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第21話
(誰…?)
高い声がする。鈴が鳴るように澄んだ声が風に乗って、鼓膜をくすぐる。
ガーデンチェアに腰掛けた、広い背中が見えた。風にポニーテールの銀色がさらり、と揺れる。とき、と心臓が主張して、体温が上がる。しかし、彼の向かい側に誰かがいて、開きかけた唇を閉ざして、反射的にアーチの柱に身を隠してしまった。
「本当に美しいお庭ですね、ここに住めたら毎日が天国のよう」
ふふ、と小鳥が鳴くようにうららかに喋る声は聞いた事の無いものだった。
彼の背中越しに見えた相手は、小柄な金色の美しい髪を持った少女だった。緩くウエーブがかかった髪の毛は、色とりどりの花々に囲まれて、女神そのものだった。丸い頬を染めて、グリーンの瞳は一心に彼を見つめている。柔らかな日差しを受けて、ちかり、と輝いたのは、彼女の耳元についている小さなブルーの石だった。まるで、ローレンの瞳のようだった。
大きな瞳はすべてを吸い込んでしまいそうで、きらきらと輝いている。それを長い睫毛がさらに大きく見せていて、華奢な身体に見合った小さな鼻先も桃色がかっていて愛らしい。ずっと笑顔で、ローレンを見つめている。それは、間違いなく、絵本で見る恋するお姫様だった。
そして、その前にたたずむのは、緩く笑んだ王子様だった。
「美しいでしょう?」
背後から声がして、思い切り身体が跳ねる。咄嗟のことで手元が緩んで、紙袋を落としてしまった。
振り返ると、真っ赤な肉厚の唇をにたりと上げた義母が後ろに従者を連れて立っていた。ばさり、と音を立てそうな睫毛をまばたきさせて、視線を彼女たちから外さない。
「うちの遠方の子なの。血筋もばっちり」
腕を組んで、したり顔で自身の頬を撫でている。まさか、と息をするのも忘れて、振り返って二人を見つめる。
微笑む可憐なお姫様と、愛しそうに見つめる王子様の絵がそこにはあった。
「同じ北方出身だから、何もかも合うことでしょう」
義母は、あなたと違ってね、と言葉を付け加えているように含みを持たせて、一言ずつをはっきりと僕の近くで囁く。その鼓膜から、冷や水が流れ込んでくるように、どんどん身体から熱が奪われていく。
「おまけに、十五歳で、まっさらなオメガなの」
オメガ。その言葉に、考えないようにしていた頭に答えが叩きつけられてしまう。
「すぐに子宝にも恵まれるわ」
(あの子が、次のオメガ…)
楽しみだわ、と笑うと同時に風が翻って、甘い香りが強く感じられた。はためいた金色の絹糸のような髪の持ち主から漂っているものだ。
「ああ、我が息子ながら、お似合いだわ」
感嘆の溜め息をもらす義母の言葉が耳にこびりつく。
ノックの音で、は、と意識が戻る。
気づけば真っ暗な部屋の中で、一人掛けのチェアに腰掛けていた。どうやってここに戻ってきたのかすらも思い出せない。服装は出かけた時のままで、手には何も持っていなかった。ノックに従って、ドアをあけると執事がいつものように僕を夕飯に呼びに来たものだった。
力なく、今行きます、と伝えて、ドアを一度締める。木目は温かな色を出しているのに、触れると冷たくて、これが現実なのだと示している。
もう、僕の終わりは目の前まで来ている。
今日、それをまざまざと見せつけられた。
次のオメガが、彼と楽しそうに過ごしていたのだ。それも、どう見てもお似合いの。
(僕と違って…)
初対面から彼と微笑みながら会話ができているオメガ。
僕よりも若くて、可憐で、愛されるために産まれてきたと言わんばかりのオメガ。
彼の隣にふさわしいオメガ。
思い出せば出すほど、彼と彼女の幸せをこの世の誰もが祈るであろうという印象しか得られなかった。
陰気臭い僕とは違って、天真爛漫でいい子だということが滲み出ていた。話したこともないのに、なぜかそれがわかる。それが、生まれ持った愛される側の人間なのだ。
(きっと、彼も…)
幸せに満ちることだろう。僕が与えてあげられなかったもので。
心ないままに足は習慣のごとく動き、リビングの入口で、中履きの爪先をライトが照らしていた。それが、ふ、と陰る。
「セリ?」
深く身体の奥底に、すとん、と落ちてくるような声に顔をあげる。眉を下げて、壁に手をついて、僕を見下ろしていた。リビングから顔を覗かせたようだ。
「どうした? 何か、あったのか…?」
以前なら、こんな風に僕を見つめてくれることさえなかった。
(充分じゃないか)
「いえ、少し寝すぎてしまったようです」
少し、はしたな過ぎたか。と考えるも、僕が貼り付けた笑顔は、ちゃんと彼を安心させる材料になったらしく、肩を落としてゆっくりと微笑んでから、僕の肩をそ、と抱いた。もう片方の手を進行方向へと開き、さあ、とエスコートされる。
「やはり、無理をさせてしまったようだ」
僕が寝すぎた、という選んだ嘘は、失敗だったらしい。
「いえ! そんなことありません、ぜひ次も…」
ローレンのために何かができることは、すごく嬉しい。小さいことでも、力になれるのであれば、それは僕にとって、生き甲斐のような、凄まじくエネルギーが溢れ出てくるような満ち足りるものなのだ。
しかし、次も、という言葉を選んでしまったせいで、喉が絞めつけられて、次の音が出なくなってしまった。足を止めて固まった僕を、優しく腕で抱き留めながら、言葉を静かに待つ彼がいる。柔らかく息を飲んで、目尻を下げる。
「僕でよければ、いくらでも使ってください」
本心だった。
(あなたのためになるなら、いくらでも、いいようにしてください)
簡単に零れた言葉に微笑みをつける。しかし、彼は、その言葉が引っかかったのか、片眉をぴくり、と上げた。次の会話をどう返せば良いかわからなくなってしまうから、今度は僕から歩き出して、彼の手を引っ張った。軽い力だったけれど、彼は僕の望むように、長い脚を前に進めた。
温かな食事は、味がしなかった。
けれど、彼に気づかれてはならない。
(あと、一か月を切っているのだから)
気持ち良く、彼と別れたかった。
彼を不快にすることなく、最後まで良い妻として彼の中に残りたかった。
そしたら、もしかしたら、彼がここにまた、呼んでくれるかもしれない。
淡い期待を浮かんでは、すぐにぺしゃり、と叩き潰す。何度もしているそれは、だんだんと小さくなっていった。
笑顔で、彼との会話を途切れさせず、けれど出しゃばりすぎず。言葉は丁寧に、品よく選ぶ。
出された食事は、すべて食べきった。腹が膨れて、肩と気分だけでなく、身体さえも本当に重くなってしまった。けれど、たくましく食べきった僕を見つめて、ローレンは嬉しそうに目を細めていた。それを見ることができたなら、無理してよかった、とほ、と胸を撫でおろした。頑張った自分を褒めていい、と思えた。
「セリ、少し散歩をしよう」
突然だった。
食事を終えて、いつものように湯浴みをし、彼の部屋へと向かうことをイメージしていたら、急に手を取られて、そう提案された。握りしめられた左手に、小さく光る銀色が僕の瞳を細めさせる。彼を見上げると、ほんのりと、頬が染まっているように見えた。
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