上 下
64 / 135

第64話.識者

しおりを挟む
いつしか日が昇り、気温が上がった。
冷え切った身体をじわりと温めるお天道様の光が、いっとうありがたく感じる。天然の掩体壕(えんたいごう)である岩場に潜んで、二日目。

孤立無援の我々を見かねて手を差し伸べてくれたのは、この太陽だけだ。お陰で、低体温症で全滅というのは免れそうなのだが、そうなってくると次の問題が頭をもたげてきた。

水がない。
食料も無いが、差し当たっては水が無いのが深刻である。兵らには、水筒の水は節約して飲むように言ってあるが、それも限界だ。

みな渇きに耐えながら、丸まって小銃を握りしめている。一様に疲れた、消耗した様子ではあるが、その中でも目だけはぎょろりと光っている。

誰もが、その時を待っている。

ルシヤはなぜ攻めて来ないのか。
今の我々など、圧して潰せるのではないか。こちらを過大評価しているのか、それともそんなこともわからないのか。
まさか人道的だとか人間性(ヒューマニティー)だとか、そう言った考えではないだろう。
我々を追い詰めることなど獣を追って狩るような感覚、そうやって来たはずだ。ならば何か、止まっている理由があって良い。

身動きは取れぬし、捕虜は何も語らない。
我らと彼らには情報量に格差がある、この状態ではこちらの打てる手というのは何もない。
静かに待ち続けた。
ついにルシヤに動きはなく、そのまま日は沈み、夜は更けていく。

三日目の朝。
また悪い事に霧が出た。湿り気を伴った風にあてられて、否が応でも身体が濡れる。
昨日は手を差し伸べてくれた太陽すらも我々を見捨てたのだろうか。
私達は巣穴に潜む鼠のように、薄暗い岩場の陰で震えて座っている。身体は芯まで冷えきり、兵はみな殆ど言葉を発しなくなった。

ある時一人の兵が、静寂の中、しゃがれた声で意見しはじめた。

「小隊長。もう限界だ、出ましょう」
「出て、どうする」
「突撃を。一兵でも道連れにするんです」
「……」

天城小隊長も思うところがあるのか、静かにその話を聞く。

「我々はいずれ動けなくなります。もう、それも近い。そうなれば無駄死にだ。潔(いさぎよ)く撃って出て死にたい」

どうせ死ぬなら、と。兵らからパラパラと岩場を出て突撃すべきだという意見がでてきた。確かに、もはや明日までも持たんかもしれない。
それほどに寒さと渇きの消耗は激しい。

「穂高はどう考える」

小隊長は、私の方を向いて問うた。少し考えた後、答える。

「ここで出て死ぬのは、容易(たやす)い。しかし、それは敵を減削(げんさく)せよとの命令にはそぐわない。ここに存在(い)るというのが、我々のルシヤに対する最大の攻撃でしょう」

その私の言葉に、ある兵が反論する。

「少尉殿。減削(げんさく)というが、ここに立て籠もっても、もはや一兵も殺せんのではないですか」
「いや、現にここを囲んでいるルシヤの兵の足を止めている。それが減削(げんさく)の戦果である」

中隊主力に向かう兵力を、文字通り減らして削いでいるのだ。釘付けにしているというのは大きな成果である。

小隊長の決断は「立て籠もりを続ける」であった。

それから数時間。

あくまでも立て篭もりの意思を示し続ける我々に、その時がやってきた。
周辺を取り囲むルシヤ兵が突如引き上げていったのだ。そして入れ替わるようにやってきた日本兵に我々は助けられた。
皆、限界の状態であったが。一命を取り留める事となった。夢か現か、我々の前に立ったのは副連隊長であった。

戦闘は突然始まり、突然終わったのだ。


……


私達は消耗が著しく、全員札幌の病院に後送される事となった。
その道すがら事の顛末を聞いた。

戦闘停止命令が出たということである。
今回の第三中隊とルシヤの遭遇戦。これは両国の上層部としては予想外であったらしい。
いや予想外というのが正しいのか、それはわからない。しかし両国での話し合いの場が設けられて手打ちとなった。
そして北部雑居地に仮の国境が定められ、その北部がルシヤ領、南部は日本領となる。


……


札幌。
病院にて。
個室が与えられた私の部屋で寝ていると、背の高い男がヌッと入ってきた。私の姿を認めると、挨拶もなしに話し始める。

「君が穂高少尉か」
「はい」
「浅間(あさま)中将である」

そう言った彼の階級章には星が多い。星が多くて喜ぶのは子供と軍人だけだというが。

「……中将閣下が私に何か」
「警戒しているのかね」

ここに。と椅子を案内して座らせる。

「緊張しておるのです」
「気を緩めてくれたまえ。とって食おうというわけでもない。見舞いに来たのだよ」
「はい。ありがとうございます」

見舞いにきた、か。果たしてそれだけなのか。

「具合はどうか」
「怪我も大したことは無い、数日で良くなるとのことでした」
「それは何よりだ」

浅間中将は部屋を見回した後、立ち上がり自ら窓を閉めた。

「ルシヤは、内政で忙しいらしい。今回の占領に関しては、海軍大佐の独断が過ぎたというところもあるようだ」
「はい」

向こうも向こうで、事情があるということか。ズッと椅子を引いて、中将閣下が前のめりに座り直した。

「また共産革命を押さえ込む算段のようだ。帝政を続けようとする勢力が上手くやっている」

黙って頷く。

「少尉の知る歴史では、どうだったのか」
「私の知る歴史とは?」
「身辺を少し調べさせて貰ったよ。どうにも、前世の記憶あるらしいじゃないか」
「世迷いごとかも」

そう吹聴したわけでは無かった筈だが。どこからそんな話が出たのか。口の端を歪めて、彼は続ける。

「そうでもない。そうでもない、理由がある」
「理由とは」
「前世の記憶を持つもの。実は君だけでは無いのだ。この日本にもいるし、清国(ちゅうごく)にも居る。ルシヤでも皇帝に近いものがそれらしい。」

私と同じような前世の記憶を持つ者がいる。中将の目を見る、ふざけているようにも見えないが。

「我々はそれを『識者(しきしゃ)』と呼んでいる」
しおりを挟む

処理中です...