【元幹部自衛官 S氏 執筆協力】元自衛官が明治時代に遡行転生!〜明治時代のロシアと戦争〜

els

文字の大きさ
85 / 135

第85話.少年

しおりを挟む
「……」

路肩にうずくまる子に声をかけるが、返事はない。少し思案して、再び声をかけた。

「おい、負傷しているのか。顔を見せろ」
「……う」

微かな呻き声が上がる、これは普通ではない。不用意に近づいて良いものだろうか。
ふぅ、と吐いた息が白い煙となった。行き倒れか。このまま放置されれば彼の命は無いだろう。
しかし、これ自体が罠だという可能性もある。さてどうしたものか。

……ままよ。
一度声をかけておいて捨て置けるほど、割り切って生きてはいない。
下馬して、ゆっくりと近づいていく。

「どうした。兎に角こちらを見ろ」

反応はない。手をかけて、上を向かせる。
よく日に焼けた褐色の肌。くりっとした瞳を持つ少年であった。
ふっとアイヌという言葉が頭をよぎった。しかし、この明而において彼らがどういった境遇であるのか不明であるし、何しろ今世で出会った事もないのであるから、この少年がそうであると断定はできない。
彼はほとんど何の抵抗もなくこちらを見る。見るというより向いているだけだ。目は開いているものの、焦点が合わず瞳が揺れていた。
あまり良い状態とは言えないようだ。

ざっと手を触れて調べて見るが、外傷は無いようだ。しかし意識ははっきりしておらず、呼びかけへの返答も曖昧である。
低体温症か、それとも何かの感染症でも患っているのだろうか。
何にせよ加温が急務である。
この極寒の中、然るべき装備も無いまま雪に埋もれておれば長くは持たない。自分の毛皮の首巻きと外套を外して、少年に身につけさせてやる。
そのまま少年と共に馬の背に跨った。前に少年を抱えるように乗せる。二人乗りなど慣れぬ作業に手間取るかと思ったが、案外易かった。
明而の馬は背が低くがっしりした身体つきのものが多く、平成の頃に競馬で見たようないわゆる馬とは毛色が違う。

「連れて行くしかないか」

せめて火のある場所へ。
誰にでもなく、口の中でそう呟いて馬を歩かせた。
力の入らぬ様子で、ぐったりとしている少年の体を決して落とさぬようにと気をつけて。


……


半刻もしないうちに目的地にたどり着いた。
それは半ば雪に埋もれた小屋の集まりだった。
いつか狩猟の時期に使っていた山小屋を思い出す。爺様と吉五郎は今も達者でやっているだろうか。
山は空が近いが、この空を彼らも見ているのだろうか。

いや、感傷に浸っているような場合ではない。
前の小屋に再び目を戻した。ここは敵前線の観測の為に高台に設置された施設であり、いくらかの通信機器と観測機器が入っている。いわば見張り小屋である。
小銃を携えた歩哨の兵が訝しげにこちらの様子を伺っていた。当然だろう、具合の悪そうな少年を抱えた将校が突然訪れたのだ。何事かと思わないはずがない。
馬上から彼に声をかけた。

「穂高進一少尉だ。浅間中将の特命で視察に来た。被害状況と攻撃再開の目処の調査である」
「了解しました!ところでそれは……」

視線の先には私が抱えている少年。それはと言われても、これがなんなのか私にも分からん。

「うん。調査の為に道中で拾った。おい、中に入るぞ」

そう言って馬を降りて、有無を言わせず彼に手綱を預けた。ぐっと力を入れて手の中に押し込む。

「しっかり休ませてやってくれよ」
「は、はい」

適当に言いくるめて歩哨をあしらった後、急場こしらえの割には立派な小屋に上がり込んだ。
中に居た現場を取り仕切っている隊長に適当に挨拶を済ませた後、そこらの者に鍋に湯を沸かすように指示を出した。
部隊長は日本人らしくない装いの少年を見て、一瞬ぎょっとしたような顔をしたが、ルシヤとも顔つきが違うので一人納得したようである。
鍋に沸かさせた湯に雪をいくらか突っ込んで適温にしたあと、少年の手足をそこにつけてやって温める事とした。
やはり体温が下がりすぎていたのだろう、ゆっくりと回復に向かっているように見えた。
後の介抱を暇そうに座っている兵に任せて部屋を出た。

