陰日向から愛を馳せるだけで

麻田

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第42話 side:L








「あったあった、よかった」

 花屋が古本屋の老爺に目当てのものを伝えると、天井まで高く積まれた本たちから数冊持ってきてもらう。それらのタイトルを見て、脳天から爪先まで雷が落ちたような衝撃に包まれる。
 どれも、私がセリに読み聞かせてもらっていた本だった。
 セリが故郷は児童書としてとても有名だと言っていた。

(間違いない…)

 セリだ。
 ど、ど、と鼓動に合わせて視界が揺れる。しっかり踏ん張っていないと、膝から崩れ落ちてしまう。
 最後の日に、花びらを散らしたヴェランシアを思い出す。
 愛を届けるという役目を終えたら、散ってしまう…それを切なくて良いと、あなたは言った。けれど、あの日見た白い花はまるで、私の失恋を意味しているかのようだった。
 大切な花だと言っていた。そして、庭師も花を咲かすのが非常に難しいものだと聞いていた。それをこれだけの数咲かせるのは、この世界中誰を探しても、彼しかいない気がした。

「お待たせしました」
「…その本…」

 片手に五冊ほど抱えて出てきた花屋につぶやく。すると、ああ、と本を軽く叩いて、笑顔のまま答える。

「その人の息子へのプレゼントだそうだ」

 薄い唇から零れた言葉に、背筋が凍った。

(む、すこ…?)

 可憐に微笑む、女神のようなセリが脳内で崩れ落ちていく。

(どういうことだ、息子…?)

 セリではないのか。
 確かに私は、彼のうなじを噛んだ。番ったのだ。番は私しかいない。
 けれど、セリは、避妊薬を服用していた。
 その事実を冷静に考えていくが、ずん、と心臓を射抜かれる痛みが生まれる。頭を振って、冷静に考える。
 セリに、子どもがいるはずがない。
 セリが、私以外と交われるはずがない。番以外との性行為は、オメガにとってひどい副反応をもたらす。違う。違う、はずだ。
 何よりも、セリに私以外の誰かが触れ合ったと思うだけで、ぐつ、と内臓が煮え立つ音がする。奥歯が軋む。

「そういや、旦那…、その髪色…」

 花屋は小さくつぶやくと、私の顔、髪、それから全身を舐めるように見る。けれど、そんなことを気に留めている余裕はなかった。

「いや、考え過ぎか…。早く行きましょう、日が変わってしまう」

 花屋はそういうと私の横を通り過ぎて、先に馬車へと乗った。
 先ほどとは打って変わって、足どりは重い。馬車が走り出してしまえば、止めることはできない。
 とにかく、会ってみないと何もわからない。






 花屋の村に着くまでに半日ほどかかった。馬車の中で花屋は転寝をしていた。けれど、それを気にするほどの余裕はなかった。終始、セリに会いたい気持ちと、息子、という言葉がひっかかり、真実への恐怖に襲われる。けれど、会わないという選択肢はあり得ない。
 最後の頼みの綱なのだ。
 これを手繰り寄せない方法はない。
 ただ、覚悟もした。
 セリが、違う男と仲睦まじくやっていて、そこに家庭を作り上げていることを。どうやってかはわからない。もし、セリが幸せにしていたら。喜んでやるのが正しいのだろうか。けれど、考えるだけで許せない。
 どうにかして、セリを私のもとへ取り返さなくてはならない。どうすれば。…もう正常な判断ができない。
 その時はその時だ。とにかく、私はセリの傍にいないと、おかしくなる。生きていけないのだ。

「おい、早く案内しろ」

 馬車が止まり外に出る。慣れたはずの寒さは、こちらの地域の方が強い。雪がちらちらと暗闇の中に見える。中ですやすやと眠っていた男を小突いて起す。ついたことへの礼と共に、眉をひそめた。

「こんな真夜中ですよ~…明日にしませんか…?」
「早くしろ」

 常識的なことを思えば、確かに夜明けを待つ方が良い。けれど、これ以上、私が待てないのだ。
 ずっと胸が苦しい。気を付けなければ、呼吸すら忘れてしまいそうだった。
 三年間。永遠のような時間だった。ずっと、ずっとずっと、探し求めていた人が、今、ここにいるのかもしれない。寒さのせいではない、鳥肌が立ち始める。
 渋る花屋を目線だけで無理矢理促す。肩を落としたまま、家屋の並んでいる道を歩き出す。くすんだ木が作られた小屋だった。隙間風が強そうだ。豪雪になったら、耐えられるのだろうか。

(こんなところに、セリが…?)

