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第9話.追撃
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点々と続く血痕と足跡。気がつけば山中の獣道に入っている。不確かな足場に難儀しながらも歩を進める。
再び月は隠れ、頼れるのは各自の手にある松明の小さな灯りのみだ。
立ち木と積もった雪に、悪い視界。自然と一列の隊列となっていた。池口巡査を先頭に警官と戸長、私と爺様、そして村の男。そういった並びである。
闇の中。頼りない松明の光だけが光源では数メートルも先は暗闇、そうなると前の者の背中しか見えない。
振り向くと、後ろの男までの距離が開きすぎていた。これはまずい。
「巡査、もう少しゆっくりお願いします!後ろの者がついていけません」
先頭を歩いているであろう池口巡査に向けて大きく声をかける。間延びした一列縦隊では、落伍者が出ても気がつかない。夜の雪山はそれだけで脅威なのだ。前方から、了解の返答があった。
『ぼっ』と音を立てて火が揺れた。少し風が出て来たようだ。
こちらからはヒグマの様子はわからないが、向こうからは我々が追跡していることはわかっているだろう。あとは向こうの出方次第だが、さてどう出るか。
ぴたりと前の者の足が止まった。
「足跡が終わった、ここで途切れている。信吉はどこか!?来てくれ」
巡査の声が聞こえた、爺様と共に前に出る。
なるほど、くっきりと残っていた足跡は、ある場所を境に完全に途切れている。
「止め足だ」
かがんで足跡を確認した爺様が言った。
その瞬間、私は肩にかけている小銃を素早く構え叫んだ。
「周囲を警戒!待ち伏せの恐れ有り!銃を構えろ!銃を構えろ!」
全員に聞こえるよう大きな声で、警戒を促す。ヒグマは自分の足跡を踏みながらバックして、途中で脇に隠れる『止め足』という技術を使う事がある。
これはすなわち、足跡を消して逃げる事を選んだか……もしくは背後からの待ち伏せを選んだかだ!
グゥォグォォォッ!!
背後から恐ろしい唸り声が轟いた。まるではらわたを下から持ち上げたような振動を感じた。即座に振り向くと、後ろの男が持っていたのだろう松明の火が吹き飛んだ。
「ぎゃあああ!!」
直後、悲鳴とも雄叫びとも分からぬ叫び声。
遅れてドドォンと銃声が二つ。村の青年達が撃ち掛けたらしい。獣の唸り声と嫌な物音が聞こえるが、暗闇に紛れ何が起こっているのか把握できない。ちらりちらりと黒い影が蠢いているのが見えるだけだ。
「助けてくれっ!助けて……足を、足を喰われてる!ああ、俺の足が!」
すぐそこから声が聞こえる。確かに声は聞こえる。
だが、松明を手放してしまったらしい、灯りを失った男の場所が特定できない。巡査と村の男の叫び声が交差する。
「どうした!誰だ、誰がやられた!?」
「石上(いしがみ)がやられた、どこに行った!目の前で連れて行かれたっ!ヒグマに引きずられたんだ」
がちゃがちゃと音を立て、誰もが慌てている。
「ああああっ!足が、足がどうにかなっちまった!」
「今行く!どこだ、ここからでは見えない!声を出せ!」
「こっちだ……ああ助けてくれ!」
私は松明を地面に置き、声を頼りに銃を構えたままそちらへ駆け寄った。
グゥォォォッ!!
振動と共に突然大きな羆が目の前に現れた。
二本の足で立ち上がったそれは、まるで山のような大きさだ。二つの眼球のみが暗闇に光っている。瞬時にその目玉の間、額に照準を合わせ引き金を引いた。
「撃つぞ!」
ドォン!!
