柳井堂言霊綴り

安芸咲良

文字の大きさ
20 / 24
二 弁天娘女男芝居

三幕目

しおりを挟む
「だからそれはこっちの方がいいって言ってるでしょー?」
「煩い喋るな邪魔するな。俺は俺のやり方でやる」
「なによー? あたしに歯向かうっていうのー?」

 まだ涼しい時間。柳井やない堂の入り口で立ち尽くす梅乃は、目の前で繰り広げられる光景をただ無言で見つめていた。

「あっ、お梅ちゃんおはよー」
「おはようございます……」

 梅乃はしずしずと店の中へと入る。するとお菊が梅乃の元へと近づいてきた。そして手を握られる。
 にこりと笑うお菊に、梅乃はたじろいだ。

「言霊の気配が残ってる。気付いた?」
「き、気付きませんでした……」

 お菊は手を離し、くるりと背を向けた。

「通りに二体いたみたい。悪いものじゃないけどね。本当にお梅ちゃんは、言霊使いとしてはまだまだねー」

 そう言われて、梅乃はぐうの音も出ない。

 お菊が店に来てから、始まったのは梅乃の言霊使いとしての修行だった。
 なんとお菊は徳蔵と弥吉やきちを鍛えた張本人だという。言霊使いとして未熟だった二人を一人前にしたのはお菊だと聞かされて、梅乃はたまげたものだ。

「歳のことは聞いちゃいけないんだろうな……」
「何か言った?」

 小声で言ったつもりだった梅乃は、慌ててぶんぶん首を振った。
 梅乃とそう変わらなく見えるお菊だが、実はそうでもないのかもしれない。

「昼間は暑くてお客さんも来ないだろうしね。奥で修行の続きやろうか。徳くん、店番任せたよ」
「断っても聞かないんだろうが」
「なにー? 文句でもあるのー?」
「ねぇよ……」

 渋々徳蔵は頷く。
 梅乃はもやもやした気持ちを抱えたまま、お菊の後に続いた。

   *

 裏の井戸でお菊は立ち止まる。くるりと振り返るその面は笑顔だ。

「お梅ちゃんは久々に力の強い子だから嬉しいなー。なのに力の使い方を分かってなくて勿体無いけど!」

 もっともなことを言われ、梅乃は肩を落とした。

 新しい力が目覚めたといっても、未だ梅乃はその力を発揮できずにいた。
 徳蔵と弥吉と言霊封じに行く日々は相変わらずだったが、河原崎座での一件以来、あの力を出せないのだ。
 相変わらずの囮役。嫌だという訳ではないが、役に立てないのがもどかしい。
 自分だって言霊使いなのだ。戦力になりたいと思うのは当然だろう。

 ぱんっと乾いた音が響いて梅乃は我に返った。お菊が手を合わせ、にこりと微笑んでいる。

「じゃあ始めよっか。言霊の核は人の想い。強い想いがあってはじめて言霊として具現化するの。そしてそれを構成するのは、声と文字。まずは文字を使いこなせるようになってもらいます」

 そう言ってお菊は自分の部屋へと梅乃を誘った。
 これも梅乃の心を波立たせる一因となっていた。

 竹彦に反対されたとはいえ、梅乃は柳井堂を出た身だ。そこに入れ替わるように住まうことになったお菊。
 男所帯に紅一点。徳蔵の様子から察するに、何もないとは思うが落ち着かない。

 そうこう考えているうちに、お菊は箱から硯を出し、手際よく墨を擦っていく。同じく箱から取り出した短冊に、その墨で書いた文字を綴った。

「惑い迷いし言の霊 姿を現ししばし留めん」

 凛としたお菊の声が部屋に響く。すると短冊から黒猫が転がり出てきた。
 黒猫は梅乃の膝に頭を摺り寄せる。

「すごい……。ここに来た最初の日、徳蔵さんと弥吉さんから同じように猫を見せてもらったんです。でもあの白猫は透き通っていました。この子は違う……。ちゃんと触れるんですね」
「言霊は想いの強さだからね。強ければ強いほど実体に近付くし、人を傷付けもする」

 すっと細められた双眸に、梅乃の背筋は冷たくなった。
 忘れていた訳ではない。総兵衛の両親だって、徳蔵の家族だって、言霊の被害に遭ったのだ。
 この猫は愛らしい。けれど可愛いだけの力ではないのだ。
 お菊がにっと笑った。

「その顔ができるなら大丈夫だね。あたしの手解きは厳しいからね、覚悟しなよ?」
「はい!」

 梅乃は力強く返事をした。

   *

「とは言ったものの……」

 梅乃はふらつきながら家路に着いた。

「お菊さん、本当に厳しいなぁ。すごくいい笑顔なのに……」

 今日は店番をしなくていいということだったから、一日お菊の修行だった。
 室内ではある。店に立つよりは幾分か暑くはない。だけどこの疲労感はなんなのか。

「力を使うのが、こんなに体力使うことだったなんて……」

 今日梅乃がさせられたのは、墨を擦り、文字を書くことだけだ。だがただ文字を書くだけではない。

『弱いよ。そんなんで想いを込めたつもり?』

 今日何度その言葉を言われたことか。
 梅乃の書く文字が生み出したのは、すぐに消えてしまう猫ばかりであった。自分ではころころした愛らしい猫を強く思い浮かべているつもりなのだが、うまくいかない。焦りばかりが募っていった。

「お菊さん、本当にすごい言霊使いなんだなぁ」

 もうすぐ竹彦が帰ってくる。梅乃は夕餉の仕度をしながら、ぽつりと呟いた。
 聞けば徳蔵と弥吉を言霊使いとして育てたのも、お菊だという。その実力は相当なものだろう。
 女一人で旅をしていたのだ。腕に自信がなければ難しいものだったように思える。

「帰ったぞ。……梅乃?」
「あっ! お帰りなさい」

 竃の前でぼんやり考え事をしていた梅乃は、兄の声に我に返った。怪訝そうな竹彦に、慌てて笑顔を取り繕う。
 竹彦はそのまま梅乃の前へと立った。

「何かあったか?」

 ぽすんと頭に手を置かれ、梅乃はぽかんとした。優しく撫でられる感触に、瞬きを繰り返す。
 まったく、この兄は昔からこうだ。何かあるとすぐに伝わってしまう。
 瞼がじわりと熱くなって、梅乃は竹彦の胸にぽすんともたれ掛かった。

「何でもないの。ただ、自分が少し不甲斐無いなぁって」

 お菊は純粋に梅乃の力を伸ばそうとしてくれただけだ。柳井堂の戦力を増やそうと。
 それが悔しいと思うのは、あまりにも狭量すぎるだろう。
 自分はお菊ほど柳井堂の面々と長くいた訳ではないし、言霊使いとしても目覚めたばかりだ。適わないのは当然だ。
 小さな溜息が聞こえた。

「思ったことは口に出さないと伝わらないぞ。お前は昔から口を噤んでしまうきらいがあるからな」

 相変わらず竹彦の手は優しい。口調もだ。
 甘えてばかりもいられない。
 これはただの嫉妬だと、梅乃自身も分かっていた。

   *

「そういえば、師匠のとこに出入りする人から聞いた話なんだがな」

 竹彦は茶碗を片手に切り出した。梅乃は漬物を口にしながら兄を見る。

「なんでも呉服屋で珍妙なことが起こっているらしい。朝、店に行ったらな、着物が少しずつ移動しているそうだ」
「移動、ですか。物盗りの仕業ではなくて?」
「そうも思ったそうだが、盗られたものはないらしい。しかも妙なことにな、一軒や二軒じゃないそうなんだよ」

 そう聞かされては梅乃も首を傾げる。
 盗られたものはなくて、ただ動いただけ。犯人の目的が全く見当も付かない。
 竹彦は真剣な瞳で梅乃を見やった。

「これってもしかしてあれじゃあないか? 言霊」

 兄の言葉に梅乃は目を見開いた。

   *

 翌日。梅乃は早速、総兵衛に話をしてみた。

「着物が動く、ですか」

 徳蔵とお菊は学問所へ帳面を届けに行っていて、店には総兵衛と弥吉と梅乃の三人しかいない。暑さのせいか客はおらず、話すなら今だと梅乃は昨夜の竹彦の話を切り出した。

「私も言霊のしわざかなって思ったんですけど、言霊の意図が見えなくて……」

 今まで出会った言霊は、生み出した人の想いが見えた。
 大事なもの、譲れないもの。そういった強い想いの片鱗が見えたのだ。

「その場を見てみないことにはなんとも言えませんけど……。柳井さん、どう思います?」

 梅乃が顔を上げると、いつになく深刻そうに考え込んでいる総兵衛の姿があった。

「柳井さん?」
「あ……。いいえ、なんでもありません。ではお菊さんたちが帰ってきたら、様子を見にいってもらいましょうか」

 その言葉に梅乃は戸惑う。自分は偵察に行かせてもらえないのだろうか。
 そりゃあお菊という戦力が戻ってきて、心強い気持ちは分かる。梅乃が行くよりもお菊たちの方が安心だろう。

「柳井さーん。僕たちもいるから大丈夫だよ?」

 ずっと黙って話を聞いていた弥吉が声を上げた。
 庇われた気がする。梅乃はその言い方に引っ掛かった。
 お菊が戻ってくるまで、梅乃は藤蔵たちと三人で言霊退治に行っていたのだ。今日に限って遠ざけようとする総兵衛はなんなのか。
 総兵衛が口を開きかけたとき、店に人が駆け込んできた。

「総兵衛くん! 出たよ! 呉服屋だ! お梅ちゃんとあたしで行くから!」

 頬を上気させて言うお菊に、総兵衛は渋面を浮かべる。
 行かせてもらえることは嬉しい。だが総兵衛のその表情と、お菊と二人だということに梅乃の心に一抹の不安が過ぎった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」 ――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。 額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。 涙すら出なかった。 なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。 ……よりによって、元・男の人生を。 夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。 「さようなら」 だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。 慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。 別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。 だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい? 「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」 はい、あります。盛りだくさんで。 元・男、今・女。 “白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。 -----『白い結婚の行方』シリーズ ----- 『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

遺産は一円も渡さない 〜強欲な夫と義実家に捨てられた私、真の相続人と手を組み全てを奪い返す~ (全10話)

スカッと文庫
恋愛
「お前の価値なんて、その遺産くらいしかないんだよ」 唯一の肉親だった祖父を亡くした夜、夫の健一と義母から放たれたのは、あまりにも無慈悲な言葉だった。 四十九日も待たず、祖父が遺した1億2000万円の遺産をアテに贅沢三昧を目論む夫。だが、彼には隠し通している「裏切り」があった――。 絶望の淵に立たされた由美の前に現れたのは、亡き祖父が差し向けた若き凄腕弁護士・蓮。 「おじい様は、すべてお見通しでしたよ」 明かされる衝撃の遺言内容。そして、強欲な夫たちを地獄へ叩き落とすための「相続条件」とは? 虐げられてきた妻による、一発逆転の遺産争奪&復讐劇がいま幕を開ける!

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

処理中です...