11 / 135
第11話.包囲網
しおりを挟む
一歩役場を飛び出して驚いた。舞い上がった雪の白で、一寸先も見えぬほどの状況だったのだ。
地形の起伏が目視できない。地面と空の境界がわからないと言えば良いのだろうか。下手に屋敷から離れると、目と鼻の先ですら遭難する可能性すらある。
そんな有様であるから手早く打ち合わせして、玄関より役場の外壁を左右に別れて一周する事にした。
私と爺様は、左手を壁に付けながらぐるりと反時計回りに屋敷の周りを歩く。昨晩討ち損ねた事を思い出し、無意識に手に力が入る。
「どこだ……今度こそは」
「力いるるとけってまね」
爺様の静かな言葉に、はっとして頷いた。冷静にならなければ。命を取ろうと言うのだ、下手を打てば死ぬのは私かもしれない。焦る気持ちを抑えつつ、小銃の照準を視線と合わせて慎重に歩を進める。まつ毛も凍る向かい風の中、前方で何かが動くのが見えた。
「動くな!」
声を張り上げて静止を促す。銃口をぴたりとその方向へ向けた。
「待て、撃つな池口だ!」
返答が返ってくる。どうやら逆方向から建物を周っていた巡査達と出会ったらしい。
「巡査!?……と言うことは、ヒグマは逃げたのでしょうか」
「うむ。そうらしい、窓際に引っ掻き傷が残されていたがそれだけだ。姿は既に無かった」
銃を肩に掛け直す。
巡査の言う窓を見ると、その近くの壁面に大きな爪痕が残されており黒い毛が散らばっている。ヒグマの物だろう、姿を見る事ができなかったが、確実にここに居たのだ。
私達が動くと見るや立ち去ったのだろう、随分と慎重な事だ。歯の奥がぎちりと音を立てた。
「ひとまず屋内へ戻りましょう」
雪倉戸長が言った。この雪ではヒグマを追う事もできまい。全員が同意し室内へ戻る。
また、あいつが来た時いち早く発見するために、窓際と玄関には見張りを置く事になった。
……
あれからいくらかの時が経った。天候はいまだ回復せず、ヒグマは以降も何度か襲来した。毎回壁を叩き、引っ掻き傷を付けるのみで立ち去っている。
直接危害を加えられた者は居ないが、避難している村民は恐怖から外に出る事も、眠る事も出来ずに憔悴しきっている。
これがあいつの意図するところなのであれば、効果は絶大だ。かく言う私自身もいつまで冷静さを保って居られるか……。
ガリガリガリガリッ……!
姿は見えないが、またあの音が響いた。子供の泣き声が聞こえる。飛び出して付近を捜索するも、すでにヒグマの影は無い。落胆して屋内に戻ると、一人の村民が尋ねた。
「あのクマは、クマは何が目的なんでしょうか。こんな執拗に……」
池口巡査は私達の方を向いて意見を求める。
「うむ、そうだな。マタギらはどう見る?」
「はい。ヒグマは自分の所有物、つまり獲物に異常なまでの執着心を持ちます。それで今回これだけ執拗に襲撃を加えて来ている、と考えますが」
「んだな」
「獲物とは、我々の事か?」
「それもありますが今回の場合、雪に埋められていた少年を掘り起こして救助しました。あいつはあの子を既に自分の所有物(もの)であると理解しておるのかも知れません」
「なるほど、そして取り返そうと?」
「可能性はあります」
むしろに寝かされている男の子を見る。怪我をしたものの、一命を取りとめた運の良い子だ。
今は寝ているが、先ほどは意識もはっきりしていた。あの地獄の中、本当に良く生還してくれたものだ。
話を聞いていた背中の曲がった年寄りの男が、恐る恐る口を開いた。
「その子は、狐太郎はもう身寄りが無いんだ。もしあのクマがそれで堪忍してくれるなら……」
「それ以上言っちゃなんね」
言い終わるのを待たずに爺様が止める。
しかし「それで堪忍してくれる」とは。必死で生き残った子を、再び生贄にせよと言うか!