「穂高少尉殿」

声をかけて来たのは此処の部隊長。谷川少尉と言ったかな。

「はい。世話になります」

挨拶もそこそこに、谷川隊長が切り出した。

「それで視察と言うことですが」
「ああ、前線はどうなっていますか。雲に包まれたと聞いております」
「そうですね……百聞は一見にしかずと言いますから、直接観察されるのが良いでしょう」

そう言って彼は私を外へ連れ出した。小屋から少し離れた場所で、ある方角を指差す。
目を向けた先では、ほのかに黄色味のある雲がその一帯を覆っていた。まるで雲の海、雲海のようだ。想像以上に規模が大きい。遠眼鏡を使うまでもなく裸眼でも明らかに分かる。

「あすこはまさに地獄の一丁目です。なんとか帰って来られた者も、五体満足とはいかれない」
「ずっとあの様子ですか」
「そうです、あれ以来は同じ光景です」

風吹けばすぐに流れて霧散する、と楽観的に考える事も出来ないようだ。地形がそうさせているのか、天候がそれを許しているのか。
理由はわからないが、しばらく滞っていると考えて良さそうだ。
難しい顔をして唸っていると、谷川少尉が口を開いた。

「あれがルシヤの新兵器、毒ガスというものですか?」
「恐らくは。少なくとも司令部はそう見ています」

憎きはルシヤの識者だ。この地獄の雲が何を起こすのか知らぬ訳ではあるまい。
土地も民も、痕がどうなろうと知った事ではないということだ。もっと言えば我々の事など人間とも思っておらんのだろう。

「攻撃再開の目処と言っても、全ては厚い雲の中だ。この様子では何も分からんですよ」
「そうですね。私はしばらくここでお世話になります。何にせよここから観察して、雲が晴れるのを祈る他ない」

どうするべきか。攻撃が遅れれば遅れるほど戦況は不利になるだろう。しかし無策で毒ガスの中に突っ込めと兵に指示しても、無駄な死人が増えるだけだ。
眉間にシワがよるのを感じる。その時、谷川少尉が口を開いた。

「寝床を一つ用意します。高級宿じゃありませんから、寝心地は保証できませんがね」
「あぁ枕が変わって寝れぬかも」

にやりと声に出さずに笑って言った。

「ご自分の枕を持って来ていないんですか?」
「馬の背に積むのを忘れていました」
「それは災難でしたね」

いくらか冗談を交わした後、小屋に戻ることにした。


……


「はい、はい。そうです。了解しました」

通信係に電話を返して、粗末な椅子に座りなおした。中将に現状の報告と、攻撃再開の目処が立たない事を伝えたのだが。

……疲れた。
慣れぬ馬での旅に加えて、全く良い話の無い一日だった。

「穂高少尉殿」

後ろから声をかけられた。振り向きながら、なんだと問う。

「連れて来た子供が目を覚ましました」
「ああ、良かった」
「しかし少し問題が」

問題、問題、また問題だ。

「今行く」

そう言って立ち上がった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

服を脱いで妹に食べられにいく兄

スローン
恋愛
貞操観念ってのが逆転してる世界らしいです。

航空自衛隊奮闘記

北条戦壱
SF
百年後の世界でロシアや中国が自衛隊に対して戦争を挑み,,, 第三次世界大戦勃発100年後の世界はどうなっているのだろうか ※本小説は仮想の話となっています

まなの秘密日記

到冠
大衆娯楽
胸の大きな〇学生の一日を描いた物語です。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~

bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。

処理中です...