柳井堂言霊綴り

安芸咲良

文字の大きさ
13 / 24
一 三人吉三巴芝居

十三幕目

しおりを挟む
 よく知る男の姿に、お妙は足を止めた。

弥吉やきちさん、いい男が台無しですよ。そんなにぼんやりして」

 茶屋の客の少ない時間帯。ちょっと喋るくらいいいだろうとお妙は弥吉に声を掛けた。

「ん? あぁ、お妙ちゃんか。邪魔してるよ」
「何かあったんです?」

 その問い掛けにも、弥吉は生返事だ。
 お妙が弥吉の隣に腰掛けた。弥吉はちらりとそれを見やる。
 お妙は笑みを携えて、通りを行く人々を見ている。弥吉が話し出すのを待っているのだろう。

 仕方ない、似た者同士なこの娘のことだ。こんな時は話すまで動かないだろう。自分ならそうする。

「いやね、うちの梅乃ちゃんいるだろう?」

 話し出した弥吉にお妙は目で頷いた。

「あの子が来てから色々と助かってんだよ。綺麗好きだから店の掃除も率先してやってくれるし、あの子目当ての客も増えたし」

 隙あらば梅乃に近付こうとする輩が増えたのは事実だ。だが弥吉としても、看板娘に妙な輩から手を出されても困る。
 思い出して少し笑ってしまった。徳蔵が店に立つことが増えたのだ。あんなに眼光鋭く客を睨んでどうする。おかげで変な虫は湧かなくなったが。

「いいことなはずなのにねぇ。何だか胸が妙なんだよ」

 梅乃と徳蔵が話しているところを、時折見かける。相変わらずな仏頂面の徳蔵に、愛らしい笑顔の梅乃。何て事のない日常の風景だ。
 だがこの胸のもやもやは何なのだろう。

 隣で吹き出す声が聞こえた。弥吉は目を瞬かせて、隣を見やった。

「……何笑ってるのさ」

 弥吉はまだ笑い続けているお妙にじとっとした視線を向けた。よほどつぼに入ったのか、お妙は肩を震わせ続けている。

「ごめんなさい。だって弥吉さん、そんなの」

 お妙は深呼吸して弥吉の方に顔を向ける。

「徳蔵さんを取られたようで、悔しかったんでしょう?」

 言われた言葉の意味が、すぐには分からなかった。弥吉はぽかんとお妙の顔を凝視するしかできない。

「い……やいやいや! 僕に男色の気はないよ!?」
「分かってますよぅ。そうじゃなくて、親愛って意味です。兄弟愛みたいな。ずっと柳井やないさんと徳蔵さんとお仕事してきて、もう家族みたいに思ってたんでしょう? そこにお梅ちゃんが現れて、弟を取られたような気持ちになっちゃったんじゃありません?」

 今度こそ弥吉は言葉を失った。

 まさか、と思うが言われてみれば思い当たる節がない訳でもない。つまらないと思うのは二人が揃っている時だけだ。
 徳蔵を弟のように思ってきた。二つしか違わないが、彼の故郷でのこともある。何かと世話を焼いてきたのは事実だ。
 梅乃にしても、歳の離れた妹ができたようであった。それは徳蔵も同じだっただろう。言霊に狙われやすく、どこか目の離せないところのある梅乃は、弥吉にとっても徳蔵にとっても気に掛かる存在だったのだ。
 徳蔵はそれが恋情に変わったが、手の掛かる弟だと思っていた存在が急に大人びたのだ。懐いていたわけではないが、兄離れと言っても変わらない。

 弥吉は片手で顔を押さえ、俯いた。
 弟離れできていなかったのは、自分の方か。
 弥吉はくくっと肩を震わせる。

「弥吉さん?」

 黙りこんでしまった弥吉を、心配そうな目のお妙が覗き込んだ。弥吉はぱっと顔を上げる。

「このことは内緒ね?」

 そう言って弥吉は人差し指立てて口元に当てた。
 色男な兄貴分で通っているのだ。かっこ悪いところは見せられない。

 にっと笑う弥吉にお妙は面食らったようだ。目をぱちくりさせている。
 やがてその顔がくしゃりとした笑みに変わった。この表情に惚れて、茶屋に通う客も多いのだろう。

「仕方ないですねぇ。いくつ秘密をお持ちになるつもりですか?」
「謎の多い男は魅力的だろう?」
「あら、私にはばれてしまっていますけど?」
「ははっ、それもそうだ」

 この娘にならば、情けないところを見られてもいいかと思えた。勿論、見せないにこしたことはないが、隠したとしてもすぐにばれてしまいそうだ。隠し事は意味がない。
 それに気付いているのだろうか。
 弥吉はお妙を見つめるが、お妙は不思議そうに見返してくる。
 この分なら気付いていないようだ。弥吉はこの関係性がずっと続きそうだなと思いながら、初夏の迫る高い青空を見上げた。

   *

「それで、お梅ちゃんはどっちをお慕いしているの?」

 ある日の昼下がり、柳井堂に遊びに来ていた茶屋のお妙が言った。恋文事件以来、お妙と梅乃は仲良くなったのだった。
 硯を並べていた梅乃はぽかんとする。

「どっちって……?」
「やだよう、徳蔵さんと弥吉さんのことだよ」

 意味を解して梅乃の顔がぼんっと赤くなる。徳蔵は小屋にいるし、弥吉は接客中だ。聞こえてはいないと思うが、梅乃は狼狽した。お妙がからからと笑う。

「大丈夫、大丈夫。聞こえてないって。それで、どっちなんだい?」

 梅乃が茶屋に行ったりお妙が柳井堂に来たりで二人は随分と仲良くなっていたが、恋の話をするのは初めてだ。梅乃より二つ年上のお妙。梅乃ほどうぶではないのだろう。

「ふ、二人ともお仕事仲間です……! 私なんかに想われても迷惑でしょう!?」

 梅乃はせめて弥吉に聞こえないようにと小さく言い返した。
 お妙はきょとんと目を瞬かせる。

「あらやだ、お梅ちゃんは自分の可愛さを分かっちゃいないねぇ」

 ふふ、とお妙は笑う。梅乃はどう返事をしたものか、と視線をあちこちに彷徨わせた。

「お梅ちゃんは初恋もまだだったかい?」

 姉御ぶって笑うお妙は、どこか楽しそうだ。からかわれる梅乃はたまったものではない。話を切り上げて仕事に戻ろうとした。

「一緒の仕事場だからって安心してちゃあいけないよ。二人とも、もてるから」

 そう言って片目を瞑ると、墨を買ってお妙は帰っていった。

 知らない訳ではない。顔のいい弥吉がもてるのは周知のことだが、徳蔵もあれで女性に人気がある。愛想はないが、黙々と仕事をする姿がいいと評判だ。
 梅乃は盛大にため息を吐いた。

「どうかしたのか」
「うひゃあ!」

 突然背後から声を掛けられて、梅乃は飛び上がる。振り返ると、そこにいたのは徳蔵だった。

「いっいつ、いつからそこに……」

 話を聞かれてしまっただろうか。梅乃の顔に焦りが浮かぶ。

「いや、今来たところだが。それより顔が赤いが大丈夫か? 熱でもあるんじゃないのか?」

 まさか徳蔵たちの話をしていたなんて、とても言えやしない。梅乃はぶんぶんと横に首を振った。

「えっと、あの……。お妙ちゃんと新作のお菓子の話をしていただけです!」

 我ながら何と苦しい答え、しかもよりによって菓子とは。
 梅乃は言ってしまってから、もうちょっとどうにかならなかったのかと後悔した。食い意地が張っていると思われてしまったかもしれない。

「あぁ、あの茶屋の娘か。確かにあそこの団子はうまいな」

 変には思われなかったようだ。梅乃はちらりと徳蔵の顔を見上げる。
 徳蔵は見かけによらず、甘いものが好きなようだ。酒のつまみに白桃を用意していたときには驚いたものだ。

「あの……。今度一緒に食べに行ってみませんか?」
「え?」
「お妙ちゃんが来週から新作のお菓子が出るって言ってたから! あ……嫌だったらいいんですけど……」

 声が段々尻すぼみになる。勢いで言ってしまったが、徳蔵はあまり誰かと出かけることはない。
 自分が誘うのは迷惑だったか、と梅乃が思った時だった。

「分かった」

 短く呟かれた言葉に、梅乃は顔を上げる。視線の先の徳蔵は、いつも通りの仏頂面ながらも別段迷惑そうではなかった。

「楽しみにしてる」

 無表情のまま告げて、徳蔵は総兵衛のところへと行ってしまった。

「顔と科白が合ってないよ……」

 ぽつりと零しながらも、梅乃は頬が緩んでしまうのを止められなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」 ――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。 額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。 涙すら出なかった。 なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。 ……よりによって、元・男の人生を。 夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。 「さようなら」 だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。 慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。 別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。 だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい? 「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」 はい、あります。盛りだくさんで。 元・男、今・女。 “白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。 -----『白い結婚の行方』シリーズ ----- 『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

遺産は一円も渡さない 〜強欲な夫と義実家に捨てられた私、真の相続人と手を組み全てを奪い返す~ (全10話)

スカッと文庫
恋愛
「お前の価値なんて、その遺産くらいしかないんだよ」 唯一の肉親だった祖父を亡くした夜、夫の健一と義母から放たれたのは、あまりにも無慈悲な言葉だった。 四十九日も待たず、祖父が遺した1億2000万円の遺産をアテに贅沢三昧を目論む夫。だが、彼には隠し通している「裏切り」があった――。 絶望の淵に立たされた由美の前に現れたのは、亡き祖父が差し向けた若き凄腕弁護士・蓮。 「おじい様は、すべてお見通しでしたよ」 明かされる衝撃の遺言内容。そして、強欲な夫たちを地獄へ叩き落とすための「相続条件」とは? 虐げられてきた妻による、一発逆転の遺産争奪&復讐劇がいま幕を開ける!

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

処理中です...