銃口を飛び出した一発弾※は確かに命中したが、倒れない。
角度悪く頭蓋の上を滑ったのか。ヒグマは大仰(おおぎょう)に仰け反った上半身を戻して、こちらを再び睨む。
「鉄砲は初めてか。これはおまえを殺すぞ」
視線はその双眸(そうぼう)から外さぬまま、ボルトを操作して排莢した。
さあ彼我の距離は五メートルも無い。もし今、一歩踏み込まれれば、あいつの爪ならばこの首まで届くだろう。
風に紛れて微かな硝煙の匂い。
動作は小さく最短距離で。流れるように腰から次弾を取り出し薬室に滑り込ませる。
次弾を打ち込もうとした次の瞬間。
あいつは一つ唸り声を上げると、大きく上半身を捻り後ろ向きに駆けた。瞬時に闇に紛れる。それは狙いをつける間も無く、全く消え去ってしまった。
「やったか!?」
「いや、逃しました」
駆けつけた警察官達の問いかけにこたえながら、逃げ去った暗闇に視線を向けた。ヒグマの気配が遠ざかって行く。
「ふぅぅぅー……」
深い息を一つ。巡査から「良くやった」と労いの言葉がかけられた。
撃退したと言えば聞こえは良いが、銃撃しておいて逃したのは失態だ。あいつらは狡猾で賢い。次は鉄砲にもっと警戒されるだろう。
苦い顔をしているであろう私の肩に、爺様がぽんと手を置いた。言葉は無かったが、私達の間ではそれで十分だ。
複雑な思いで銃を背負い直す。
「おい、誰か居るぞ!手を貸してくれ」
その時、震えた声で戸長が叫んだ。
そちらを見ると10歳程の男の子が、雪に半分埋まる形で顔を覗かせていた。屋敷からヒグマに引き摺られてきた子か。
素手で急いで掘り起こす。子供の全身が雪から出た、べっとりと肩口に血が固まっている。寒さで震えているが、生きているようだった。
「まだ息がある!」
肩の毛皮を子供に巻いてやる。失血も元より、低体温症でのダメージも大きい。討伐隊に足をやられた者もいるし、これ以上追跡するのは無理だろう。
音もなく白が舞った。
青い唇を震わせている子供を見る。あの羆を必ず仕留めなければならないという決意が胸の奥から込み上げて来るのを感じた。
……
※一発弾
一つの実包の中に、一粒の弾丸が入っている銃弾の種類。進一は真鍮の薬莢に、黒色火薬と手作りの散弾を詰めた物を、目標に合わせて使用している。
散弾の数が小さく多いほど、命中率は上がるが威力は落ちるので、獲物が小さい程散弾の数を多くするのが一般的である。
再び月は隠れ、頼れるのは各自の手にある松明の小さな灯りのみだ。
立ち木と積もった雪に、悪い視界。自然と一列の隊列となっていた。池口巡査を先頭に警官と戸長、私と爺様、そして村の男。そういった並びである。
闇の中。頼りない松明の光だけが光源では数メートルも先は暗闇、そうなると前の者の背中しか見えない。
振り向くと、後ろの男までの距離が開きすぎていた。これはまずい。
「巡査、もう少しゆっくりお願いします!後ろの者がついていけません」
先頭を歩いているであろう池口巡査に向けて大きく声をかける。間延びした一列縦隊では、落伍者が出ても気がつかない。夜の雪山はそれだけで脅威なのだ。前方から、了解の返答があった。
『ぼっ』と音を立てて火が揺れた。少し風が出て来たようだ。
こちらからはヒグマの様子はわからないが、向こうからは我々が追跡していることはわかっているだろう。あとは向こうの出方次第だが、さてどう出るか。
ぴたりと前の者の足が止まった。
「足跡が終わった、ここで途切れている。信吉はどこか!?来てくれ」
巡査の声が聞こえた、爺様と共に前に出る。
なるほど、くっきりと残っていた足跡は、ある場所を境に完全に途切れている。
「止め足だ」
かがんで足跡を確認した爺様が言った。
その瞬間、私は肩にかけている小銃を素早く構え叫んだ。
「周囲を警戒!待ち伏せの恐れ有り!銃を構えろ!銃を構えろ!」
全員に聞こえるよう大きな声で、警戒を促す。ヒグマは自分の足跡を踏みながらバックして、途中で脇に隠れる『止め足』という技術を使う事がある。
これはすなわち、足跡を消して逃げる事を選んだか……もしくは背後からの待ち伏せを選んだかだ!
グゥォグォォォッ!!
