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第78話.反撃ノ狼煙

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東雲の頃。
日本軍の攻城砲が怒涛の如く、一斉に火を吹いた。練度の行き届いた砲兵隊の榴弾が、一つ山を越えて第一塹壕線に降り注ぐ。
敵の手に堕ちた我が陣地は、如何様な思いで炎の弾を受け入れたのだろうか。

すでにルシヤのやりようによって、月の腹のような凹凸を見せていた大地であるが、そこに追い討ちをかけるように榴弾が炸裂していく。轟音と共に大地はめくれ上がり、煙と火炎が舐めるように辺りを染める。

塹壕に伏せる兵は、畑に潜むミミズのようなものだ。鍬で土を掘り返されて日の元へ引きずり出されれば死ぬ他ない。

四半刻ほどの砲撃が終わり、しかるべき朝の静寂を取り戻そうとしつつある時、司令部に連絡が入った。

「観測班から連絡!規定数の砲撃完了とあります」

電話機を片手に、一人の士官が声を上げた、同時に参謀長に視線が集まる。私もそのうちの一人である。

ジッと皆が押し黙る。

参謀長は黙って白い手袋の指先でこちらを指差した。その仕草を良いように取って、私は口を開いた。

「弾着率はどうか」
「二割も想定を上回っております。敵方は火の手が上がっている場所もあると」

誰も声には出さないが、報告を受けてにわかに場の空気が暖かくなった。心なしか皆の顔が緩んだようにも思える。
しかし、私の心臓はそんな雰囲気には迎合する気はないようで、大きく拍動し、肩から上に熱い血が流れた。

「よし、予備隊を突入させろ!」

ある種の興奮を表に出さないよう、つとめて冷静に唇を動かして指示を出した。

「敵の反撃が想定される、怯まず一気に叩く。予備隊から次々に行かせろ、トコロテンのように後ろから押し出せ」

ひとしきりの指示を出すと、参謀長と目があった。彼が言った。

「それで穂高少尉。突撃でどれほど消耗するかな」
「敵陣地に突撃するのです」
「そうだ」

参謀長は、そのままこちらの目をジッと見ている。

「数はわかりません。しかし言える事はあります」
「言ってみろ」

一つ、息を吸って答えた。

「先手を打って撃滅し、占拠できなければ全員死ぬ。陣地を取りも返せず、何も得られないまま土地を追われて全員死ぬのです」

前世ではそういうものをいくつか見た。
いや無論、映画の中でだが。あの映画の俳優、奥歯で苦虫を噛み潰したような良い顔をしていたな。名演技だった。

「作戦が成れば、生きる。死んだ者も、生きる」
「貴様、それは。言葉の意味はわかっているんだろうな」

わかっている。わかっているはずだ。

「作戦は成功させます」

成るまで兵を投入すると、奪還するまで戦場に兵を送ると。もっと端的に言えば、作戦の為に兵に「死ね」と言っているのだ。
何もせぬなら万人死ぬ。だから今、千人に死ねと言っている。
ああ、そうだ。まさにお国の為に死んでこいなどと命令している。私にはそんな事は出来ないし、そんな機会は一生来ない。そう思っていたが。

いや、一生は終わったんだったか。
二回目の命だ。何があろうと不思議でもないか。

司令部(ここ)では数字でしか見えない、でもその奥には実際に生きている人間がいる。私だって去年まではそうだっただろう。

戦争なんてクソだ。
戦争なんてやりたくない。誰だってそうだ、私もそうだ。

だが、やるなら勝たねばならない。勝つ戦争をせねばならない。
その覚悟は、ある。

しかし嫌な、本当に嫌な気分だ。
肺の中に、妙な空気が溜まってしまった気がする。奥の方だ、よどんだ空気を入れ替えたい。

「作戦は、成功させます」

そう、もう一度言った。
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