私は、目を覚ますことなく静かに寝ている少年を見ながら言った。
「あれは、あのヒグマは神様じゃあない、人を食う悪い獣だ。堪忍などといった概念はありません。一つ食えば二つ、二つ食えば三つ。際限なく人を襲うでしょう」
「しかし……どうすんだ。飯も満足に無い、眠る事もままならない。このままじゃ皆死んじまうよ」
「雪が弱まるのを待ちましょう。そうなれば応援も呼べるし、追跡して仕留める事もできる」
「雪が……って、あんた。これが三日も続くかも知れんよ。そうなったらどうしてくれるんだ。かつえ死にだよ皆!」
老人の語気が荒くなったところで、「落ち着いて」と雪倉戸長が割って入った。
「いつまでもこんな天気と言う事は無い、今は耐えましょう。それにマタギ殿や警察の皆さんに当たっても仕方ない、彼等はよくやってくれていますから」
「……そうか。そんだよな、悪かった」
「憎むべきはヒグマよ。今は耐え難きを忍ぶ他ない」
池口巡査が窓の外を見ながらそう言った。
地形の起伏が目視できない。地面と空の境界がわからないと言えば良いのだろうか。下手に屋敷から離れると、目と鼻の先ですら遭難する可能性すらある。
そんな有様であるから手早く打ち合わせして、玄関より役場の外壁を左右に別れて一周する事にした。
私と爺様は、左手を壁に付けながらぐるりと反時計回りに屋敷の周りを歩く。昨晩討ち損ねた事を思い出し、無意識に手に力が入る。
「どこだ……今度こそは」
「力いるるとけってまね」
爺様の静かな言葉に、はっとして頷いた。冷静にならなければ。命を取ろうと言うのだ、下手を打てば死ぬのは私かもしれない。焦る気持ちを抑えつつ、小銃の照準を視線と合わせて慎重に歩を進める。まつ毛も凍る向かい風の中、前方で何かが動くのが見えた。
「動くな!」
声を張り上げて静止を促す。銃口をぴたりとその方向へ向けた。
「待て、撃つな池口だ!」
返答が返ってくる。どうやら逆方向から建物を周っていた巡査達と出会ったらしい。
「巡査!?……と言うことは、ヒグマは逃げたのでしょうか」
「うむ。そうらしい、窓際に引っ掻き傷が残されていたがそれだけだ。姿は既に無かった」
銃を肩に掛け直す。
巡査の言う窓を見ると、その近くの壁面に大きな爪痕が残されており黒い毛が散らばっている。ヒグマの物だろう、姿を見る事ができなかったが、確実にここに居たのだ。
私達が動くと見るや立ち去ったのだろう、随分と慎重な事だ。歯の奥がぎちりと音を立てた。
「ひとまず屋内へ戻りましょう」
雪倉戸長が言った。この雪ではヒグマを追う事もできまい。全員が同意し室内へ戻る。
また、あいつが来た時いち早く発見するために、窓際と玄関には見張りを置く事になった。
……
あれからいくらかの時が経った。天候はいまだ回復せず、ヒグマは以降も何度か襲来した。毎回壁を叩き、引っ掻き傷を付けるのみで立ち去っている。
直接危害を加えられた者は居ないが、避難している村民は恐怖から外に出る事も、眠る事も出来ずに憔悴しきっている。
これがあいつの意図するところなのであれば、効果は絶大だ。かく言う私自身もいつまで冷静さを保って居られるか……。
ガリガリガリガリッ……!
姿は見えないが、またあの音が響いた。子供の泣き声が聞こえる。飛び出して付近を捜索するも、すでにヒグマの影は無い。落胆して屋内に戻ると、一人の村民が尋ねた。
「あのクマは、クマは何が目的なんでしょうか。こんな執拗に……」
池口巡査は私達の方を向いて意見を求める。
「うむ、そうだな。マタギらはどう見る?」
「はい。ヒグマは自分の所有物、つまり獲物に異常なまでの執着心を持ちます。それで今回これだけ執拗に襲撃を加えて来ている、と考えますが」
「んだな」
「獲物とは、我々の事か?」
「それもありますが今回の場合、雪に埋められていた少年を掘り起こして救助しました。あいつはあの子を既に自分の所有物(もの)であると理解しておるのかも知れません」
「なるほど、そして取り返そうと?」
「可能性はあります」
むしろに寝かされている男の子を見る。怪我をしたものの、一命を取りとめた運の良い子だ。
今は寝ているが、先ほどは意識もはっきりしていた。あの地獄の中、本当に良く生還してくれたものだ。
話を聞いていた背中の曲がった年寄りの男が、恐る恐る口を開いた。
「その子は、狐太郎はもう身寄りが無いんだ。もしあのクマがそれで堪忍してくれるなら……」
「それ以上言っちゃなんね」
言い終わるのを待たずに爺様が止める。
しかし「それで堪忍してくれる」とは。必死で生き残った子を、再び生贄にせよと言うか!
私は、目を覚ますことなく静かに寝ている少年を見ながら言った。
「あれは、あのヒグマは神様じゃあない、人を食う悪い獣だ。堪忍などといった概念はありません。一つ食えば二つ、二つ食えば三つ。際限なく人を襲うでしょう」
「しかし……どうすんだ。飯も満足に無い、眠る事もままならない。このままじゃ皆死んじまうよ」
「雪が弱まるのを待ちましょう。そうなれば応援も呼べるし、追跡して仕留める事もできる」
「雪が……って、あんた。これが三日も続くかも知れんよ。そうなったらどうしてくれるんだ。かつえ死にだよ皆!」
老人の語気が荒くなったところで、「落ち着いて」と雪倉戸長が割って入った。
「いつまでもこんな天気と言う事は無い、今は耐えましょう。それにマタギ殿や警察の皆さんに当たっても仕方ない、彼等はよくやってくれていますから」
「……そうか。そんだよな、悪かった」
「憎むべきはヒグマよ。今は耐え難きを忍ぶ他ない」
池口巡査が窓の外を見ながらそう言った。
1
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
『イージス艦長、インパール最前線へ。――牟田口廉也に転生した俺は、地獄の餓死作戦を「鉄壁の兵站要塞」に変える』
月神世一
SF
【あらすじ】
「補給がなければ、戦場に立つ資格すらない」
坂上真一(さかがみ しんいち)、50歳。
かつてイージス艦長として鉄壁の防空網を指揮し、現在は海上自衛隊で次世代艦の兵站システムを設計する男。
背中には若き日の過ちである「仁王」の刺青を隠し持ち、北辰一刀流の達人でもある彼は、ある日、勤務中に仮眠をとる。
目が覚めると、そこは湿気と熱気に満ちた1944年のビルマだった。
鏡に映っていたのは、小太りで口髭の男――歴史の教科書で見た、あの「牟田口廉也」。
しかも時期は、日本陸軍史上最悪の汚点とされる「インパール作戦」決行の直前。
部下たちは「必勝の精神論」を叫び、無謀な突撃を今か今かと待っている。
(……ふざけるな。俺に、部下を餓死させろと言うのか?)