背後から恐ろしい唸り声が轟いた。まるではらわたを下から持ち上げたような振動を感じた。即座に振り向くと、後ろの男が持っていたのだろう松明の火が吹き飛んだ。
「ぎゃあああ!!」
直後、悲鳴とも雄叫びとも分からぬ叫び声。
遅れてドドォンと銃声が二つ。村の青年達が撃ち掛けたらしい。獣の唸り声と嫌な物音が聞こえるが、暗闇に紛れ何が起こっているのか把握できない。ちらりちらりと黒い影が蠢いているのが見えるだけだ。
「助けてくれっ!助けて……足を、足を喰われてる!ああ、俺の足が!」
すぐそこから声が聞こえる。確かに声は聞こえる。
だが、松明を手放してしまったらしい、灯りを失った男の場所が特定できない。巡査と村の男の叫び声が交差する。
「どうした!誰だ、誰がやられた!?」
「石上(いしがみ)がやられた、どこに行った!目の前で連れて行かれたっ!ヒグマに引きずられたんだ」
がちゃがちゃと音を立て、誰もが慌てている。
「ああああっ!足が、足がどうにかなっちまった!」
「今行く!どこだ、ここからでは見えない!声を出せ!」
「こっちだ……ああ助けてくれ!」
私は松明を地面に置き、声を頼りに銃を構えたままそちらへ駆け寄った。
グゥォォォッ!!
振動と共に突然大きな羆が目の前に現れた。
二本の足で立ち上がったそれは、まるで山のような大きさだ。二つの眼球のみが暗闇に光っている。瞬時にその目玉の間、額に照準を合わせ引き金を引いた。
「撃つぞ!」
ドォン!!
銃口を飛び出した一発弾※は確かに命中したが、倒れない。
角度悪く頭蓋の上を滑ったのか。ヒグマは大仰(おおぎょう)に仰け反った上半身を戻して、こちらを再び睨む。
「鉄砲は初めてか。これはおまえを殺すぞ」
視線はその双眸(そうぼう)から外さぬまま、ボルトを操作して排莢した。
さあ彼我の距離は五メートルも無い。もし今、一歩踏み込まれれば、あいつの爪ならばこの首まで届くだろう。
風に紛れて微かな硝煙の匂い。
動作は小さく最短距離で。流れるように腰から次弾を取り出し薬室に滑り込ませる。
次弾を打ち込もうとした次の瞬間。
あいつは一つ唸り声を上げると、大きく上半身を捻り後ろ向きに駆けた。瞬時に闇に紛れる。それは狙いをつける間も無く、全く消え去ってしまった。
「やったか!?」
「いや、逃しました」
駆けつけた警察官達の問いかけにこたえながら、逃げ去った暗闇に視線を向けた。ヒグマの気配が遠ざかって行く。
「ふぅぅぅー……」
深い息を一つ。巡査から「良くやった」と労いの言葉がかけられた。
撃退したと言えば聞こえは良いが、銃撃しておいて逃したのは失態だ。あいつらは狡猾で賢い。次は鉄砲にもっと警戒されるだろう。
苦い顔をしているであろう私の肩に、爺様がぽんと手を置いた。言葉は無かったが、私達の間ではそれで十分だ。
複雑な思いで銃を背負い直す。
「おい、誰か居るぞ!手を貸してくれ」
その時、震えた声で戸長が叫んだ。
そちらを見ると10歳程の男の子が、雪に半分埋まる形で顔を覗かせていた。屋敷からヒグマに引き摺られてきた子か。
素手で急いで掘り起こす。子供の全身が雪から出た、べっとりと肩口に血が固まっている。寒さで震えているが、生きているようだった。
「まだ息がある!」
肩の毛皮を子供に巻いてやる。失血も元より、低体温症でのダメージも大きい。討伐隊に足をやられた者もいるし、これ以上追跡するのは無理だろう。
音もなく白が舞った。
青い唇を震わせている子供を見る。あの羆を必ず仕留めなければならないという決意が胸の奥から込み上げて来るのを感じた。
……
※一発弾
一つの実包の中に、一粒の弾丸が入っている銃弾の種類。進一は真鍮の薬莢に、黒色火薬と手作りの散弾を詰めた物を、目標に合わせて使用している。
散弾の数が小さく多いほど、命中率は上がるが威力は落ちるので、獲物が小さい程散弾の数を多くするのが一般的である。
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