の私は、まだ気づいていなかった。
目の前の「親切な旅人」の正体が、昨夜私を断罪した張本人であるなどとは……。
「おっとっと! お嬢さん、大丈夫かい!?」
隣に座っていた商人のオジサンが、慌てて私の肩を支えてくれる。
「ええ、大丈夫ですわ! これくらい、公務のパレードで馬が暴れた時に比べれば……じゃなくて、遊園地の遊具みたいで楽しいですわね!」
私は危うくお嬢様言葉を全開にするところを、強引に「元気な旅の娘」風に修正した。
「お嬢様、今のを楽しいと言えるのは、世界中であなた一人だけです」
アンネが泥だらけになった靴を見つめながら、低い声で呟く。
荷馬車は完全に停止してしまった。どうやら、ぬかるんだ泥道に車輪が深くハマってしまったらしい。
「弱ったなぁ……。この先は昨日からの雨で、道がかなり緩んでいるらしい。こりゃ、引き上げるのに半日はかかるぞ」
御者の商人が、頭を抱えて降りていった。
「半日!? そんなに待っていたら、私の温泉タイムが削られてしまいますわ!」
私は荷台から身を乗り出した。
時間は有限だ。追っ手の殿下がいつ「やっぱりルルカのいない人生は書類が片付かなくて辛い」と正気に戻って追いかけてくるか分からないのだから。
「アンネ、降りますわよ! こうなったら、ヒッチハイクですわ!」
「……ヒッチハイク? お嬢様、そんな野蛮な移動手段をどこで覚えたのですか」
「本で読みましたわ! 通りすがりの親切な方に同乗をお願いする、旅の醍醐味ですわよ!」
私はトランクを引きずり、泥の中に飛び降りた。
高級なブーツが泥に飲み込まれる感触。普通なら悲鳴を上げるところだが、今の私には自由のスパイスにしか感じられない。
「さあ、誰か来ないかしら……。あら、あそこにちょうどいい馬車が!」
街道の先から、一台の簡素な、しかし馬の足並みが異常に揃った馬車が近づいてくるのが見えた。
私は大きく手を振り、精一杯の「困っている可憐な乙女(自称)」を演じた。
「そこのお方ー! 止まってくださいませー! か弱い乙女が困っておりますのよー!」
キキィッ、と音を立てて馬車が止まる。
御者台に座っていたのは、目深にフードを被った男だった。
「……何か御用でしょうか、お嬢さん」
男の声は低く、どこか聞き覚えがあるような、ないような……。
「あの、私たちの馬車が壊れてしまいまして! もしよろしければ、次の町まで乗せていってくれませんこと?」
私は顔を近づけて、満面の笑みで交渉を開始した。
「……。……。ル……いや、その。お困りのようですね」
男が一瞬、奇妙な沈黙を置いた。
(あら? 今、何か言いかけましたわね?)
私は不審に思ったが、背に腹は代えられない。
「礼金ならたっぷり払いますわ! ほら、これくらいでどうかしら?」
私は懐から、公爵家御用達の、キラキラ輝く金貨を一枚取り出した。
「お嬢様、旅の娘がそんな高額な金貨を出すのは不自然すぎます」
背後からアンネの鋭いツッコミが入る。
「あ、いけない! これは……その、亡くなったおじいさまの形見の、メダルですのよ! これしか持ち合わせがなくて!」
私は必死に誤魔化した。
「……。金貨はいりません。私も次の温泉街へ向かう途中だ。困った時はお互い様ですから、乗りなさい」
フードの男は、意外にもあっさりと承諾してくれた。
「まぁ! なんて親切な旅の方かしら! アンネ、見なさい。世界は優しさに満ち溢れていますわ!」
「……。お嬢様、あの男……どこかで見覚えがあるような気がしてならないのですが」
アンネが警戒心を剥き出しにしながら、男の背中を睨みつける。
「気のせいですわよ。世の中には似たような声の人なんて、書類の山ほどいますわ!」
私は喜び勇んで、差し出された男の手を借りて馬車に乗り込んだ。
その手は、驚くほど温かくて、それでいて剣筋の通ったタコがあった。
(おや……? ただの旅人にしては、いい手をしてますわね?)
私は一瞬だけ違和感を覚えたが、すぐに「温泉!」という言葉が脳内を支配して消え去った。
馬車が動き出す。
荷馬車とは違い、驚くほど揺れが少ない。高級なサスペンションが効いているようだ。
「ところで、お嬢さん。あなたはなぜ、こんな場所を旅しているのですか?」
御者台の男が、背中を向けたまま問いかけてきた。
「ええ、ちょっと……婚約破棄されまして! いわゆる国外追放というやつですわ!」
「……。……。それを、そんなに明るく言う人は初めて見ました」
「あら、だって最高にハッピーなんですもの! これからは自由気ままな独身貴族(仮)ですわよ!」
私が笑うと、男は小さく肩を震わせた。
「そうですか。……自由、ですか」
男の言葉の響きには、どこか複雑な感情が混ざっているように聞こえた。
私はそんなことも露知らず、トランクの中のアヒルちゃんが無事かどうかを確かめるのに夢中だった。
この時の私は、まだ気づいていなかった。
目の前の「親切な旅人」の正体が、昨夜私を断罪した張本人であるなどとは……。
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