異世界ダメ勇者の英雄譚は接待まみれ

ふみ

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 暁斗も準備をするために靴の紐を結び直していた。靴だけは元の世界で履いていたスニーカーを履き続けいている。いずれはこちらの世界の靴を用意してもらえるらしいが、現状サイズがなかったらしい。

――靴だけでも履き慣れた物で良かった。

 服は、こちらの世界で用意されたものを着ている。黒を基調とした動きやすくシンプルな服だ。この服が暁斗用で手配されている時点で、主役クラスの配役が与えられないことを予想できるほどに地味な物だった。だが、余計な飾りがない分、動きやすい服でもある。

 ドワイトとしては暁斗の力試し程度の軽い気持ちだが、暁斗は本気だった。
 暁斗が異世界の人間である利点を最大限に活かしたとしても、この世界で鍛えてきた人間に通用するとは考えていない。それでもドワイトが口にした言葉を聞き流してしまっては、これから生きていく目的自体を否定してしまうことになってしまう。

 ただ、暁斗にも人生の中で無駄に鍛えた武器を持っている。動体視力をひたすらに鍛えていた時期がある。
 幼い頃、目的地もなく電車に乗り、移り行く景色の中から看板を見つけて文字を読んだりした。走っている車のナンバーや運転している人の顔を判別したりしていたこともある。

――あの時、無駄に鍛えた動体視力も役に立つかもしれないんだ。

 動体視力を鍛えながらも無意味なことをしていることは理解していた。手遅れではあったが、自分が出来ることを何かしていなければ心が耐えられなかった。
 どんなに速く動いている物でも、止まって見えるくらいまでになりたくて真剣に続けてきた。

――今回だけでも役に立ってくれたら、あの時の苦労は報われてくれるか?

 電車に乗って景色を眺めていた小学生の自分を思い出して、暁斗は微笑んでいる。全然知らない駅に着いてしまい、帰れなくなってしまった暁斗は怒られたこともあった。

――『もう、そんなことをする必要はない』って、怒られたんだよな……。

 結局、鍛え上げた動体視力を発揮させる機会を現実世界では得られなかった。

 男性の動体視力は怒りの感情で鈍くなるらしい。冷静さを失ったままではなく、微笑む余裕を得られたことは大きい。

――俺の『目』が、ドワイトの動きに追いつけるか勝負だ。

 ドワイトの動きを見落とさなければ、その動きに合わせるだけの身体能力が現在はあるはずだった。

 手渡された木剣にも全く重さを感じていない。
 暁斗が片手で軽々と木剣を振り回す様子を見ていたドワイトが少しだけ驚いた表情になっていたことにも気が付いている。

「さぁ、それでは始めましょう。」

 ドワイトが声を上げる。ここで待っている間に身体は十分温めてあったのだろう、暁斗が準備が終わるのを待ち構えていた。

 二人はメイアが見守る中、対峙することになる。
 暁斗も、それらしく構えてみてはいるが、中学時代に体育の授業で剣道を習った以来である。両手でしっかんりと木剣を握って構えているだけで、次に何をすればいいのか分からなくなっている。

 少しずつ間合いを詰めてみるが、対峙しているドワイトは余裕の構えを崩さない。

――こんな時、経験者なら『構えに隙が無い』とか考えるものなのか?

 暁斗には、その違いすら分からない。
 どっしりと構えているドワイトに隙が有るのか無いのか判断できず、攻めに転じることに躊躇いがある。
 体育の授業と違い、防具をつけてけていないことで精神的にも追い込まれてしまう。木の棒とは言え、打ちつけられれば痛いし、場合によっては死ぬこともある。

――どこかで覚悟を決めて斬りかからないと、このまま観察されてジリ貧だ……。

 おそらく、僅かな動きであっても暁斗の力量を見定めることが出来ているはずだ。時間が長くなれば、明確に暁斗が不利な状況になってしまう。
 
 風の流れが止まり、二人の間の時間が止まった。

「たあぁぁぁぁ!」

 暁斗は、その瞬間を逃さず気合の声と共に何度か木剣を振り下ろす。子どもが何度も雑に上から打つような斬りかかり方で、ドワイトに簡単にあしらわれてしまう。
 一瞬だけ見せた余裕の笑みを暁斗は見逃さない。

 素人丸出しで木剣を振るったのも、わざとらしく掛け声を上げたことも暁斗なりの狙いがある。ドワイトには油断したままでいてもらいたかった。欲を言えば、もっと油断してもらいたかった。

「はぁ、はぁ、はぁ……。」

 息を切らしている芝居も同じことだった。
 経験値が違い過ぎるのだから、卑怯な手段を選ぶことを躊躇ってはいけない。思いつく限りのことで応戦するしかなかった。

 荒い呼吸を整えながら、暁斗はドワイトから離れて間合いを広げる。速度と持久力を活かすためには距離が必要になる。
 そして、チャンスは直ぐに訪れてくれた。

 ドワイトが変化した間合いに対応するため、構え直したのだ。おそらく強者相手であれば、こんなにも悠然と態勢を変える動作はしないはず。

 暁斗は次の攻撃で気合の声すら出さず、一気に距離を縮める。ドワイトの左脇腹まで最短距離で結び、直線的な動きで木剣を斬り上げた。

「んっ!!」

 ドワイトの低い唸り声と共に『カン』と木剣がぶつかり合う音が響いた。渾身の袈裟斬りはドワイとの身体に届かない。
 油断しながらでも、暁斗の急激な速度上昇にドワイトは容易に対応してみせた。

 それでも、当初の狙い通り意表を突くことには成功した。表情の変化を、暁斗の目は正確に捉えている。

――正面に立ってはダメだ!

 必死の一撃を躱されたことにも動揺せず、次の動作に移行する。こんなチャンスを何度も作ることは今の暁斗には不可能なことだった。

 今度はドワイトの右側に素早く移動して、右の脇腹を凪払うために木剣を振った。
 右脇腹を凪払いにかかった瞬間、暁斗はドワイトの反撃を目では追えていたが自分の動作を止めることが出来ない。軽くなった身体の動きが想像以上に早すぎて、自分自身でもコントロールできなかった。

 次に聞こえてきたのは『ドスッ』という鈍い音。
 ドワイトが暁斗の右手首を強く打ちつけて、暁斗の木剣を止めていた。

「……っ!!」

 顔をしかめて痛みを堪える姿をドワイトが満足気な顔で見ている。ただ、それは暁斗に苦痛を与えたことに対して満足していたわけではなかった。
 この時点で、もう一撃を加えてしまえば勝敗を明らかにすることができる。それでも、ドワイトは暁斗の反応を見ていた。

 既に両手で木剣を持って構えることは出来ず、慌てて間合いを広く取った。左手だけで木剣を構え、右手はダラリと下ろしてしまっている。

――右手が痛みで動かせない……。ここまでか?

 刃物で刺された時を除けば、こんな痛みを経験したことはない。激痛で動かせなくなった右手を考えると弱気になってしまう。
 だが、ドワイトは暁斗に別の評価を与えてもいた。

――戦闘経験がないと言う割には知恵を使うものだ。あの動きもなかなかに見事。……そして、多少手加減したとはいえ、打撃を受けても剣を落とすこともなかった。

 ドワイトは、ここまでで終わりにしようと考えていた。

「……想像以上の動きで、少し強く打ちつけてしまいましたな。早く治療した方がいい。」

 言葉通り、暁斗の動きは予想した以上のものになっていた。これから手加減が十分にできなければ大怪我を負わしかねない。

「……まだ左手が残ってます。」

 右手の痛みさえ我慢すれば、左手だけでも難なく木剣を振ることは出来る。ただ、両手でも敵わなかった相手に片手で挑むのは無謀でしかない。
 メイアが泣きそうな顔で見守っていることに暁斗は気付けない。

――もう一度、意表を突くことができれば状況は変えられる。

 暁斗は痛めた右手をポケットに入れた。
 スニーカーの紐を結び直していた時、ポケットの中に忍ばせておいた『石』を取り出すため。飛び道具として準備していた手段だが、痛めた右手では感覚が鈍い。

――クッ……。痛みが酷くて握れない……。石を投げるなんて無理か。

 ポケットに入れたはずの石を手の感覚だけで探せなくなっていた。もしかすると、骨に異常があるレベルかもしれない。
 奇襲が狙えなければ正攻法しかない。戦術など持っていない素人が左手一本しか使えなければ絶望的な状況だった。

――残された道は、玉砕覚悟。

 暁斗も腹を括りかけていた時、ポケットに入れていた右手は温かな感覚に包まれて、少しだけ痛みが和らいでいた。完全に痛みがなくなったわけではないが、石を握って投げつけるくらいのことは何とかなりそうな程度になっている。

 右手の痛みを消してくれた正体は、ポケットの中に納まっていた水の精霊石だった。
 拾った石と同じ場所に入れていたことに申し訳ない気持ちもあったが、ここではそれが幸いしてくれた。暁斗の治療で頑張ってくれた精霊石が、再び右手を動かしてくれる。

――どうして精霊石が?……でも、これなら一度くらいはいけそうだ。

 メイアの動きを確認したかったが、ドワイトから視線を外すことは許されない。この場で精霊石が発動した理由は分からなかったが、今は目の前の男に集中するのみ。

 右手をポケットから出して、左手だけで木剣を構える。

「……さぁ、行きますよ。」

 右手に握られた石で卑怯な手段を準備しながら、『いざ、尋常に』と言わんばかりの雰囲気で構えを取っている。
 思いつく限りの小賢しさで、次の一撃に賭けていた。次の一撃以降の攻撃手段はないのだから賭けるしかない。

 右手をダラリを下げたまま、ゆっくりと歩いてドワイトとの距離を縮めていく。
 そして、一気に速度を上げて今度はドワイトの右脇腹を真横から斬りかかった。当然、防御するためにドワイトは右半身を庇う姿勢になる。

――ここだ!

 握っていた石をドワイトの顔めがけて投げつけた。右手に激痛が走ったが、それは覚悟していた痛みで耐えられる。
 ドワイトは怪我をした右手からの攻撃がないと思い込んでおり、暁斗が斬りつけた右側に意識が集中しているはず。絶対に外すことはないと考えての攻めだった。
 
 だが、石が飛んで行った先にあったのはドワイトが見せる余裕の笑顔。その笑顔は、勝負の決着を意味していた。


「気絶までさせちゃうなんて……。少しやり過ぎじゃないですか?」

「だが、彼も納得しての勝負だったはずだ。」

「そうかもしれないですけど……、素人のアキトさん相手に大人気ないと思います。」

「……素人、か。」

「……?……どうしたんですか、ドワイトさん?」

 倒れている暁斗をドワイトは凝視した。苦戦とはいかないまでも、始める前は余裕を持って手加減できると考えていた。素人を相手にすることは過去にも何度かあったが、気絶させてしまうことはなかった。

 メイアは気絶して倒れている暁斗のポケットを探っていた。
 意識を失った状態の暁斗を前にするのは二度目になる。着替えはジークフリートが手伝ってくれたが、傷の具合を確認する必要もあったのでメイアも暁斗の服を脱がせたりはしている。
 最初は乙女として抵抗ある行為だったが、今は、あまり抵抗なくポケットに手を入れてしまっていた。

「……やっぱり、水の精霊石。」

 メイアも返してもらっていなかったことを忘れていた物だ。
 水色の透明感は大部分が失われており、白濁とした箇所は広がっていた。効力を発揮するにはギリギリの状態だったかもしれない。

「あなたも頑張ってたんだね……。」

 石に語り掛けたメイアは、少しだけ自分の力を籠めてあげた。基本的に精霊石に力を籠めることは不可能とされており、使い潰されてしまうだけの道具とされていた。
 現に、この水の精霊石に残された力では、かずり傷の止血をすることすら難しいかもしれない。それでも、暁斗を助けてくれたことに対して、メイアなりに感謝の気持ちを伝えてあげたかった。

「……やはり、精霊石の効力が働いていたのか?」

「ドワイトさんも気付いていたんですか?」

「あの右手、短時間で回復できるほど軽くはなかったはず。苦し紛れでポケットに手を入れたのかとも思っていたのだが……。」

 暁斗の狙っていることも、精霊石が発動していることも分かっていなかったが、長年の勘が働いただけである。ポケットから出された後の右手の動きからも目を離してはいなかった。

「……メイアが精霊石を発動させたのか?」

「ううん、怪我の具合は心配でしたけど、アキトさんが精霊石を持ってたことも知らなかったんです。」

「……では、彼自身の力で?」

「それも違うと思います。アキトさんが術式を使った形跡はありませんから……。」

 メイアの場合、術師としての経験から精霊石が使用されたことを明確に感じ取っていた。それでも、不可解な点が多くあったため、暁斗のポケットを探してみたのである。

「……それは、どういうことだ?」

「詳しくは分からないですけど……、精霊石が勝手にアキトさんの怪我を治療したんです。」

「勝手に……、そんなことがあり得るのか?」

「私も聞いたことがありません。……でも、それ以外には考えつかないんです。」

 二人は倒れたまま動かない暁斗を見ている事しかできなかった。
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