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第77話.奪還作戦

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十二月十二日、浅間師団前線司令部。
粗末な椅子に座って、地図を広げて難しい顔をしている男たちがいた。第一線を突破された、反撃の一手をどう出るべきか。そう言った事柄について頭を付き合わせて話し合っているのである。
穂高進一もその一人だ。

「断固攻撃すべきです。今すぐに!」
「そうは言うがな穂高少尉。急いては事を仕損じるのではないか。準備して反撃に移らねば、いたずらに兵を消耗するだけだろう」

私の言葉に、参謀長が返答する。
連絡のあった当日より急いで駆けつけてみれば、前線の天幕に用意された司令部では占領された第一線の奪還作戦が議論されていた。
そう、未だに議論がされているのだ。
浅間中将より師団司令部参謀補佐という名目を与えられて、私はここに立っている。

「浅間中将(しだんちょう)からの命令はどうなりましたか」
「命令通りだ、反撃はする。反撃はするが、準備期間が必要だと言っておるのだ」
「無闇に時間を与えるなど敵に塩を送っているようなものだ」
「貴様!参謀長殿に向かって、何を言うか!」

参謀長に意見すると、近くの参謀の一人がにわかに立ち上がって、私の言葉を遮った。ぽっと出てきた尉官風情が何をいうのか、とでも考えているのだろうな。
この作戦は時間が命だ。第一線を突破されたと言っても、敵にもかなりの損害を与えた筈である。悠長な事を言っておれば機を逃す。

「許可を得ております。浅間中将(しだんちょう)より直々に」
「許可だと」

じろりと、睨むようにこちらを見る。そこに一人の将兵が入ってきた。

「参謀長殿、浅間中将よりお電話が入っております」
「…………わかった。今行く」

中将殿、良いタイミングで援護してくれる。


……


「穂高少尉、提案を許可する」

何を話してきたのか、戻ってきた参謀長は開口一番そう言った。何にせよ話を聞く姿勢を取ってくれるのはありがたい。
それを聞いて、広げた地図上を指差しながら話し始める。

「すぐに砲兵隊に連絡し準備砲撃を始め、砲撃終了と共に間髪入れず予備隊と第二線の兵員を突入させます。今彼奴らは疲弊している、優先すべきは態勢を整える暇を与えぬ事です」
「反撃に備えて長期的な砲撃で、敵兵力に徹底的な打撃を与えるべきではないか?」
「火砲による攻撃だけでは塹壕陣地に隠れた敵兵を全て排除するのは難しいでしょう。兵が実際に乗り込まねば。そうすると、砲撃の長期化は相手に反撃する準備時間を与える事にもなる」
「それでは十分な効力を与えられぬのではないか」

いや、と続ける。

「自陣である第一線塹壕に榴弾を放り込む事など、明而陸軍の兵であれば目を瞑ってもできる。我が軍の砲兵を信じましょう」

砲撃は照準が命である。地平線の向こう側、もしくは障害となる地形を超えて射撃するために砲撃手が直接目標を見ない間接射撃というのは特にそうだ。
観測班が目標の位置を観測し指揮所が弾道を計算して砲列に指示。観測射が指定の座標に着弾したかを観測班が観測して、指揮所に送る。そういった一連の流れにより、効力のある射撃を規定数、発射する手筈である。
そう言った入念な準備の上で火砲は運用されている。絶大な威力があるものの難しい兵器であると言えるだろう。

しかし、それは敵の位置や地形などの把握が難しい場合や通信が十分でない場合の話である。
塹壕第一線は元々は自軍でこさえた陣地である。地形や状況の極めて正確な情報を事前に知れている。しかも自軍内の有線によって、連絡手段も確立している。つまり火砲の照準はすでに完璧であるという事だ。

「短期的集中的に砲撃を行い、直後に歩兵による突撃で奪還します。この作戦はスピードが全てだ」
「うん、成る程な」

地図から視線を上げて、黙って参謀長の目を見る。誰もがじっと口を結んでいる。

「提案は以上です」
「わかった。他に意見はあるか、どうだ」

参謀長はそう言って一人を指した。
厳しい表情を崩さずに言ったその奥には、何を考えているのであろうか。
言葉を向けられた将兵が、地図に目を落としたあと、慎重に言葉を選びながら口を開いた。

「少尉の提案に納得感はある。確かに図面通り全て上手く運ぶならば、わずかな損害で奪還できるやもしれません。試してみる価値はあるかと」
「反対意見の者は」

しんと、司令部に静寂が訪れる。沈黙は同意だ。続けて参謀長が言った。

「奪還作戦を開始する。各部に連絡、準備にかからせよ」

言葉を受けて、皆が一斉に動き始める。私にのみ聞こえるくらいの大きさで、ぼそりと参謀長が呟いた。

「貴様が、そうか。本当に存在するのだな。いや、真偽などこの際どうでも良いか。ルシヤに勝利さえできれば」

そう言ったあと、天幕の外に出ていった。
軍内で私の意見が通用するようになったのはありがたい。ありがたいが、責任は重大だな。
ルシヤはどう出るか。私に考えつく事は敵も頭にあると考えるべきだ。そうでなくても彼奴らにも識者がいる。いると想定しておくべきだろう。

「……それでもやってみる、しかないだろうな」
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