 思えば思うほど、きちんと健康に過ごせているのだろうか。不安が過る。心のどこかで、やっぱりセリではないのだろう、という諦めさえ感じる。息子がいるのだ、セリではない。ただ、ほんの少しだけ、ある可能性が馬車の中で芽生えていたが、それは掻き消した。ありえないからだ。自分とって、あまりにも都合が良すぎる。それに、信頼できる機関を使って、セリの薬を調べさせた。あれは、間違いなく避妊薬だ。だから、きっと…。
 花屋が一際小さな小屋の前で立ち止まる。

(ここ、なのか…)

 屋根は嵐が来たら吹き飛んでしまいそうなほど薄く見える。重石が乗っていて、過去に何度も壊れてしまったのではないだろうか。引き戸は簡単に壊せそうだった。こんな場所にセリが住んでいるのだとしたら、無事ではないかもしれない。あんな美しい女神がいると分かれば、輩が集まり、こんな家、簡単に突破されてしまう。
 焦燥と不安と、大きな揺らぎが身体の中でせめぎ合う。
 花屋が不満そうに振り返ってくるが、うなずく。はあ、と大きく溜め息をついた花屋は、ノックをした。案の定、薄い板の音だった。
 もう一度ノックをする。

「ほら、寝てますよ…。明日、出直しましょう」

 うちで良ければ泊っていってください、と申し出る花屋は踵を返す。

「誰かに襲われているのではないか…?」

 冷たい汗が痛むこめかみをなぞる。花屋も眉を下げてきつく寄せる。

「そんな人、この村には…」
「この目で確かめなければ、信用ならない。いなければ、探すしかない」
「ちょ…っ」

 引き戸に手をかけるが、中でがちゃ、と鍵が引っかかっている音がする。軽いけれど、ちゃんと戸締りはされていた。しかし、何度か押したら外れそうだ。がちゃがちゃ、と鳴らす。
 その腕を引きとめる手が横から伸びる。

「ちょ、旦那! さすがに失礼すぎますって! やめましょう!」
「ダメだ、何か中で困っているかもしれないだろう」
「だから、そんなこと、この村じゃ起きないですってば!」
「そんなこと…」

 わからないだろう、と返す前に、中から物音がした。二人で動きを止めて、戸を見つめる。かちゃ、と開錠の気配がした。
 ど、と血の気が引く。それから、荒波のごとく巡り、か、と身体が熱くなる。吐く息は白く、雪と共に消えていく。
 花屋が気をきかせて、私の前に立つ。へらり、と薄い笑みを浮かべて。
 そこからは、一秒が永遠のごとく長く感じられる。ゆっくりと戸が開く。雪に反射したランプの光が、つや、と黒髪を麗しく光らせる。暗闇にも映える白肌が浮かび、目を見張る。は、と短い息が荒くなっていく。

「こんな夜更けに…、」

 長い睫毛が伏せられて、ばさりと音を立ててしまいそうに持ち上げられると、ちかちかと光るはしばみの大きな瞳が現れた。ぶる、と身震いが勝手に起きる。はく、はく、と声が出ないまま、唇は彼の名前をかたどる。

「セリ、君を探している人がいて…」

 潤んだ瞳が私を捕らえると、それはさらに大きく開かれた。

(もう一度…)

 あの宝石のような瞳に、私を映してくれたら。
 どれだけ祈ったことだろうか。
 それは、叶わない夢なのだろうか。そう絶望していた日々は、見事に裏切られた。

「セリ…」

 頼りなく、情けないほどかすれた声がようやく出る。その一言に、目の前の美しい人は、大きく瞬きをして、さらに瞠目する。それから、何もついていない左手で口元を押さえる。薬指には、うっすらと長年ついていた指輪の痕があった気がする。

(良かった…)

 色白なのは変わりないが、血色がやや悪い。長く、清流のように指が通り心地よかった髪は短くなっていた。けれど、丸い形の良い頭は間違いなく彼だ。いくらか艶は落ちたが、それでも月夜がよく似合う黒髪。大きな瞳は、どこまでも澄んでいて、世界を輝かしいものだと思わせてくれる。
 生きていた。それだけで、どれだけ私が救われたことか。
 爪先から浮遊感に見舞われて、顔の裏が、ずん、と重くなる。寒さのせいだろうか。視界が滲む。
 ずっと、探していた愛しい人は、そこにいてくれた。良かった。それだけで、満たされていく。

「セリ…」

 一歩踏み出すと、彼の後ろで何かが動くのが目に入る。

「ママ…?」

 ぴたり、と身体が固まる。振り返ったセリのろうそくで照らされた姿は、小さな少年だった。小さい手で目をくしりながら、こちらへやってくる。
 がん、と後頭部を思い切り殴られた衝撃だった。
 けれど、姿がやんわりと見えた時に、それは大きく変わる。

「出てきちゃだめ!」

 きん、と響く金切り声だった。こんな力あるセリの声を聞いたことがなかった。いや、一度だけあったか。それは、ひどく苦しい記憶だが。
 中にいた、闇夜に光る銀色の少年は、びく、と小さい身体を跳ねさせる。

「そこにいて!」
「ママ…?」

 高い鈴のような声がか細く聞こえるが、言いつけを守って、部屋の中に身を隠して、ほんの少しだけ顔を出して様子を伺っていた。
 ママ、と呼んでいる。あの子が、セリの息子。
 心臓がずっと絞めつけられている。必死に鼓動するものだから、余計に苦しい。
 小さい姿は闇の中で、うっすらとしか見えなかった。それでも、感じた。あの子は、幼い頃の私にそっくりなように見えたのだ。
 身体の奥底からじわ、と熱がこみあげてきて、飛び出してあの少年を間近で見たい。ぐ、と爪先に体重が乗ると、セリが外に出てきて、引き戸を閉じた。それから、深く息を吸うと、鋭く睨みつけてきた。

「あなた、誰ですか」

 ず、と心臓をナイフで一突きされた痛みが生まれる。



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