現代の知識と、冷徹な計算、そして海自仕込みのロジスティクス能力。
すべてを駆使して、坂上(中身)は歴史への介入を開始する。
精神論を振りかざすふりをして上層部を欺き、現地改修で兵器を強化し、密かに撤退路を整備する。
これは、「史上最も無能な指揮官」の皮を被った「現代の有能な指揮官」が、確定した敗北の運命をねじ伏せ、数万の命を救うために戦う、逆転の戦記ドラマ。
サイレント・サブマリン ―虚構の海―
来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。
科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。
電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。
小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。
「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」
しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。
謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か——
そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。
記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える——
これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。
【全17話完結】
オッサン齢50過ぎにしてダンジョンデビューする【なろう100万PV、カクヨム20万PV突破】
山親爺大将
ファンタジー
剣崎鉄也、4年前にダンジョンが現れた現代日本で暮らす53歳のおっさんだ。
失われた20年世代で職を転々とし今は介護職に就いている。
そんな彼が交通事故にあった。
ファンタジーの世界ならここで転生出来るのだろうが、現実はそんなに甘く無い。
「どうしたものかな」
入院先の個室のベッドの上で、俺は途方に暮れていた。
今回の事故で腕に怪我をしてしまい、元の仕事には戻れなかった。
たまたま保険で個室代も出るというので個室にしてもらったけど、たいして蓄えもなく、退院したらすぐにでも働かないとならない。
そんな俺は交通事故で死を覚悟した時にひとつ強烈に後悔をした事があった。
『こんな事ならダンジョンに潜っておけばよかった』
である。
50過ぎのオッサンが何を言ってると思うかもしれないが、その年代はちょうど中学生くらいにファンタジーが流行り、高校生くらいにRPGやライトノベルが流行った世代である。
ファンタジー系ヲタクの先駆者のような年代だ。
俺もそちら側の人間だった。
年齢で完全に諦めていたが、今回のことで自分がどれくらい未練があったか理解した。
「冒険者、いや、探索者っていうんだっけ、やってみるか」
これは体力も衰え、知力も怪しくなってきて、ついでに運にも見放されたオッサンが無い知恵絞ってなんとか探索者としてやっていく物語である。
注意事項
50過ぎのオッサンが子供ほどに歳の離れた女の子に惚れたり、悶々としたりするシーンが出てきます。
あらかじめご了承の上読み進めてください。
注意事項2 作者はメンタル豆腐なので、耐えられないと思った感想の場合はブロック、削除等をして見ないという行動を起こします。お気を悪くする方もおるかと思います。予め謝罪しておきます。
注意事項3 お話と表紙はなんの関係もありません。
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗@オートスキル第1巻発売中
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
【完結】スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜
かの
ファンタジー
世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。
スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。
偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。
スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!
冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!
【超速爆速レベルアップ】~俺だけ入れるダンジョンはゴールドメタルスライムの狩り場でした~
シオヤマ琴@『最強最速』発売中
ファンタジー
ダンジョンが出現し20年。
木崎賢吾、22歳は子どもの頃からダンジョンに憧れていた。
しかし、ダンジョンは最初に足を踏み入れた者の所有物となるため、もうこの世界にはどこを探しても未発見のダンジョンなどないと思われていた。
そんな矢先、バイト帰りに彼が目にしたものは――。
【自分だけのダンジョンを夢見ていた青年のレベリング冒険譚が今幕を開ける!】
俺だけ毎日チュートリアルで報酬無双だけどもしかしたら世界の敵になったかもしれない
宍戸亮
ファンタジー
朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。
不意に開かれるダンジョンへのゲート。その奥には常人では決して踏破できない存在が待ち受け、萌の体は凶刃によって裂かれた。
そしてチュートリアルが発動し、復活。殺される。復活。殺される。気が狂いそうになる輪廻の果て、萌は光明を見出し、存在を継承する事になった。
帰還した後、急速に馴染んでいく新世界。新しい学園への編入。試験。新たなダンジョン。
そして邂逅する謎の組織。
萌の物語が始まる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる